076 - hacker.say("Uh oh");

 拡張現実ARと呼ばれる技術がある。


 例えば、久しぶりに会った人物の顔を見て「なんという名前だったか思い出せない」なんて事は時々あると思う。コンピュータやスマートフォンで検索しようにも、あなたの名前がわからないので顔を撮影させてください、と頼むわけにもいかず、結局は名前を尋き直す事になってしまう。

 しかし『拡張現実』によって拡張された世界では、その人の顔を見ただけで顔の横に「名前」や「最後に会った日、場所」などが浮かび上がってくるだろう。別に人の顔に限らず、食品を見ればその産地や栄養成分が詳しくわかるだろうし、本を見れば概要や他の人の評価がわかるはずだ。

 他にも、知らない場所を歩いていても常にナビゲーションが視界に表示されていれば迷わないし、ネット上のバーチャル・アイドルとだって実際にその場にいるように対面できる。


 このように、画面を通してではなく現実の世界を拡張するように情報を見る事ができる、というのが『拡張現実』という技術だ。まるでSFに描かれる未来のようだが、すでに実現されつつある。

 拡張現実を通せば、現実には存在しない情報をまるでその場に存在するかのように表示する事ができる。そして、表示される情報はあくまでのだ。

 人間の脳というのは非常に騙されやすい。拡張現実のように、視覚を少しごまかすだけで存在しないものをその場にあるものと『錯覚』するのだ。


「つまり、君がやっていたのは、ちょっとした錯覚の利用。自分がいる位置を見せていたんだね?」

「…………うん」


 僕の問いかけに、ムチに縛り付けられた青年はゆっくりとうなずいた。


 恐らく青年がやったのはこういうことだろう。最初の青年による『白い煙』のマギは単に逃げ出すためのものかと思っていたが、実際には僕の目から隠れて一つのマギを発動させるためのものだった。

 そのマギは僕に『錯覚』を引き起こし、青年のいる位置を少しだけ見せた。つまり僕は、誰もいない場所に向かって一生懸命にマギを使っていたのである。どうりで全く通じないはずだ。傍から見ればひどく滑稽な光景だったに違いない。


「錯覚を起こすマギか……。きっと、『光』に『曲がれ』って命令しているんじゃないかな?」

「!! …………なんで、わかる、の?」


 原理としては、水中にある物が実際とはズレた位置に見えるのと同じ事だ。人間の脳は光を直進するものとしてとらえるため、光が途中で屈折していると途端に『バグ錯覚』を起こす。彼の身体から反射された光が途中で折り曲げられれば、僕の目は簡単に騙されてしまう。


 ただし、これをやるにはいくつかの条件をクリアする必要がある。まず、僕と彼の位置関係。光の屈折によって生まれるのはあくまで虚像であり、僕が少しでもこの場から動いてしまえば見えなくなるはずだ。

 だが青年はしたたかだった。その後に『地面を泥に変える』ことで、僕の動きを封じようとしたのだ。実際には空中に足場を作り出して逃れたわけだが、結局は足場から動かなくなってしまったため同じ事だ。


 さらにもう一つの条件として『背景』が挙げられるだろう。光の屈折によって生まれる像は、彼の姿と一緒に彼の背後にある景色すら映しだしてしまう。

 だが、マギゲームの舞台であるこの場所は四方がで囲まれている。結果として、背景が多少ズレていても全くわからないのだ。僕が作った舞台を上手く利用された形である。


 周囲の状況から瞬時に最適なマギを選び出し、なおかつ僕の目をごまかすために様々な策を講じている。見事というほかにない。

 見事というなら彼のマギもそうだ。光の屈折は中学生の理科レベルの現象ではあるが、科学の発達していないこの異世界では『視覚とは光をとらえているもの』という事すら知られていないだろう。


「光を曲げれば、確かに錯覚を起こす事ができる。その事は僕も前から知っていたんだ。あまり知られていないみたいだけどね」

「…………どうして、やってるの、わかった、の?」

「最初はわからなかった。だけど、君が使ってくるマギ。それが違和感の元だった」

「…………?」

「マギっていうのはマギデバイスの位置を基準にして発動させるのが一番簡単だよね。水を生み出すにしても、砂を出すにしても、わざわざ離れた場所に作り出すのは座標を特定する必要があって難しい」

