第24話 決意



 鉄格子に隔てられた部屋の中で、真正面から向き合ったままの二人。

 一人は俯いたま、顔を上げようとしない。

 一人はしきりに首をかしげている。


「んあ、ちょっとまてユウナ。なんで残るんだ?」


 いつまでも顔を俯いたままのユウナに辛抱できなくなったヴァンは、わけがわからない、と言った様子で聞く。

 それもそのはず、元々浮島に来ることになった理由は、状況や詳しい内容はどうあれことが目的だったのだから。

 小さな部屋には無骨な鉄格子が二人を隔てている。この牢屋みたいな狭い場所に閉じ込められている、だから助けてほしい。そういう理由だとヴァンは勝手に思っていたからだ。

 ユウナはゆっくりと頭を上げる。涙目を浮かべたその表情は申し訳ないといった気持ちで歪んでいる。 


「本当にごめんなさい。手紙を窓から投げた時には自分がここにいる理由、いなければならない理由を知らなかったんです」


 うすら寒い狐眼のアーヴァインが早口で説明した内容を、複雑な面持ちでゆっくり簡潔に説明していく。

 

 浮島を現在も宙に留めている浮遊魔石の魔力が枯渇しかかっていること。

 この部屋は浮遊魔石と連結されていて、膨大な魔力を宿すユウナから供給されていること。

 供給源であるユウナがこの部屋を出てしまえば、浮力を失った浮島は地面へと落ちていってしまうこと。

 

「―――ですから、私は残ります。ここまで来てくれたヴァンさんにはなんて謝れば……本当にごめんなさい。でも、こんな嬉しい事はないってくらいに驚きました。奇跡を起こすことが出来るなんて、ヴァンさんは凄いです」


 凄い、という言葉にまんざらでもない顔をしたヴァンは頭を無造作に書く。


「まあ良くわかんねえけど、ユウナがそれで良いってんなら良いんじゃねえか。でも、ここにずっといなきゃいけないんだろ。つまんなくねえか?」


 駆け抜けることや、思い切り飛び跳ねることもできない狭くて息苦しい部屋。この部屋でどれくらいの時間過ごせばいいのかわからない状況など、日々変化を求めるヴァンにとっては考えるだけで寒気がした。一日ですら耐えられるわけもなかった。

 その言葉にとってつけたようにユウナは明るく応える。


「えと、確かにちょっと狭いですが、本も読めますし、この位置から眺める景色もなかなかのものです。たまに鳥が仲良く飛んでいく姿も見れますし、案外慣れてしまえば快適に過ごせるかもしれません」


 一度考える素振りを見せてからヴァンは左右に首を振る。


「俺は無理だな。絶対無理! ……でも、飯は美味かった。全然足りないけど」


 言い終えてからちょうど良く腹の虫が返事する。


「はい、美味しいんですよ。叔父様が雇っているコックさんが作る料理はどれも一級品で、たまに遊びに行った時には腕をふるってもらってました。これから毎日食べれるのだとしたら、ひょっとしたら私は幸せものなのかもしれないですね」


 下の町では今日を生きるためにゴミを漁ってでも食料を探す住人がいる。それは年老いた老人なのか、幼い子供なのか。

 たかが部屋から出られないだけで、生きていく為の生活環境が整っている状態の今を、不幸に感じることこそ贅沢なのではないか。何かから怯えることもなく安全が保障されているこの部屋で、ゆっくりと本でも読みながら生きる事ができるのだから。

 私はここで、この部屋で生きていく。これはきっと残酷でもなく無情でもない、恐らくは幸せなことなのでしょう。

 

「確かに……ヴァンさんには少し窮屈すぎるかもしれませんね。でも、私は外に出て暖かい日差しを浴びるのも好きですが、日中をベッドでごろ寝するのも大好きなんです。それに、下の町に降りてヴァンさんと一緒に町を廻ってから、改めて自分が何も知らない子供なんだって嫌になるくらいに気付きました。だから、この機会に少しでも世界を学ぼうかと思います」


 ここ数日で、いかに自分がこの世界の事を、この町の事すら何もしらない世間知らずの娘であることを痛感したユウナ。


「部屋の中にこんな鉄格子があるので、まるで閉じ込められているかのようですが、食事もキチンと食べさせてくれますし、本棚にこれだけの本を用意してくれている所をみると、叔父様が気を使って下さったのでしょう。そこまでの我儘を言わない限り、面白い書物を持ってきてくれるかもしれません」


 王都などには子供が大人になるまでの最低限の知識や礼儀作法を学ぶことのできる学校がある。だが、このブランディアという田舎町にはそういった学び舎の施設は存在しない。親から子へ、字の書き方や料理の作り方などを教える程度だった。

 浮島に住むユウナは、母親からある程度最低限の知識を教えてもらってはいたが、それは浮島の中で生活する上の知識であって、世間知らずという枠を超えないものであった。

 

 書物を通して世界を知ることと同時に〈神子〉という存在の事も調べたいとユウナは思った

。未だに自分がそんな稀有な存在であるとは信じられなかったが、何にもしらない状態では何も判断することはできない。

 今までは生活する上で不自由がなかったこともあり、特に自分から何かを学ぼうという気持ちは無かったが、本を読むことも学ぶ事もユウナ自身嫌いじゃなかった。ただきっかけがなかった。

