第20話 その道の先

 青空に列をなして飛ぶ鳥の大群を見上げる。ルチアたちと同じく北方へ針路を向けた鳥たちは、遮るものがない青空を一直線へと突き進む。

「冬鳥だ。そろそろ暖かくなるから帰ってくるんだ」

 ルチアと同じように頭上を見上げたシャットは、見張りの手を休めてぼんやりとした目で空を眺める。

「鳥は良いね。海と違って、邪魔なものもなくて自由に行きたいところに行けるから」

 太陽のまばゆさに目を細めながらつぶやくと、シャットが肩をすくめてからあくびをした。

「そんなことないっしょ。鳥の世界だって弱肉強食だ。自分たちよりも強い鳥に出会えば食うか食われるか……鳥も人間も一緒だ」

 鳥を眺めるのに飽きたのか、シャットは早々に首を戻すと大海原へと視線を向けた。

 岩礁や流氷が多く危険な水域は過ぎ去っており、ルチアの目には平穏な海原が広がっている。バハルからも、あと十日もあればマッテラ島付近に近づくと言われている。

「シャット、マッテラ島にはなにがあると思う? 誰もたどり着いたことのない未踏の地って言われているくらいだけれど」

「どうだろ。楽園か、はたまた地獄か。誰かが住んでいるかも知れないし、人の住めない不毛の地かもしれない。探検家じゃないし、そのへんはあんま興味ないけどね」

 あまりシャットはマッテラ島に対する興味はないようだった。

 ルチアもそれ以上は言わずに、シャットと並び立った。自分と年の変わらない少年は、隣に立つと身長はあまり変わらない。けれど健康的に日に焼け、ルチアと違ってどう頑張っても性別を偽るのは難しい肩幅をしている。

「……あんまりジロジロ見ないでくんない?」

「ごめん」

 不躾な視線に居心地悪そうにシャットはそっぽを向いた。苦笑いをしながら謝罪すると、甲板がわずかに軋む音が聞こえ二人は振り返った。

「ここにいたのか、おまえら」

 褐色の青年が眠気をこらえるように欠伸をする。数刻前まで彼が見張り番だったはずだが、短い仮眠を終えたようだった。

「バハルさん、もうお休みは良いんですか?」

「そうっすよ、お頭。休めるときは休んどけ、って普段から言ってるくせに」

 元々、彼が寝るためにルチアは部屋を抜け出していた。あまりにも短い休眠時間にルチアは心配げに顔を曇らせた。

 しかし病み上がりなど感じさせない様子で、バハルは肩をすくめた。

「別に多少寝ないからって死ぬわけじゃねえよ。それよりルカ、ちょっと来い。ロジェんところに行くぞ」

「分かりました」

 きっとマッテラ島が近づいたためだろう。今後の方針を話し合うに違いないと、ルチアはこくりと頷いた。


 シャットに別れを告げ、ロジェの部屋に戻る最中にふとルチアは視線を感じて顔を上げる。

 榛色の彼のまっすぐな瞳とかち合い、ルチアはなぜか気まずくなって俯きその場で足を止める。

「ルカ」

 しかし逸らすことを許さぬ強い呼びかけに、ゆっくり顔を上げた。

「お前にとって家族っていうのはなんだ?」

「え?」

 思いがけない言葉の内容に戸惑う。真意が分からず口ごもったあと、上目づかいで答えた。

「大事なもの、でしょうか。誰よりも大事で、かけがえのないものです。家族がいなかったら、今の自分はありませんから」

「……そうか」

 それきり黙り込むバハルは、背中を向けてロジェの部屋へと歩いて行く。

 バハルは違うのかと、そう問いかけるほどルチアは愚かではなかった。

 言葉を交わさないまま、居心地の悪さを感じているうちに目的地へとたどり着いてしまう。

「遅いよ、二人とも」

 椅子に腰掛けていたロジェが顔を上げる。以前にこの部屋に入ったときと同様に、バハルがベッドに腰掛けルチアもそれに倣った。

「さて今後のことだけど。もうじきマッテラ島につく――と言いたいところだけれど、残念ながら食料が心もとない。ゼノの時は急な出立だったし、ドーナス島ヘ土産として大半を置いてきちゃったし。というわけで、どこかで一度補給しようと思う」

