012 - boss.understand(hacker);

 初めて彼を見た時は、もしかして、と思った。

 初めて彼と話した時は、変わっているが面白い奴だ、と思った。

 小心なところも、逆に放っておけない気持ちになった。

 マギランゲージで水を作り出した時、よく出来た弟のようだと感心した。

 私を唯一の社長と呼んでくれた時、しっかりしなくてはと立ち上がれた。

 そして今は――


//----


「ここは、僕に任せてください」


 そう言って、バンペイは私をかばうようにして前に立った。私が貸したマギデバイスを構えながら油断なくざわつく森林を見据える彼は、私がまだ知らない表情をしていた。

 いや、何度かその表情に近いものを見た事がある。私が彼を社員として雇うために説得した時。ブライ氏が提案した支援の条件に真っ向から対峙した時。そして、支援をすんなりと引き出せずに落胆した私を叱責してくれた時。

 小心者の癖に負けず嫌いで、他人と関わるのを恐れる癖に他人に気を使っている。それなのに、いざという時には小心な彼には似つかわしくない大きな勇気を見せる。


 木と木の間からぬっと黒い影が現れる。

 ここはまだ王都からそこまで離れているわけではない。こんな近場の街道に出現するはずがないと思いたかったが、現実は非情であった。


「…………魔物」


 思わず口をついて出てきた言葉が、その存在を表していた。

 夜の闇から抜け出してきたような黒い毛皮に覆われ、見上げると首が痛くなるほどの巨大な体躯。金属ですら切り裂いてしまう鋭く伸びた爪。二つの紅い眼光が立ち尽くす私達を捉えている。人間など容易に噛み砕いてしまいそうな牙の間からは、低い唸り声とよだれを撒き散らしている。

 黒死狼こくしろうと呼ばれる魔物だ。一度人里に現れると周囲に死を振りまく様が、流行りの死病を連想させることからそう呼ばれる。定期的に行われる狩猟でも、魔物狩猟者ハンター達に大きな被害を出す魔物として有名だ。

 しかし普段は人里から離れた奥地に棲息しているため、滅多に人前に現れる事はない。というのも、奥地にしか生えていないとある植物の蜜が大好物で、その群生地から離れる事を嫌うからである。基本的に肉食なのだがその蜜だけは別腹らしい。おかげでその蜜は『黒蜜』と呼ばれて商人の間で高価にやり取りされている。


 当然、人間が一人や二人で立ち向かえるような魔物ではない。対峙すれば死が大きな口を開けて待ち受けている。私は絶望感にとらわれ、足の震えが止まらなくなった。


「無理だ……バンペイ、逃げなくては……」


 何とか口を開くも、バンペイは石になったように一向に動く気配はない。黒死狼の唸り声はひときわ大きくなり、今にも飛びかかってきそうだ。こうなったら私が時間を稼ぐしかない。バンペイだけでも逃さなくてはなるまい。それが彼を引きずり込んでしまった私の責任だ。

 私が覚悟を決めて懐に入れたマギデバイスを取り出そうとした時、ついに事態が動き始めてしまった。黒死狼は低く屈むと唸り声を上げながら目にも留まらぬ速さで駆け出した。黒い残像が目に焼き付き、濃縮された時間の中で確実に迫ってくる死がひたすらに恐ろしかった。思わずギュッと目を瞑ってしまう。


 バチチチチィッ!


