第49節
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古森珠夜の意識が戻った時、自分は、床に寝転んでいた。芳香剤らしき香りがする。
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「ん。……ここは、男子トイレか。んおっ、何で俺、寝てたんだ! きたねぇっ」
傍らに立っている人物を見上げると、瀬良木だった。
「おぉ、おい瀬良木、どういうことだ」
彼はトイレの出入り口を向いている。俺も見やると、佇立している望月さんが居た。
「望月さんが、何で男子トイレに。……あれ。俺の制服、ボタンが全開になってる」
俺が身なりを整える間、瀬良木は事の経緯を語る。彼に幻銭を見せられることで、俺は実感が湧いた。
瀬良木は抜水で幻銭を洗い始めた。威力は加減しているようだ。水飛沫が、周囲の床を濡らす。
俺たち三人は男子トイレを出て、化学室の前に来た。幻銭を、瀬良木が摘まんでいる。
「どうなることかと思ったぜ。ともあれオテント様で、透獣を人間の姿に戻せることが、確定したんだ。後は新星の方を済ませるんだな。誰がやるんだ」
「条件の一つである“十代の人間”に、十代のバイオロイドが含まれることも判明した。とはいえ、この役目は」
言葉を途中で切った望月さん。俺は彼女と目配せをして、瀬良木に右掌を差し出した。
「俺がやる」
幻銭を受け取った俺は、屋上へ歩き出す。ところが望月さんに呼び止められた。
「古森君。今願いを叶えたら、緩菜さんは真っ暗な狭い隔離室の中で、復活するのだぞ。事の経緯を説明する者が傍に居ないと、彼女は戸惑うだろう」
「あ、そうだね。今日は、やめとくか」
「隔離室って。透獣化した新星は、才育園に居るのか? 望月、どうやって連れ込んだ」
望月さんは、新星さんの現状を、瀬良木に明かした。彼は真顔で反応する。
「へえ。古森は、自宅に全裸の女を監禁してるわけだな」
「人聞きの悪い表現をせんでくれ」
「紛れもない事実ではないか」
「フォローになってないよ望月さん」
「そもそも新星は、何で透獣化したんだ」
「私たちにも分からないのだ。被験者でもないヒューマンが、透獣化する要因として考えられるのは、無彩虹を受けるぐらいしか……」
望月さんは、瀬良木と視線を交わした。天道使二名は無言になり、ゆるりと俺を半目で見る。
「な、何だよ、二人共。その目は、ひょっとして、疑惑の眼差し?」
「古森君。先週金曜の夜、学生寮前で解散した後、君は魔道を使おうと、試行錯誤を重ねていたのだよな。ブルムした状態で」
「う、うん。色んなポーズをしてみたよ」
「その中で君は、このような動作をしたのではないか」
望月さんの両手が、有彩虹を放つ構えになる。顔の高さに掲げ、隙間を左目で覗き、右目を閉じた。体勢を変えず、再び問う。
「この構えをした、記憶がないか。緩菜さんの方に向けてだ。目や手の、左右が逆でもいい」
「……。…………やったような気がする。微かに覚えてる」
「望月。当時の具体的な状況は、どうだったんだ」
望月さんが瀬良木を連れて、俺の元から少々離れた。彼に詳細を伝える声が、聞こえてくる。
「つまり、古森が偶然に無彩虹を撃って、遠くでチャリ漕いでた新星に直撃したから、奴は透獣になっちまったわけだな。間抜けな話だ」
「侍狼ちゃん、みなまで言うな。ほれ、古森君の、血の気が引いているではないか」
「望月よりも白くなってやがる。生きてんのか、あれ」
何てこった。新星さんが透獣になったのは、俺のせいだったのか……。
二人の天道使が傍に来る。俺は、やや困り顔の望月さんから、慰めの言葉を掛けられた。
「緩菜さんを人間の姿に戻すのは、明日以降にしよう。もはや平日以外でも構わないだろ」
「えっ。土日祝は、この学校閉まってるのに」
「古森が飛んでいけばいいだろ。屋上に」
「うむ。魔道でな」
「そうだね。分かったよ」
三人で下校することになった。校舎を出て、前庭を一緒に歩く。横並びで左から、俺、望月さん、瀬良木の順だ。
「古森君。緩菜さんの件だが、オテント様をする際は、私も立ち会いたい。幻銭を消費する為の、相手も来た方がいいだろ。いつ儀式をするかは、天候にもよるから、未定だな。休日でも連絡できるように、君の自宅の電話番号を教えてくれ」
俺はポケットから生徒手帳を取り出して、様々な個人情報もろとも見せる。望月さんはケータイに番号を入力したようだ。彼女からの連絡手段ができたことに、俺は内心どぎまぎした。
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前庭で古森珠夜と別れた、望月絵利果。瀬良木侍狼と共に、校門前の丁字路を直進する。
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「今日の侍狼ちゃんは、やけに協力的だったな」
「……万が一に備えてのことだ。古森や新星が、戦力になるかは疑問だがな」
「諸々の事実が、メビウスにバレた時を考慮してか」
「あぁ。バレちまったら、嫌でも戦う羽目になるだろうぜ。他の天道使と」
「双方の戦力差から考えると、本来ならば、私たちに勝算は無い」
「その割にはオマエ、呑気なツラしてんな。確かに、幻銭はこっちが所持してる。新たに、魔道使は無彩虹が撃てることも判明した。けどよ、古森と新星は、戦闘の素人なんだぜ。メビウスを敵に回して、まともに戦ったら、オレらの敗北は必至だ」
「着帯者は、生活費や住居の、供給を断たれるかもしれない。戦う以前に、衣食住を維持できるかどうかも怪しい。オテント様が、生命線か」
「あと、気掛かりな相手は、着帯者だけじゃねえぞ。未着帯者の魔道使もだ」
「緩菜さんが叶えた願いの、条件に該当する者は、全国に大勢存在するはずだ。とはいえ魔道を使えるようになった者は、まだごく僅かな人数だと思うぞ」
「魔道どころか、ブルムやバドのやり方さえ知らねえだろう。しかしだ。該当者に命の危機が迫ると、ブルんで魔道を発動するなら、全国各地で魔道使が出現するのは、時間の問題だろ」
「誰かがブルムのコツを掴んで、ネットにでも晒したら、全国の魔道使予備軍が目覚めるな」
「更には無彩虹の件もあるぜ。魔道使の誰かが、ブルんでる時に、あの構えで他人にウインクしてみろ。近い将来、日本は刺激的な島国と化してるかもよ」
「いつになく楽しそうだな侍狼ちゃん」
「ま、比較的平和な日本だから、命の危機なんて、めったに迫ってこねえだろ。当面の懸念は、メビウスの方だけだ」
長い物に巻かれている立場の、着帯者。帯を断ち切ることは、己の命を絶つことに等しい。もしもメビウスに幻銭を奪われたら、オテント様に頼ることもできない。
けれども、なぜ私は、こんなにも平然としていられるのだ。
侍狼ちゃんと古森君のせいか。二人が居る限り、何とかしてくれるとでもいうのか。
私たちの行く先に、いかなる強い相手が立ち塞がろうと。
いかなる分厚く高い壁が立ちはだかろうと。
彼ら二人が居れば、怖くない――。そう思えるのは、なぜだろう。
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