第三話 伝説のかけら

 結局、その日の夜、二人はリルアンザ公の客として、館に泊めて貰うことになった。選んだ品物の相場について、エレムと鑑定人が意見をすりあわせるのに予想外の時間をとられ、決着がつく頃には夕方になってしまったのだ。

 ちなみに結果はエレムの言い分が九割九分通った。食い下がりきれず鑑定人が半泣きになっていたのが、グランもさすがに気の毒に思えた。

 せっかく金が手に入ったのだから、グランとしてはさっさと町で遊びたかったのだが、

「領主様の客扱いで泊まれるなら、浴場も使わせて貰えるし、いい寝台で休ませていただけますよ。長旅で疲れてるんですから、今日くらい骨休めさせて頂きましょうよ」

「……本音は?」

「客扱いなら、宿代も食事代も浮くじゃないですか」

 客扱いついでに、堅苦しい晩餐にでも呼ばれたらたまったもんじゃないとも思ったのだが、そのあたりはエレムが話をつけていたらしく、食事はあてがわれた部屋に運んで貰えた。久々に湯を使って体を洗えたし、いい酒も出してもらえたしで、文句の付け所もない。豪華すぎて多少居心地が悪いのだけが難だが。

 ふわふわの長椅子に腰掛け、グランは上等の葡萄酒を気分よくあけている。酒のつまみは、壁にたてかけた剣だ。報酬としてもらい受けてきた、柄に月長石のついたあの剣だ。

「しかし、これからどうするかな。まずこれに新しい剣身を作ってくれる鍛冶屋を探さなきゃならないが」

「リルアンザ公にも、お抱えの鍛冶屋くらいあるんじゃないですか? 相談してみます?」

「できあがるまで待たなきゃいけないのに、こんな田舎で足止めされたってつまらないだろ。暇つぶしができる、でかい街がいいな」

「なんの心配してるんですか……」

 荷物袋を整理していたエレムが、呆れた様子でグランを見返した。宝物庫から、懸賞金の現物分としてぶんどっ……もらい受けた中に、滅多に手に入らないいい薬があったと喜んでいたから、それを入れる場所を作っているらしい。

「ここからだと、東のサルツニア王国も結構距離がありますしねぇ。あの国の製鉄技術は素晴らしいんですが」

「そこそこいいものが作れる鍛冶屋なら文句ねぇよ。どんなにいい剣でも、使えばダメになるんだ」

「手近なところでこの国よりも賑やかとなると、やっぱり街道沿いかな。明日にでも、心当たりがないかレマイナ教会で聞いてみましょうか」

「しばらく仕事もしなくてよさそうだし、ついでに防具も補強するかな」

 喋っている間に、葡萄酒の瓶はすっかり空になってしまった。グランは何気なく立ち上がり、立てかけたままだった剣を手に取った。

 燭台の灯りを受けて、柄に埋め込まれた乳白色の石が、ぼんやりと青みを帯びた光を放っている。まるで小さな月が自分で光を放っているような、神秘的な輝きだった。

 グランは鞘から剣身を抜き、刃を確認するように顔の前で掲げてみた。

 不思議な光沢を放つ柄の部分とは対照的に、刃部分の金属は所々くすんで、燭台の光を受けても鈍く濁った色のままだ。これが手入れの行き届いた、鋭い光沢を帯びた剣身であれば、柄の光沢と埋め込まれた月長石とともに、僅かな燭台の光でも十分に美しく輝くのだろう。

 その姿を想像して、グランが思わず口元を緩めた、その瞬間。

 鞘から自由になった剣の切っ先が、鮮やかに煌めいた。

 エレムがなにかしたのかと、グランは思わず首を向けた。荷物袋を閉じ、そろそろ寝る支度にかかろうとしていたエレムも、グランの持った剣を見たまま驚いた様子で言葉を詰まらせている。もちろん燭台以外の光源が、部屋にいきなり現れるわけがない。

 視線を戻すと、切っ先に溜まった乳白色の光は、流れるような動きで剣身の上に光の文字を描き始めた。まるで見えない誰かが見えない筆先に光のインクをつけて、剣身の上に文字を描いているような明瞭さだ。

