【86】紅瞳玉石


「……あれ?」


 気が付くと、晴矢はれやは真っ白な世界にいた。

 それは、いつか見た景色だ。


 黄緑色に発光する身体。

 周囲を見渡すと、あの薄青色の膜が球体状に晴矢を包み込んでいる。

 そして、その向こうには、無数の人影が浮かんでいた。


「あの時と一緒……じゃないな!?」


 よく見れば、白い人影が皆、晴矢と同じく薄黄緑色の光を発しているのだ。


 首を傾げているうち、目の前を、赤い玉石────紅瞳玉石レッドアイアダマントが横切った。

 ほぼ同時に、青い膜が光を放って霧散する。


「おおおっと! ボヤッとしてる場合じゃないぜ! アイツを捕まえないと!!」


 サンダードラゴンウイングをはためかせると、すぐさま紅瞳玉石レッドアイアダマントの後を追いかけ始めた。


「待て~~~っ!」


 高速で人影の間を動き回る紅瞳玉石レッドアイアダマント

 晴矢は見失うこと無く、その後ろを、ものの見事に追従していく。


「よしっ! こっちの方が速い!!」


 縦横無尽に向きを変える紅瞳玉石レッドアイアダマントだが、晴矢の速度と方向転換能力が優っていた。

 みるみるうちにその距離を詰めていく。

 そして、晴矢の肩幅ほどあるその紅瞳玉石レッドアイアダマントを、両腕でガシッとばかりに抱き止めた。


「捕まえた!!!!!」


 喜々として声を上げた晴矢だが、すぐにギョッとなる。

 紅瞳玉石レッドアイアダマントを抱き止めた両腕とその胸が、みるみるうちに真っ赤に染まっていくのだ。


「うへ!? ど、どういうことだ!?」


 さらに悪いことに、紅瞳玉石レッドアイアダマントがブルブルと激しく振動し始める。

 まるで、晴矢から逃れようとするかのように。


「ちょっと大人しくしてろよ!!!」


 抱きしめる両腕に力を込めると、晴矢は人影の間を掻い潜り、外へ外へと加速した。

 魔人からのゼロ距離攻撃を受け、マスター権限で霊魂状態になり、紅瞳玉石を捕まえる────。

 そこまでは、すでに達成されている。


「あとは、念芯ニュークリアスからコイツを抜き出すだけだ!」


 何度も思い描いたこの場面。

 だが肝心の、最後のワンピースをどうすればいいのかがわからない。


 逸る気持ちを抑えつつ、ともかく人の群れの外を目指して飛ばしていく。

 やがて人の群れから抜け出すと、白い光が周囲を流れるように動いているのが目に映った。


「あれが外壁か!?」


 よくわからないまま、晴矢はその流れの中へと突進した!


