026 - hacker.setState(SEARCHING);

「なっ!? ここは!?」


 いきなり見知らぬ部屋へと引き釣りこまれてうろたえていた男だったが、驚いたのはこちらも同じことだ。僕は男がこの部屋に現れる事をのである。自分で書いたマギランゲージのコードが間違っていたのだろうかと、思わず脳内で覚えているコードをレビューしなおしてしまう。

 想定外の事態に男も僕もあわあわと泡を食って慌てふためいた。予期せぬ例外Exceptionが発生して捕捉catchに失敗したのだ。要するに脳内でエラーが発生した。


「落ち着けバンペイ。どうやらこいつまで来たのは予定外だったようだが、こっちとしてはむしろ好都合だ」


 ボスが好戦的な笑みを浮かべて転送されてきた男を見る。混乱していた男はそれを受けて慌てて体裁を整えようとした。


「お……ほ、ほっほほ、これはこれは。レイルズのお嬢様。先ほどぶりですねぇ」


 電話の画面越しに見たニコニコした胡散臭い笑みだったが、今は引きつっているように見える。どうやらこの状況は完全に想定外だったらしい。


「さあ、シィを一体どうするつもりだったのか、キリキリと吐いてもらおうか」


 黒いマギデバイスをしっかりと男に向けて構えるボス。ここだけ見ると女騎士のようでカッコいいのだが、どうして普段はなるんだろう。

 そんな残念な女騎士に切っ先を向けられた男はといえば、少し引きながらも両手を前に出して弁解を始めた。


「おやおや、物騒ですね。マギデバイスはやめましょうよ。別に私はシィちゃんをどうこうするつもりはございませんでしたとも。ええ」


 嘘をつけ。そう言いたくなるほどの白々しい態度だ。


「ねーねー、どうしてボスは怒ってるの?」


 ほっぺにクリームをつけたまま転送されてきたシィは、転送後の僕達のやりとりを見て頭の上にクエッションマークを浮かべている。


「シィ。どうしてこの男の屋敷にいたんだ?」

「えっ、あのね、このおじちゃんがお菓子くれるって言ったからついていったんだよー! あーおいしかった!」

「知らない人についていったらダメだろう!」

「え、なんで?」


 きょとんとした顔で首をかしげるシィ。仕草は可愛いのだが、どうやらボスの叱責の意味がわからないようだ。なぜ怒られているのかわからずに困惑している。


 その様子を見て思い至る。シィは今まで『おとーさん』と二人でいて、おとーさんがいなくなってからは一人ぼっちで過ごしていたのだ。一般道徳や常識にうとくなってしまっても仕方がないのかもしれない。

 そもそもシィは出会った時から人懐っこいというか、その時点では赤の他人であった僕達とも気さくに話していた。透明な壁を作り出した本人だと知って警戒していたブライさんの部下達やブライさんでさえ、シィの無邪気さにほだされて最後には警戒を解いて楽しく歓談していたほどだ。

 いくら知らない人についていってはダメだと言っても、そもそも僕とボスはシィにとって知らない人だったはずで、その二人の会社までついてきている現状では説得力がない。シィは人の『悪意』を知らないのだ。誰とでも仲良くなれると信じきっている。

 このぐらいの年齢の子なら仕方がないとも言えるし、これから根気よく一般常識や道徳を教えていくしかないだろう。しかし、本来は親の役目だと思うのだが、シィの『おとーさん』は一体シィに何を教えていたんだろうか。親の顔が見てみたいとはこの事だ。


「む……そうか、わからんか。では言い方を変えるぞ。シィの帰りが遅くて私とバンペイは大いに心配したんだ。せっかく電話があるのだから、帰りが遅くなるならちゃんと連絡をしなさい」

「あ……ボス、おにーちゃん、ごめんね。おじちゃんのお話が楽しくって、ボスから電話がくるまでぜっんぜん気がつかなかったの」

「『おじちゃん』とは一体どんな話をしたんだ?」

「あっ! えっとねー! おじちゃんが色々なお話をしてくれるの! えーとねー、小鳥のカッコウがいっぱいでてくるお話とかー、なんでも出来るネズミさんが人間の子と仲良くなるお話とかー、いろいろ!」

「ほう、懐かしい童話だな。私も小さい頃はよく父様に聞かせてもらったものだ」

「えへへ、そっかぁ。どうわ、っていうんだねっ! あのね、シィどうわ大好き!」

「ほっほほ。楽しんでもらえたようで何よりですねぇ」


 どうやら男はシィに童話を読み聞かせていたようだ。やはりというか聞き覚えのない題材の物語なので地球とは童話も違っているようだ。かと思えばカッコウやネズミなどの小動物は共通していたりもするし、この差異は一体なんなのだろう?