 光は剣身いっぱいを使って、つばの近くぎりぎりまで流れるように文字を記し、それをもう一度繰り返した。

 そして、言葉もなく見守っている二人の前から、現れたときと同じ唐突さで、消失した。

「なん……だ?」

 剣を掲げたまま、グランは呆然と呟いた。

 別の紙に書き写す間もないまま、光の文字は消えてしまったが、書き留める必要はなかった。まるでまぶたの裏に精密に写実画が描かれでもしたかのように、今見た光の文字ひとつひとつを、そのまま思い起こすことが出来るのだ。

 エレムにも同じことが起きているらしく、息をするのも忘れたような顔で、グランの掲げた剣身を凝視している。

 これまでもたびたび、普通では起きないような出来事に遭遇したことはある。だが今のような現象は、もちろん初めてだった。グランは剣身を鞘に戻すのも忘れて、また長椅子に腰をおろした。

「どこの国の文字だ……? なんか見たことがあるような気はするが」

「いえ、これって」

 エレムは記憶に残る光の文字を確認するように、こめかみを指先で押さえて目を閉じた。

「古代文字ですよ」

「古代文字ぃ? なんでそんなもんが剣に」

「そこまで僕に判るわけがないでしょう」

 それもそうだ。エレムはもどかしそうに眉を寄せ、記憶に焼き付いた文字をなぞるように空中に指先を踊らせている。

「求める者……鍵、導く扉……」

 呟いている途中で、はっとした様子でエレムは目を開けた。

「見つける者……成功する……、『ラグランジュ』」

「『ラグランジュ』?!」

 おうむ返しに声を上げたグランに、エレムはぎこちなく頷いた。鞘から抜かれたままの剣に目を向ける。

「もう少しはっきり調べてみないと判りませんけど、今のって、……『ラグランジュ』のありかに関する手がかりじゃないでしょうか」

 グランも思わず持ったままの剣に目を向けた。

 なにごともなかったかのように、所々錆の浮いた剣身は鈍くくすんだまま、柄にはめ込まれた石が淡い月のように静かに輝いている。



 このメロア大陸に生活する者で、『ラグランジュ』の噂を聞いたことがない、という人間はいないだろう。一般に『ラグランジュ』は、こういうものだと伝えられている。


『手にした者に望むものを与え、成功と栄光を約束する古代の秘宝、あるいは秘法』


 一説によると、歴史上の有名な偉人達の多くは『ラグランジュ』の持ち主であったといわれている。南西部の大国エルディエルが始祖ケーサエブによって興されたのも、冒険者のティニティが南大陸との航路を発見できたのも、『ラグランジュ』の力があってこそだというのだ。

 その伝説は、立身出世や一攫千金を夢見る者達にはとても魅力的なようだ。今も多くの者が『ラグランジュ』の手がかりを求め、大陸中を探し回っている。

 ただ、それがどういう形をしているのかなど、具体的なことは全く知られていない。古代人が残した魔法の呪文のようなものかも知れないし、あるいは古代の魔力が秘められた宝石や法具のようなものなのかも知れない。

 そもそも、歴史上の信憑性のある記録にも、過去に発見された古代文明の文献の中にも、『ラグランジュ』の記述は一切出てこないのだ。それがなぜ「古代の」ものと言われているかも、説明できる者はいない。

 だがそれも、『ラグランジュ』の強大な力がほかの者の手に渡るのを恐れた時の人々が、記録から抹殺しようとした結果なのだと言われるくらい、その噂は広く根強く囁かれ続けていた。

 もちろん、グランだって、一度ならずその話は聞いたことがある。それに今回の仕事では、それを欲しがっている者が世間にどれだけいるのかも、嫌と言うほど思い知らされたのだ。

 しかし、

「そういう、形もよく判らないものを、命だの金だのかけて探す前に、もっと出来ることがあるんじゃねぇの?」

 グランは身も蓋もなかった。

「この広い大陸のどこかから、正体もよく判らないものを探し出す根性があるんなら、『ラグランジュ』なんかなくたって、たいていのことはなんとかなりそうなもんだけどな。探すのは勝手だけどさ、『ラグランジュ』を探すのに回した金と時間で別のことが出来たのにとか、虚しくならねぇのかな。俺ならその分酒飲んで、女と遊んでたほうがいいや」

