第10節 BはOK! AやCはダメ

 途切れた会話を、新星さんが滑らかに繋ぐ。


「ウチも珠やんも言うたんやから、次は、望月さんの願いでも聞きましょか」


 新星さんはクラスが違うから、昨日の望月さんの自己紹介聞いてないんだよな。


「私がオテント様で叶えたいような願いは、……今のところ無い」


 既に昨日儀式やったもんな。でもね、今日も相変わらずの、癒される体型だぞ。


「無欲な人やなぁ。……んーと、例えばなぁ、ほら、痩せたいなぁとか思わへんのぉ」


 望月さんは、表情が凍りついたように、まばたき一つしなくなった。


「新星さん。遠慮して言ったつもりなんだろうけど、もう少しオブラートに包んだ方が」

「あんたも容赦しいひんな。そないやから童貞なんよ。デリカシーの欠片も感じひんわ」

「君に言われたくないわ。同じ女性なのに、今の質問はいかがなものかと思うよ。望月さんに失礼でしょ。あなたは肉付きが良い、って言ってるようなもんじゃないか」

「だってなぁ、いささか、……太ってはるやん。どっちかっちゅうたら、おデブやん」

「スレンダーとは言い難い。でもおデブじゃないもん。ぽっちゃりと呼ぶべきだ」

「えー? おデブやーん」

「全然おデブじゃないって」

「そこまでだ」


 口を挟む望月さん。先刻と変わらぬポーズのまま、冷え切った眼差しを俺と新星さんに送る。


「私の体型についてそれ以上触れると、手伝ってやらないぞ」

「えらい怖い顔してはる。堪忍なー、絵利果。ところで、手伝うって、どういうことなん」

「屋上へのドアの鍵は、私が開けてやる。古森君に、そう約束したのだ」

「えっ、どないして開けるん。まさか、ピッキングとか?」


 俺もその説を推す。望月さん、カミングアウトしちゃうのかな。


「企業秘密だ。緩菜さんの想像に任せる」


 新星さんは、いぶかしげな目で、望月さんと俺の顔色を窺う。


「ふぅーん。まぁ深く追求はしいひんわよ」


 俺も知らないっての。


「もちろんこの話も他言は無用だぞ」

「分かってるわよ。第一、鍵を開ける手段があるなら、先に言うてよな、まったく」


 ふと、新星さんはトイレに行くというので、早歩きで化学室を出た。残された俺と望月さん。


「ねぇ望月さん、君の願いの件なんだけど。……実際、儀式の効果はあったの」


 彼女は溜息を一つ。穏和な物腰になる。


「認めたくはないが、無かったのだろう。敢えて変化点を挙げるなら、私の気持ちぐらいだ」

「気が変わったってこと? 今は、痩せたいと思わんの。それとも、諦めがついたのかな」

「女心と秋の空というだろ。野暮なことを聞くな」

「そう。俺としては、全然構わんよ」


 ぽっちゃりしてて可愛いって、俺が言ったからかな。やだ、そんなこと聞けないっ。


「所詮オテント様は、只のまじないなのだろうか……。ともかく体型については、自力で解決できる現実的なことだしな。もし今より太って痩せたくなったら、普通にダイエットするさ」


 俺は、悠然と窓の外を窺った。空は現在も灰色に覆われている。


「ずーっと曇ってるね。天候ばかりはどうしようもないわ」


 望月さんは視線を窓へ、そして黒板の上部へ移す。俺も向くと、目線の先には壁掛け時計。


「また昼になってしまったな。いずれにせよ今日はもうお開きだ。古森君の腹の虫が鳴く前に、帰るとしよう」

「俺はそこまで食いもんに飢えてないよ」


 俺は机にあるメモ紙を、ポケットに仕舞った。望月さんと共に化学室を出る。新星さんが戻ってきたので、下校する旨を伝えた。教室へ荷物を取りに行き、校舎の外に出る三者。

 見かける生徒の数は疎ら。多少ブレザー姿もある。本日も午前中までな為、大多数は既に下校したようだ。リュックの色でいうと、左から黒紫青の順で並び、駐輪場の方へ歩く。


 両手に花状態で帰るんじゃないかって、密かに期待してたことは、口に出すまい。


「緩菜さんは自転車通学か」

「そうよ」

「私はここから歩いて万葉駅だ。またな」


 二人に別れを告げた望月さんは、右折して校門へ遠ざかっていった。


 昨日はチャリ置き場まで付いてきてくれたのに。まぁ、毎回付き添うのも面倒か。


 新星さんと共に、自転車で帰路に就く。平日の昼間なので、人通りは少なめである。



 俺は、化学室を出てから新星さんの口数が少なくなっていることに、疑問を抱いた。


「なぁ珠やん。さっきおしっこしながら冷静に考えてみたんやけどなぁ」


 新星さんの……想像するなっ。俺はそういうフェチじゃないのに。


「オテント様で、ウチが魔法使いになったとするやん」

「うん。なったとしよう」

「ウチが人前で魔法つこたら、どないなると思う?」

「みんな驚くだろうね」

「全国のトップニュースで報道されたり、世界的な騒ぎになるかもしれへんやんな」

「最悪、科学者に捕えられて、人体実験や解剖されたりしてね」

「もちろんウチはそないなこと御免なわけよ」

「じゃあどうすんの」

「魔法使いが一人だけ急に現れるからそないなるんよ。そやったら世界中に魔法使いを登場させるとええんやないの。魔法が日常にありふれてれば、ウチの魔法が目立たへんで済むやろ」

