第5話 変わるもの、変わらないもの

 光と暴風がおさまった空間を見ながら、都雅はしばし呆けていた。

 さえぎるものが無い場所で、月明かりは、満天の星の光とともに、静かに地上へ降り注いでいる。冬の空気は刺すようだったが、あたりまえにある自然の一つだと思えば、さほどの痛みにもならない。何者にも阻まれず流れて行く風が心地良かった。

「癒せる?」

 そんな都雅のもとに駆けつけてきて、声をかけたのは崇子だった。

 振り返る。都雅の視線に、崇子は遠慮していると言うよりは、怯えているように見える。でも都雅は彼女に言ったことを謝るつもりなどなかった。自分の意志を曲げるつもりがない以上、謝る必要なんかない。それに正しいことなのだからやはり謝る理由なんてないと思っている。

 振り返ったついでにまわりの人たちを見まわした。猫に戻った菊は、隣りに同級生を横たえた美佐子の膝に抱かれて、頭をなでてもらっている。何となく憎らしくなって蹴り飛ばしたい衝動にかられたが、とりあえず抑える。

「あたしは回復魔法って得意じゃないんだ。こんなものそのうちどうにかなる」

 いつものことだという態度の都雅に、崇子は心底呆れた顔をした。

「それでよく、あれだけ無謀な戦い方が出来るものね。あきれた。もう少し自分を大切にしなさい」

「している」

「言われなくても知ってるだろうけど、魔道の得手不得手は本人の気質に関係あるのよ。癒しが得意でないってことは、自棄な人間ってことでしょ。攻撃魔法が大得意なんだから、遠慮も呵責もない自暴自棄な攻撃型の人間ね。破壊魔って言われても仕方ないわ」

 都雅のかわりに癒しの技を使いながら、崇子は言った。普通の攻撃魔法よりも癒しの力は、生きているものに働きかけるのだから、簡単な技ではない。それでも都雅の場合は、やはり一概にそのせいとは言えない。

「うるさいな」

「でもあなた、信じられないけどお人好しよね」

「……阿呆言うな」

 崇子がまだ何か言いたそうだったが、少し離れたところから脳天気な声が聞こえた。

「あーっ。いいなー、若い子の膝枕」

 奏の声に、都雅は呆れて返す。

「爺臭い奴だな」

「うーわあ、蓮ちゃん以外の人に久しぶりに言われましたよ」

 人の姿に戻っていた奏は多少ぎこちない動きではあるものの、雅毅を抱えてすたすたと歩いてくる。それに気づいて崇子が不安げに問うた。

「大丈夫なんですか?」

「だから俺、頑丈なんだって。怪我の治りもちょっと個性的なくらいに早いんだ」

 雅毅をおろすと、折れていたはずの腕の手をひらひらと振って見せた。

 崇子のおかげで怪我が癒えて、都雅は手を動かしながら少しだけ感動した。添え木をあてていた腕も完全に治っている。さすがにこれには礼を言うと、崇子は嬉しそうに笑った。

「わしは猫じゃ。猫には人の膝に乗る特権があるのじゃ。残念ながら鬼にはないがのう」

 美佐子の膝の上で菊は得意げに言う。

「なんだよケチー。ハゲー」

「ハゲ言うな」

 牙をむき出すようにして菊は抗議する。どうやら「イーッ」とやりたかったようだ。

「だいたい何、最初っから思ってたけど、随分爺クサイ奴だな。かわいくなーい」

 蓮が高飛車に言う。その言葉より、見下す声に腹がたったようで、菊はムキになって言った。

「長寿で何が悪い。わしは、天保の生まれじゃ。年寄りはいたわるべきじゃ」

「へえ、百歳越えてるじゃねーか。見かけに寄らず年寄りだなあ。お前さんも随分若作りしちゃって」

 ぷぷぷ、とおかしそうに奏は言う。さらに気を悪くしたようで、菊は問い返した。

「そう言うお主はいつの生まれじゃ」

「俺? ……いつだっけ?」

 ふざけているのではない。奏は蓮を振り返るが、無視されて、少し傷ついた顔をして再び考え出した。会話の成りゆきを見守っていた崇子も、この話題には少し興味があったので聞き入っている。美佐子は始めから口をはさむ余地をなくしているし、都雅はどうでもいいという顔ですたすたと雅毅の方に行く。

「ああ、確か今で言う「応仁の乱」とかいうのがあった頃が鬼になった年だから、うん、そのへんだと思ってくれ。それで、蓮ちゃんに会ったのがその五十年ばかし後だったな」

「…………応仁の乱?」

 美佐子が珍しく素っ頓狂な声をあげる。

「そうそう。だから、協会には戸籍のこととかでちょっと世話になってて」

 協力者として彼らが協会からの頼みを断りきれない理由。だけど、本当に嫌ならそんなもの簡単に蹴飛ばせるものだろう。彼らは、ただそれを好まないというだけで。崇子は奏の言う歴史が、「昔のこと」ということは分かったものの、正確にどれくらいか分からなかったので不思議そうな顔で聞いた。

