第27節

 自宅である二〇一号室の玄関前に到着した時、俺は望月さんと顔を見合わせた。

 玄関のドアに背を向けて体育座りで寝ている人物が、一人居たのだ。

 俺たちが腰を下ろす。顔を窺うと、新星さんだった。実に可愛らしい寝顔である。


「無防備に寝てやがる。どういうわけかは知らんけど、不用心だなぁ」

「自宅に連れ込んで襲うこともできるな」

「俺はそんなことしないよっ。第一、AかCをしたら魔法を使えなくなるもん」

「だがBはOKなのだろ」

「しません。……望月さん。今日は、そういう話をする為に来たんじゃないんでしょ?」


 おちゃらけた雰囲気だったが、敢えて俺は真剣な態度をとった。望月さんは肯定する。


「新星さん。おーい」

「新星さん。起きろ」


 呼び掛けながら新星さんの肩を揺すった。新星さんが、目を開けようとする。まぶたが重いようで、まだ半目だ。同じ目線で、俺と望月さんが、見つめている。辺りは薄暗く、照明は付近の街灯ぐらいなものだ。俺は、右手でマイクを持っているジェスチャーをして、囁く。


「おはようございます……」

「やぁん。そないなことしいひんといてよ」


 俺は手を下げた。新星さんは、状況の把握を試みているようだ。


「何で絵利果が居るん。こないな遅くに。ん、それ何こうてきたん。あと、今何時」


 望月さんが腕時計を見やり、午後七時過ぎであることは、新星さんに伝えた。


「先に一つ質問だ。新星さんは何で、ここで寝てたの」


 新星さんが立ち上がると、俺たちも腰を上げた。俺と望月さんは、買い物袋を一つずつ持っている。


「もー。珠やんどこ行ってたん。来ても留守やったから、ウチずーっと待ってたんよ」

「んー、そうか。俺んちに足りない日用品があってさ、昼から出掛けてたんだ。すまん」

「あ、そう。それより、聞いて聞いて! ウチな、魔法使いになったんよ!」


 ファイティングポーズの新星さんは、紫を基調とした洋服姿。肌の露出は、望月さんと大差無い。女性のファッションに疎い俺だが、オシャレな服装に見えた。


「なったんだとさ」

「うむ。ここで鉢合わせたのは、好都合だ。緩菜さんにも、話に同席してもらう」

「話って、ウチの話も聞いてよ。魔法使いになったんやってば」


 望月さんの冷徹な視線が、俺から新星さんへ移った。


「緩菜さん。続きは中で話そう。昨日の件も含めて、な」

「え、えぇ。その言い振りやと、絵利果も、ニュースとかで知ってるんやな」


 新星さんがドアの前からどいた。俺は、リュックから玄関の鍵を取り出す。


「まて、古森君」

「ん。入らんの」

「丁度いい機会だ。このドアで、種明かしをしてやる」

「え、種明かしって。……あぁっ、まさか!」

「今こそ見せてやろう。施錠されているドアを、私がいかにして開けたか」


 歩み出た望月さんを挟んで、右手側に俺、左手側に新星さんが位置する。俺は鍵を仕舞った。


 ずっと伏せてきたけど、ついに打ち明けるのか。それに、うちのドアでもできるのか。


 高校の入学式当日を始めとする、オテント様をした昨日までの出来事が、心の片隅から、次々と中心に集まってくる。

 望月さんは、ドアの鍵穴に、左手の人差し指を、少し曲げた状態で、指先のみ当てた。


「雨風を凌ぐもの。賢しき者が創りし扉」


 望月さんが降らせ始めた、言の葉。ふわり、ふわりと。


「人の立ち入りを拒むもの。卑しき者が張りし結界」


 積もりゆく。ぽつり、ぽつりと。俺は呆気にとられた。


「影無き門番よ。我はことわりに縛られざる人形」


 けれども長年の経験と、降り積もる様から、これは呪文の詠唱だ、と察した。


「剣を引けよ。道を空けよ」


 新星さんと目配せをする。俺は、人差し指を口元に当てることで、静観するよう諭した。


「禁ぜられし姑息なるすべを我が手に」


 望月さんの語気が強まる。


「冬季の零刻れいこく模造鍵もぞうけん


 直後、鍵穴に当てている指の、付け根から先端までを、厚い透明の物体が覆った。


「な、何よ、それ」

「触れば分かるぞ」

「ええの。ほな、ウチ触ってみよ」


 望月さんの左手人差し指を包む、謎の物質に、新星さんが、そっと触れる。


「つべたっ」

「氷だからな」


 新星さんは手を離した。望月さんは、鍵穴に触れた状態で、左手をゆっくりと回す。カチャッと鳴る金属音。続いて逆回転で、左手を元の角度へ。左腕ごと、鍵穴から離す。氷を纏った指先には、柄の無い、氷の鍵が成形されていた。街灯に照らされて、煌めきを放っている。

