088 - hacker.read(book);

「皆さん、スタティ皇国へようこそ。歓迎しマス」


 第三皇子ことジャワール=オラル=スタティは、手を広げながら応接間に僕達を迎え入れてくれる。彼は、ダイナ王国で開催されたマギカンファレンスにスタティ皇国からの使節団代表として参加した。僕と知り合ったのもその場での事だ。

 以前会った時と同様に銀髪の三つ編みを背中に垂らしている、僕と同い年ぐらいの男性だ。線が細いために女性に見えなくもないが、彼の目鼻立ちは第一皇子と同様に『美形』と形容されるだろう。どうやら皇族というのは美男美女一家であるらしい。

 彼もまた流暢なダイナ王国の共通語で話しかけてくる。薔薇姫の完璧な発音とは異なり、多少イントネーションが乱れるものの、全く問題ない範囲だ。ちなみに、ここまで案内してくれた薔薇姫は、皇王陛下の診察の件を調整してくると言って詫びながら退席している。


「お久しぶりです、ジャワール皇子。お招きに預かり光栄です」

「おお、シライシさん! よく来てくださいました!」


 挨拶を交わしてから皆をひとりずつ紹介していく。ボスを紹介した時に、皇子が「シライシさんも隅に置けませんネ」とか言っていたが、愛想笑いでごまかしておく。これぞ必殺ジャパニーズ・スマイルだ。

 それまで僕の背中に隠れていたシィが元気よく挨拶すると、それまでニコニコ顔だったジャワールさんの表情が一変した。なにかに驚いたように目を見開いている。


「ど、どうかされましたか?」

「シライシさん……シィさんは、アナタの『故郷』に関係する子ですカ?」


 突拍子もない質問に思わず目を瞬かせる。シィが故郷地球に関係しているか、と言われれば答えはノーだ。シィ自身は僕の故郷である地球と全く関係ないはずだ。一度スマホを見せた事があるが無反応だった。


「どういう事でしょうか? シィは僕の故郷とは関係ないはずです」

「そうデスか……」


 ジャワール皇子はアゴに指を当てて考えこむポーズを取る。その視線はシィに向いたままだ。当のシィは皇子の様子に首をかしげている。皇子はしばし逡巡したあと、おもむろに切り出した。


「説明するよりも、実際に見て頂く方が良いでしょう。シライシさんにはもお見せしなければなりませんしネ」

「ぜ、是非、お願いします」


 声が震えてしまう。『約束の本』というのは、ジャワール皇子に初めて会った時に教えてもらったものだ。そして、僕がスタティ皇国へ行く事を決めた一因でもある。

 その本の中身は全編が未知の言語で書かれているために、解読が難航しているらしい。今のところ一部の単語だけ翻訳に成功しており、マギランゲージに関する解説本である事は判明している。だが、僕が興味を惹かれたのはその事ではない。

 ジャワール皇子の言によれば、その本には僕の書くコードと非常に似たコードが記載されているらしいのだ。それも、解読された一部の用語は『オブジェクト指向』など、異世界ではなく地球でよく目にしていた言葉が使われていた。どう考えても僕の『故郷』である地球にゆかりのある本に違いない。


 ジャワール皇子がお付きに命じてからしばらくすると、一冊の本を携えた男性が入室してくる。確かマギカンファレンスにも来ていたマギ学者の一人だ。うやうやしく本を捧げるようにして皇子に差し出す。皇子は頷いてそれを受け取り、そのまま卓上に載せる。学者も同席するようで、席に腰掛けた。


「これが、お約束していた『本』デス」


 恐らく二百ページ弱といったところだろうか。一般的な週刊誌と変わらない程度で、それほど厚くはない。クリーム色の表紙には、妙に愛くるしくデフォルメされた『犬』のイラストが描かれている。


「犬……? か、かわいいな……」


 ボスが可愛らしい犬に頬を緩めている。彼女はこう見えて可愛い物には目がないのだ。子供好きだったり、可愛い物好きだったり、普段のイメージから物凄くギャップがある。


「あー! ワンちゃんだ! バレット、お友達だよ!」

「がう……」


 シィが楽しそうにはしゃいでいるが、きっとバレットは「俺は犬じゃないんだけど……」とか思っているに違いない。バレットは黒い犬に見えるが、表紙の犬は茶色と白色のコーギー犬のようだ。


