【57】ミュリエルの懸案


 ────3日目の夕方。

 いよいよ杜乃榎とのえに戻る夜が近づいている。

 学校を出ると、晴矢はれやはすぐさま、蔦壁つたかべ神社に足を向けていた。


「魔人の攻撃を受ける、マスター権限で霊魂状態になる、飛翔術で紅瞳玉石レッドアイアダマントを捕まえる……それで念芯ニュークリアスの出口を探す……」


 昨日の夜から、そのことを繰り返し思い描いている。

 なんとしても、十痣鬼とあざおにとなった杜乃榎とのえの人たちを助けたい。

 あと一歩で、それが可能になるかもしれないのだ。


 きっと自分にしかできない。

 その思いが、胸の内に強く渦巻いている。


「捕まえてからだよな、捕まえてからなんだよ……!」

「何をブツブツおっしゃっておりますの?」


 いきなり声を掛けられて、ビクッとなる。

 振り向くと、見慣れぬ少女が1人、晴矢をジッと見つめていた。


 白地に横ストライプの長袖シャツを着て、青いデニム地のサスペンダー付きのショートパンツを履いている。

 膝下までの長靴下に、ハーフブーツだ。

 頭にはひさしのついたニット帽子。

 綺麗に後ろに束ねられたピンク色の髪を、サイドだけ長く垂らしている。

 背中には、白いクマのぬいぐるみだ。


「……って、もしかして、ミュリエルさん??」

「そうですけど、なにか?」


 ツンと顎を上げて澄まし顔をしてみせるミュリエル。

 そして晴矢の横をスタスタと歩き始めた。


「どこでその服を?」

「ロコアちゃんからお借りしたのですわ」

「へえ、そうなんだ。……ロコアの普段着って見たこと無いな」

「あら、そうですの? お気に入りのおでかけ用ファッションだそうですわよ」

「おお、そうなんだ。……って、ミュリエルさん1人で出かけてたの?」

「別にそれぐらいよろしいじゃありません? ロコアちゃんの暮らしている世界を、この目でちゃぁんと見ておきたいじゃありませんか」

「ああ、そういうことね……」

「意外と、感心いたしましたわ。物理法則に則って、ここまで高度で洗練された技術が培われている世界……なかなか、存在しませんのよ」

「へえ、そうなんだ」

「どうしても魔法の介入してしまう世界が多く、それゆえに法則に脆弱性が生み出され、そこに魔王や悪魔が突け込んで来てしまうものなのです。理路整然として粛々と、物理法則に従って構築された世界は、堅牢にして安全性の非常に高い優れた世界なのですわ。さすが、マーカスとロコアちゃんが身を寄せただけはありますの」


