第21節

「珍しいなぁ。あんた、何しに来たん。ウチに用でもあるん」

「知らねえ精気を感じたから、興味本位で駆け付けたまでだ」

「セイキ? 何やそれ」

「とぼけんな。オマエも、オレの精気を感じてるはずだ。オレが何者なのか、分かるだろ」

「だからセイキって何なん」


 瀬良木の身体からは、良い香りがする。今し方感じ始めた匂いは、瀬良木が放っていたのだ、とウチは解釈した。


「あんた、ええ香りしてるな。香水でも付けてるん。それとも制汗スプレーやろか」

「シラを切らなくてもいいだろ」


 間近から男の声が。


「あのー、君ぃ。そちらの彼は、知り合いかな」


 轢き逃げした青年だ。ウチに放置されていたから、困惑している様子だ。


「あんさんは待っときぃ。今は取り込み中や」


 さっきの爆発音が原因で、周辺にはマンションの住民がちらほら。一人、また一人と、駐輪場の付近に向かっている模様だ。歩いていく者。駆けていく者。ベランダ等に野次馬も居る。


「人前だと都合が悪いか。じゃあ、こうしようぜ」


 瀬良木の左手が、ウチの右手を掴んだ。


「やっ。何や急に。放しぃよ」


 ウチは手を振りほどいて、数歩、後ずさりした。瀬良木は、怪訝な面持ちだ。


「オマエ、マジで何も知らねえのか」

「あんたの言うてること、ウチにはさっぱり分かれへんわ」

「おい。他の奴らを見てみろよ」

「他の人らが、どうかしたん」


 辺りを見渡す。傍らには、轢き逃げした背広姿の三十路男性が立っている。眼鏡越しの瞳は、まばたき一つせず、全身が微動だにしない。彼の佇まいに、どうも違和感がある。ウチは、精巧なマネキンでも見ている気分になった。