 突如として耳を突き刺すような爆音が轟き、同時に目を閉じていてもわかるほどの鮮烈な白い閃光が私を襲った。耳が壊れてしまったかのようにキーンとした耳鳴りがしばらく止まないほどだ。

 しかし、音や光とは裏腹に特に衝撃も痛みもなかった。魔物がマギを使うわけがないからバンペイによるものだとは思うが、こんな恐ろしい効果のマギサービスを私は知らない。きっと、彼は私の知らない間に攻撃手段を作っていたのだろう。


 音が止んで恐る恐る目を開くと、そこには想像だにしていなかった光景があった。

 黒い獣はまるで飼い主に叱られた犬のように耳をペタリと伏せて、怯んだ様子で私達から離れていて様子を見ている。グルグルと唸り声をあげているが、明らかに先程までよりも勢いがない。ピンと立てられていた尻尾も、丸まって所在なさげにしている。

 マギデバイスを構えたままのバンペイが一歩踏み出すと、黒死狼はビクリと身体を震わせて強がるように唸る。


「人を襲ってはダメだ」


 まるで子供に言い聞かせるように、バンペイは穏やかな口調で魔物に話しかけた。魔物が人の言葉を解するなんていう話は聞いたことがない。意味のない行為だと思ったが、まるで理解したかのように「ガウゥ」と小さく唸る。

 そして、クンクンと鼻を鳴らしながら小さく一歩一歩こちらへと近づいてくる。危ない、と思ったが、バンペイはマギデバイスを下ろして、もう片方の手で私を制止した。何を考えているのかわからない。

 黒死狼はおもむろにバンペイに近づくと、鼻を鳴らして足元から頭の天辺まで順番に彼の匂いを嗅ぎ、最後には彼の顔をペロリと舐めあげた。

 バンペイが手を上げて黒死狼の身体に触れると、「クゥン」と一鳴きして彼の足元に伏せる。体格差が大きいのでそれでもまだ彼を見下ろすほどだが、彼は背伸びをして黒死狼の頭を撫でた。黒死狼は気持ちよさ気に目を細める。もはや完全に犬扱いだ。


「……ありえない」


 ポツリと口から出たつぶやきが私の心境を物語っていた。

 魔物といえば人類の天敵というのが常識だ。小さい魔物であれば家畜として飼育する試みもあったが、それでも人には懐かず放牧が精一杯だった。犬猫のような愛玩動物とは違うのだ。ましてや黒死狼は災厄の象徴であり、それを手懐けるなんてありえない事だった。


 動物と魔物の区別は生まれる時の過程にあると言われている。動物は基本的にオスとメスが交配を行い妊娠や産卵を経て生まれてくる。しかし、魔物の場合は雌雄の区別がなく交配も行わない。代わりに他の動物に接触して『魔核』を与えるのだ。

 魔核を与えられた動物は、数日間の後に魔物へと生まれ変わる。ただし、どんな動物にでも魔核を与えられるわけではなく、極端に弱っていたり死にかけていたりと生命の力が弱い相手にしか通用しない。魔物が人間や動物を襲うのは、この性質のためだと言われている。

 つまり、魔物が人を襲うのは本能によるもののはずなのだ。


 バンペイはペロペロと顔中を舐められ、よだれまみれになって笑っている。自分がどれだけの事をしたのか全く理解していないに違いない。マギランゲージで水を作り出した時も同じだった。きょとんとした顔で「そうなんですか?」とか聞いてくるに違いないのだ。

 不意に笑いがこみ上げてくる。一時は死まで覚悟したのに、気がつけば死は私の側を通りすぎて遥か彼方へと消えてしまった。気がつけば足の震えは止まっていた。バンペイと黒死狼ののほほんとした平和なやりとりに今はもう笑うしかなかった。


「ふ、ふふ、バンペイ、君ってやつは……」


 バンペイはバツの悪そうな顔をしつつも私の方へと振り向き顔色を伺う。そして何かを思いついたように得意げな笑顔を作ると、あっけらかんとした口調で言い放った。


「言ったでしょう? 僕がボスを守るって」


 その言葉は何よりも私の心を打った。


//----


 バンペイはしばらく黒死狼と戯れていたが、ブライ氏が心配そうな顔で荷台から顔を出しているのに気がついた。バンペイにじゃれついている黒死狼を見て目を丸くしている。閉じ込められている商隊の事を思い出したのか、黒死狼に別れを告げて馬車に戻ろうとした。

