第7話 海賊王
彼らが常駐しているという食堂は、まさにゼノに足を踏み入れて真っ先に入った店だった。店の主人が、常連となった海賊とルチアが一緒にいるのを見て驚く表情を見せた。
奥の丸テーブルに三人は腰掛けると、ロジェは端正な顔をほころばせる。
「奴隷として集められた子どもたちは、市長の家に預けるから心配しないで大丈夫だよ」
ロジェの言葉にほっと胸をなでおろす。一時とはいえ、自分と同じ環境にいた子たちが無事でいられるなら喜ばしいことだった。けれど懸念はもうひとつある。
「その中に黒髪で、とても美人な女の子がいませんでした?」
「黒髪か……そんな子は見てないね。最初に売られた子かな? ごめん、僕たちの動きが遅かったから連れ去られたあとかもしれない」
ルチアを労るようにロジェが目尻を下げ謝罪され、慌てて顔の前で手を振った。
「ロジェさんのせいじゃないです。……無事でいてくれれば良いんですが」
「そもそもなんでお前はあの神殿にいたんだ?」
その質問に答えるためエレーヌ宛ての手紙を差し出した途端、バハルが頬をひきつらせる。
「姉に宛てられた恋文に、ゼノで結婚式と書かれていたから……」
「それは恋文じゃねえ!」
怒声を上げるバハルの言葉で差出人を理解する。
「この恋文、あなたが……!?」
歯の浮くような言葉が並ぶ手紙を粗野な彼が書いたのかと考え、思わず笑いを堪えるとバハルの目つきが険しくなる。
「それは暗号だ。祝福の鐘は神殿の比喩で、大勢の友は奴隷のことだ。あからさまな内容だと検閲が入ったときに困るから、恋人を装って書いたんだよ。くそ、なんでお前がこれを持ってやがる」
「なんで姉にそんな手紙を?」
不機嫌そうな顔でルチアを睨みつけ、忌ま忌ましそうに手紙を取り上げたバハルは答えようとしない。代わりに口を開いたのはロジェだった。
「君のお姉さんは僕らの協力者だ」
「ロジェ、勝手に言うな」
「もしかすればエレーヌの行方が知れなくなったことと関係があるかもしれない。それなら彼女に黙っているわけにもいかないだろう」
「教えてください」
ルチアは椅子から立ち上がり、勢い良くテーブルに手をつく。身を乗り上げてルチアは叫んだ。
「お姉ちゃんがマッテラ島へ行ったまま帰ってこないんです! 先日海軍が家に来て姉は死んだと……そう言い残して。でもそんなの信じられません。だって姉の遺体が見つかったわけじゃないのに」
天敵である海軍という名にバハルたちが顔をしかめる。二人は顔を見合わせ、そして観念したように吐き出した。
「見ての通り、俺たちは奴隷を解放するために動いている。奴隷市場ってのは毎回場所が変わるからどこで、いつやるか分からない。だから協力者を使って奴隷市場の情報を集めている」
「その協力者がお姉ちゃん?」
バハルは横柄に頷くと懐から一冊の本を取り出すと、表紙には見慣れた名前が書かれている。
「お姉ちゃんの書いた本?」
「エレーヌはこ自著の中に奴隷市場に関する話をさりげなく盛り込み、俺たちに知らせてきている」
学者である姉は本も書き上げており、自宅にも全ての蔵書が揃っている。しかし目の前に置かれた青い表紙の本を、ルチアは一度も見たことがなかった。
「この本は数カ月前に僕たちの船に投げ込まれていものなんだ。マッテラ島までの海路と星空について記載がされている」
「音信不通だったエレーヌの本が落ちているなんて偶然はありえない。だから俺とシャットが大図書館に行ったんだよ。あそこは国中の蔵書が集められている。だがあそこに、これと同じものは存在しなかった」
彼らが大図書館に用事があった理由が判明する。そして食堂の主人が言っていた、「出て行った海賊たち」というのがバハルたちのことを示していたことに気付く。
「これはエレーヌが書いたものと仮定すると、大図書館にない以上流通されていないほど最近書かれたものとなる」
「……確かにこれは姉の字です」
青の表紙をめくると見慣れた字が目に入る。所々インクがにじみ、巻末には他の書物と同様にエレーヌ・カーティスのサインが記されている。
「活版印刷が主流の今、手書きの本なんてまずない。これは、彼女が書き残した僕たちにあてた手紙なんだと確信したんだ」