「…………あ」

「君はそんな『難しいマギ』ばかりを使ってきた。マギデバイスから砂を生み出すのではなく、僕の頭上に直接作り出したり、さ。それで、どうしてこんなマギばかり使うのか考えた。そしてふと思ったんだ。『マギデバイスから出せない理由があるんじゃないか』って」


 僕の説明に青年はウンウンとしきりに頷いている。


「当たり前だよね。だって、マギデバイスから出したら、君のがバレちゃうから」


 僕が青年を傷つけないという縛りがあったように、青年にも使えるマギに制限があった。


「…………ほんとうの、位置は、どうやって、わかったの?」

「今書いたこれさ」


 そう言って、僕の脇に浮かんでいるスクリーンを指さす。僕がついさっき書いたマギランゲージのコードだ。これで彼の本当の位置を探し当てたのである。


「みたい。コード、みせて」


 縛られて動けない青年の元に、透明の足場を伝って近づく。光の屈折による虚像は姿を消し、彼の本当の姿を見ることができた。といっても、ムチに縛られた姿に変わりはない。

 彼に見えるようにスクリーンを置いてあげると、彼は食い入るようにコードを読み始めた。


「…………音?」

「うん。光を曲げていても、音は曲がらないからね。人の目が跳ね返った光をとらえているように、人の耳は跳ね返った音をとらえてる。跳ね返ってきた音を視覚化すれば、本当の位置がわかるってわけさ」

「…………すごい」


 要するにソナーの原理だ。人には聴こえない超音波を発信し、その反射音から物体の位置を見つけ出す。電波を使うレーダーでも良かったのだが、光も電波も電磁波の一種であり、同じように屈折される恐れもあったので、音波を使うソナーにしてみたのだ。

 青年は僕の書いたコードをじっと読んでいる。その姿はまるで好きな漫画に熱中する子供のようだった。


「……よみ、やすい。おもしろ、かった」


 ポツリと青年が漏らす。どうやら読み終えたようだ。


「君はずいぶんとマギが好きみたいだけど、マギエンジニアとして働いているの?」

「……おとうさん、マギエンジニア、ダメ、だって」

「お父さんがダメって言った? でも、君はもう大人だろう?」

「エクマ、こども、だよ?」


 どうやらエクマという名前らしい青年は、自分が子供であると主張している。確かに顔は若いのだが、僕よりも高い身長で無精ヒゲを生やした子供というのも不思議な話である。

 なんとなく事情を察しつつ、もうちょっと話を聞いてみる事にした。


「お父さんは何をやっている人?」

「おとうさん、マギエンジニア。マギサービス、つくってるって、いってた」

「なんていう会社かわかる?」

「……マギスター?」


 彼の父親はマギスター社のマギエンジニアのようだ。彼と同じエルフ族で高身長のマギエンジニアには非常に心当たりがある。例のビジネス用語を連発していた人物である。


「治療マギサービスのコードはどうやって読んだの?」

「…………おとうさんが、コード、もってきた。こっそり、よんだ」


 この時の僕の心境を一言で表すなら、こうだ。


 あちゃー。


//----


「つまり、この方はマギスター社のマギエンジニアが持ち帰った治療マギサービスのコードを読んで、『裏口』を見つけたと、そう仰られるのですね?」

「はい、そのようです。そして、空のマギフィンガープリントを登録したらどうなるか、から試してみた、と……」


 僕の報告を受けて頭を抱えているのはシスターだ。その横では教皇が相変わらず人形じみた微笑を浮かべている。僕の隣に座って足をブラブラとさせながら、ゴクゴクと牛乳を飲んでいるのはエクマ君。あれから大人しく言う事を聞いてくれるようになったので、縛めを解いて教会まで一緒についてきてもらった。


「ふふ、純真な子供の好奇心によるしわざだった、という事ですね」

「で、ですが、この方は成人されたエルフ族の方のようにお見受けしますが……」

「シスター。人の見た目と心は必ずしも一致しないものです。私を見ればわかるでしょう」


 小人族で外見は子供にしか見えない教皇が言うと説得力がある。


「それで、このの親には連絡したんですね?」

「ええ、使いの者をお送りしました」


 教皇の問いにシスターが答える。僕では連絡先がわからなかったので、シスターにお願いしたのだ。


「それにしても困りましたわ……。マギスター社には治療マギサービスの刷新をお願いしましたが、まさかコードを持ち帰っていらっしゃるなんて……」

「契約としては、コードを読む事自体は許可していたんですか?」

「ええ。刷新のため、現在のコードを調べる事は許可しておりました。コードを持ち帰って検討したいと打診も受けましたが、危険が大きいためお断りしたはずです」


 コードを持ち帰るという事は教会の外にコードを持ち出すという事だ。当然ながらコードが流出するリスクも大きくなる。高額な治療マギサービスのコードであれば買い取り手には困らないだろう。

