033 - hacker.cross(chasm);

 あれから数日が過ぎた。


 マギ・エクスプレス社の社長、いや元社長と縁ができたのは喜ばしい事だが、その前にその息子を警察隊に引き渡すというイベントをこなす必要があった。

 青年は抵抗らしい抵抗を見せず、大人しく引き渡されて連れて行かれた。その背中をじっと父親が見ていたのだが、声を掛けるのもはばかられる雰囲気であった。いくら犯罪を犯したといっても、父親と子どもなのだ。何も言わずとも通じるものがあったのか、青年も黙って会釈して連れ去られていった。

 証拠として録音と録画を提出したのだが、あの様子では不要だったかもしれない。それよりも、あまりの精巧な映像と音声に渡された警察隊が騒然となり、上へ下への大騒ぎになっていた。こんなものが普及したら今までの捜査方法を大きく見直す必要があるからだ。

 その内に録音と録画はマギサービスとして提供する予定だと伝えると、ぜひ具体的な時期が決まったら教えてほしいと激励された。やろうと思えばすぐにでも提供できるけど、さすがにまずいよな。ボスからの視線が痛い。


 そうしたゴタゴタもあり、気がつけば数日が経っている。忘れていたわけではないのだが、すっかり優先度リストの下に追いやられていたタスクやる事達が悲鳴をあげていた。そう、円卓議会に向けた新しいマギサービスの開発である。

 なにせ決められた期限は二週間しかないのだ。一日も無駄に出来ないと言っておいてこの体たらくである。


「メールは電話の仕組みをベースにすればいいとして……あれ、という事はメールアドレスに当たるものは電話番号になるのか? SMSみたいな? いやいや、アットマークはほしいなぁ……いや、でも……」

「なにをウンウンうなっているんだ? 拾い食いでもして腹を壊したのか?」


 いつも通り定位置のソファに腰掛けてマギデバイスのスクリーンとにらめっこしていると、横からボスの脳天気な声が割り込んできた。コードを書いていない時の集中力はこんなものである。


「いや、メールをどういう風に作ろうか考えてたんですよ。ボスじゃないんですから、拾い食いなんかしませんって」

「し、失礼な! ひ、ひ、拾い食いなんて、した事ないわぁ!」

「えっ……ボス……まさか……」

「ち、違う! 誤解だ!」


 若干ひいていると、くるくると口を動かして言い訳をしはじめた。曰く、ごくごく小さな子どもだった時に一度だけ、とか、道端に落ちていたお菓子に見えた物を口に入れただけ、とか。

 慌てて弁解するボスの真っ赤な顔を見ているだけで、仕事のやる気がわいてくる。こういうのは社長の仕事という事なのだろうか。いや、違うか。

 ひとしきり自己弁護を終えると、一息ついたボスはまだ少し顔を赤くしながら話題を切り替えてきた。


「そういえばバンペイ。電話マギサービスの登録者数の方はどんな調子だ?」

「あ、そういえば、ここのところ忙しくて見れていませんでしたね。ここ数日の推移を見てみましょうか」


 そうしてマギデバイスを振り、マギサービスのを呼び出す。そう、これも自作したものだ。プログラマの怠惰が働いた結果、裏方の仕事が簡単にできるように全力を傾けた結果である。

 管理メニューにはいくつかの項目がある。登録数や利用回数、利用の多い地域などの統計情報だけではなく、利用料や登録手数料などの売上情報、電話ネットワーク上を流れている情報の使用帯域など技術的な情報も含んでいる。

 やはり我が社もマギ・エクスプレス社と同様に、登録者個別の個人情報にあたるものは厳重に保管しているので、管理メニューで簡単に見ることはできない。今のところ我が社の基幹マギデバイスはボスの管轄という事にしているが、その中身は『鍵』によって暗号化されている。例えシィがを行使しても、鍵がない限り中身を読むのは難しいだろう。

 鍵については僕が管理するという事になっているので、僕とボス(またはシィ)の二人が揃わなければ、基幹マギデバイスの中に保存されている個人情報を覗き見る事はできないという事だ。


 開かれた管理メニューから、統計情報を見た僕達は


「こ、これは……本当の数字なのか、バンペイ?」

「いや、しかし、これはあまりにも……」


 そこに表示されていた数字は僕達の予想を大きく裏切るものであった。


「これは……だろう!?」


 そう、良い意味で。


//----


 後からわかった事だが、僕達が誘拐騒ぎやマギ・エクスプレス社のごたごたに巻き込まれている数日の間、事態はとんでもない方向へと動き出していたのだ。


 そもそもの事の始まりは、ボスが円卓議会で一席ぶってみせた『プレゼン』である。電話マギサービスの仕組みを説明していかに安全かをアピールしたうえで、電話の便利さや魅力をあますことなく伝えるプレゼンは、実は終わった時に議員達からスタンディングオベーションが起こるほどの大反響だったらしい。

