3-14
押しつぶすように、笑いの圧が強まる。何という茶番、くだらぬ群像劇、みんな消えてしまえと、奥の間に閉じこめられたきりの少女が叫んでいる。
「貴方が、貴方自身が苦しんでるように思える、どうしてって言えない立場だけど、でも、どうしたら貴方が自由になるの」
――ここから出して。
ひやひやする綱渡りの口調に戻ってしまう。感情を爆発させてくれていたほうが話が通じる気がしてしまうのは、由良の気のせいか。
「貴方がいて、私の先祖がばかなことをして、だから梓や私がいて、それで悪いともいいとも言えない、仕方ない、だったら、今からできることをするしかない」
そんな当たり前の暴論を振りかざして、何度、奥の間の少女を怒らせたのだろう。何度、梓にため息をつかせたのだろう。
由良は、赤ん坊みたいに、頑是無く叫ぶしかなかった。これまでの先祖の、誰だって諾々と少女を封じ込めてきたわけじゃなくて、最善を、そのときできる限りのことをしてきてその結果しか出せなかった、その積み重ねだ。
「三船も、手伝って! 何もしないなら来ないで」
無茶ばかり言う。笑う気配が、耳元にする。梓には感知されなかったらしく、彼は奥の間や時折向かってくる小物を殴ったりつぶしたりする方に忙しい。
ふと視界が切り替わる。少しだけ、夜のように暗く、けれど月が出ているように平明に明るい。
隣に、白い髪の男が立っている。相変わらず着物姿で、どこか叔父にも似て、ゆったりと構えている。
男が口を開いた。
「全部、追い払えばいい?」
「そんなことが三船に、できるの?」
「……いいや。残念ながら」
「そうだと思った。だってもしそれができるのなら、三船はきっと、ここにいないよ」
あの子や、アレらを強制的に封じ込めるか追い払うか、壊してしまうか、それができるのであれば、ここにアレらはもういなくなるし、それに引きずられるようにして居残っている三船も、用がなくなる。
用事。
「……三船は、どうしてここにいるの」
「うん?」
「家人達が紙切れで、昔の人の魂達で……三船のことは、ずっと幽霊だと思ってきたけど」
「それは間違っていないと思うよ。私は君の先祖で、君の母親よりは自分の意志が残っている方だと思う……痛いな」
「痛いんだ」
由良は、三船のわき腹をつねっていた手を離した。
「痛いね」
「実体があるってこと?」
「そういうことでは、ないと思うけれど。これは魂みたいなものだから。生前の習慣が抜けなくてつい言ってしまう。手に持ってるモノを壁にぶつけて、思わず痛いって言ってしまうようなものかな」
「あの子も、もう、実体ってないのかな?」
「さあ。あるのかないのか……誰も観測していないから」
それを言えば、誰のことだって同じかもしれない。
いるのか、いないのか。
本当にそこに体があるのか。
幻のように、わずかに漂う何かが、脳に電流を走らせて夢を見せる。
――夢、だといいのだろうか。
全部夢だったら。
由良が見ているものが、単なる幻覚で、あの友達達はそれが見えるだけの仲間で。
本当は、全部、
「なかったら……嫌だな……」
梓をなでた、あの毛並みの感触や、柔らかな寝息や、人の形のとき、つないだ手。
「なくしたく、ないな」
「だったら、」
このまま封じておけと、三船が言う。由良は黒いアレらを避けながら、抵抗した。
「でも、それはこれまでのことで。三船がいたことも、梓がいたことも、八房や瑠璃部がいたことも、なかったことじゃない。これから先は分からないけど――私は、解放したい」
「解放ねえ」
