2-4

「友達、だろ?」

 日の高い、明るい教室で、由良は困惑したまま相手を見上げた。イスに座っているため、立っている相手をおどおどと窺うようになってしまう。

「どういう、こと?」

「と、も、だ、ち」

 区切ってみても何も変わらないのだが。茶色の髪を揺らして、相手は、鋭く舌打ちした。

「気持ち悪ィ」

「自分が言ったんじゃないの」

 由良が思ったのと同じ言葉を、三つ編みの少女が口に出す。

「ちょっと貸してほしいもんがあるんだよねぇ」

「えっ、お小遣い大してもらってないから、自販機の紙コップのジュースくらいしか奢れないけど……」

「誰が金の無心をしたか!」

 バカにすんじゃねえと、少女が由良の頭を小突くふりをする。意外と距離が近い。痛くなかったし。不思議な思いで、由良は見上げる。

「貴方気をつけた方がいいわ。紙コップのジュースでも毎日たかられていたら、迷惑でしょ。変なことは言わないに限る」

「お前もなぁ」

 苛立ちを相方にぶつけて、茶色の髪をかいて少女がため息をついた。

「面貸せっつんてんだ」

「えっ? 何で」

 三つ編みの方が、にこりと笑った。

「白河さん。嫌ならいいのよ」

「えっと、市川さんと四宮さんが言ってるのが、何なのか分かんないから困ってるんだけど……」

「私は琴葉。四宮で呼ばれるより、そちらの方がいい。網代のことも、そう」

 だってね、と、琴葉が三つ編みを揺らした。

「私たち、友達でしょう?」

 思ってもいないのが明白な、軽い言葉だった。怪しい。でも、昨日のことが気になっていて、由良は頷いて付いていってみることにした。


(何だろ)

 学校内に小さな庭がある。池もあって、たまに水を抜いて掃除をしているのだが。

 そこにいるのは、蛙、だった。どぶ色の蛙。普通の蛙ではなくて、アレの切れ端でできている。ひっと思ったが、必死で蛙のふりをしようと背を伸ばしてみたり揺らいだりしているところが、かわいくも見えてくる。

「お前、それに同情すんなよ」

 網代がこちらを睨みつける。由良はつかの間、考える。

(喋り方とか、梓みたいだな)

 網代が、何だその顔気持ち悪い、と呟く。懐かしむような顔をしてしまったようだ。由良は慌てて、蛙を見つめた。

「……それで?」

「コレ、何なんだよ」

 由良は首を傾げる。

「はっきりとは、知らないけど。蛙がいるみたいに、ここにコレがいるのは分かる」

「そりゃ誰だって分かるだろ! さっきそのへんの学生も、あの蛙って雨蛙じゃなくね? っつって通ったぞ」

「あっ!」

 由良は飛び上がる。由良よりも、他の二人の方が驚いたようだ。琴葉は心なしか爪先立ち、網代に至ってはのけぞっている。

「これ、幽霊とかお化けとかの、霊感がある人にしか見えないものとかじゃ、ないんだ!」

 大発見をした気分で叫ぶ由良に、霊感とか妙なこと大声で騒ぐなと、網代が怒りをぶつけてくる。

「あぁっそうだったんだー。だよねえ」

 外に出さないように。最悪、敷地内で捕まえるべし。そうしてきたから、他の人に見えるかどうかまで、考えていなかった。

「そっかー、見えるのか」

 人を食う(取り込む)時点で、人には触れるのだろうけれど、人間から見ることができているのか……。

「ん? そうだとすると、アレって妖怪っていうか、化け物っぽい」

「化け物だろ」

「実体があるということは、物理化学の対象かしら」

 ふと思いついたように、琴葉が呟く。ポケットから瓶を取り出して、軽く振った。

「それ何?」

「王水。金も溶けちゃう魔法のお水よ」

「えぇ!?」

 魔法も何も、単なる劇物である。

「それ実験室から持ち出したら先生が懲戒解雇されちゃうんじゃない!? っていうか鍵かかってるとこにしまってあるんじゃ」

「私のとってあんなもの。鍵があってもなきがごとしよ」

 ぱしゃんと、琴葉は池に瓶の中身を放る。池には他の生き物もいるし、劇薬を公共の場に流してはいけない――。止めたいが劇薬を浴びるのは嫌に決まっていて、由良は悲鳴の形に口を開いて硬直した。蛙もどきが、ぽんと口を開ける。劇薬は見る間に吸い込まれて、一滴も地面や池に落ちなかった。

「……それ、本当に王水?」

「試してみる?」

「いりません」

「ともかく、生き物ではないみたいね。金属でもない。宇宙人かしら」

(何、言ってるんだろう)