 ボス自身はその後の父親とのやりとりで新サービスを作ってみせると啖呵を切ってしまい、反響があった事などすっかり頭の外にほっぽり出して、僕に泣きついてきたというわけだ。


 そこから電話マギサービスの大躍進が始まる。僕達のまったく知らない裏で。

 議員達は早速とばかりに電話マギサービスを使い始め、その便利さにやみつきになった。なにせ今までいちいち相手のもとに行かないと決められなかった事や、時間と場所を合わせて集まらないと進められなかった物事が、あっという間に片付いていくのである。多忙な議員達にとっては何よりも救いの神であった。

 そしてその波は当然ながら議会に留まることはなかった。電話の便利さに味をしめた議員達は、議会の外の者達にも電話マギサービスを薦めてしていく。電話という性質上、相手も使っていないと意味がないのだから当たり前だと言えた。


 マギ・エクスプレス社の社長や幹部達も電話マギサービスを知っていたように、マギサービス業界にも衝撃を与えたという。安い利用料で高品質なサービスを提供するというビジネスモデルを前にして、危機感を覚える経営者が続出した。

 そして当然『このマギサービスを作ったのはどこのどいつだ?』となる。そう、僕の知らない間に開発者として僕の名前がどんどんと知れ渡り、しまいには『マギハッカーの再来』などと呼ばれるようになりつつあるという。

 シィの誘拐騒動の際に、ミミックの男と電話で『噂のマギハッカー』と呼ばれたのは当てこすりでもなんでもなく、言葉通り『マギハッカー』として噂になっていたのだ。


 それからも議会を中心としてどんどんと利用者は拡大していく。利用料が安いのも相まって登録者数はうなぎ登りだ。


 こういった、利用者の生活に変化をもたらす革新的なサービスや製品を売り出す場合、越えなくてはならない『壁』がある。いや、『崖』と表現した方がいいかもしれない。

 サービス開始から利用者が増えていくに従って、ある一点を越えると急激に利用者が拡大するという現象がよく見られるが、革新的なサービスの場合はこの一点が断絶していると言っても過言ではないほどの壁として立ちふさがるのだ。

 壁を越えられないと、ごく少数の利用者を抱えて細々とサービスを続けるしかない。それで採算が取れるならまだいいが、人件費や家賃などの売上に関係なく一定額かかる固定費の割合が大きいと、赤字を垂れ流したまま終了、なんてよくあるパターンだ。


 このサービス提供者達の前に山より高くそびえる壁、または海よりも深い崖のことを『キャズム』と呼んだりする。英語で岩や地表などの断崖や谷間を表す言葉だ。

 僕達は電話マギサービスを始めてから、なかなかこのキャズムを越える事ができないでいた。シィに諭されて地道な宣伝活動も行なったりしていたのだが、爆発的に増えるということはなく日にギリギリで三桁台といったというところだ。

 それでも十分ではあったのだが、やはりキャズムを越えた後は一味ちがった。


「たった数日で、登録者数が一万人を超えているだと……!?」

「しかも、日に日に登録者数が増加してますよ。これはまだまだ増えそうですね……」

「な、なんだこれは? 夢でも見ているのかな?」

「現実です、ボス。これは現実なんです」


 立ちくらみをしたようにふらつくボスを支えながら、他の数字にも目を通していく。


「な、なんだこの売上金額は……」

「いくら安く提供していても、一万人を越えてくればさすがに大きな額ですね……」

「これだけあれば社員食堂で食べ放題じゃないか!」

「落ち着いてくださいボス。今でも食べ放題みたいなものじゃないですか」

「そ、それに新しい服だって買える!」

「衣食住から離れましょうよ……」

「そうだ、それこそオフィスだって建て直せる!」

「さすがに足りないと思いますけど……」


 あまりの大きな金額の前に完全にテンパッているボスはちょっと面白いけど、気持ちはわからなくもない。なにせこれ一回限りではない。マギサービスは利用する度にお金が入ってくる従量制なので、これ以上の額が毎月入ってくると考えるとおかしくもなるだろう。


「それにしてもすごいですね。一体なにがあったんでしょうか……」

「バンペイが何かやった……わけではなさそうだな」


 ボスが何でも人のせいにするので困る。最近はすっかり非常識扱いされるのに慣れてしまったが、僕は至って常識人のつもりだ。この時の僕が爆発的流行の理由をしっていれば、ボスのプレゼンがそもそもの原因である事をここぞとばかりに攻め立てるだろう。


 つらつらと大きな数字が並ぶのを眺めていくなか、僕は無視できない数字を目にして冷や汗をかいていた。


「帯域幅……もうギガ単位か……」


 帯域幅とは、単位時間あたりに流れるデータ量、要するに1秒間に最大でどれぐらいのデータがネットワーク上を流れていくか、という事だ。データを水に例えるなら、ホースの太さを想像するとわかりやすい。太ければ太いほどデータがたくさん流れる。