 よくわからないが、そういうことらしい。


「俺としては魔法の1つや2つ、存在する世界の方が、夢があって楽しそうだけど」

「フフッ、脆弱性が生み出すものはトラブルという名の戦火。無為な戦いを好むのは、無能の極みですわ」


 見下したような視線を向けるミュリエルだが、どこかその表情は嬉しそうだ。

 クマのぬいぐるみもどこか勇ましい顔つきに見える。


 そんな話をしながら、2人して蔦壁神社に続く石階段を上がっていく。


「そうそう。晴矢にお聞きしたいことがありますの」

「へ? 俺に?」

「ロコアちゃんのことですの」

「ロコアのこと? それなら、ロコアに直接聞けばいいじゃん。ミュリエルさんならなんでも話してくれるでしょ」

「アナタほんっとに低能ですわね。そんなに簡単ならアナタのような落ちこぼれ従者アシスタントなんかに質問したりいたしませんの」

「ははは、そりゃそうだ」


 ミュリエルが腰に手を当て、「フンッ」と鼻息をつく。


「昨晩、ロコアちゃんが急にあたしに尋ねてきましたの。『ミュリエルは、お母さんとは仲がいいの?』って」

「へえ、珍しいね」

「でしょう? その杜乃榎とのえとかいう異世界で、何かあったとしか思えませんの。ロコアちゃんが、母親を意識するような何かが」

「そうだね」

「何かありましたの?」


 キッと睨みつけるようなミュリエルの視線に、晴矢はポリポリと頭を掻くしか無かった。

 首を傾げて思考を巡らせてみるが、特に思い当たることは無い。


「別に……何も無かったと思うけど……」


 晴矢の様子に、ミュリエルがピクリと片眉をあげる。


「もうひとつ気になったのが、鬼人を元に戻すことに妙に熱心なことですわ」

「うーんと……それはほら、異世界ウォーカーとしてちゃんとしたバグ修復の……」

「いいえ。あたしの見立てでは、それだけでは無いと思っておりますの。これまでも、何人もの鬼人を見過ごしておりますのよ? 異世界ウォーカーの間では、当然の報いと目をつぶるのが常識ですもの。それがマスター権限の実験まで行いましたでしょ? 絶対に、明確な目的があるからこそのはずですわ。目的がはっきりしている時のロコアちゃんの推進力は、それはもう大変なものですのよ。情報という情報を調べ上げ、考えつく限りの手段を並べ上げ、目的に向かって一直線!」

「まさに、今のロコアそのものの姿だね」

「でしょう? ですから、何をそこまで鬼人解放に固執していらっしゃるのか……。杜乃榎とかいう異世界で何がありましたの?」

「うん……」


 首をひねる晴矢だが、本当に何も、思い当たるフシがない。

 ボンヤリと視線を彷徨わせる晴矢に、ミュリエルがイライラした表情に変わっていく。


「では、鬼人になった人のことを教えて下さいな」

「……ああ、えっとね……。皇アリフとか、各国の王侯貴族の人かな。ほら、みんな一度にいなくなると、国が混乱しちゃうしさ」

「いつものロコアちゃんなら、心を決める程度の人物ですわ。他には? どなたか身近な方でおりませんの?」

「うーん……グリサリさんかなぁ?」

「ぐりさり?」

「巫女師範の女の人なんだ。……ああ、そうそう。ロコアみたいな灰色の瞳をした綺麗な人だよ。別れた娘さんに会いたくて魔人に魂を売った、とか言ってたっけ」


 瞬間、ミュリエルが目を見張る。

 そして、何ごとか考えるように視線を巡らせた。


「匂いがどうとか、肌触りが柔らかいだとか、おっしゃっておりませんでした?」

「匂い? 肌触り??……なんのこと?」


 問いかける晴矢に、ミュリエルは「フン」と鼻息をつくだけだった。


「……そういえば、ミュリエルはロコアの家族のこと知ってるのかな?」


 晴矢の言葉に、視線だけを向けるミュリエル。


「そういうことは、ロコアちゃんから直にお聞きなさい。親友とはいえ、あたくしの口から申し上げるのは、差し出がましいことですわ」

「ああ、そうかもね。ごめんごめん」

「貴重な情報、感謝いたしますわ。これからもロコアちゃんの従者アシスタントとして、精進なさい」

「ああ、まあね。それはそのつもりだよ」


 そうやって晴矢が肩をすくめる頃、蔦壁神社の境内へとたどり着く。


「あ、ミュリエル。おかえりなさい。晴矢くんも一緒なんだ」


 境内には、竹箒を持ったロコアの姿があった。

 神主の蔦壁も一緒らしい。

 会釈をする晴矢を尻目に、ミュリエルが嬉しそうにロコアの方へと駆けて行く。


「楽しかったですわ~、ロコアちゃぁ~~ん」

「一日中出かけてたの?」

「それはもう! だって、ロコアちゃんの居住世界を堪能しておきたかったのですもの!」

「ってことは、もう、調べ物とかは終わっちゃった感じ?」

「この世界でできることは、もうありませんわ。ロコアちゃん、あたくしは一足先に、ここをお暇いたしますわね。知人の異世界に行って、奪還器リヴァーサーを製作してまいりますわ」

「うん、お願い。杜乃榎の合流は……」

「それについてはご安心くださいな」


 ニコリと微笑みかけると、ミュリエルは神主の蔦壁に向き直った。


「神主さま、短い間でしたがお世話になりましたわ」

「ああ、またいつでもおいでください」


 微笑みかける神主の蔦壁に、ミュリエルは恭しく頭を下げた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る