三船が笑って息を吐く。どこか諦めたふうの、斜に構えたため息だった。
「解放することを諦めるくらい、三船が長く、ここにいるんだとしても。それだったら、私が言う。それで、他にもそれを言ってくれそうな子を見つける。私が諦めたら、その子が代わりに諦めない。――それで、続くよ」
諦めないこと、が。続けばいいのだ。いつかの解放に辿り着くまで。
「これがずっと続くのなら、諦めてしまうだろうなって思う。毎年、ずっと……お母さんが消えて、家人達も減っていって、アレばっかり増えて……もう、私に何も、できないかもしれないって思ってきた。家人にも文句を言えなくって、ただ嫌な学校に行った、……でももう、諦めたくない。諦めたら楽になる、打開策がかえって見つかるかもしれない、でも、みんなが諦めてしまったら……」
閉じこめるのを、やめてしまったなら。
アレを、荒ぶるままに解き放つなら。
こんな簡単なことはない。
長く、長く、縄で縛り付ける木のように、一族がくくりつけて閉じこめてきたものを、簡単に諦めて捨ててしまうことは――とても、重たい意味の、放棄だ。呪わしさがある。
諦めたら呪われてしまいそうなほどの重さ。周辺の大災害を防ごうと、あるいは汚点を隠し続けるために閉じこめようとしてきたのに。
由良だって、縛り付けられているのだろう。
怖い。
だから、解放するのなら、ただ放つだけではありえなくて。
和解を望む。
言葉が通じない、相手に引きずり込まれると危惧されても。
だってそれしかないのだから。
遮るように、彼女の笑い声が響く。鋭い爪痕が、いくつも畳や壁に刻まれていく。家人らが近づこうとしてはひらひらした紙片に戻っている。残りの家人は、庭の方では網や縄を投げて黒いアレらをとらえているようだ。
「ちょっと、瑠璃部!」
さりげなく家人らを飲み込んでいくゲルに、由良は鏡を向ける。
「早く戻って!」
ゲルが持ち上がると、三角錐の形をした白い牙が見える。
「あんなの、瑠璃部にあったっけ……」
「危ないから下がりなさい」
三船が余裕を崩さずに前へ出る。梓は振り返らず、瑠璃部に飛びかかっていく。三船が、「はらーい」と口を開いた。
「そういえば三船の術って……」
ほとんど見たことがない。
いつもただいるだけだった。祓い歌は教えてくれたし、助けてくれたけれど、大っぴらにアレを攻撃する姿は、初めて見た気がする。
祓い歌が伸びやかに紡がれる。ようやく梓の耳にも届いたようで、怪訝そうに由良を振り返る。
「三船が歌ってるの」
「三船? あぁ……あの白い奴か」
「会ったことあるよね?」
「早朝とか、変な時間にだけな。数えるほどしかないが」
瑠璃部の縁が、びるびると細かく振動したかと思うと、不意に重力に従って落下した。界面活性剤入りの洗剤をぶちまけられた水みたいに、表面張力を失って、地上に広がる。
「ちょっと! 瑠璃部、地面に染みてるんだけど……」
これって逃げられてるのではないだろうか。
「本体じゃない。中の水分だけだと思う……んだが」
さて、と三船が首を傾げる。
白い髪を引きずって、踏み出す。
その足下が、みしりと鳴った。
「!」
三船がとっさに由良を突き飛ばした。
梓が素早く拾いにくる。
床下を突き破って、温泉のように水が噴き出す。
「瑠璃部! やめなさ、」
三船が祓い歌を歌えず、吹き飛ばされる。由良も水圧と風圧でひっくり返った。
奥の間の建具が割れる。
これまでさんざん、破壊はされてきたが、中のモノは、出てこなかった。
ある程度、壊す、ことはできても、出てこられなかった。
今回は?