 ロジェは海図を広げると、マッテラ島からほど近い一点を指差した。

フィオレ島ここは元マービリオンの植民地だった島だ。現在は元の所有者であるトルメンタ王国に返っているけれど、今でも商船の行き来は多いし、マービリオン海軍の哨戒もないだろう。紛れ込むにはうってつけだね」

「そんなに食料なかったか?」

「ああ。君たちがドーナス島で際限なく飲み食いしてくれたおかげでね」

 冷めた目で見下ろされ、バハルは視線をさまよわせながら横を向いた。

「まあ半分は冗談だよ。実際に通常の航海なら問題ない量は積んである。けれどなにせ全く未知数の道だからね。もしかして遭難する可能性も否定はできないし、ギリギリまで荷は積んでおきたいな」

 ロジェは海図をくるくるとまき直し、それで肩をポンポンと叩きながらルチアに向き直った。

「さて、そこからが問題だ。僕たちはマッテラ島についての知識がない」

 未踏の地マッテラ島。そこにたどり着いた者はいまだかつて誰もいない。ルチアが知っているのは、マービリオン共和国から北に位置する小島――ただそれだけだ。それはバハルやロジェも同様なのだろう。

「とりあえず島に近づいたら接岸できるところを探そう。降りたあとは二手に分かれて島の探索をしようと思う。エレーヌの手がかりがあるかもしれないし……正直に言えば」

「手がかりなんて、ない可能性が高い」

 あとの言葉をついだバハルは、新台の上で胡座をかきながら息を吐き出した。

 彼の言うとおりで、マッテラ島に行ったところでエレーヌが見つかるとは限らないことはルチアも理解している。

「それでも、少しでも可能性があるのなら」

「分かってるよ、君の言いたいことはね。まあ僕もマッテラ島に興味がないと言えば嘘になる。誰も開いたことのない女を開拓するのと一緒で、男のロマンだよね」

「……とにかくだ。まずはマッテラ島の探索を第一に考える、で良いな。探検隊のほうはこっちでどうにかする。お前は船で残ってろ」

「えっ!?」

 まさか置き去りにされるとは思ってもおらず、ルチアは驚愕の声をあげる。

「当たり前でしょう? どんな場所かも分からないのに、お荷物は連れて行けないよ。どちらにせよ船の守りも必要だしね。ゾイと数名……あと先生も置いていくしかないか」

「……エンリケ先生?」

「彼も戦闘はからっきしだしね。それに一カ所にいてくれたほうが、なにかあったときに困らない」

 正体不明の男の顔を思い出し、ルチアはなにも言えずに押し黙る。その表情を一瞥したロジェは思案にくれるように天井へ視線を向けたあと、呟く。

「彼が海軍の人間だからって、気になる?」

「……え」

 突然の発言にルチアは目を丸くする。

「あれ、君はもう知ってるのか思ってたけど勘違いだった? なら忘れてくれるかな」

「……いえ、彼から直接聞いて知っていました」

 素直に頷きながらも首を傾げる。

「どうしてバハルさんたちは、海軍所属の彼を船に乗せているんですか? だって、海軍は敵でしょう?」

「あいつは元はコーネリアス家を探ろうとして奴隷船に乗り込んでたんだよ。俺たちもそれを知っているし、あいつも知られていることを悟っている。前に海軍には派閥があるって話をしただろ」

「政府派とコーネリアス家の派閥のことですよね。……つまり、彼は政府派に属していてコーネリアス家を探っていた、っていうことですか?」

「僕らも推測だけれどね。なにが目的なのか、いまいち良く分からないけど医師は役立つから、まあ良いかなと思って」

「そんな適当で良いんですか?」

「こんな海賊船が医師なんて貴重な人間を得られる、またとない機会だしね。怪しい行動をしたって、海上にいる以上伝達する手段はない。一応、陸に降り立ったときは監視をつけているけれど」

