036 - hacker.write("Hello, world!");

 まずはボスの父親が逮捕された経緯を調べるために情報収集に乗り出す事にした。

 当事者であるボスの父親、デイビッド氏に話を聞ければ一番早いのだろうが、身内のボスであれば面会要請が通らないだろうか。


「ボスのお父さんに会うことはできそうですか?」

「うむ、面会か……私も考えたが、さすがに逮捕されたばかりの今では会わせてもらえないだろうな……父様……」

「そうですか……」


 まだ気落ちしているボスを励ましたいが、そのためには事件をさっさと解決したほうが良いだろう。父親がダメでも、他に心当たりは数人思い浮かぶ。


「それなら、ボスが事情を聞いたというオスカーさんに、もっと詳しい話を聞いてみてはどうでしょうか? 警察隊が知らない裏の事情まで知っていたようですし、友人であるボスのお父さんを助けるために知恵を貸してくれるかもしれません」

「そうだな……よし、話を聞きに行ってみよう」


 しかし、ソファから立ち上がろうとした僕をボスが制止する。顔に疑問を浮かべた僕に、ボスは何やら思いつめた様子でかしこまって話しかけてくる。


「バンペイ、この問題は元はといえば父と喧嘩して実家を飛び出し、再会した時に大見得を切ってしまった私の責任だ。バンペイが父を助けてくれると言ってくれた時、何よりも嬉しかった……だが、この問題は会社とは直接関係のない、私の個人的な問題なんだ。こんな時にまでバンペイの力を借りるわけにはいかないと、私は思う」

「な、何を今さら水臭いことを言ってるんです? 今まで散々助けあってきたじゃないですか。ボスのお父さんを助けるのに僕が力を貸さないわけないでしょう!」

「いや、ダメだ。私はルビィ=レイルズであると同時に、この会社の社長でもあるんだ。公私混同は避けなければならない」


 突然のボスの心変わりに思わず目を見開く。今まで強引に僕を引っ張りこんで、様々なトラブルを二人、いやシィ達も一緒に乗り越えてきたのに、何を突然言い出すんだこの人は。

 公私混同? だったら、シィを誘拐から救った事も公私混同ではないか。僕達の間柄にいまさら公私もないと思っていたのに、ボスの言葉は正直ショックだった。言いたいことは山ほどあるのに、うまく言葉にできない。

 口をパクパクさせる僕にボスは微笑みながら言葉を続ける。


「バンペイには、やらなくてはいけない仕事が残っているだろう? 元はといえばそれも大言を吐いてしまった私のせいだが、それでも円卓議会の議員達が大いに期待を寄せている重要な仕事だ。シィの誘拐の件もあって、残された期間はそう長くないだろう」


 確かに新規マギサービスを作るのに残された時間は少ない。もともとは二週間で見積もっていたのだ。これ以上のゴタゴタに巻き込まれれば、遅れてしまう可能性も残っている。


「で、ですが……3つ作るつもりだったマギサービスを減らせば……」

「ダメだ。その3つを事業予定としてブライ氏に説明した事を忘れたのか?」


 確かに僕達が支援を受けている商人のブライさんに、今後の予定として3つのマギサービスを提示していた。技術責任者として僕も立ち会ったから覚えているが、ブライさんは3つのマギサービスどれもに期待をしているようだった。


「私の個人的な理由で、会社の利益になるはずの新規事業を御破算にするつもりなど毛頭ない。それこそ公私混同だ。いいか、バンペイ。我々はブライ氏に支援を受けている身なんだ。いくら電話マギサービスが成功しつつあるからといって、いや、成功しつつあるからこそ、なあなあの会社運営は許されないんだ」


 ボスの言っている事は理解できる。確かに会社の社長が個人的な理由で会社の事業を遅らせたり止めさせたりしていたら、それは会社の私物化になってしまう。支援を受けている立場としてブライさんに対する責任がある僕達は、一度説明したはずの予定を簡単にひっくり返すべきではない。

 しかし、理性で理解できても、感情が納得できるかと言われれば別の話だ。


「そ、それなら、僕が3つともサクッと作ってみせますよ! そうすれば何も問題ないでしょう!」


 そんな僕の必死の抵抗に、ボスはゆっくりと首を横に振った。


「バンペイ。私はな、バンペイがコードを書いている時の姿が好きだ。その時の君はこちらが話しかけようと、何をしようとも全く反応を返さない。一心に目の前のコードと向い合っている」