 一方の僕は、皆が反応している犬のイラストではなく、表紙のある一点に目が釘付けになっていた。


「『犬でもわかるオブジェクト指向』……」

「……やはり、お読みになれるのですね?」


 思わず読み上げてしまった僕に対して、目ざとくジャワール皇子が確認してくる。僕はその問いにコクリと頷いて返した。


「ま、まさか! 神代言語を読めるなんて……!」


 本を持ってきた学者が興奮気味に言う。


 僕が読み上げたのは、本の表紙に書かれていたタイトル。すなわち、この本は『犬でもわかるオブジェクト指向』という、歴としたなのだ。

 だが学者が驚いている通り、問題はタイトルがどの言語で書かれているかという事だ。僕にとっては非常に馴染み深く、この異世界に来てからはついぞ目にする事のなかった言語。


 日本語だった。


//----


「……なるほど。ツマリ、シライシさんの故郷では日常的に使われている言語で、この本もシライシさんの故郷で書かれた物なのですネ」

「はい、恐らく……」


 僕の説明にジャワール皇子は何やら考えこんでいる様子だ。この本は言語もさることながら、装丁といい、扱っている題材といい、いかにも日本で販売されていそうな書籍であるのは確かだ。僕も独学でプログラミングを学ぶ時には、この手の『初学者向け』の書籍にお世話になった。

 『犬でもわかる』と銘打っている通り、その内容はオブジェクト指向を初心者にもわかりやすく解説するという趣旨だ。この場でじっくりと読み込むわけにはいかないので、パラパラと中身を斜め読みさせてもらった。イラストがふんだんに使われているが、メジャーなオブジェクト指向言語を使った実際のコードも多く登場する、意外と実践的な書籍だった。

 ジャワールさんの言葉では、僕の書くコードがこの本に出ているコードに似通っているらしい。確かに僕の書くコードは地球由来のテクニックが多いため、共通点は多いのかもしれない。


 僕が簡単に内容を説明すると、ジャワールさんは感心した顔になる。


「シライシさんの故郷では、このような本でマギランゲージの扱いを学ぶのですね。私の知るマギランゲージの解説本に比べると、図表が多く非常にわかりやすくなるよう工夫されていマス」


 いや、マギランゲージじゃなくてコンピュータのプログラミング言語なんだけど……。と思ったが、あえて口には出さないでおいた。それを言い出すと、コンピュータとは何か、という話になってしまう。そういうわけにもいかないので、気がついた別の点を指摘する事にした。


「確かに僕の故郷の本に似ていますが、著者の名前がありませんね。それに……裏表紙には管理用の番号や図形が入っているはずなのですが、それもありませんし」


 日本に限らず地球で市販された本ならば、ISBNと呼ばれる管理番号が記載されているはずだ。また、発売元の国やメーカー、製品番号の情報が含まれるバーコードも見当たらない。つまりこの本は市販されたものではなく個人が製本したものか、そもそも地球の書籍ではないという事になる。


「そうなのですか? ……デハ、こちらはどうでしょう?」


 そう言ってジャワール皇子は本を裏表紙をペラリとめくる。そこには、いわゆる『著者近影』と呼ばれる、著者の顔写真が載せられていた。解像度が高いのか、被写体の様子がしっかりと確認できる。


「これは……!」

「シィ……!?」


 そこには、著者と思われる男性と一緒に、が写真に収められていた。その顔立ちは、よく見ずともシィに瓜二つだ。写真の中にいる長いふわふわ金髪の少女は白いワンピースを着て、男性の膝の上に腰掛けて抱っこされて笑顔になっている。

 男性は物腰の柔らかそうな顔で、少女の頭をなでながらカメラに向かって視線を向けている。口元には微笑を浮かべており、簡素な白いYシャツらしきものを身に着けている。髪はシィと同じ金髪で、やはり同様にロングにしている。

 写真の下に『著者と最愛の娘』というキャプションが添えられているのを見ると、二人は親子関係のようだ。言われてみれば、顔立ちがどことなく似ている気がする。


「シィ。この男性に見覚えが……シィ?」


 シィは写真をじっと見つめている。凝視していると言ってもいい。


「……おとーさん」


 ポツリとシィが漏らす。それを聞いた僕達は愕然となった。


 シィの父親といえば、マギデバイスの製作にも携わり、この世界の成り立ちにも深く関係していると思われる重要人物だ。リンター教の教えでは、マギデバイスとは神が授けた物とされている。いわば、シィの父親は『神』と呼ばれる資格を有している。