「つまりお姉ちゃんは生きている……?」
エレーヌが生きていると証明する本を抱きしめながら、安堵のために力が抜けたルチアは椅子に座り込んだ。
「だがエレーヌ自身が置いたなら、今あいつはなにをしてるんだ」
「もしかして、お姉ちゃんがマッテラ島に拘っていたのも奴隷になにか関係するからじゃ」
頑固なエレーヌだが無謀なことをする人ではない。それが、あそこまでマッテラ島への探検にこだわる必要があるとすれば――。
「お願いします! 私をマッテラ島へ連れて行ってください! 絶対そこに手がかりがあるはずなんです」
頭を下げるルチアにバハルとロジェは顔を見合わせ、そしてバハルが右手を全て開いた状態で挙げる。
「取り引きだ。五千万デリー、俺達の船を動かしたいならそれくらい払うつもりはあるんだろうな」
「五千万……!?」
あまりの金額に声を上げると、ロジェも冷たい表情を向ける。
「ルカ、僕たちは慈善事業家じゃない。船を動かすには莫大のお金がかかるんだ」
穏やかな口調だったが反論は許されない言い方だった。しかしルチアは納得したように頷く。
「お金ならあります」
なにがあっても外さなかった、首からかけた形見のペンダントをテーブルの上に置く。カランと軽い音を立てて無造作に転がるそれをバハルは不審げに見た。
「お前が付けていたやつじゃねえか。こんなペンダント一つでどうしようってんだ」
「まさか――」
呆れるバハルと違い、ロジェは慌ててそのペンダントを手に取り光にかざすように何度も見返し驚嘆する。
「古金貨……しかも古代神殿のものか!」
純金で作られたそれは単純に物としての価値も、考古学的な価値もある。
元々人からの貰い物であるため研究資料として扱われず国に返す必要もなく、両親の遺品としてルチアに分け与えられた。海の底に眠るというマービリオンが祀る神を彫った古金貨の価値は、一生遊んで暮らすことができると言われていた。
「こんなもん持ってるなんて言わなかっただろ」
「恨むなら、審美眼がない自分を恨んでください」
「……俺は芸術品とかは知らねえよ」
睨むバハルの視線を物ともせず言い切ると、横から乾いた拍手音が響く。ロジェが苦笑しながら両手を叩いていた。
「お見事。こちらの負けだよ、バハル。先に取り引き内容を提示したのはこちらだ」
「……わかったよ」
「じゃあ!」
男たちの会話に、ルチアが顔を輝かせる。
「取り引きは成立だ。俺の名にかけて、お前をマッテラ島まで行かせてやる」
「ありがとうございますバハルさん!」
「ただ、奴隷市場の片付けが先だ。それは譲れないぞ」
「構いません。あそこにいた、奴隷の子たちの今後どうするか決めるんでしょう?」
ルチアの言葉に男たちが沈黙を落とし、不思議そうに少女を見た。
「なんで分かる?」
「放り出された奴隷に何が出来るのか……バハルさんが言ったんでしょう。それなのに奴隷を開放したってことは今後のあてがあると考えただけです」
バハルは無言だったが、ルチアはそれを肯定と受け止めた。
ルチアがバハルに右手を差し出すと、いぶかしげな顔を見せたバハルも嘆息しながらその手を握りしめた。
「貰った金の分は働いてやる」
力強い手のひらに、ルチアは先行きに光が射したのを感じた。
市長の豪勢な自宅の一角で集められた奴隷たちが呆然と座り込んでいた。自分たちの現状が理解できずに、怯えるように俯く子どもたちの横でペコペコと海賊たちに頭を下げる小太りの男がいた。
「ロジェ様、彼らの今後はこのようにしてはいかがでしょうか」
書類を差し出して揉み手をする男に声もかけず、ロジェは渡された書類に目を通す。
「おい市長!」
「は、はい。なんでしょうバハル様」
「これはどういうことだ? 俺はまずこいつらに飯をやれって言っただろうが」
「ひいいいすみません! なにせ今この屋敷には人手がほとんどないんですう!」
「ちょっと市長、この書類じゃろくな引き取り手がないように見えるんだけど」
「すみませええん。急なことだったので良いところがあまり見つからなかったんです!」
(あれがゼノ市長?)