 好きだ、と言われたのに、僕の頭の中はそれどころではなかった。今でもなんとかボスを説得できないか、真っ先に最適化されそうな無駄な計算を繰り返している。


「そういう時、私は君の中に、触れてはいけないような『神聖さ』を感じるのだ。教会の上層部のような腐敗した信仰心ではない。誰も知らないような小さな教会で、一心に祈り続ける祈祷者のような純粋なものだ」


 僕は宗教にあまり興味はない。だが、そんな僕が信仰しているというなら、それはきっとプログラミングの神様だろう。もしかしたら、偉大なハッカー達かもしれない。コードを書いている時、の意思に触れる気配がする事が確かにあった。


「私は、コードを書いている君は、何事にも、何人たりとも縛られず、自由であって欲しい。けっして時間に追われたり、何かに追い立てられるようにして、コードと向き合ってほしくないのだ。外部の雑音に煩わされてほしくない」


 ボスにそう言われて思い出した。前世での苦い記憶だ。僕がこの異世界に来る直前まで、僕はデスマーチと呼ばれる過酷な状況の中、必死になってコードを書いていた。まさしく時間に追われ、締め切りに追い立てられるようにして。

 その時の僕は好きだったプログラミングを楽しむ事ができなくなっていた。辛い作業だと割りきってしまっていたのだ。そんな僕が死んでしまったのは、プログラミングの神様の天罰だったのかもしれない。

 しかし、その神様は懐が深かった。もう一度、僕にやり直すための機会を与えてくれたのだ。異世界にやってきて、ボスと出会い、会社を立ち上げて、一緒にマギサービスを作る。僕はもう一度、失っていた誇りを取り戻し、プログラミングを楽しめるようになっていた。


 僕がボスに提案した事は、僕が何より大事にしていたはずの『プログラマとしての誇り』を投げ捨てる行為だった。

 サクッと作ればよい? 果たしてそんな気持ちで作ったものが、本当に僕の誇りを代弁するものになるだろうか。せっかくやり直す機会をもらったのに、僕はもう一度同じ過ちを繰り返そうとしていたのだ。


「バンペイ。私が君に出会えた事は何よりも幸運だったと思っている。ここまで一緒に来れた事を何よりも感謝している。だが、どうやら私はそのあまり『幸運』に目を焼かれていたらしい。バンペイに頼りきって自分の足で立つ事も覚束ないほど軟弱になっていたのだ。そろそろ私は、再び一人で立てるようにならなければならない」

「…………」


 頼りきってもらっていい。そう言いたいのに口には出せなかった。それは、ボスの覚悟を否定する言葉だからだ。僕にプログラマの誇りがあるように、ボスにはボスの誇りがあるのだろう。それはすべからく神聖なものであるべきで、何人たりとも侵してはならない。


「それに、そろそろ『社長』らしい事をしないと、部下に面目が立たないだろう?」


 そう言って笑うボスに、僕は黙って苦笑するしかなかったのだ。


//----


 ボスが一人で出かけていった後も、僕はなかなかコードに手を付ける事ができなかった。結局ついていった方が生産性が上がったのではないかという気さえしてくる。

 それでも、書こうとしていたメールマギサービスにノロノロと手を付けると、すぐに没頭し始める。作りかけで止まっていた部分に新たな着想を得て、こうすればもっと良くなる、こう書けば効率が良い、と繰り返していく内に、基本的な部分は少しずつ形をとりはじめていった。

 ボスの父親が大変な目にあっているというのに我ながら薄情なものだと思うが、コードを前にすると様々な思いや気持ちが溢れだし、僕の手を止まらないものへと昇華させる。父親の無実を証明するために頑張っているはずのボスの事など、すっかり頭の外に追いやられてしまう。

 ボスが言った通り、どうやらコードを書いている最中の僕は『外部の雑音』など一切気を取られないらしい。その『雑音』には人間関係すら含まれる。大切にしている相手、家族、友人、きっと恋人も。コードを書いている間だけは全て忘れて、コードだけを相手に恋愛をしているように真剣になって向き合う。



 コードの奥底に眠る秘密のピースを探す子どものように、一つ一つの断片を確かめて、組み立てて、バラしては直して。やっと見つけたと思ったら、するりと手から逃げ出して。クルクルと模様を変える万華鏡のように、ランダムなはずの断片達が気がつけば意思を持ったように整然としている。


 法則性、それは魔法の言葉だ。無数にある断片達からパターンを見つけ出す事こそ、プログラミングの真髄だ。不揃いでバラバラなはずだったものが、ある一点から見た時だけ同じ形をしている事に気がつく。そんな時、僕は誰かの意思に触れた気がするのだ。そう、よく見つけたね、と言っている気がする。