 現実の世界に於いて、俺の人生で初めて目の当たりにした、ファンタジー。

 十五年間築き上げてきた、つまらない常識が、小気味良い音を立てて、崩れ去ってゆく。


「望月さん。それって、……魔法なの」

「魔法というよりは、異能という表現が相応しいかな。ちなみに私が使える能力は、他にもあるぞ。各能力の総称は、こう呼ばれている」


 望月さんは、自前の拳銃でも見せびらかすように、示す。


「『天道てんどう』――とな」


 その名称から、俺が連想した言葉について、関連性を問い掛ける。


「お天道様てんとうさまだけに?」

「あぁ、お天道様だけにな」


 そう呼ばれてる、のか。……誰が名づけたんだろう。儀式は、昨日やったばかりだってのに。


「天道は、幾つかの種類に大別される。そのうち一種が、『天術あますべ』。呪文の詠唱が必要だ。この鍵は、模造鍵と呼ばれている、天術の一つ。氷で作った鍵だ」


 何でそんな専門用語知ってんだよ。さっきの呪文どこで覚えたんだよ。たかが開錠するだけなのに、随分と荘厳で禍々しい呪文だったな。

 氷の鍵ねぇ……。この手口は、ピッキングというより、合い鍵に近いかもしれん。

 屋上から搭屋に入った時、四階で待たせたのは、呪文の詠唱をする為だろう。こっそり覗かれるのを、防ぐこともできるしな。


 新星さんは、新種の小動物にでも接するような目で、氷の鍵を見つめている。


「天道に、天術に、模造鍵、か。ねぇ望月さん。その氷、出した後はどう処理してたの」


 望月さんは右手で、ポケットの中からハンカチを出した。氷ごと人差し指を包み込んで、左手を引く。抜いた人差し指には、氷どころか水気すら無い。ハンカチを開くと、雪の如く細かい、氷の粒が、少量残っていた。畳んでポケットに納める。


「溶ければ水になり、やがて蒸発する。以上が、種明かしだ。さぁ、入ろう」


 ノブを捻って引く俺。開錠されたと分かっていても、ドアが開いたことに、寒気さむけがした。


「なぁ絵利果。天道っちゅうのは、どないして覚えたん」

「詳しくは、中でな。込み入った事情があるのだ。他人に聞かれるのは避けたい」


 俺が玄関に入り、二人を招き入れる。最後に入った望月さんが、サムターンで施錠した。

 俺は普段、学校から帰宅した際、衣服は居間で着替える。しかし本日は女子の客が居る為、風呂場の脱衣所で着替えることにした。

 客らを上がらせ、台所を抜けた先の、居間に通す。照明を点灯。望月さんに食事を促し、自分は着替えを持って脱衣所へ。長袖Tシャツと下ジャージ姿になり、居間に戻ってきた。

 望月さんは正座で、既に食事中。後ろ姿の新星さんはアヒル座りで、――俺の弁当を食べている。


「あぁっ、それ俺の! 何で新星さんが食ってんだよ」

「えー。これ、ウチの為にこうてきてくれたんやあらへんの。晩ご飯食べてへんかったんよ」


 望月さんも呑気に食ってないで止めてくれよ。


「古森君。私のを分けてやろうか」

「なっ。絵利果は全部食べはったらええやん。珠やんには、ウチのを分けてあげるから」

「それは元々俺の弁当だ。んん、もういいよ。新星さんに譲るわ。自分で作る」

「今ウチ財布持ってるから、弁当代払うわ。幾らしたん。あ、値札に書いてあるな」


 俺は、遠慮なく新星さんから小銭を受け取った。彼女曰く、釣りは不要。

 新星さんはケータイで通話を開始。食べて帰る、帰宅は遅くなる、という二点を、相手に伝えた。

 俺は、台所でインスタントラーメンを手早く作り、居間に運んだ。部屋の戸を閉める。窓は最初から閉めきっている。カーテンも閉じた。密閉された八畳間の洋室。あぐらをかいて座り、三人で夕食をとる。テーブルを挟んで、俺の向かい側に望月さん。左前に新星さん。

 望月さんが咀嚼しながら、口元を手で覆い、声に出す。


「はなひは食べ終わってからな」

「うん、ほーひよう」

「珠やん、このコーヒー牛乳、半分飲んでええよ」


 それにしても、自宅で誰かと一緒にメシ食うのって、久々だな。相手が女子だと新鮮だねぇ。

 俺今、自分んちに美少女二人連れ込んでやがる。この状況も充分ファンタジーだわ。


 麺をすする俺は、ふと、箸を止めた。丼ぶりを手に取り、スープにそっと口をつける。

 改めて今週の出来事を回想すると、また一つ、腑に落ちない点が出てきたのだ。


 俺と望月さんが、初めて屋上に侵入したのは、月曜。新星さんがオテント様をしたのは、金曜。魔法使いになるっていう願いを叶える以前に、望月さんは天道を使ったことになるぞ。

 おい、望月さん。君は一体、何者……なんだ。

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