「おかた、この船にいたほうがコーネリアス家の弱みが握れると思ってるんじゃないか」

 それならばエンリケが奴隷解放にまつわる情報を欲した理由も理解できた。情報を武器にコーネリアス家を断罪しようとでも思ったのだろう。

「事情は分かりました。けれど、本当に良いんですか? 派閥が違えど、海軍には違いないのに」

「まあね、確かに彼は海軍だよ。けれど僕たち海軍についてくれる医師なんてそうそう見つかるもんじゃない。ただでさえこの船は少数精鋭だ。一人でも欠かすわけにはいかない。医師がいるかいないか、それは僕たちの生存率に大きくかかわる問題なんだ」

 ロジェのいうことにルチアは頷くしかできなかった。けっして衛生的とはいえない船上、偏る食事内容、体を酷使する重労働。それらを考えれば医師の存在は大きい。

「心配ならあまりお前は関わるな」

 そうバハルに言われ曖昧な笑みを浮かべてごまかした。

 そして、三人だけの会議が終わった瞬間ルチアは猛スピードで船医室へと向かった。



「どういうことですか!」

 自分の部屋に来るなり、声を荒らげた少女にエンリケはぽかんと口を広げた。

「なんだい、急に」

「元々取り引きなんて成立していないじゃないですか! バハルさんたちはあなたが海軍だって知っているじゃない」

 ルチアは彼が軍人であることを黙っている代わりに、自分のことも黙っていろと取り交わした。彼もそれに頷いたはずだった。けれどバハルたちが、エンリケのことを知っているのであればそもそも取引は最初から成立していない。

 そのことか、とようやく合点がいったように頷きエンリケは破顔した。

「君にとって不利な条件じゃなかったんだから、そんなに怒らないでくれよ。かわいい顔が台無しだよ」

 頬をむにっと摘ままれて、目を細めて男を睨み付けた。しかしエンリケは気にする様子などなく、肩をすくめて笑う。

 嘆息してからルチアは空いた椅子へ勝手に腰掛けた。

「……海軍は国民を守るべき組織なのに、どうして」

 膝の上で両手を組み、祈るようにルチアは目を閉じる。

「全員が正義感を持ち合わせているわけじゃないよ。権威を持てば持つほど、私欲を満たそうとするのはどこでも一緒さ」

 エンリケは自嘲するように唇を歪ませ、ぎしりと椅子を揺らして立ち上がりルチアを見下ろす。

「ただの商家であるはずのコーネリアスが、今や海軍の半分を取り込んでいる。そりゃあ、奴隷市場もなくならないわけだよ」

「そんな」

「君は、そんな現状を変えたいと思うかい?」

「もちろんです」

 具体的な改善策など思いつくはずもない。ルチアにとって海軍も政府も、ただ国に存在するものという認識しかなかった。

 けれどもバハルたちのような犠牲者が二度と出ないようにしたい。その義憤だけでルチアはこくりと力強く頷いた。

「――ならば時がくるのを待つだけだ。きっと君の存在は、後々の切り札になるから」

「私が切り札……?」

 エンリケの言葉はいつも曖昧で抽象的だ。ルチアになにかを期待するかのような言動に戸惑いを隠せない。

 そんなエンリケの視線がふと少女の指で止まった。

「おや、あかぎれが酷いね」

 最近塩水に触れる機会が多いせいか、ルチアの皮膚に亀裂が入っている。言われてようやく痒みと痛みを感じて顔をしかめた。旅をする前はすらりと細く白い指だった手も、今は見るも無残に荒れて血豆もできている。

