第26節

 街中の駐車場で望月さんと対峙している、現在の俺。四月十四日、土曜の夕方。

 アスファルトに立つ自身のスニーカーは、まだ新品の如く綺麗だ。

 入学して、まだ六日目。されど、幾つかの印象的な出会いを経てきた。

 今週の月曜から始まった、波瀾万丈な日々は、俺にとって刺激的だった。

 他者の言葉が、脳裏に次々と蘇ってくる。



《わたしの夢はね、不老長寿になること》

《もしかして今の古森君は、夢中になれるものが見つかったのではないか、とな》

《あたしは永遠の十五歳だけん》

《花の高校生活やもん、楽しまな!》



 更には、己が心に響かせた言葉も。



《このまま年老いていくのが怖かったんだ》

《いつかどこかで勇気を出さなきゃって》



 もう一度、出そうぜ。今、ここで――



「守る……」


 俺の声に、望月さんの口元がほころびかけて――


「と言いたいところだけど」


 固まった。


「俺は口約束が嫌いだ」

「え。いや、守ってくれよ。今のは、守ると言うべきところだろ。状況的に考えて」

「口約束は、形に残らんから」

「いやいや、守れよ。私を。そこは守ると言えよ」

「こんなに大事な約束なら、形ある証拠を残したい」

「形ある……証拠? どうするつもりだ」


 俺は、自分の腕時計を外して、望月さんに差し出す。


「これを預かってくれ」


 受け取った彼女は、怪訝な表情になった。


「この腕時計が、どうしたというのだ」


 御手洗さんや新星さんには伝えたけど、望月さんには、まだ言ってないんだよな。


 俺は、手渡した腕時計についての詳細を、望月さんに明かした。


「形見の品を、なぜ私に。これは君が持っておくべきだろ。大事な物ではないか」

「大事な物だからこそ、意味があるんだ。唯一無二の物だから、望月さんは大切に扱い、決して無くさないだろう。つまり形に残る」

「では、この腕時計が」

「俺が望月さんを守るって約束の、証だ。オテント様無しで、世界を敵に回しても、君を守ってみせる!」


 彼女の口から、白い歯が覗く。


「そうか。ならば私も、古森君を守ると約束しよう」

「えっ。望月さんが、俺を?」

「無償で守れとは言わないさ。お互いに守り合うのだ。その約束の証としよう」


 望月さんの右手首に、形ある証拠の品が、装着された。


 装備できるんだ。そりゃできるだろ。伝説の防具じゃあるまいし。


「約束したってことは、望月さんも、不老長寿になるって決めたんだね」

「何歳の頃になるかは、考え中だ」

「魔法の件があるから、十代のうちがいいよ」


 彼女は、不敵な笑みを見せる。


「もちろん十代の間になるさ」


 悪役っぽく言わんでも。


「先程から深刻な話になって、すまなかったな。君が不老長寿に対してどのような心構えをしているのか、私は確かめたかったのだ」

「構わんよ。改めて考えさせられる、きっかけになったから」

「さーて、そうと決まれば、やるべきことは盛りだくさんだぞ」

「ん。何をしようっての」

「では古森君。突然だが、今から君に、まじないをしてもらう」

「またですか。今度は、どんなおまじないなの」


 望月さんは、女子児童を彷彿させる、無邪気な眼差しになる。


「魔法の封印を解く、まじないだ」

「へ? 封印を、解く?」

「そうだ。今の古森君は恐らく、魔法が使えない状態だからな」

「そのおまじないをすると、俺は魔法を使えるように……なるの」

「確証は無い。だが、丁度いい機会なのだ。やってくれないか」