 ADSL回線や光回線の宣伝で「8Mbpsメガビーピーエス」や「1Gbpsギガビーピーエス」などの数字が現れるが、これが帯域幅を表している。

 bpsはビット・パー・セカンドの略で『毎秒ビット数』の事だが、ビットなんて単位はプログラマと回線業者ぐらいしか使わない事でお馴染みだ。パソコンを使っていれば目にする単位として「バイト」があるが、「1バイト=8ビット」というのはプログラマの常識である。


 とにかくわかりづらい帯域幅なわけだが、それでもギガ単位、つまりGbps単位ともなると1秒間にものすごい量のデータが流れているという事になる。

 例えばインターネットで動画を見ると、普通の動画で0.5Mbpsから3Mbps程度、高画質になっても4Kとかでもない限り10Mbpsはなかなか越えない。

 ギガというのはメガの千倍なので、高画質な動画を100本見たって到達するような数字ではないのだ。同時に、というのがミソである。


「バンペイ? 何かまずいものでもあったのか?」


 ボスが不思議そうな顔で僕を見る。そりゃあ利用者数が爆増しているのだから、喜ばなくてはいけないのはわかっている。だが、エンジニアとしてはこうも数字が大きくなってくると心配にもなるのだ。


「いえ、大丈夫だとは思いますが、一応確認しておきますね」


 慌ててネットワークの詳細な状況を調べていく。通信を請け負っている基幹マギデバイスの状態もだ。


 もちろん、サービス提供開始前に性能試験は実施した。わざとネットワークに大きな負荷をかけて、どこにどういった影響がでてくるのかを調べるのだ。いくらマギデバイスが優れているからといって、具体的な限界性能を知らずに頼り切る事はできないと思ったからだ。

 結果としてマギデバイスは性能試験を。どれだけ負荷をあげようとも楽々とさばいていく。その小さな機体にありえない程の性能を見せつけ、改めてここが異世界であることを見せつけてくれたのだ。

 マギデバイス間の通信機能も、帯域幅は少なくともテラ単位まである事はわかっている。テラといえばギガの千倍、メガの百万倍だ。もはや物理的に接続されているのと大差ないレベルのスピードに若干ひいた。


「帯域幅はやっぱり問題なさそうだ……今のところ処理の取りこぼしもなし。誤り検出も誤差レベル、か。ログにも特に気になることは……ん?」


 電話システムが行なった処理や結果などを記録している『ログファイル』に、一部おかしな記録があるのを発見した。

 僕が構築した電話のマギは、自分で決めた『プロトコル通信手順』に従って通信を行なっている。通信する相手も僕の書いたマギのはずなので、ここで齟齬が発生する事は基本的にない。あるとすれば、プロトコルを途中で変えたりした場合だが、そういう場合でも互換性を保てるように柔軟性を持たせてある。

 しかし、ログファイルには僕が決めたプロトコルにアクセスが数回あった事を知らせる記録があった。


「これは一体……?」


 ログファイルにはプロトコル違反の通信があった事だけしか書いておらず、相手が送ってきた通信の内容は書いていない。こんなことなら書くようにしておくんだった。

 このマギデバイスが通信を受けている時点で、相手のマギフィンガープリントや名前は登録済みのはずだ。そうでなければ、そもそも通信すらできない。

 しかし個人情報保護の観点からログファイルにも相手の個人情報を一切載せておらず、代わりとなる連番の利用者IDだけが書かれている。通信相手の情報を調べるには、ボスに頼んで基幹マギデバイスにアクセスさせてもらうしかない。


「ちょっとボス、よろしいですか?」

「ん? どうした?」

「この記録なんですが……」


 ボスに事情を説明すると、難しい顔になる。


「うーむ、要するに誰かが我々のシステムに攻撃を仕掛けてきた、という事か?」

「いえ、そうとも言い切れません。マギサービス会社の技術者が、我が社のマギデバイスに誤って通信してしまったのかもしれないですし……」

「そうか。まあ事情はわかった。通信してきた利用者を調べてみるか」


 こういう時、仕組みを理解してもらっていると話が早い。ボスに苦労して1から説明した甲斐があったようだ。

 ボスは厳重に保管されていた基幹マギデバイスを取り出すと、マギデバイスのロックを解除してみせる。次に僕がマギデバイスに鍵を入力して、暗号化も解除する。


「随分と回りくどく感じるが、仕方ないのだろうな」

「そうですね、こればかりは我慢してください。セキュリティというものは、回りくどいままの方が良い物もあるのです」


 そう笑いながら言って、ログファイルに記録されていた通信相手の利用者IDから登録者情報を引き出す。これこそ管理者権限というやつだ。


「この人か。えーと、どれどれ……」

「ふむ、知らない名前だな。数日前の登録者か」


 そこにあったのは、女性らしき名前。不思議な響きだがどこか親近感の湧く名前で、初めて目にした時からなぜか既視感を感じるものだった。


「パール・モンガー、か」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る