「まぁ、リルアンザ公なんかは、道楽で探しているみたいですけどね」

 そのまま寝る気にもなれなくなったのか、寝台に腰掛けて話を聞いていたエレムは苦笑いを見せた。

 一度光が収まると、もう不思議な剣はただのものいわぬ古びた剣でしかない。鞘に収められテーブルに横たえられた剣の、柄に埋め込まれた月長石が、おぼろな月のように青白く輝いているだけだった。

「逆にリルアンザのおっさんみたいに、収集目的だって言われた方が、俺には納得がいくけどな。なんか大きな目的があって『ラグランジュ』を欲しがってるなら、最初から本命の目的のために頑張ってたほうが、よっぽど良くないかと思うぞ」

「どうなんでしょうね……。普通にできる努力では叶わないものを、人は『ラグランジュ』に求めるのかも知れないですよね」

 エレムはグランの言葉を否定も肯定もしないまま、曖昧に答えた。

「で、どうするんですか? さっきのあれ、『ラグランジュ』の手がかりみたいですけど」

「それなんだよな。この柄が欲しかっただけで、まさか『ラグランジュ』なんて名前が出てくるとは思わなかったからなぁ。俺、そんなもの使ってまで叶えたい夢とかねぇよ。地位とか権力とかめんどくせぇ」

 グランは本気で困った様子で形の良い眉を寄せ、軽く息をついた。

「刃の部分だけ、『ラグランジュ』を欲しがってる奴に売り払うとか、駄目か?」

「……そもそも、この剣は『ラグランジュ』にとってのなんなんでしょうね」

 エレムは首を傾げた。

「単純に、宝のありかを書いた地図みたいなものかも知れないですよね。そしたら、売り払う相手にもさっきみたいな現象が起きないと、信用してもらえないですよ」

「そうだろうなぁ」

「でも、単純に『ラグランジュ』のありかを示すだけなら、これが必ずしも剣である必要はないはずです。どうして剣なんだろう」

「うーん……」

「剣であることになにかしら理由があって、その上で剣身にあんな意味深な仕掛けが施してあるなら、柄の方にもなにか秘密があるかも知れないですよ。剣身と柄はひとつのものなんですから」

 考えるほど、よく判らないことだらけだ。グランはもう酒を飲む気もなくなって、難しい顔で頬杖をついたままだ。エレムは立てかけられた剣を眺めて、しばらく考えていたが、

「なんにしろ、一度確かめてみたらどうでしょうか?」

「確かめる?」

「あれが本当に、『ラグランジュ』のありかを示しているかどうかを、ですよ。僕は古代語もいくらか心得がありますが、それでもあの光の文字を、全て読めた訳じゃないんです。きちんと調べて、全部解読すれば、また新しいことが判るかも知れないじゃないですか」

「それはそうだが……」

 いまいち気の乗らない顔をしているグランに、エレムは真面目な顔で続けた。

「その上で、結局そんなに重要なものでないと判れば、安心して使えるんじゃないですか?」

「……本当に『ラグランジュ』に関わるようなもんだったらどうするんだよ」

「それだけ重要なものなら、信頼できる博物館なりに預けて詳しく調査してもらうのが、いいんでしょうけど」

 グランが露骨に面倒くさそうな顔をしたので、エレムは軽く笑って肩をすくめた。

「それはもうグランさんの持ち物ですし、価値を知った上でそれは別にして、やはり剣として使いたいというなら、それもいいと思います。でも、どんなものかもわからないまま、いきなり刃を処分とかは、やめた方がいいんじゃないですか。今は興味がなくても、あとになって心境の変化で『ラグランジュ』に関心が湧くことだってあるかも知れないし」

 そう言われると、そうかも知れないという気にもなってきて、グランは渋々といった様子で頷いた。

「……まぁ、剣身作るのに時間がかかるだろうから、その間の暇つぶしに調べる程度ならいいかな」

「そうですよ。僕もお手伝いしますから」

「つーかお前が言い出したんだから、お前が責任持ってやれよ」

「なに言ってるんですか、それはグランさんの持ち物でしょう」

 エレムは呆れたように答え、ごそごそと寝台に潜り込んだ。グランは、燭台の灯りを受けて青白く輝く月長石を眺め、小さく息をついた。

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