「分かったよ。だけどさ、望月さんは何で、そんなこと知ってるの」


 望月さんの顔つきが、やや険しくなる。


「古森君が魔法の封印を解けたら、事情を話すことも考えよう」

「了解だ。で、どうすりゃいいの」

「自分が、蕾んでいる花だとしたら、花びらが開くようなイメージをしてみろ」

「……花? どんな花を想像すればいいの」

「君の好きにしろ。さっさとやれ。夜になるぞ」

「お、おう。分かったよ」


 佇んだまま、そっとまぶたを閉じる俺。


 俺は花。蕾んでる花なんだ。花を咲かせるんだ――。

 こりゃあ難しいな。急にやれって言われても。咲かぬなら、咲かせてみせよう、花一輪。

 花びらを、開く、ひーらーく……よし、咲いたぞ。


「おぉっ?」


 俺は思わず発声。目を開けた。全身に、かつて経験したことのない感覚が駆け巡る。


「できたな。どうだ古森君」

「体感的にも、花が咲くって表現がピッタリだわ」


 俺は、心地良い匂いが漂っていることに気づく。


 ん、何だこれ。とてもいい香りだ。

 ――望月さんの方から感じる。


「封印は解けたのだ。早速、魔法を使ってみろ」

「どうやって使うの」

「君の魔法については、私も知らないさ。例えば、手から何らかの物体を出現させるのかもな。少なくとも、何らかの現象を発生させるのだろう。即興で、試してみたらどうだ」

「ふむ。やってみよう」


 俺は右手に神経を集中させ、魔法の使用を試みた。しかし外見や感触共に変化は無い。めげずに様々なポーズで試行錯誤する。自身の触れてきた娯楽の数々に登場した、多種多様な異能を使う際の、構え。セリフ、掛け声、呪文等を口にしながら。

 ひとしきりおこなった末、四つん這いになっていた。やるせない気分で訴える。


「望月さん。何も出ません」

「やむを得ない。君の魔法は、ひとまずお預けだ」


 俺は膝に手を突いて、腰を上げた。


「ところで古森君は、この後どうなのだ。空いているか」

「別に用事は無いよ。寄り道せずに、帰宅する途中だったもん」

「そうか。では今から、君の自宅に、お邪魔してもいいだろうか」

「えぇっ、俺んち来るの?」


 望月さんは両肘を持つ。寄せられる、ふっくらとした乳房。彼女の表情を見る限り、深い意味は無い仕草なのだろう。さりとて、独り暮らしの俺は、淫猥な展開を期待してしまった。


「積もる話があるのだ。古森君も、私に尋ねたい疑問が、山積しているのではないか」

「俺も、落ち着いて話がしたい。わざわざうちに来るってことは、極秘会議でもするの」

「察しの通り。他人に聞かれたらまずい内容だ。立ち話を長々と続けるのも疲れるだろ。そこで君の自宅が、うってつけなのだ」

「うん、分かった。来ればいいよ。だけど、ここからは、結構な距離があるよ」

「構わない。ダイエットも兼ねて、走って赴くことにする。急ぐぞ」


 俺は駆け足で自転車の元へ。道路を望月さんと並走する形で、万葉高校方面に向かった。

 彼女の姿態を、まじまじと鑑賞しながら。

 灰色のシャツに包まれた胸が、土曜夕方の街中を、豪快に弾む。束ねられた黒髪と、暗めの生地をなびかせ、色白少女は駆け抜ける。官能的に荒れる呼吸。悩ましく溌剌な踊りを披露する乳房が、十五歳の俺を楽園へといざなった。ひと時の間、天女の舞いに酔いしれる。


 僕は今、世界一の特等席をキープしてるのかもしれない。


 途中、彼女のペースが遅れてきたので、気遣った。相談の結果、続いて望月さんがハンドルを握る。リュックはカゴに入れて、隣で駆ける俺。己の自転車のサドルに彼女が跨ることで、仄かに心が弾んだ。