「仕方ないね。南方から仕入れた良い軟膏があるからあげよう」

「そんな貴重な薬頂いて良いのですか?」

 遠慮がちなルチアに、彼は意地悪い笑みを浮かべる。

「前に商人から手に入れたものでさ。本当に効くのか試したかったんだよね。誰も挑戦してくれなくてさあ」

「……実験台ですか」

「そうとも言うね」

 あっさりと肯定したエンリケに一瞬たじろぐ。しかし背中を向けたエンリケは、ルチアの返答を待たずに戸棚を漁る音を立てていた。

「これを塗る前にカルテ作るから、そこに名前を書いてね」

 エンリケに差し出された羊皮紙を見ると、いくつか項目を埋めるようになっている。

「もちろん本名だよ?」

「え……?」

 男装をしてルカと名乗る以上、本名を書くのは憚られた。いつこれを誰かに見られるかもしれない。

「これでも僕はきちんとした医師だよ。知り得た情報を口外しないし、君のおかげで今後の医療の発展にも繋がるかもしれない。君のおかげで他の誰かを助けられるかもしれない。そういった情報はきちんとまとめておきたいんだ」

「……分かりました」

 真摯なエンリケの目を見てからルチアは頷いた。

 エレーヌの妹であることを知られている以上、本名を知られるのも今さらだった。なにより、人を茶化したり嘘を平気でつくことをするエンリケではあるが、今の言葉は本心から出たものだと信じたかった。

 そして、久しぶりの本名を書き留める。

「ルチア、か」

 最後の本当の名を呼ばれてから、すでに一ヶ月近く経とうとしていることに気付く。

「良い名前だね。ルチア――マービリオンの古語で光という意味だね」

 純粋な褒め言葉に小さく笑みを浮かべる。名付け親であるエレーヌが語る、光という意味を持つ名はルチアにとって大事な宝物だ。

「ありがとうございます。よくご存知ですね。でも船ではちゃんと、ルカって呼んでください」

「分かってるよ。……はい、じゃあこれね」

 差し出された小さな入れ物に入った軟膏を指に取ったエンリケが、ルチアの右手をとるとそっと染みこませていく。わずかな刺激が襲うが、ぎゅっと唇を噛みしめてそれに耐える。

「痛みがある?」

「少しだけ。でもピリピリした感じで、耐えられないほどじゃないです」

「ふむ」

 真剣な表情でルチアの意見を書き留めていく姿は、まじめな医師そのものだ。

「他に気になることは?」

「匂いが気になるかもしれません。悪い香りじゃないけれど。なんでしょうか、この匂い」

「ハーブが原材料だからね。その香りかな」

 入れ物に鼻を近づけて確認し、エンリケは次いでルチアの左手を取り同じように塗り込んだ。

 触れられた指がくすぐったくて、ルチアは指を引っ込めそうになる。

「こら、あと少しだから我慢するように」

 丹念にひび割れた部分に薬を塗り終わると、エンリケはそっと手を離した。

「はいこれで良いよ。明日もう一度手がどうなったか見せてね」

「……ありがとうございました」

 素直に礼を伝えると、エンリケは子供をあやすようにルチアの頭を撫でた。

「なに、こっちも実験に付き合ってくれて助かったよ」

 再び戸棚に薬を戻す背中をぼんやりと見つめる。すると、エンリケが背を向けたまま語りかけるように呟いた。

「ねえルカ――いやルチア。もう少しでマッテラ島につくけれど、君はそこへ行って何をするつもりだい? エレーヌ・カーティスの行方がそこで見つかると思う?」

「……それは」

 エレーヌが目指した島に行けば、なんらかの手がかりがあるという推測でしかない。そこに行けば解決する保証など、なにもない。

 ふんわりとハーブが香る手のひらを握りしめ、ルチアは姉の残した手がかりを思い出す。自分の名前が書かれた本を、これみよがしに彼らの船の近くに落として行ったエレーヌ。自分の存命を知らしめる意味の他に、なにか意味があるのか――。

「君はいずれ真実にたどり着くだろう。そのとき君が何を思うのか。実をいうとね、僕は今からとても楽しみなんだ」

「……真実?」

「そう、真実だ。マービリオン共和国という舞台で繰り広げられる演劇さ。それが喜劇となるか悲劇となるか――君に命運がかかっていると言っても過言ではないよ」

 エンリケの言葉の意味が理解できず、曖昧な表情で首をかしげる。けれど回答は得られそうもなく、彼はただ意味深に笑うだけだった。

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光射す海、星降る大地 悠宇 @you_shina

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