 時にはパターンを見つけられない事もある。そんな時はまず愚直に、シンプルに、近道じゃなくても確実に見える方法をとってみる。確率の問題を解くのに樹形図を書き出すように、一つ一つを重複してもいいから書いてみると、そこで改めて別の角度から眺めてみるのだ。すると法則性が見つかる事もある。


 どうしてもわからないなら、そのままにしておく。そして、別の部分に着手してみる。そうすると、今までいくら考えてもわからなかったパターンは、実は全体の一番底の部分に横たわっていた事に気がつくのだ。一部ではなく全体を通して見なければ気がつく事のできないパターン。そういうものは往々にして存在する。


 ひとつひとつ問題を細かく砕いて、分類し、パターンを見つけ出す。

 そうやって進歩してきたのがプログラミングであり、そして人類の学問だ。

 時には分類できない断片も、また他の誰かによって新たな共通項が発見される。


 プログラミングの神様が本当にいるのなら、きっとその顔は人間と瓜二つだろう。

 目が二つに鼻と口が一つずつ。


 なぜなら、その神様はきっと人間達のパターンを愛しているからだ。


//----


 一通り書き終わり顔を上げると、すでに窓からは赤い陽の光が差し込んでいる。気づけば、シィが僕の隣に座ってニコニコと僕を見ていた。バレットは足元で丸くなっている。いつの間にか『おじちゃん』のところから帰宅していたらしい。


「ただいま、おにーちゃん!」

「うん、おかえりシィちゃん。気がつかなくてごめんね」

「ううん! シィ、おにーちゃんがね、コードを書いてるの、見るの好き!」

「そ、そう?」

「うん! あのね、コード書いてるおにーちゃん、すっごくすーっごく、へん!」

「え、ええ? 変? そうかな?」

「うん。だってね、コード書きながらああでもないこうでもないって、いっつもニヤニヤ笑ってるんだよ? それに、なんだかおにーちゃんがコードを書いてるんじゃなくって、コードの方がおにーちゃんから出たがってるみたいなの」


 知らなかった。どうやら集中している僕は、ニヤニヤと笑いながらブツブツと独り言をつぶやいてコードを書いているらしい。いや、シィの言を借りるならコードが出たがっている、か。不思議な表現だがしっくりくるものもあった。コードを書いていると時折、手がひとりでに動いている気がするのだ。


「でもね、そんなときのおにーちゃんって、おとーさんにそっくりなの!」


 思わぬシィの言葉に「へ?」と素っ頓狂な声をあげてしまう。


「おとーさんもね、コードを書いてる時は頭をゴシゴシしたり変な声を出したり、すっごく面白いんだー。それに、コードがするするでてくるのも、おとーさんそっくり!」


 どうやら、シィの『おとーさん』もまた、プログラマとして散々パターンに苦しめられていたらしい。今までぼんやりと頭の中に浮かんでいた『おとーさん』の像に色がつき、急激に親近感を抱いた。


「そっか。きっとシィちゃんのおとーさんも、コードを書くのが好きだったんだね」

「うんっ! 大好きだって、おとーさん言ってたよ? あのね、シィにも教えてほしいって言ったんだけど、シィにはまだ早いって教えてくれなかったの」

「うーん、そっかぁ。確かにシィちゃんにはちょっと難しいかなぁ」

「ぶー。みーんなそればっかりなんだもん」

「ははは、そうだね。それじゃあ、シィちゃんには一つ、僕から簡単なコードを教えてあげるよ」

「ほんとっ!?」


 ぴょこんと立ち上がるシィに、一行だけの簡単なコードを書いてみせる。


「これはね、プログラミングを始める人は誰でも一度は書いてみる、不思議なコードなんだよ。どんなにプログラミングが上手な人でも、はじめはこの一歩目からスタートするんだ」

「へー! じゃあ、シィもこのコードを書けたら、上手になれる?」

「うん。きっと上手になれるよ。シィちゃんなら、僕はすぐ抜かれちゃうかもね」


 そう言って嬉しそうに笑うシィの頭をなでてやると、シィはくすぐったそうな、嬉しそうな顔を見せてくれる。そして、ハッとした顔になって僕に一生懸命に教えてくれる。


「あのね! そういえば、おとーさんとおにーちゃん、そっくりなとこ、もうひとつあったよ!」

「ん? なにかな?」


「二人とも、コードを書いてる時は、すっごく楽しそう!」

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