 俺より背の低い望月さんが、俺のチャリを、サドルの高さ変えんでもスムーズに漕げるってことは、それだけ望月さんの足が長いんだろう。大した身長差じゃないけど。


「古森君。封印を解いた状態は、普段と比較して、体力を僅かに消耗していく。今は蕾んだ方が楽だぞ。咲く時とは逆で、蕾むイメージをしてみろ」


 つーぼーむっ……。あらら、こうなるのか。

 さっきまでは、花が咲いてる感覚だった。蕾んだ途端、普段の状態に戻ったな。いい香りもしなくなってるわ。好きだったのに、あの香り。


「なぁ。二人乗りしようか」

「お、いいの。じゃあ止まって」


 互いに一旦停止する。俺が後輪に寄って、片足を振り上げた。


「そうそう、古森君が後ろに乗ってな、私がペダルをよいしょよいしょと漕いで――ってなぜ君が後ろなのだ! 男子が漕ぐべきだろ!」

「おや、今日はノリノリだね望月さん。はいはい、代わりますよー」


 降りた望月さんから、ハンドルを任される。彼女は、慣れないことをして恥じているようにも見え、口元が笑っている。


「さっきの駐車場でさ、望月さん、ずっと思い詰めた顔してたでしょ。だから、笑わせてみようかなって。つい悪ふざけをね」

「分かったから。我ながら思わず、柄にもないことをしたものだ」


 荷台に跨る望月さん。サドル上の俺は、彼女に両手で抱き付かれた。胸の弾力が伝わる。


 別の封印が解けそうです。


「ほら、早く行ってくれ。夜になってしまうぞ」

「しっかりつかまっててよ」


 ペダルを漕ぎ始めた。予想以上の重さに、緊張感が走る。


 二人乗りって、こんなにきついもんなのか。俺の脚力の問題かな。仮に、望月さんの体重が……そうだな、五十キロだとしよう。つまり十キロの米袋を五つも、後ろに積んでるようなもんだ。そりゃあ重いわな。


「おっ、おい、フラフラしないでくれ。危ないな」


 強くしがみつかれた。俺の背中に、彼女の頬が寄せられる、確かな感触。


 落ち着け。こんな時こそ平常心だ。安全運転だ。二人乗りで安全運転って、矛盾してるけど。


 背後から、湿っぽい口調の声。


「やはり私は、ダイエットするべきだろうか」

「気に、せんでくれ。俺が、非力な、だけだ」


 万葉高校が見えてきた辺りで、自転車ごと倒れそうになり、俺は道路に足を着けた。結局、自転車は望月さんに任せ、俺は降りて走ることを選んだ。

 校門前の丁字路に到達。門は閉ざされている。左折すると視界には、夕焼けが広がる。


「望月さんは、晩メシ、食ったの」

「いや、まだ食べていない。古森君は」

「まだ。どっかでの店で買ってもいいよ。俺も、今日はそれで済ませるわ」


 道沿いにスーパーマーケットが見えてきた。望月さんの提案で、寄っていくことに。



 店内に入り、各自で買い物カゴを持つ。他の客たちに交じり、商品を眺めていく。


「なぁ古森君。家では、自炊するのか」

「多少はね。簡単なもんしか作れんし、料理に凝りたくもない」

「ちゃんと食べているのか? 痩せて見えるが」

「それなりにね。俺、食べても太りにくい体質だから」

「食べても――太りにくい――体質――だと……」


 よほど驚愕の事実だったんだろう。


「古森君の太りにくい遺伝子を、私の遺伝子の中に組み入れたら、私も太りにくい体質になるのだろうか」

「そんなこと、目を輝かせて聞かれても、分かんないよっ」


 俺のカゴには、コーヒー牛乳に続いて、弁当が入った。


「それを買うのか。おいしそうだな」


 望月さんも同じ弁当を手に取る。知らぬ間に、彼女のカゴにはお菓子が複数個入っていた。


「念の為聞くけど、望月さんは今、持ち合わせあるの」

「持っているとも。奢ってくれと頼んだ覚えは無いぞ」

「怒らんでよ」

「怒っていない」


 店を出た後、食料は自転車のカゴへ。リュックは俺が背負い、走行を再開。

 学生寮が近づくにつれ、街並みは夜の帳に包まれていった。

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