086 - hacker.feel(strange);

 薔薇姫と呼ばれる皇女が、ふわりと微笑むと周囲から溜息が漏れた。この場には僕達だけでなく、門番や他の利用者と思われる人達もいる。いや、もしかしたら薔薇姫のファンが集まっているのかもしれないが。彼女の笑顔は、その名の通り花が咲いた様子を想起させる。


「こ、こちらこそお目に掛かれて光栄です。初めまして、バンペイ=シライシと申します。皇女様におかれましては、ご機嫌うるわしく……」


 本で予習した挨拶をなんとか口にしながら、手を胸に当てて会釈する。王様と違って、ひざまずく必要はないはずだ。僕は国賓として招待を受けた側であり、そこまでへりくだる事はない。


「お初にお目にかかります。私はマギシード・コーポレーションの社長であり、このバンペイのの、ルビィ=レイルズと申します。この良き出会いに感謝を」


 ボスも笑顔で応じる。だが、その笑顔がなんだか堅い気がするのは僕の気のせいだろうか。それになんだか、やけに言葉の一部を強調していたぞ。

 薔薇姫と違ってスカートではなくジャケットにスラックス姿のボスは、カーテシーではなく優雅にお辞儀してみせる。スラリとした長い足で、僕なんかよりもよほど様になっていた。


「シィはシィだよ! ……あっ! えーとえーと、シィはシィです!」


 慌てて敬語で言い直しているが、あまり変わりない。それでも、敬語を使って挨拶できるだけ、この歳頃の女の子としては及第点だろう。


「がう」

「……エクマ、だよ」

「え、えーと、こちらのはペットのバレットで、彼はエクマと申します。なにぶん人と話すのが苦手な子なので、不作法をお許し下さい」


 僕が詫びると、薔薇姫はクスクスと笑いながら「許します」と言った。どうやらマナーや身分差に厳しいというわけではないらしく少しホッとする。


「さぁ、こちらの馬車にお乗りください。お城までご案内いたしますわ」


 薔薇姫にうながされて、僕達は大きな馬車に乗り込む。中に入ると、小さめのティーテーブルを中心に囲むようにしてソファが置かれている。どれも見事な調度品であり、非常に高価そうだ。現代の地球に例えるなら、この馬車は高級リムジンみたいなものなのだろう。僕達が全員入っても余裕がある。

 三つ子の魂百まで。マギサービスで大金を稼いだが庶民感覚を捨てられない僕にとっては、あまり落ち着かない空間である。一緒にいるボスはと目を向ければ、普段は貧乏生活をしている癖に余裕そうだ。王国の重要人物である父親と一緒にいれば、こういうもてなしを受ける機会はしょっちゅうあったのだろう。


「うわー、すごーい! フカフカだよ!」


 シィが嬉しそうにソファの上で跳ねている。確かにオフィスのソファに比べると段違いの座り心地だ。しかし、いくらマナーにうるさくないとはいえ、あまりに目に余るようだとマズい。

 慌てて止めようとしたが、バレットがシィの白いワンピースの裾を引っ張る。


「がうがう」

「あっ! そうだった! お行儀よくしなくっちゃ!」


 どうやら出かける前のボスの訓示を思い出したらしく、シィは跳ねるのをやめてソファにちょこんと腰掛けた。注意したバレットはグッジョブなのだが、やっぱり賢すぎるのではないだろうか。いや、もはや何も言うまい。


「うふふ、賢いワンちゃんですね」


 同じように馬車に乗った薔薇姫は、シィとバレットのやり取りを見て目を細めている。

 僕達と薔薇姫が腰を落ち着けると、馬車がゆっくりと動き始めた。先ほど扉を開けていた執事と思われる老人が見事な所作でティーカップにお茶を注いでくれる。緊張のせいで味はよくわからないが、きっと美味しいに違いない。


「お、美味しいです」

「それは良かったです。どうかマナーはあまり気にせずに、おくつろぎくださいね」


 そう言われても、皇女様の前でくつろぐのは難しい。

 それにしても、彼女は先ほどからずっとダイナ王国の共通語を話している。あまりに自然なので気がつかなかった。以前、マギカンファレンスであった第三皇子はところどころのイントネーションが若干乱れていたが、彼女には全くといっていいほどそれがない。


