第四章:激動の嵐

第一節:女の幸せ

「やはり、藤堂は伊東さんについて行くのか?」

「おそらく。まだ思い悩んでいるようですが元々勤王思想を持っておりましたから、伊東さんについて行くかと思われます」

「悪いな、斎藤。こんな嫌な役目をお前に押しつけちまって」

「いえ、お気になさらず。新選組のためと思えば、この役謹んでお受け致します」

「正式に決まれば長くて辛い役目になるだろうが、必ず帰ってくるのを待っている」

「はい。では、失礼します」

斎藤は俺に一礼すると、俺の部屋を後にした。

 今、隊内では不穏な動きがある。それは、伊東さんによる若手隊士への勧誘行為だ。伊東さんは、元々尊皇攘夷。佐幕派の俺達とは攘夷という点では一致していても、掲げている根本の思想が違った。

 だから、いずれはこういったことが起こるだろうとは予想していたが、藤堂までも連れて行かれるのは新選組にとって痛手だった。藤堂がまだ決断できていないのは、仲間思いのアイツのことだ。俺達新選組への仲間の情と自分の掲げる思想、どちらを選択すれば良いのか思い悩んでいるからだろう。

 しかし、だからといって藤堂に残留して欲しいからと、俺達が藤堂に必要以上に接触をすれば、頭の良い伊東さんのことだ。斎藤を間者として潜り込ませようとしているこちらの動きを悟られてしまうかもしれない。

「はぁ~、これ以上面倒ごとが起きないことを祈るしかないな」

茶を一口飲んで一息つくと、出先から帰って来た近藤さんに報告をするため近藤さんの部屋に向かった。


                  *


「縁談だぁ~!?」

伊東さんに勧誘を受けている斎藤を新選組の間者として潜入させることを報告すると、近藤さんから予期していなかった話を持ち出された。

 青天の霹靂とは、まさにこのことだ。悩みの種が増えないことを祈ってはいたが、まさかアイツのことで悩みの種を増やされるとは思っていなかった。

「まぁ、トシが驚くのも無理はない。俺も彼女に縁談の話が出るとは思っていなかったからな」

朗らかな笑顔でそう語る近藤さんに俺は深い溜息をついてしまった。

「近藤さん、土方さんが此方に居ると伺ったんですが中に入っても宜しいでしょうか?」

「あぁ、総司か。トシなら此処にいるぞ。入ってくれ」

「失礼します」

障子を開けて顔を覗かせたのは隊服を着たまま巡察から帰って来た総司だった。近藤さんの前だから礼儀正しくしているが、普段の総司ならこんな丁寧な所作はしない。そんなことを思いながら総司の方に顔を向けて報告を聞くことにした。

「巡察、ご苦労だったな。それで、街の様子はどうだった?」

「特に変わった様子はありませんでした」

最近は、京の街も落ち着いてきたのか、下らない小競り合いはあるものの目立った争いや争いの火種になるような報告をどの組からも聞くことはなくなっていた。

「お前の体調の方はどうなんだ? 今朝も咳き込んでいただろ?」

「言ってるじゃないですか。ただの風邪だって。少し長引いているだけですよ」

俺が総司の体調を尋ねると、うるさいなぁと言った様子で俺にそう答えた。

「風邪は万病の元とも言うからな。総司、仕事も大事だが身体が資本だ。無理はせず、きちんと養生して早く治すんだぞ」

「そうですね。ありがとうございます、近藤さん」

近藤さんも最近の総司の体調は気にしているようで、近藤さんがそう言うと総司は素直に礼を言った。

「ところで、土方さんはどうして近藤さんの部屋に? いつもなら、巡察の報告を聞くために自分の部屋に居ますよね?」

「あぁ、実はな和流せせらぎ君に縁談の話が来ていてな。その話をしていたんだよ」

俺がこの時間に近藤さんの部屋に居ることを訝しげに思った総司に近藤さんはそう答えた。いくら総司でも斎藤に間者になってもらう話は近藤さんと俺だけの秘密にしたい内容だ。とはいえ、誤魔化すにしても唐突過ぎて少し無理があるように思った。