 この狭い部屋から出られないという面を除いては、今の状況はそこまで悪くはない。今まで通り浮島で暮らすには、住人からの眼があり暮らしにくいが、ここにいる限り好奇な視線にあてられることもない。むしろ好都合な環境であるかもしれないのだ。


「お父様とお母様の状況が気になりますが、あの優しい叔父様が兄夫婦にそこまで乱暴をするとは思えません。心配であることは変わりませんが、その内会いに来てくれると思います。 ………そういえば、ヴァンさんが来るまでに読んでいた本があったのですが、子供向けなのかと思っていたんですけどこれが中々面白いんですよ。是非ヴァンさんにも」


 務めて明るい口調で話すユウナはベッドに置いてある本を手に取る。


「―――お前ってさ、嘘つくの下手だよな」


 ここまで黙って話を聞いていたヴァンが不意に口を開くとそんな事を言う。


「え、一体何のことでしょう?」


 嘘をついている?

 そんな事はない。だって、今の私にとってはここまで好条件の場所はないのだから。狭苦しいこの部屋だって、慣れてしまえばなんてこともないと思う。それに死ぬまでここから出られないというわけではないのですから。あの魔導研究所の研究員であると名乗った狐眼の人も言っていたじゃないですか、なんとか代用のものを見つけてくる、と。少しの間この部屋に閉じこもっているくらい何の苦にもなりません。その間に少しでも世界を知る為に学ぶ事ができるのですから。だから私は――――


「じゃあ、?」


 自然な笑顔で話せているとユウナは思っていた。ヴァンとトールの親子喧嘩を見て堪えきれず笑ってしまった時と同じように。ここで生きていくことに何の問題もない。だから何も心配しないでほしいと暗に伝えるように。

 終始明るい声を出している。でも、涙は一向に止まってくれなかった。

 頬を伝う滴を感じていたが、無視していた。止めどなく溢れだしてくる涙に、拭おうとも止まるとは到底思えなかった。

 この狭苦しい部屋で何年も、いや下手をすれば何十年も過ごさなければならない。そんなのは絶対に嫌だった。嫌で嫌でしょうがなかった。どうしてこんな目に遭わなければいけないのか不思議でしょうがなかった。魔法を使おうとしたら奇妙な片翼が現れて、膨大な魔力宿している。あなたは神子だ。この浮島を唯一救える人間だ。そんな勝手な運命を押し付けられてどうすればいいのかわからなかった。十五歳を迎えたばかりの少女にはわからなかった。

 

「……はは、どうして、でしょう」


 わかろうとした。納得しようとした。運命とは時には残酷なものなんだと。自分がこの部屋にいることで浮島の住人が救われるのであれば喜んでここに居ようと。

 でも、涙は止まらない。納得しようと思えば思う程溢れてくる。ユウナの心はどこまでも正直だった。

 歳を重ねるごとに外の世界への好奇心は募っていった。窓の景色から見たあの山の向こうの景色はどうなっているのか。自由に空を駆け抜ける宙船から見る眺めはどのようなものなのか。最高の冒険者を目指すというヴァンの話を聞いて、その思いはユウナの心の中でどんどんと成長していった。

 いつかはあの山の向こうの景色を見てみたい。冒険者のようにロマンを求めて命を賭けるほどの覚悟は無かったが、それでも見たことのない景色をこの眼に映したかったのだ。

 だが、それはもう叶うことのない夢。幻にも似たそれは牢屋のようなこの部屋でアーヴァインの話を聞いてから霧散してしまった。


「………滑稽ですよね。私には銀色の翼があるのに飛ぶこともできないで、そこの窓から自由に飛んでいる鳥たちを嫉妬深く眺めることしかできません。鳥かごのようなこの部屋は片翼だけで飛べない私にはぴったりなのかもしれません」


 静かにユウナは体内の魔力を練り始める。徐々に背中から銀色に発光する美しい翼が現れる。両翼であれば整った容姿と相まって神々しさすら感じることだろうが、片翼であるばかりに歪な異様さが不吉に思える者もいるのだろう。


「おぉ、やっぱりかっけぇ!」


 でも、目の前の少年は羨望の眼差しで声を上げる。


「つーかさ、ユウナはどうしたいんだ?」

「私ですか?」

「ああ。結局ユウナはどうしたいんだ? ここから出たいのか? 出たくないのか?」


 ここから出てしまえば、浮遊魔石は魔力を失い浮島は地面に落ちてしまう。すぐに落ちてしまうのか。もしくは少し時間が経ってから落ちるのかそれは定かではない。だがどちらにしろ浮島の住人に迷惑をかけてしまうことには変わりない。

 急いで、連絡船に乗って下の町に避難すれば問題はないのかもしれないが、間に合わなかったことを考えてしまうと、恐ろしくなる。


「そんなの、そんなの決まってるじゃないですか………」


 そこから先の言葉が出てこない。怖いのだ。自分の選択が誰かに影響を与えることが。


「……うぉし。わかった!」


 ユウナが言い終わる前に、ヴァンが部屋から出ていこうとする。

 そのまま帰ってしまうのか、と一瞬考えはしたが何か決意した表情のヴァンがそのまま帰るとは思えない。

 一体どこへ行くのか、そう問いかける前に振り返ったヴァンが告げる。


「ちょっくら浮遊魔石ぶっ壊してくる!」


 

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