「世界が混沌としそうだなぁ。魔法を用いた、第三次世界大戦でも起こす気か」

「外国は戦争があるもんなぁ。日本だけならどやろ。平和主義やから、戦争しいひんよ」

「日本人全員を魔法使いにするっての?」

「それやとありがたみがあらへんなぁ。皆が使えるんやと、おもろない」


 ネット上の都市伝説や、新星さんの貞操観念が、俺の頭に浮かんで混ざり合う。


「本当に、童貞だけじゃなくて処女も、三十歳から魔法使えるようにしたら」

「ウチらは折り返し地点過ぎたばかりなんよ。あと十五年も待つなんて長すぎるわ」

「じゃあ年齢制限を下げればいいんじゃないの」

「ええアイデアやな。それ採用やわ。あんたって何かと役に立つなぁ」

「そいつはどーも。で、幾つからにするの」


 進行方向を見つめたまま、新星さんは凛とした表情。


「十五歳にしましょ」

「手っ取り早いね。だけど十五歳以上で性経験の無い男女なんて、ごまんと居るだろうよ」

「ありがたみに欠けるやんな。レア度が低いやんな」

「自分だけも大勢も嫌って、どうしたいんだよ」

「セックスのハードルが高すぎるんよ。キスならどやろ」

「てことは、新星さんはキスしたことないんだ」

「えぇ。あんたはどないなん」


 昨日の望月さんとの行為は、似て非なるものだと判断し、カウントせずに答える。


「俺も、まだ。でもさ、キスを未経験な十五歳以上の人だって、たくさん居ると思うよ」

「どないしたら、程良く、目立たず希少な存在になれるかなぁ」


 そんな我がままをいいたい気持ち、分からんでもない。


「そうだなぁ。例えば年齢制限は、下限だけじゃなくて、上限も付けるとか」

「上限かぁ。……そういえば、オテント様の条件に、十代の人間ってあるやんな。それにちなんで、十五歳から十九歳までにするっちゅうのは、どうよ?」

「キスしたことがない、十五歳から十九歳までの日本人、か。結構絞られそう」

「二十歳になったら使えなくなるっちゅうのが、若者だけの特権みたいで、素敵やんな」

「大人はけがれてるからね。けがれの無い若者だけが魔法使いになれるってわけか」

「そうなると、恋人を作らへん人が増えそうやな」

「少子高齢化が加速するよ。日本終わったな」

「キスやセックスしたい人は、勝手にしたらええのよ。二度と魔法使いにはなれへんけどな。街中でイチャついてるカップル見かけると、ウチ、イライラするんよ。あいつらの人口が減るなら、清々するわ」


 俺の脳裏に、昨日の朝の記憶が浮かぶ。十円玉の交換を、問い掛けた時のことだ。


“童貞君のならお願いするわ”という新星さんの言葉。


 あんな言い方された理由が、少し分かった気がする。


「ねぇ、キスしたことはなくて、セックスしたことがある人の場合はどうなるの」


 十代の、風俗経験者や、性犯罪者や、その被害者とか。……んなこと思いつくなよ俺。


「それらもあかんよ。キス以上をしたことあらへん人、っちゅう意味やもん」

「いわゆる、AとCはダメなんだね。じゃあBはどうなの。AもCもしたことなくて、Bをしたことがある人の場合は?」

「……んー。スキンシップの定義が難しいなぁ。抱擁とかしたことあらへんでも、手ぇを繋いだり、痴漢されたりしたら、Bを経験したことになってしまうんかな。んんん。もうええわ、邪魔くさいから、BはOKってことにするわ」


 び、BはOK……。


 俺は思わず新星さんの胸元に目が行く。生憎、ハンドルを持つ彼女の腕に遮られている。


「あんた今ウチの胸見たやろ」

「み、見てないよっ」


 俺が困惑する中、学生寮が目前まで近づいてきた。自分の部屋を指差す。


「そこ俺んちだから」


 互いに学生寮前で止まった。二階建ての集合住宅を眺める新星さん。


「万葉高の学生寮。独り暮らしだ」

「へぇー、そうなんや。どの部屋」

「二階の、二〇一号室」

「ふーん。覚えておくわ」

「ちなみにさ、新星さんは、どの辺に住んでるの」


 新星さんは流し目になる。


「いややわぁ、女の子の住所を聞いて、どないするつもりなん」

「おっと、これは失敬」

「ほな、またなぁ」


 走り去る新星さんを眺める。自分が彼女の自宅まで付き添えないことに、一抹の不安を感じた。


 俺んちよりも遠い所から通ってることは、確かなようだ。


 駐輪場に自転車を止め、階段を上る。空を眺めると、立ち込める暗雲が、重苦しかった。


 明日から授業かぁ。オテント様ばかりに現を抜かしてもいられんなぁ。

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