「うわっとおお!!!」


 ゆったりと流れていると見えた白い光の流れは、突っ込んでみると思わぬ激流だった。

 抱きしめる紅瞳玉石レッドアイアダマントごと、晴矢の身体が一気に流されていく。


「うわっぷ! ぷへっ! ぷぷっ!」


 川に溺れているかのような感覚だ。

 しかも胸の中で紅瞳玉石レッドアイアダマントが暴れて逃げ出そうとする。


「くそっ! このっ!!」


 このままこの激流を突き進むのは無理だと感じて、晴矢は流れの中から飛び出した。


「こんなの無理だよ! どこか、流れの緩いところとかあるのかな!?」


 そんなに長い時間は、霊魂状態でいられないはずだ。

 焦る気持ちを押さえこみ、両腕にグッと力を込めると、晴矢は流れに沿って飛び始めた。


「出口出口~!! 出口はどこだ!?」


 気がつけば、紅瞳玉石レッドアイアダマントの影響か、晴矢の首元から腰まで真っ赤に染まっていた。

 ドクンドクンと鼓動が耳の奥まで鳴り響き、やがて、聞き覚えのあるねっとりとした耳障りな声が響いてきた。


「────何をそんなに藻掻く必要があろうか────」


「くそっ! まーたお前か!」


「────ワレとともにすべてを手に入れようではないか────」


「そんな誘惑に、引っかかるわけないだろ!」


「────そなたの望みはアレか? それともコレか?────」


 晴矢の視界に、雨巫女ウズハやマヨリンやルナリンの姿が、走馬灯のように駆け巡る。


「────すべては思うがまま、そなたこそ、唯一にして無二なるこの世のおうたる器よ────」


「ちがう! 俺はそんなこと、望んでやしない!!」


 突き上げてくるのは、怒りにも似た激しい感情だ。

 晴矢は紅瞳玉石レッドアイアダマントをガシっと両手で掴むと、斜め上に掲げるようにして、グンと両腕を突き上げた。


「いいか、よく聞け! 俺はロコアの従者アシスタント凪早なぎはや晴矢はれやだ! 杜乃榎とのえとロコアのために、この身を投げ出すのが────この俺の使命だ!!」


 紅瞳玉石レッドアイアダマントが、晴矢の両手の中で、憎々しげにブルブルと震える。

 カッとばかりに閃光を放つと、オドロオドロしい呪詛を呟き始める。


「────死、死、死、死、死、有限なる子に無情の死を、死、死、死、死、死、行く末暗き暗鬱の闇獄に怯え慄く哀れな末路を、死、死、死……」


「うるさい、黙れ!!!!!」


 全身に、湧き上がる怒りがオーラの如く迸る。

 そして晴矢の脳裏には、サンダードラゴンのあの凶悪な牙のイメージが蘇っていた!

 いつの間にか、晴矢の頭上で舞い踊る黒い靄!

 怒りに任せ、クワッとばかりに大口を開ける晴矢!

 その口は、まるでサンダードラゴンの大顎のような凶悪な形を成していた!


「────ガゴオオオオオオオオウ!!」


 ガリっと音を立てて紅瞳玉石レッドアイアダマントに齧りつく!


「────ぎええええええええっ!!!!────」


 耳を塞ぎたくなるような絶叫が上がり、紅瞳玉石レッドアイアダマントの一部を噛み千切る!

 そのまま、晴矢は「ゴリッゴリッ」と鈍い音を立てて、噛みちぎった紅瞳玉石レッドアイアダマントの一部を飲み込んだ。


「うへっ……な、なんだ、今の!?」


 自分でも、何が起きたのか状況が飲み込めていないようだ。

 頭上の黒い渦にも気づいていない。

 ただただ、顎の形にクッキリと噛み千切られた紅瞳玉石レッドアイアダマントに目を丸くしている。


 と、その時、「ブオオオ」とどこからか風が吹き付けて、晴矢の髪の毛を掻き上げた。


「……穴が開いてる……?」


 強風の吹き付けてくる方に視線を向けると、白い流れに淀みが生じたか、灰色の穴がポッカリと開いていた。

 急に大人しくなった紅瞳玉石レッドアイアダマントを、ギュッと胸に抱きしめる。


「よし! あそこから飛び出てやるぜ!!!」


 頭上の混沌が狂喜の声を上げ、晴矢の身体が一気に加速した。


「いっけえええええええええええええ!!!」


 遮るものは何も無い。

 ポッカリ開いた灰色の穴から、白い世界を飛び出していく。


「おお! あの向こうってきっと、マスター権限をテストした時の灰色の世界だ!!」

「ヒイィィィィハアァァァァァァァァ!!!」


 絶叫する晴矢と頭上の混沌。

 その胸の中で、紅瞳玉石レッドアイアダマントが情けない呻き声とともに炎に変わる。

 そしてフイッとばかりに、灰色の世界に掻き消えた……。


「あれ……?」


 首を傾げるしかない晴矢。

 その耳の奥で、紅瞳玉石レッドアイアダマントの呻き声が、どこか遠くへと遠ざかっていった────。




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