 そして視界に入っていたのは、もっと目立つ不可解な光景。



 通行中の住民らが、手足を振り上げた状態で、止まっている。



「え。……えええ? あの人ら、どないしたん」


 歩行と走行のどちらにしても、動作の途中で静止しているのだ。だるまさんが転んだをして鬼に振り向かれた子供みたいに、老若男女が動きを止めている。

 人間だけではない。道路上の車も、空を舞う鳥もだ。それぞれの位置に、とどまっている。動いている物体が、見当たらない。そよ風すら感じない。


「はい、オマエに質問。今のオレたちの状態を、何と呼ぶでしょーか」


 侍狼を見やると、慌てる素振りもなく、佇んでいる。


「どういうことや。まるで、ウチら以外は、時間が止まったみたいになってるやん」


 ウチの反応を、瀬良木は、冷静に分析している雰囲気だ。


「オマエの言動からして、部外者同然の知識みてえだな」


 そういうあんたは何者なん。


「なぁオマエ。記憶を失ったこと、あるか」

「ん、記憶喪失にでもなった経験があるかっちゅうこと? ウチあらへんよ」

「ねえのかよ。まさかオマエは、自分が、ヒューマンだってのか」

「……あんたなぁ、ウチの姿が、人間以外の何に見えるんよ」


 瀬良木は、地球外生命体でも観察するみたいに、目を凝らしている様子になった。


「器用なことしやがって。どうなってんだ、最近の新参は」


 瀬良木は視線を、ウチの身体に漂わせた後、一点に定めた。

 途端、彼は目を見開いた。慎重に言葉を選ぶ感じで、声に出す。


「おい。最近オマエ、ギザ十を、手に入れただろ」

「えっ。ギザ十?」


 ウチが持ってること、何でこいつが知ってるんや。


「そのギザ十、どうやって入手した」

「知れへんよぉ。いつの間にか財布に入ってたんよ。買い物した時にお釣りで受け取ったんやと思うわ」

「そうか。悪いことは言わねえ。そのギザ十を、オレによこせ」


 侍狼は、ポケットから両手を抜いた。


「何であんたにやらなあかんのよ。お断りや」

「だったら、力ずくで奪い取るまでだ」


 彼の肩掛け鞄が、アスファルトに投げ捨てられた。


「やっ。あんた、ウチに何する気や。おっきい声出したろか!」

「無駄なことだ。誰にも聞こえやしねえぞ」


 ウチは、三十路男性の隣に寄った。助けを求めようと、スーツの袖を掴む。


「ちょいと、あんさん。その男子、どうにかしいよ」


 突如、男性の体が横に傾いていく。受け身もせず、鈍い音を立てて倒れた。眼鏡が外れて転がる、乾いた音。彼からは、微かな呻き声すら漏れなかった。目は開いている。

 奇妙な出来事の連続に、ウチは唖然とした。瀬良木の言動や匂いについても含めて、幾つもの疑問符が浮かんでいる。ひとまず、最も気掛かりなことを尋ねてみる。


「瀬良木。あんたひょっとして、ギザ十のことは、絵利果から聞いたん」

「望月から得た情報じゃねえよ。どうやって知ったのかは、教えてやんねえ」

「あんたはギザ十を、どないする気や」

「オマエが知る必要はねえよ」

「ギザ十が欲しいなら、他のを自分で見つけたらええやん」

「大人しく渡した方が、身の為だと思うぜ」

「ウチのギザ十は、ウチらのもんや! 手放すわけにはいかへん!」

「オマエらってのは、オマエと、望月と――」


 瀬良木は、指折り数えだした。三本目が曲げられる。


「古森とかいう奴のことか」

「誰でもええやろ。あんた、何で珠やんのこと知ってるん」

「望月の口から、名前ぐらいは出たさ。高校に入ってからの望月は、やけにご機嫌でな。余程楽しいことでもできたんだろうぜ」


 ウチは、儀式の後に屋上で交わした言葉を、回想した。


《望月さんも不老長寿になってみない?》

《……考えておく》

《ウチも考えておくわ》


「ウチのギザ十は、大事なもんなんや。絵利果だって、いつの日かギザ十が必要になるかもしれへんよ」

「望月が? へえ。オマエらが何を企んでんのか、オレは知らねえが、望月に直接聞いた方が早そうだな」


 瀬良木は両手を、ポケットに仕舞った。刀を鞘に納めるみたいに。


新星にいぼし、だったな。オマエの、バイオネームは何だ」

「ば、ばいおねーむ?」

「下の名前は、緩菜だっけか。もしやそのまんま、カンナ、か」


 ……意味不明やわ。

 そやけど、瀬良木が只者やないことは確かよ。時間を止めたみたいにしたのは、こいつの仕業なんやろう。こないなことができるんやから、瀬良木も魔法使いかもしれへん。 何やら意味深なこと言うてはるし、事情通みたいやし、魔法について詳しそうやな。

 ここは、鎌を掛けてみましょ。


「そうよ。ウチのバイオネームは、カンナよ」


 両手を腰に当てて言ってみた。声が上擦った。


 嘘やってこと、バレてへんかな。聞いてきたからには、瀬良木にも、あるんやろか。


「あ、あんたにもバイオネームは、あるん、やな。何ていうん」


 瀬良木の鋭い眼差しが、ウチの瞳に突き刺さる。


「ルピナス。それが、オレのバイオネームだ」


 彼がそう言った直後、視界に映る景色が瞬時に変化した。互いの立ち位置や体勢が、瀬良木に手を掴まれた時の状態に戻ったのだ。騒がしい物音が一斉に聞こえだした。瀬良木が手を放す。つむじ風が、ウチらの髪をなびかせる。

 瀬良木の体には、アスファルトに放置されていたはずの鞄が、元通りに掛けてある。

 周囲に意識を移す。三十路男性は何事も無かったみたいに立っていて、眼鏡に手を添えて、まばたきをした。他の住民らも、動作を再開している。駐輪場付近のざわめき。道行く車両。空を羽ばたく鳥。世界が動いている。世界の物音が、耳に入ってくる。

 遠くから、パトカーのサイレンらしき音が聞こえてきた。


「おやおや、騒々しいな。爆発がどうのこうのって。オマエ、何かヘマでもしたのか? オレは知らねえぞ。後始末は自分でやれ」

「えぇっ。ちょっ、ちょい待ってよっ」


 瀬良木は、マンションから道路に出る方へ歩き出した。ウチは小走りで向かい、追いつく。


「後始末って、ウチ、どないしたらええのよ」


 彼は歩みを止め、睨んできた。重い口調で、ウチに告げる。


「死にたくなけりゃ、戒めに従っとけ」


 この人一体、何いうてはるん。


「じゃあな、新参」


 瀬良木の背中が、遠ざかっていく。


 戒め……? 死にたくなければ……?

 何かの決まりを破ったら、ウチが誰かに殺される、っちゅうことかな。何でウチが。


 瀬良木の体から放たれていた良い香りは、徐々に薄れていった。


 どないしょぉ。爆発の件は、ホンマのことを、警察に言うわけにもいかへんよな。


 三十路男性の元に戻ると、彼は鞄を下げ、俯いていた。


「既に、通報してたのか」

「ウチやあらへんよ。さっき駐輪場の方で、爆発騒ぎがあったから、それでやろ」

「爆発? どうりで向こうに人が集まってるわけだ」

「あんさん、潔く自首したらええやん。丁度警察が来るんやし。そもそも轢き逃げしたら、確か、懲役か罰金やろ。罰金って、無職のあんさんが払える額なん? お勤めしてきいよ」


 青年は、疲れ果てた顔でウチを見つめた後、うな垂れた。


「そうだねぇ。ここらが年貢の納め時か。自首して服役するのも、悪くないかな」

「あら、観念したん」


 彼は眼鏡を押し上げ、顔を背けた。


「君の言葉は、天使のお告げのように聞こえたんだ」

「いやぁ……歯の浮くようなセリフ言わんといて」


 青年は腰に片手を当て、遠くの空を眺める。


「一度レールから外れた人に対する、世間の風は冷たいよ。臭いメシを食う方が、僕にとっては快適かもしれない」


 何ちゅう発想や。あんさんみたいなもんは、どこに行こうが地獄を見るわ。


「君には、悪いことをしたね」

「ウチの自転車、弁償してもらおうかと思たけど、遠慮しておくわ。あんさんの金で買った自転車なんて、乗りたくないもん」


 まったく。やっと魔法使いになったと思たら、次から次へと、慌ただしいなぁ。


 ――――――――――――――――――――

 瀬良木侍狼が、独りで万葉駅に向かって歩く。ケータイを取り出して、通話を始めた。

 ――――――――――――――――――――


「もしもし、オレだ。先方に会ってきたぜ。……あ? 相手の手並みは拝見してねえよ。それより、――大事な話がある。帰ったら自宅に居ろ」

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