「三船!」
あの、奥の間の室内につっこんだ三船を追って、由良は最後のふすまに手をかける。
ぞくりとした。
これまで母が失われ、友人達がぼろぼろにされ、梓が苦戦した、この、部屋の、奥、に。
ほの白く、何かが息づいている。
言うなれば闇自体が息をしているような。
「……!」
開け放ってしまったら、すべてが出てきそうで。でも、ふすまを閉めて何も出ないようにしたら、今度は自分が中には入れなくて。
「あ」
どすりと、瑠璃部がゲルに戻って由良の背を押す。梓が怒鳴りながら、瑠璃部を蹴り飛ばすが、ゲルが引きはがされるより先に、由良の体が奥の間に落ち込む。
くっきりと、真夏の日差しのように、ふすまの境目で光と闇が分かたれている。
「あ」
それしか口から出なかった。
溺れた金魚みたいに、口をぱくつかせるだけで。
仰向けに倒れ込む。
ふわりと、甘い香りがして、白い手が、由良の背後から伸ばされる。
抱きしめられる――ぞっとして体をひねった。受け身なんて練習したことがないので、回転して、柱にぶつかって悲鳴をあげる。
しん、としていた。
「三船っ」
呼びかけたが誰も返事をしない。
確かにさっきいたはずの、彼女の声もしない。
君はきれいだから。
きっと恨むのはつらいよ。
柔らかく、聞いたことのある声が響く。
現実のものではないと思ったのは、それがどこかくぐもって、遠かったからだ。
それと――三船にしては、ずいぶん幼く聞こえたから。三船だとしたら、かなり昔のことなのだろう。
少女の姿が、闇の中におぼろげに見える気がする。白い着物で、裸足で、赤い唇はひびわれて、血の通わないような白い手が、宙をさまよう。
それを少し離れたところから、若者が見ている。いたましいものを見つめる眼差しで。まだ、髪は今ほど長くなく、背も高くなく、普通の様相で、彼は少女に話しかける。
きっと、救いたい。同情ではなくて、義務として。
「うそつき」
はっきりとした声が、由良の耳朶を打つ。すぐ真後ろから聞こえたそれに、由良は飛び跳ねて逃げようとする。由良の、以前より短い髪を、追いかけてきた白い手が掴み損ねる。
舌打ち、の気配。
「見ないで」
「見ないで、って……これは貴方の夢?」
「夢ではない」
これは過去。あったこと。終わったこと。消えないこと。
疎ましい歴史。
おぞましい姿。
野山で遊んでいた昔の姿も、村人を祟り殺して石を持って追われた姿も、旅芸人となった姿も、いくつもが重なりあって一斉に流れ出した。
反響する声、色、におい。土を引きずる死体の気配、爛漫と咲き誇るむせかえるような野山の草花のにおい。誰かの優しい掌に、誰かが冷たく誰かを打ちすえる痛み。
とっさに両手で耳を塞いだが音は聞こえる。目を閉じて手で押さえても情景は消えない。
「いや」
嫌だ、一気に、他人の感情や意志に乗っ取られて視界を埋め尽くされていくようだった。
「梓!」
自分の犬を呼ばわると、辺りが静かになる。
子犬が駆けてきて、幼い姿の由良に散歩に行こうと、楽しげに吠える。
あんなものはなかった、と言いたげな寂しい横顔で、白い少女がそれを見送る。
「同情を、してはいけない」
肩に重たさが乗る。由良の肩に手を押しつけて、三船が立ち上がるところだった。
「どこにいたの、」
「その辺りに。……気絶していた、のかな」
形のないものだから、我に返るまで消えていたのかもしれない、と三船が怖いことを言った。
「引きずられるな」
若い三船が、目の前を横切っていく。どこか映画館で見るものに似て、平らで明るい光が、うつろに駆けていく。
彼がいくらか大人になり、村の娘と婚礼をあげて、その娘が奥の間に引きずり込まれ、いろいろな人間の手足をくっつけた肉だるまになって出てきて、人々に悲鳴をあげさせ、涙を流しながら青田を駆け巡る。
こ、ろ、し、てえぇえ。
死の際にある生き物の、それでも殺すものを呪わんばかりの叫びが、山の中に響いていく。
「見るな。聞くな。知ろうとするな。多くの者が無念に死んだ。多くの恨みが積み重なっている。だから」
見たら迷う。同化する。
「アレを救いたいのであれば、呪う者の声など、聞くな」
「三船は、あの子を助けたかったの? なのに……」
三船は助けたかった、でも、恨んだ。
許せなかった。
「怒りも恨みも永続しない、生きていれば忘れてしまうことが、できうる。でも、死者はそうじゃない」
何度も、激烈な最期だけを思い出して、それだけにとらわれて。
生者である子孫が、傷を癒すような平穏な花を手向けて、すべてを眠らせるような経文を唱えて、忘れさせようとしても。傷の原因となったモノがまだ、ここにいる。
彼女がいる。
だから忘れられない。許せない。
「私は、彼らの恨みをとどめるものでもある。私の方が、彼らより声が大きい。表に出てきやすい。力がある。だから……」
呪いが溢れないように、とどめている。
彼女から生まれた呪いを封じるだけではなくて、彼女によって壊れた者達の呪いを、鎮めていたのだと。三船は小さな声で告げる。
「だから言ったんだよ。解放なんて……本当にできるか? と」
彼女だけを、解放して、それで己の先祖はどうなる? 許さないだろう、先祖たちの恨みは晴れない。それを背負えるか。
由良は言い返す。背負えなくてもいい、彼女を解放したら、きっと、他の者達も静かに眠れる。
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