「正確には、いつくらい?」

「はい、学生さん。答えてみよう」

 奏が突然振ったので、美佐子は戸惑った。動転して答えが出てこない。

「一四六七年、応仁の乱勃発。軽く五百歳超えてるな」

 遠くから都雅が、しらっと答える。それを受けて菊は、翠の目を細めて半眼で奏を見上げた。

「お主に若作りとか言われたくないぞ」

「それは何、つまりこのぼくが、ジジクサイっていうわけ? ――ったく、人の年までバラしやがってっ」

 奏に向かっての悪態だったが、蓮は偉そうに腰に手をあてて猫に詰め寄った。

「清く正しく美しいぼくのどこがジジイに見えるって?」

「蓮ちゃん、美しいとはともかく、清く正しいとはあんまり思えないなあ。奏君びっくり」

「何言ってんの。ぼくが正しくなくてこの世の何が正しいのさ。この世で一番正しいのはこのぼく。分かってる?」

「ああ、はいはい。分かってますよ蓮ちゃん」

 都雅はまだ何か言い合っている彼ら無視をして雅毅の脇にしゃがみ込むと、表情を動かしもせずに聞いた。

「大丈夫か」

 呆然として座り込んでいた雅毅は、目の前の姉に問われて、かくんとうなずく。

 魔族に力を搾り取られていて、平気なわけがない。だけど、彼は言わなかった。そんな雅毅を見て、ため息をつきながら都雅は言う。

「家の前まで送って行ってやる。何か聞かれたら、何にも覚えてないって言えよ」

「でも、お姉ちゃんが助けてくれたのに。お母さんに言えば、もしかしたら」

「お前の力のことまでばれるかも知れない。それだけは何がなんでも隠し通せ。だから、関係あるようなことは黙っている方がいい」

「でも……」

 納得行かない顔で雅毅が言い返そうとするのを封じて、都雅は続ける。

「いいから。言うことを聞いておけば間違いない。もしまだあたしに会いたいんだったら、たまには遊びに来ればいいから。母さんに文句は言わせないし」

「本当っ?」

 あまりに嬉しそうに雅毅が目を輝かせて言うので、都雅は面食らってしまった。少し驚いて目を見開いた。それから、唇が笑みの形をとろうと懸命になる。都雅は少し困ったような顔で言った。

「家の方には……まあ、あたしもたまには、行ってやるし」

 その言葉には、雅毅は飛びつくような反応は見せなかった。少し驚いて。それから、笑みを浮かべる。彼も都雅がそれを言うのにどれだけ勇気が要ったか、多少なりとも分かっているから。

「うん、その時にはぼくがお姉ちゃんを守るから」

 しっかりと言った。あまりに自信たっぷりに雅毅が言うので、都雅は今度こそちゃんと笑った。

「ああ、そうだな」

 守られてばかりだと思っていた弟に言われて、少し驚いた。もしかしたらあたしに似てきてるんじゃないかと思って少しあせった。

 それはやっぱり、男の子でも勧められるコトじゃないと、自分で思う。それから少し自嘲してしまった。都雅は立ち上がって、顔をあげる。

 魔族にとりつかれていた少女を抱えあげた奏と、隣りに仁王立ちする蓮と、まだぎゃあぎゃあと言い合っている菊をおいて、都雅たちの方に美佐子が歩いて来ている。

「雅毅くん?」

 彼女はいつもとかわらない笑みで、問いかけてきた。あれだけの攻防を目にして、自身も命を狙われる危険にさらされたのに、いつも通りでいられる彼女を見て、これは図太いのかもしれないと都雅は思ってしまう。いい意味での図太さなんてものもあるのだったら、美佐子の場合は間違いなくそれだ。

「弟だ。小学三年……だったよな」

「うん。――はじめまして。神舞雅毅です。姉がいつもお世話になっています」

 都雅と並んで立った、雅毅はきちんと姿勢を正して、お辞儀をした。子供らしからぬその言葉に思わず美佐子は笑う。

 雅毅と話し始めた美佐子に、都雅は声をかけるのにためらってしまった。目をそらして、ぼろぼろになってしまったマントを残念に思ってから、気を取り直して再び顔をあげる。

 ――月の光は、変わらず降り注いでいる。屋根の上で語らったあの日と同じように。冷たい風も、凪いでいる。

「あのさあ……」

「うん?」

 美佐子は振り返って笑う。自然な笑みで笑う。事件にあう数日前となんら変わらない笑顔で。それがなんだか、都雅には不思議だった。

 冒険譚ではないのだ、行く手を阻んでいた敵を倒したからと言って、突然何かが変わる事はない。急激に世界が変わるわけではない。

 帰れば母親は相変わらずだろうし、祖母だって相変わらずに人をこき使ってくれるに違いない。そして革新的に、自分自身が変われるわけでもない。やはり先を見通すことは恐いし、自信が無い。けれども。

 笑いかけてくれる人がいる。

 けなして突き放す人がいれば、笑って受け止めてくれる人がいる。――そんなものだろう、人生なんて。

 例えこんな力を持っていなくたって、誰だってそんなものなのだろう。力を持っていたから、少しだけそれが強調されていたと言うだけのこと。卑屈になる理由には、あまりならない。

 美佐子の笑みを見て、気がつけば何だか自分も笑っていた。それがなんだか少し気恥ずかしくて、うつむきながら都雅は言う。

「高校行くとか言ってた話だけど」

 美佐子はそれを聞いて、笑みを深めた。けれどそっと、さっきと同じように応える。

「うん」

 先をうながすような声に、都雅は深呼吸のように息を飲み込む。

 そして空気と一緒に、言葉を吐き出すために、唇を開いた。




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禍言の葉 作楽シン @mmsakura

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