 楽しい童話を聞かせてもらったシィは、すっかり男に気を許してしまったのだろう。警戒心がまったくないというのは難儀なものだ。変な事をされたわけではないようなので、そこは安心したのだが。


「そういえば、シィを止めずにバレットは何をしていたんだ?」

「くぅん」


 ボスに話を振られたバレットは耳をぺたんと伏せて尻尾を丸めている。犬の気持ちがわかるマギサービスがなくても、今のバレットが反省しているのはわかる。


「シィ、『おじちゃん』に話しかけられた時にバレットは止めてこなかったのか?」

「うん、なんかね、服をくいくいってひっぱってきたよ。おじちゃんとお話してるからやめてーって言ったらやめてくれたよ?」

「バレット……本人に言われてやめたら意味がないんだぞ」

「くぅん……」


 魔物であるバレットには本当に危ない時以外は人間を襲わないよう固く命じてある。魔物である事が露見したら色々と面倒な事態になるからだ。

 シィが外出する時に護衛として連れて行かせているものの、相手が強硬手段を使わない限りバレットができる抵抗などたかが知れているのだ。護衛対象が懐柔されてしまってはどうしようもない。

 しかし、こうなったらもっと安全に気を配るべきだろう。何か考えておくか。


「どうやら、シィやバレットに何かをしたわけではないようだが、一体なんのためにシィを連れていった? しかも、早く帰せと言っても聞かない。これはほとんど誘拐だぞ。なんなら、出るところに出てもいいのだぞ」

「ほほほ、困りましたねぇ。本当にシィちゃんをどうこうするつもりはなかったんですよ? それに出るところに出たら困るのは、そちらも同じではありませんかぁ?」

「なんの事だ?」

「あの有名な議員であるレイルズ氏の長女が誘拐未遂の事件に巻き込まれた。しかも、その長女は家出同然に家を飛び出し、誘拐未遂されたのはその長女が溺愛している可愛らしい女の子。もしかして、家を出たのはで、女の子はでは? そういえば、長女の近くにそれらしいもいますねぇ」

「なっ!!」


 男がちらりと僕を見る。ボスは言われて初めて客観的に自分がどう見られる可能性があるのか理解したのだろう、カッと頭に血がのぼったのか頬が赤くなっている。


「ほっほほ、どれも民衆が好みそうな噂話ゴシップですねぇ。さぞかしレイルズ氏もお困りになるでしょう。子育てもまともにできないのに、国を育てる事などできるのか。政敵からは針のむしろになるでしょうねぇ」

「き、貴様……!!」


 これはまずい展開だ。ボスの性格と父親への尊敬っぷりからして、父親の政治的ダメージとなるようなスキャンダルは避けたいのが心情だろう。男はズバズバと明け透けに指摘してボスの口を閉じさせた。急に饒舌になりはじめたと思ったら、こんな事を言い出すとは。


「どうでしょう? ここはお互いになかった事にして水に流しては。私としては、シィちゃんと楽しくお話がしたかっただけで、あなた方に他意はございません。ほっほほ。それとも、お得意のマギサービスで暴力にでも訴えますかねぇ?」


 ニヤニヤと笑う男が本当に憎らしい。しかし、ここで男の言う通りに手を出したらこっちの一方的な負けだ。この国は政治中枢がしっかりしているだけあって、司法に関しても厳しい追求を受ける仕組みになっている。シィの件は被害者であるブライさんの部下達が訴えなかったので追求は免れたが、この男は完全に真逆を行なうだろう。

 マギを駆使して徹底的に証拠隠滅するなりして完全犯罪でも目論めば可能かもしれないが、そんな恐ろしい事にマギを使いたくないし、マギがある世界で完全犯罪なんて本当に可能なのかも疑問だ。


 せめて何か一矢報いてやりたいが、何かないだろうか。


「ほっほほほ。それでは、失礼いたしますよぉ〜」


 男が勝ちセリフを吐いて玄関に向かおうとする。


 考えろ。考えるんだ。僕の脳内CPUがうなりを上げて、これまでの会話や流れから使える情報がないかピックアップしていく。こういったファジー曖昧でランダムなスキャンは人間の得意分野のはずだ。