 そんな重要人物の顔を、思わぬところで目にする事になった。


「シィちゃん、この人が、シィちゃんの『おとーさん』なのかな?」

「うん……」


 普段の元気は鳴りを潜めて、シィは悲しげな声で応えた。それも仕方ないだろう。シィによれば、シィの父親は天に召されている。

 以前のシィは、父親が側にいない事にそこまで寂しさを感じてはいなかった。だが最近は情緒面の発達が著しく、父親に対する寂しさをより感じるようになったのだろう。


「ヤハリ、シィさんご本人でしたカ! この本の作者がシィさんの父親とは驚きマシタ! シィさん、アナタの父親はどちらにいらっしゃるのでしょう!?」

『な、なんと! この本の作者の身内の方ですかな! どうか、作者の方にお目通りさせてください!』


 ガタリと音を立てて立ち上がったジャワール皇子と、本を持ってきた学者が興奮した様子でシィに詰め寄る。学者などは興奮のあまりダイナ王国の共通語ではなくスタティ皇国の共通語を話しているほどだ。どうやら、僕の脳内翻訳はスタティ皇国の共通語に対しても有効らしい。


「……ダメ」


 しかし、そんな二人に待ったをかけたのは、シィの隣に黙って座っていたエクマ君だった。エクマ君は手を広げてシィをかばうように立ちふさがる。エクマ君の成長に驚きつつ、二人をたしなめる。


「あの、シィちゃんが怖がっていますので、できれば声を抑えてご着席をお願いします」

「ああ……こ、これは失礼しマシタ」

「す、すみませんでした!」


 二人が座り直して非礼を詫びる。それにしても二人の興奮は異様だ。確かに謎が多い本ではあるが、スタティ皇国にとって、それほどまでに重要な意味を持っているのだろうか? 腹芸などできるはずもないから、ストレートに疑問をぶつける事にしてみた。


「どうしてそこまで作者に会いたいのですか?」

「ああ……それは――」


 ジャワール皇子が答えかけたタイミングで応接間の扉が開かれる。


「皇子、大変です!」


 そう言って軽鎧を身につけた兵士が飛び込んでくる。喋っているのはスタティ皇国の共通語だ。ジャワール皇子は顔を引き締めて、皇子の顔で兵士に相対する。


「何事だ。騒々しいぞ」

「謀反です! 大臣が謀反を――」


 そう言いながら兵士は皇子に近づく。

 その手が不意に、腰元にあるマギデバイスに伸びた。


「危ない!」

「死ねっ! ジャワール! 【コール・フレイムボルト】」


 飛び込んできた兵士は、腰からマギデバイスを抜いて早口で呪文を唱える。皇子の身辺を警護するはずの警備兵達は、謀反の知らせを聞いて固まっており反応できない。


 だがこの場にいるマギの使い手は、警備兵だけではなかった。


 僕はとっさにマギデバイスを縦一文字に、モーションでマギを発動させる。いくら早口でも、モーションの速度であれば追いつける。兵士のマギデバイスから炎の矢が生成されて飛び出すが、その前に僕のマギが効力を発揮していた。

 生み出されたのは衝撃波。風や電気ではなく、空間を直接揺らすように対象にショックを与えるためのマギだ。マギ発動から衝撃発生までほとんどラグがない上に目視もできないため、相手にしてみれば非常に厄介だろう。電気ショックだと威力の調整が難しいので、制圧用のマギを新しく作ってみたのだ。

 僕のマギをまともに食らった兵士は体勢を大きく崩し、狙いが乱れたマギデバイスから飛び出した炎の矢は見当違いの方向に飛び出していった。


「ぐぅ……な、なんだ、今のは……」

「【コール・さらさら】」


 続いて、いつの間にかマギデバイスを抜いていたエクマ君が早口で呪文を唱える。どさどさと兵士の頭上から砂が降ってきて、混乱した兵士は頭をかばうためにマギデバイスを手放してしまった。


「ぺっ! ぺっ! 砂が鼻に……口に……」

「この狼藉者め! 【コール・バインド・ロープ】」


 とどめにボスが呪文を唱えると、マギデバイスから黒いロープが生み出されて、兵士をがんじがらめに縛り上げる。もはや兵士は抵抗する事もできず、地面に転がってしまった。


 一連を見ていた皇子と警備兵達は、ポカンと口を開けたままだった。

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