海賊二人に交互に呼びつけられて顔を青ざめながら謝罪する男は、どうみても悪名高い市長には見えなかった。
「アンブラはやっぱりいないのね……」
ロジェの言ったとおり、この場に黒髪の少女の姿は見えなかったことに落胆する。落ち込むルチアは肩を叩かれてはっと顔を上げた。
「疲れてるなら向こうで休めば?」
シャットが指差す方は客室だ。彼らは市長の家を好きなように使っており、ルチアも昨晩はその恩恵に与った。
「大丈夫です。それにバハルさんたちのやっていることも知りたいから」
ロジェが受け取った書類は子どもたちの引き取り手の一覧だった。まだ幼い子どもは養子に出され、ある程度歳を重ねた子どもは職人へ弟子入りなど、きちんとした手順を踏んで奉公に出される。
「自分の家に帰れれば良いのに……」
「奴隷はほとんど親に売られた子だよ。そんなところに帰れると、本気で思ってるわけ? どうせまた売り飛ばされるだけだ」
呟きに反応したシャットがぴくりと眉を動かし、吐き捨てるように言われルチアは二の句を継げない。
黙りこむ彼女の側から離れたシャットは、怯える子どもたちに近寄ると笑いかけた。表情を固くしていた子どもたちも、おどけるような少年の仕草に次第にぎこちなくも笑みを浮かべている。
(シャットさんはもしかしたら元奴隷なのかな……)
国が嫌いと言い、親を憎み奴隷に対して優しげな表情を見せるシャットを見れば自ずと答えは知れた。けれどそれを聞けるほど彼と親しいわけでもなく、心のなかにしまい込む。
「じゃあとりあえずこんな感じで良いかな、バハル」
「良いんじゃね? その辺はお前に任せる」
子どもたちの身の振り方が決めた男たちは書類を一式市長へと返した。
「急いで動けよ」
「はい!」
紙の束を腕に抱えて一目散に扉の外へと駆けていく市長を横目に見ると、バハルがルチアの方へと近づいてくる。
「とりあえゼノでの仕事は終わりだ。しばらく本島には戻れないぞ、お前も用意するものがあるなら今のうちにしておけ」
「分かりました」
気を引き締めるようにルチアが身を固くすると、ポンと頭の上に手のひらを乗せられる。困惑しながら見上げると、口角を上げる男の目と合う。
「そんな顔すんな。この俺が連れて行ってやるんだぞ? 大船に乗ったつもりでいろ。――っと、そういやまだ俺たちの船を見てなかったな」
「はい。まだ港には行っていないので。そういえば船の名前はなんて言うんですか?」
商用船や軍船には必ず特有の名前がつけられる。多くは船長に縁のある女性の名前を付けるのが一般的である。船の名前は守り神となり、安全な航海をもたらすと信じられていた。
「は? 名前なんてもんはねえよ。強いて言うなら海賊王号ってか?」
最後は嫌味のように付け加えられる。
名前のない船などルチアは聞いたこともない。首をかしげると、ぐしゃりと大きな手のひらで髪の毛をかき混ぜられる。
「うわ!」
「船なんてのはただの道具だ、名前なんてくだらねえ。――おい、ロジェ」
「なんだい?」
「俺は先に船に戻るぞ」
「そうだね、今日の夕刻前には出発したいな。そろそろ海軍が追ってくるだろうし。あっちは任せたよ」
ああ、と横柄な態度で頷くとバハルもその場から立ち去る。残されたルチアはどうするべきかと逡巡する。
「ルカもきちんと準備しておいてね」
「そう言われても、荷物はトランクケースしかないですし。食料とか自分で用意した方が良いんですか?」
すでにシャットによってルチアの荷物は運び込まれている。これと言って必要があると思われる物もなく首を傾げる。
「その辺はサービスするよ。と、いうより貰ったペンダントで十分補えるしね。……でも良いの? あれ、大事なものなんじゃないかい?」
両親の形見であるペンダントはすでに彼らへと手渡した。ずっと肌身離さず身につけていたものがなくなると心もとない気持ちはあった。
「両親の思い出はペンダントだけじゃないので構いません。それより今生きている姉のほうが大事だから」
「……君は、良いご家族のもとで生まれたんだね」
寂しげな表情の割にロジェの瞳は冷淡な光を宿している。どこか蔑むような視線を見て、温和そうな彼が海賊の一味であるとは俄に信じられないルチアも考えを改める。
「特に準備も必要ないなら船に行ってもらって構わないよ。ここから北に行ったところにある港に停めている。今停泊している船は一艘だけだから、すぐに分かるはずだ」
シャットはいまだ子どもたちを慰め、ロジェは的確な指示を仲間へ下している。今ルチアに出来ることはなにもなく、黙って従うことにした。
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