 しかし、黒死狼は「クゥーンクゥーン」と甘えるような鳴き声でバンペイの後ろをついていこうとする。それに気づいた彼は困ったような表情になる。


「うーん、ついてきたらダメだって。他の人を驚かせちゃうし、お前は大きすぎて連れていけないよ」

「クゥン」


 驚かせるどころの話ではない。黒死狼を連れて街に近づいたら、あっという間にハンターと兵士達に囲まれてしまうだろう。彼のた感想に頭が痛くなる。どうやったら、こんな非常識な人間が育つんだろうか。


「困ったなぁ……あ、そうか」


 何かを思いついた様子のバンペイは唐突に【オープン・エディター】と唱える。マギランゲージを書き込むためのスクリーンを呼び出す呪文だ。白い板がスッと中空に現れる。マギデバイスに触れたばかりのはずなのに、すでに私なんかよりもマギデバイスを使いこなしているのが少しうらやましい。

 スクリーンに熱心な様子でマギランゲージを書き込んでいるバンペイの横顔を見ていると、なんだか頬が熱を持ってくる。風邪でもひいたのだろうか?


「よし、これで良いはずだけど……いきなり使うのはちょっと怖いな。試してみるか」


 恐るべきスピードで書いた結構な量のコードをマギデバイスに保存してスクリーンを消すと、おもむろにマギデバイスを近くにあったに向ける。


「【コール・トランスフォーム・スケール・10パーセント】」


 彼が呪文を唱えるとマギデバイスの先端が光り、続いてマギデバイスを向けられた木があろうことかしゅるしゅると縮み始めた。もはや言葉も出なかった。先程から私はありえない光景に驚いてばかりだ。

 城壁よりも高かった木はどんどんと縮んでいく。高さはもちろん、幹の太さや葉っぱの大きさも同様に縮んでいるようだ。地面に張った根の長さや太さも縮んでいたのか、途中でグラグラと揺れて倒れてしまうが、縮小は止まらなかった。

 最終的にはバンペイの身長よりも縮んでしまった木を見て、バンペイの意図するところに気がついた。確かにそれなら連れていけるかもしれないが、問題はそこじゃないだろう。頭痛がひどくなった気がした。

 バンペイは縮んで倒れてしまった木を触り問題がないことを確認したのか、今度は別の呪文を唱え始めた。


「【コール・リストア・スケール】、【コール・トランスフォーム・ローテートY・90ディグリー】」


 バンペイが呪文を二つ続けて唱えると、小さくなっていた木は今度はぐんぐんと大きくなり始めた。それだけではなく、時間が逆に流れているかのように倒れていたはずの木がぐぐぐっと引っ張りあげられて立ち上がっていく。最後には元通りのサイズの木が直立していた。


 もはや驚きを通り越していた私は、バンペイが満足そうに頷いてもそれを呆れて見ているだけだった。

 物の大きさを自由自在に変えるなんて、どれだけ輸送事情に影響を与えるのかわかっているのだろうか。重さがどうなるのかはわからないが、大きな物でも大量の荷物でもサイズを小さくできるだけで十分な価値がある。

 我が社の提供すべきマギサービスがまた一つ増えてしまったな。


「よし、大丈夫そうだ。ついてくるならお前を小さくするけどどうする?」

「ガウ」


 完全に魔物と会話してるよな? バンペイに常識がないのは知っていたが、本当に人間なのか疑わしくなるぞ。黒死狼ももはや大きな犬に見えてきた。なんだか私の常識の方が間違っている気がしてきて、やるせない気持ちになる。


 初めて彼を見た時は、もしかして、と思った。

 初めて彼と話した時は、変わっているが面白い奴だ、と思った。

 小心なところも、逆に放っておけない気持ちになった。

 マギランゲージで水を作り出した時、よく出来た弟のようだと感心した。

 私を唯一の社長と呼んでくれた時、しっかりしなくてはと立ち上がれた。

 そして今は――


 ――ただの非常識な奴だな。うむ。

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