 人間の『勘』というものは、コンピュータには決して真似ができない最高の演算装置だ。コンピュータがデジタル処理を得意とするのは、実のところからなんだ。

 離散的0と1なデジタルとは違って、連続的なアナログのデータというのは0と1の間に無数の数字が入り乱れ、その解像度は無限大だ。デジタルカメラで写真を撮ると無限の数字は0と1に近似され収束し、無限に広かった空間は四角い枠の中に収められてしまう。コンピュータでは無限を無限のまま扱うという事はできないのだ。


 しかし、人間は違う。目で見て、耳で聞く物は全てアナログのデータであり、それを圧倒的な速度で解析し、過去の記憶との関連付けまで行なってしまう。アナログに特化した最高の解析器と、コンピュータには真似できない飛躍した連想が可能な記憶装置を誰もが備えているのが人間なのだ。

 人間の『勘』というのは、無限大のアナログデータを曖昧に解釈し、過去の記憶や経験と比較する事によって差分を取り出して、それを『違和感』として抽出したものだ。経験が多い人の方が勘を発揮しやすいのは、この差分比較のせいである。


 僕の脳内CPUは言ってはなんだが、いたって普通のスペックだと思う。計算が速いわけでもないし、コードを書く時だってクロック数は変わらない。コードを書くのが人より速いのだとしたら、それは経験によるものも大きいと思う。

 プログラミングというのは比較的に出やすいパターンというものがある。例えば状態遷移じょうたいせんい。ソフトがある状態で待機していて、入力があると次の状態へと変化遷移するのをこう呼ぶ。


 例えばゲームを起動したあとのスタート画面で、何かボタンを押すとメニュー画面へと移動するといったものがあるが、こういった画面の移動も状態遷移の一種である。

 ソフトウェアに『状態』というのはつきもので、画面のような目に見えるものだけでなく、目に見えないものもたくさんある。

 面白いところでは、『正規表現せいきひょうげん』というものがあり、これは『文字の並び』を状態遷移で表したものだ。“ABC”という文字の並びがある場合、最初にAという状態になっていて、Aの状態の時にBという入力がくるとBという状態へ遷移する。BからCも同様だ。

 これだけだと何が便利なのかわからないが、表現できる状態に『繰り返し』があるので『Aが三回繰り返したら次にBになる』という状態遷移を表現できる。この状態遷移が最後まで進むかどうかで、文字の並びが決められたパターン(AAAB)に該当するかどうかを確かめる事ができるのだ。

 応用すれば『入力された内容が数字だけになっているか』『入力された内容がひらがな三文字だけになっているか』といった無数のパターンを簡単に表現できて便利というわけだ。


 便利なだけに状態が少ない内にはいいのだが、画面の移動のように状態が増えてくると次第に状態遷移の流れは入り組みはじめ、最後にはどこからどうつながってるのかわけがわからなくなる。

 これを整理する方法は専用の図表を使うなど様々あるが、コードでうまく表現する事もできる。僕の場合は経験で状態遷移という『パターン』をどう表現すべきか知っているので迷うことなくコーディングができ、その分人より速いと言えるかもしれない。


 脳内CPUのスペックはいたって普通ではあるが、それでもわずかな取っ掛かりを探していた時に、よりにもよって一番大きなを見逃している事に気がついた。



「魔物……そうだ、魔物だ」


 僕がぽつりとつぶやくと、男の足がピタリと止まる。


「思えば、おかしかったんです。僕の書いたコードに間違いなんてあるはずがない」


 そう。プログラマの『傲慢プライド』にかけて、僕の書いたコードが想定外の動きをするはずがないのだ。想定外でないとしたら、一体なぜ男がこの部屋に現れたのか。


 僕が書いたコードは、電話システムを流用してシィのマギフィンガープリントからシィのマギデバイスの位置を特定し、そこを起点として周囲にいる特定の検索条件に当てはまるものを全て転送するというものである。

 設定した検索条件はシィとバレットだけに当てはまるもののはずだった。だがしかし、ここで男の存在がでてくるとおかしくなる。検索条件に該当しない男が現れたのだから、僕のコードにバグがあったと考えるのが普通だ。


 だが、もし僕のコードではなく、マギデバイスの周囲にがあったとしたら。


「僕が転送の条件として設定した『シィのマギフィンガープリント該当者』、そして『魔物』。マギフィンガープリントが重複する事はありえないから、必然的にということになる」


 男の様子がおかしい。背中を見せているので表情はわからないが、ぷるぷると震えているようだ。


「魔物の定義なんてわからなかったから、適当に設定してしまったのが、あなたにとっての不運でしたね。僕が定義した魔物とは『魔核を持つ生物』だ」


 魔核、という言葉を口にした瞬間、かすかに男がビクリと身を震わせた。


「あなた、魔核を?」

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