 マギデバイスは所有者登録機能があるので盗難の恐れはないが、中のデータをコピーして持ち帰られてしまってはどうしようもない。コードを持ち帰る事を制限するのも仕方ない事だ。

 だからといって動いているコードを一切読めないというのも困る。システムを刷新するには、現在の機能の挙動をしっかりと調べなければならないのだ。詳細な仕様書があるならとにかく、治療マギサービスにそれがあるとは思えない。となると現在のコードを読むしかない。

 こういったリスクと現実を鑑みて、「コードを読んでもいいけど持ち帰るのはダメ」という少々奇妙なルールが作られる事になったのだろう。


「マギスター社に連絡して関係者を集めるべきでしょう。コードが流出してしまった可能性もあります。そうなったら――」


 ガチャリ。


 僕が話している途中でノックも声掛けもなく扉が開いた。

 何かと思って見てみると、扉の外には見覚えのあるエルフ族の男性が無表情で立っていた。長身で細身のメガネをかけている、黒髪をオールバックにしたエリートサラリーマン風の人物だ。

 彼はソファに座っているエクマ君を見つけると無言でツカツカと近づいていく。それに気がついたエクマ君がコップから顔を上げる。


「あ、おとうさ――」


 パシン。


 乾いた音が部屋の中に響いた。


「私に恥をかかせるなと言っただろう」


 父親がエクマ君の頬を打ったのだ。エクマ君は打たれた頬を押さえてうつむいている。


「ご、ごめ、ごめん、なさい……」

「おまけに先日のインシデント事件がお前の仕業だと? 一体どういうつもりだ!」


 エルフの父親は声を荒げてエクマ君を叱責する。

 見かねたシスターが止めに入った。


「お待ち下さい。確かにこの方は大変な事をしてしまいましたが、まだ小さい子供のようではないですか。そのようにむやみに叱りつけるものではありませんよ。まずはしっかりと諭さなければ」

イツノチュアビジネスあなたには関係ない! これは私と息子のプロブレム問題だ! 部外者は引っ込んでいてもらおうか!」

「部外者ではございません。そもそも今回の問題は、私が禁じたにも関わらず治療マギサービスのコードをあなたが持ち帰った事が発端です」

「そ、それは……。だ、だが、コードを見ずに開発ができるなどアマチュア素人の発想だ! コードを見る事を禁じるなど馬鹿げたナンセンスなルールだ!」


 なんとエルフの男性はシスターに対して謝るどころか開き直りを始めた。


「私は別にコードを見る事を禁じたわけではありませんよ。コードを持ち帰るのを禁じただけです。必要があるなら教会に来て見れば良いと言ったではありませんか」

「ハッ、お話にならない! それはつまり、開発を全て教会内で行えと言っているのに等しいではないですか! 我がマギスター・コンストラクションのエンプロイー従業員が何人いると思っているんだ! そんな事はインポッシブル不可能だ!」


 一般的なマギエンジニアの開発方法というのは、既存のコードを望む結果が得られるように改変する、というやり方が当然のようにまかり通っているらしい。マギスター社でもそれは同様だったのだろう。元のコードを改変して開発するつもりだったのだ。

 しかし、刷新と言っているのに元のコードを使いまわしているのでは作られる物は大差なかっただろう。教会側の望む結果が得られたとは思えない。


「ふふふ、果たしてそうでしょうか? コードを見ずに1から書けば良いのでは?」


 教皇が微笑を浮かべたまま口を挟む。エルフ族の男性は泡を食って反論しようとしたが、相手が教皇である事に今さら気がついたのか、慌てて口を閉じた。


「世の中は広い。一度コードを見ただけで、何も見ずに短時間で治療マギサービスを再現してしまうマギエンジニアもいるのですよ」


 そして、教皇は僕の顔をジッと見た。


「――そうでしょう、シライシさん?」

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