「ダイナ王国共通語が、お上手なんですね」

「ああ、ありがとうございます。皇族として幼い頃から学んでおりますから」


 なるほど。皇族ともなれば、様々な教養を身に着けなければならないのだろう。ぼんやりと優雅な宮廷生活を想像していた僕は、その考えに大きなバツ印を付けて打ち消した。


「シライシさんこそ、共通語がお上手なんですね。東方からの移民と聞いておりましたが」

「え、ええ……必死に勉強しました。あはは……」


 脳内で翻訳されている、なんて言っても信じてもらえないだろうな。


「あら、そうなんですか? シライシさんの事ですから、きっとご自分のマギで翻訳されているのかと思いましたわ」

「えっ……」


 薔薇姫はニコリと笑う。翻訳のマギという発想はなかった。言われてみれば確かに可能かもしれない。

 地球にだって翻訳をするソフトウェアはごまんとあった。僕の脳内翻訳の仕組みはわからないが、もしかしたら同じようにマギで実装されているのかもしれない。だとすれば、非常に身近な題材にも関わらず、見落としていた事になる。

 薔薇姫はマギによる翻訳という発想を簡単に口にしたが、もちろんそんなマギサービスは存在しないはずだ。地球のソフトウェアなど知るはずがない薔薇姫が、その発想に簡単に至った事に驚く。

 やはり、美貌だけでなく知性も高いというのもウソではないらしい。


「うふふ、翻訳のマギサービスを作られたら、ぜひお知らせくださいね」


 どうやら僕の考えはお見通しらしい。いや、僕が表情に出やすいだけか。


「そう、これを機にぜひ我が社のマギサービスを貴国にて提供したいものですね」


 ついでとばかりにボスが会話に乗ってくる。どうやらビジネスチャンスを嗅ぎつけたらしい。久しぶりに、社長らしいところを見た気がする。


 現在、僕達の会社はダイナ王国でのみマギサービスを提供している。マギサービス登録所は国営であり、他の国には他の国の登録所が存在するはずだ。他の国に提供したければ、国ごとに登録審査を受ける必要がある。

 だが、国をまたいでマギサービスを展開している企業は多くない。なぜかというと、ほとんどの国は外国のマギサービス企業による登録を制限しているからだ。仮に登録できても、利用料に高額の税金が掛けられてまともな商売にならないということも多い。関税と同じで、国内のマギサービス企業を優遇するための措置なのだろう。

 また、そもそも他の国へのマギサービス提供を禁じている国も多い。マギは軍事的な側面もあるため、他国への流出を恐れているのだ。

 ダイナ王国では、これらの制限はほとんど存在しない。もともと移民の多い開放的な国だから、そういう気風なのだろう。ダイナ王国を基点とする僕達は非常に恵まれていると言える。

 そして対照的に、スタティ皇国は他国のマギサービスに非常に厳しい審査を行なう事で有名らしい。この辺りの事情は、ダイナ王国の登録所で聞いた事があった。


「そうですね。貴方がたのマギサービスはどれも非常に独創的です。特に電話マギサービスは、初めて拝見した時にはとても驚きました。その機能性はもちろんですが、高い技術力に、です。恐らく、我が国のマギエンジニアでは、電話マギサービスを再現する事はできないでしょうね」


 他国のマギサービス企業を排除し、自国のマギサービス企業ばかりを優遇するとどうなるか。答えは簡単だ。他国で提供されるマギサービスをが作られていくのだ。

 当然ながら完全なコピーなど簡単にできるはずもなく、それぞれの国で劣化コピーがあふれる状態になる。アレンジを加えたり、機能を加えたりと差別化を図っている企業だって存在しているが、大多数は単なるアイデア盗用にすぎない。

 ちなみに地球にも似たような状況になっている国が存在する。インターネットを大きな壁で囲う事によって、他国の企業が参入できないようにし、自国の企業を優遇しているのだ。結果として、どこかで見た事があるようなウェブサイトが大手を振るっている。


 そういった背景がある中で、ダイナ王国によって治療マギサービスのコードがオープンソース化公開されたのだ。言ってしまえば「どうぞお好きにコピーしてください」とお墨付きを与えたようなものだ。非常に画期的なことであり、世界のマギサービス業界に与えた衝撃は非常に大きい。

 何しろ、『オープンソース』というのは、マギサービスが国境を超える事ができるだと証明されたのだから。

 オープンソースによって巷にあふれていた劣化コピーは駆逐され、世界中で同じ正規のマギサービスが提供されるようになる。しかも利用料を高額にして利益を出そうとすれば、すぐに他の企業が安価で同等のサービスを提供するため、価格競争によって自然と利用料は適正価格に落ち着く事になる。

 自分の利益を考えなければ、オープンソースというのは最高の提供形態なのだ。いちいち他国で面倒な登録作業をする必要もないし、管理する必要もない。それぞれの国の企業が勝手にやってくれる。もちろん、不具合修正や新機能追加だって、修正したコードを公開するだけで勝手に更新してくれる。