「あの子に、縁談?」

アイツの縁談の話を聞き眉をひそめてた総司の様子に気付かないのか近藤さんは朗らかな笑顔のまま話を続けた。

「あぁ、そうなんだ。総司も名前くらいは聞いたことがあるだろう。あの菱屋ひしやと競い合うほどの大店おおだなの大和屋のご主人だよ」

「大和屋の――――」

 大和屋の主人といえば、羽振りが良くて温和で優しく、さらに役者顔負けの優男だと、この界隈では知らない者がいないほどの有名人だ。

「良縁だと思わないか?」

「・・・・・・・・・良縁だとは思いますけど、どうして彼女に? 確か数年前に亡くなった奥さんを今でも慕ってるとかで、再婚の意志がないことでも有名でしたよね?」

総司の言う通り、大和屋の主人はその容姿と人柄から女性にかなりモテる。だが、数年前に亡くした奥方を今でも想っていると評判で、どんな美人にもなびかずに独り身を貫き通し、奥方が遺してくれた一人息子のことも目に見えて溺愛していることでも有名だ。そんな人物が何故、身元が未だに分からないあの娘との縁談を近藤さんに持ちかけてきたの分からなかった。

「先月、息子さんが高熱を出した時に親身になって対応してくれたのが彼女だそうだ。元気になった息子さんも彼女に懐いてるようでな。独身ならば縁談を申し込みたいと声がかかったんだ」

どうやら昨夜の近藤さんを招いての会津藩士達との宴会は、会津藩が懇意にしている大和屋の主人とアイツの縁談話を進めるためのお膳立てだったようだ。

 近藤さんの妾宅に住んでいると知った大和屋の主人は、あの娘が近藤さんの妾なのか診療所の人間達にそつなく聞き込んだようだ。結果、近藤さんの妾ではなく、詳しい理由は知らないが新選組局長である近藤さんが保護していることを知り、会津藩士経由で近藤さんにアイツの縁談話が舞い込んだようだ。

「屯所に戻るついでに和流せせらぎ君の所に寄って縁談の話をしてきたんだよ」

「「!?!?」」

これには俺だけでなく総司も驚いた様子だった。

「ちょっと、待ってくれ、近藤さん! アイツにもう縁談の話をしちまったのか!?」

「あぁ、そうだが。なにせ、会津藩経由での縁談話だからな。無下にもできないだろう? 何か問題でもあるか?」

「問題大ありだろうが!! いいか! アイツの身元は未だに分からないんだぞ!?」

事の重大さに未だに理解していない近藤さんに呆れながら俺は話を続けた。

「身元が分からないアイツに縁談話をしたってことは、新選組がアイツの後見人になったも同じなんだよ! 後先考えずに得体の知れない奴の後見人になって、もしも幕府に仇をなす連中と関係があったらどうするんだよ!?」

「トシが心配していることは勿論分かる。だがな、二年も和流せせらぎ君を見てきたんだ。彼女の人柄はよく分かっている」

「だからってな!」

「彼女も年頃だろうし、これ以上女人にょにん一人でいるのはよくないだろう。身元が分からないのは、あちらも承知されている。なら、せめて新しい家族を作って女人にょにんとしての幸せを掴んでも良いと俺は思う」

近藤さんの言い分も分かる。相手方もアイツの状況を全て知っていて縁談を持ちかけてきたんだ。それに、大和屋ほどの大店おおだなに嫁いだとなれば金銭に不自由することもないだろう。これ以上ないと言っても過言ではない縁談話だ。断る理由がない。

「近藤さん、アンタの気持ちもよく分かる。だがな、用心に越したことはないと俺は思う。万が一、アイツが長州の間者だったら洒落にならないぞ。新選組の存続にも関わってくる」

「だが、二年もトシが彼女の調査をして長州との繋がりは見つからなかったんだろ? ここまで調査して、何も倒幕派との繋がりが見つからなかったということは我々の敵ではないよ」