 しかし電話マギサービスはオープンソースにしていない。技術的に模倣が難しいのであれば、利便性のために僕達の会社が審査を通る事だって十分に考えられる。


「貴方がたのマギサービスでしたら、審査を通過するかもしれません。ですが、恐らくレイルズさんが考えているような大きな利益は生まれないでしょうね」

「……なぜでしょう? やはり利用料に税金が掛かるのでしょうか?」


 薔薇姫はその問いに首を横に振って答える。


「いいえ。我が国では利用料に一切の税金を掛けてはおりません」

「ええっ!? そ、それで利益がないとはどういう事ですか?」


 薔薇姫は目を伏せて憂鬱そうな表情になる。どんな顔をしても絵になる女性だ。


「レイルズさんは我が国におけるマギサービスの利用者は、何人ほどいると思いますか?」

「……確か、貴国の人口はダイナ王国よりやや少ない程度でしたね」

「はい。ダイナ王国が約八十万人、我が国は約六十万人となっておりますね」

「でしたら……その九割ほどではないでしょうか? ダイナ王国と比率は大きく変わらないはずです。何しろ生活するには必需品ですから」


 ボスは自信ありげにそう言った。ボスの謎の自信はともかく、僕も同意見だ。

 しかし、薔薇姫はそんなボスの答えにゆっくりと首を横に振った。


「で、でしたら……八割ほどですか? それとも、七割を切る、とか?」


 薔薇姫が首を振るたびに、ボスはどんどんと割合を下げていく。しかし、薔薇姫の細い首は一向に縦には振られなかった。謎の自信はどんどんしぼんでいく。


「答えは……。そうですね、外をご覧頂くのが良いでしょう」


 そう言うと、薔薇姫は側に控えていた執事に命じて馬車の窓を開かせた。途端に外から雑踏の音が馬車に入り込んでくる。非常に活気あふれる街並みだ。

 それもそのはず、馬車が通っているのは皇都と呼ばれるスタティ皇国の首都、そのメインストリートなのだ。いわば国の顔とも言える大通りであり、大きな店が軒を連ねている。皇族の紋章入り馬車であるため、大衆の視線を集めているのがわかった。

 しかし、僕はその風景にふと違和感を覚える。


 僕達が住んでいるダイナ王国の王都、その風景と大きな違いはないはずだ。建築様式や服装は異なっており、人種がヒト族しか見当たらない事を除けば、だが。

 それにしても、何か大きな見落としがある気がする。


「ねぇねぇ、おにーちゃん」


 同じく窓から外の様子を楽しそうに見ていたシィが、声をかけてくる。


「ん、なんだい、シィちゃん?」

「あのね……」


 シィは不思議そうな顔で街並みを見る。


「どうして、誰もマギデバイスを持ってないの?」

「えっ……」

「バ、バカな……」


 慌てて窓の外を眺めてみる。確かに、普段なら嫌でも目にするマギデバイスが全く見当たらない。たまたま誰もマギサービスを使っていないのかもしれない。しかし、ダイナ王国ではマギデバイスを専門のホルダーに挿して歩いている人が多かった。それすらも一切見当たらないのだ。


「おわかりになりましたか?」


 薔薇姫は憂鬱そうな表情のまま、驚きを隠せずにいる僕とボスに問いかける。


「も、もしかして……この国のマギサービス利用者は……」

「ええ。一割にも満たないでしょうね」

「な、なぜです? なぜ誰もマギサービスを使っていないのです?」


 ボスが信じられないという表情をしている。僕だって同じ思いだ。マギサービスを使わずに生活するというのは、地球で言えば電気や機械に頼らずに生活するのと大差ない。不便で仕方ないはずだ。

 一人だけマギサービスを拒絶した人物を知っているが、それは確固たる信念に基いての事だった。九割以上の国民がマギサービスを使わない理由など思いつかない。


 薔薇姫はボスの問いに答えずに目をつむった。

 そして、静かに、歌うように語り始める。


 ――誇り高き者たちよ、護国のつるぎもて。


 ――皇国は卿らの血と剣によって統治されるべし。


 ――民に剣を向ける事なかれ。民に剣を持たせる事なかれ。


「それは……」

「そう、我が国の建国の祖であるスタティ一世による建国宣言の一節です」


 薔薇姫は自嘲めいた笑みを浮かべて言った。


「我が国では、マギデバイス、つまり『つるぎ』を平民が持つ事は許されていません。皇族、貴族、軍人、そしてごく一部の学者や商人のみが所持を許されているのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る