縁談話を当の本人にしてしまったとは言え、最悪の事態を想定して俺は近藤さんに食い下がったが、逆に近藤さんに今までのあの娘の調査報告を逆手に取られてしまった。

「縁談の話を和流せせらぎ君にしたとは言っても、最終的に決めるのは彼女だ。そこまで目くじらを立てず、彼女の答えを待とうじゃないか」

近藤さんは会津藩経由ということもあり、この縁談が纏まることを望んでいるようだが、俺としては新選組のためにもご破算になってくれる祈るしかなかった。

 ここまで黙り込んでいた総司をふと横目で見ると、アイツは両拳をギュッと力強く握って何かに堪えている様子だった。


                  *


 あの後、僕はどうやって近藤さんの部屋を退出したのか覚えていない。ただ、覚えているのは彼女の縁談話を聞いて何故だかモヤモヤした気分になったことだ。この気持ちの正体が何なのかは分からないが、気分転換に当てもなく外を散歩することにした。

 聞き慣れた笑い声に顔を上げると知らない男が玄関の掃き掃除をしていたのか箒を持っている彼女と談笑している姿が目に入った。どうやら僕は、知らない内に彼女の所まで歩いて来たようだ。談笑している彼女と男の姿を見て、ズキッと心が痛んだ気がした。

「あれ? 沖田さん? どうされたんですか?」

見知らぬ男と話し終えた彼女は僕に気付くとそう声をかけた。

「・・・・・・・・・・・・」

「沖田さん?」

何も答えない僕を不思議に思ったのか、僕の所まで駆け寄って来て彼女は僕の顔を覗き込んできた。

「・・・・・・別に、何でもないよ。ところで、さっきの男と何を話してたの?」

「先程の方ですか? 道を教えていたんです。なんでも大和屋さんに行きたいそうで」

「大和屋へ?」

「はい。初めて京にいらしたそうで、京は碁盤の目のようだから道は簡単だとご友人の方から聞いたそうですが、道に迷われてしまったそうです」

そう言って彼女は行商人の男が歩いて行った道を見つめていた。

「私も最初の頃は京の道を覚えるに苦労したことを思い出して、その気持ちがよく分かります、と話していたんです」

笑顔でそう語る彼女を見て他愛もない話を先程の男としていたのだと分かった。だけど、彼女の仕草や笑顔を見ただけで、今までに感じたことのない強い苛立ちが込み上げてきた。

―――― なんで君はそんなに無防備なの?

―――― どうして大和屋との縁談話があったのに平然と大和屋の名前が出せるの?

「前から思ってたけど、君って不用心だね」

そんなドス黒い感情が渦めいていたせいか、気付いたら僕はそう言葉を発していた。

「沖田さ――――!?」

突然苛ついた口調でそう言われた彼女は僕の顔を見ると目を見開いて言葉を失った。そんな彼女の様子だけで、僕が相当怒った顔をしていることが嫌でも分かった。

「何を勘違いしているのか分からないけど、ここは近藤さんの休憩所だよ? 君の家じゃない! 近藤さんが優しいからってそれに甘えて調子に乗って、何処の誰とも分からない人間と話してるなんて不用心じゃないかな?」

「・・・・・・・・・・・・」

「そういえば、君に大和屋のご主人との縁談話があるんだって?」

「どうして・・・・・・・・・それを?」

僕が縁談の話題を出すと、恐る恐る彼女はそう聞き返してきた。

「近藤さんから聞いた。君にとっては良い話なんじゃないの?」

「・・・・・・・・・そう、かもしれません。でも、すぐにはお返事できません」

「どうしてさ? 君も年頃なんだし、こんな良縁そうそう舞い込んでこないと思うけど?」

「私にはすべき事があるからです」

彼女は真剣な眼差しで僕を見つめた。

すべき事って医術を学び続けることを言っているの?」

「はい。私はこないだ沖田さんにお話したように医術を私の道標みちしるべとして頑張ろうと決めました。だから――――――」

「だからどうしたの? 君は女の子だよね?」

僕は彼女の言葉を遮って怒りにまかせて言葉を捲し立てた。

「こんな良縁なかなかないんだし、結婚しちゃえば良いじゃない?」

「!?!?」

「女の子の幸せって言えば結婚して子供産むことでしょ?」

気付いたら僕は心にも思ってもいないことを口に出していた。僕の言葉を聞いて、彼女は悲しそうな顔をした。

「・・・・・・・・・そう、ですね。沖田さんの言う通りですね。沖田さんも勧めて下さってますし、前向きに検討しますね」

今にも泣き出しそうな顔で笑顔で僕にそう言う彼女を見て僕は後悔した。

「特にご用がないようでしたら、失礼しますね」

だけど、僕が彼女に謝罪をする前に彼女は丁寧に僕にお辞儀をして家の中に消えて行ってしまった。


                  *


 家の中に入ると私は、その場で口に手を当て、泣き崩れてしまった。

 沖田さんが、どうして急に怒り出したのか私は理由が分からなかった。だけど、沖田さんが言う通り此処は近藤さんの休憩所であって私の家ではない。居候の身として新選組・局長の近藤さんの休憩所を守らなくてはいけない立場だ。なのに、この家に長く住まわせてもらっていて、すっかり居候という感覚が薄れてきていてしまい、見知らぬ人と他愛ない話をしてしまった。近藤さんのことを尊敬している沖田さんのことだ。私が気付かない内に近藤さんや新選組の弱味を話してしまうんじゃないかと思って、怒ったのかもしれない。

 だけど、私が一番悲しかったのは近藤さんからいただいた縁談話を沖田さんが勧めたことだった。どうして、沖田さんが勧めたことが悲しかったのかは分からない。ただ、はっきりと私を拒絶した言葉を聞いて、あのまま沖田さんの話を聞いていたら、あの場で涙を流して、余計に沖田さんの迷惑をかけてしまうと思った。だから、逃げるように家の中に入ったけど、きっとそんな私を沖田さんは礼儀がなってない子と思ったに違いない。

「この前は一緒にすべき事のために頑張ろうと言ってくれたのに・・・・・・・・・」

私は自分の身体を抱きしめるように近藤さんとの話を思い出した。

「どうだろう、和流せせらぎ君? 君も年頃だ。こちらの縁談を進めてみないかい?」

「急に縁談と言われましても・・・・・・・・・」

「戸惑う気持ちもよく分かる。未だに家族も見つからないんだ。この縁談が進めば家族の許可もなく、婚姻を結ぶことになるからな。だが、大和屋さんとの縁談だ。ご家族も反対はされないと思うぞ」

「そうじゃないんです。私は今、松本先生の元で医術を学んでいます。改めて、自分がやりたいことがはっきりしたんです。それなのに、結婚だなんて考えられません」

したいことのために努力をすることは立派なことだ。だが、君は女子おなごだ。結婚して女としての幸せを掴んで良いと俺は思うぞ」

「・・・・・・・・・・・・」

「もし、君が自分の身元のことで躊躇っているのならば心配しなくていい。あちらも君が記憶がなく身元がはっきりしていなことも了承の上で、縁談を申し込んでくれたのだからな」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・急な話だからな。すぐに答えは出さなくていい。今一度、じっくり考えてみてくれないか? やはり、女子おなごとしての幸せを考えれば、結婚をするのが一番だと俺は思うぞ。女子おなごの独り暮らしは苦労しかないからな」

私のことを気遣って近藤さんは考える猶予をくれたけど、新選組がお世話になっている会津藩経由での縁談だ。本当はすぐにでも色よい返事をしなくてはいけなかったのではないかと思う。

「・・・・・・・・・女の幸せかぁ。好きな人と一緒になることって難しいのかな?」

そう呟いた時に真っ先に浮かんだ顔は沖田さんだった。だけど、先程の沖田さんの言動を思い出し、私は更にギュッと自分の身体を抱きしめた。

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