 琴葉の呟きに、由良は思う。そうした観点は、これまで持ち合わせていなかった。多分家の人々も同じだろう。

(でも)

 でも、家人達は、知っているのかもしれない。正体を。

(堂々巡りだ)

 もしかすると、辺りでこちらの様子を窺っているのかもしれない――家人達を意識して、由良は唐突にきょろきょろした。

「大丈夫よ、付近に人はいないわ」

 細い糸を引いて、見せながら琴葉が微笑む。

「それ、何?」

「さあ?」

 貴方に教えるとでも思って? 言外に言われて、少し落ち込む。

(何でだろう。他人なのに)

 でも。由良はずっと、梓はいたけれど、ほとんど一人で悩んできたのだ。そこへ、対処ができそうな人が見つかって、浮き足立って、何が悪い。琴葉の糸が、あっと言う間に蛙を縛る。ぷつん、と首を落とす。網代が近づいていって、火をつけた。

 小さな蛙は、意外とよく燃えた。

「貴方のこと、もっと知りたい」

 琴葉がにこやかに言う。昼休みの図書室で、片隅に由良を追いつめて。優しく微笑んでいる。

「改めて聞くけれど、お名前は?」

「白河由良」

「あぁいうモノは、いつから見かけるようになったの?」

「いつだっけ、覚えてない」

 まるで尋問だった。網代がイヤホンを耳に突っ込んだ状態で、あくびをしている。

「いつから?」

 琴葉が繰り返す。

「すごく、前から。ねぇ、私も聞いていい? 貴方たちのやってることって、誰かに習ったもの?」

 琴葉が、目を眇める。

「質問は、許していない」

「ごめん?」

「見よう見まねでやっていることよ」

「琴葉」

 網代が目を開けて、短く警告する。

「だってこの子、一つ二つ答えてやらないと、非協力的なんだもの」

「だからってさァ」

「由良さんは、こういう術が使えるの? 他に見たことが、ある?」

 答えにくくて、由良は瞬きして考える。

「あるような、ないような」

「何だそりゃ」

「最近気になることは?」

「貴方たちと、犬のことかな」

「犬?」

「最近拾ったの。まだ名前がなくって」

 よい名前をつけたいのだが。

「このままだと、桃ちゃんになっちゃいそうで。もう少し厳つい、おじさんみたいな日本の雑種犬なんだけど」

「日本の犬なら、八房かしら」

 琴葉が顔色一つ変えずに言う。

「やつふさ?」

 聞き返すと、網代が端末に辞書を表示させてこちらに見せた。

「八犬伝。敵の大将の首を取ったら、お姫様と結婚できるって言われた犬が、実行して、それで玉が生まれる。犬の名前が八房」

 お姫様の父親が犬の首を落とすんだけど、と網代が続けた。

「知らないわけ?」

「今知った。候補に入れるね」

 窓の外で、鳥が鳴いている。網代が端末を引き戻して、ふて寝した。

 放課後も、二人は由良のところへやってきた。

 近づける間は、張り付いているつもりらしい。

「夜遅いと危ないから、送りましょうか」

「私は慣れてる道だから平気。二人とも、帰るとき大変だろうし」

「そう?」

 送らせてほしいわねと、琴葉が小首を傾げる。

(あんまり付いてこられると、梓を見られてもまずいし)

 一応、梓もアレの一種なのだ。退治されては困る。学校から離れてしばらく歩きながら、由良は見送りを固辞する。しばらくして琴葉が引いた。

「分かった。また今度、ね?」

 約束よ、と勝手に言われる。

「また、ね」

 夕暮れ時だ。一人になって、由良はため息をつく。近くの、暗い、影の部分が、ざわめくように感じられた。不安が膨れ上がっていく。足下には自分の影一つしかないというのに、何かが近くに息づいている。何、が。

「おい」

「わっ」

 爪先が地面を離れる。飛び上がってしまった由良は、振り向いて相手の顔を確かめた。先程の感覚の正体がこれだろうかといぶかしむ。相手は、怪訝そうに由良を見ている。

「梓、さっきからそこにいた?」

「は?」

「今、来たの?」

「何かよく分からないが、学校に行ったら、家の奴らが、お前はご友人とやらと帰ったって言うから、探してたら見つかっただけだ」

「いつ、私を見つけた?」

「さっき」

「友人、じゃないんだけど、友人って人、見た?」

「アレだろ、茶色いやつと、黒いやつ」

 非常に曖昧な表現だが、見たのだろう。

「どう、思った?」

「どう、って」

(あの子たち、人間なのかな)

 雰囲気が、他の人とずいぶん違う。人外を退治するが、彼女たち自身も人ではないのではないかと、不安に思う。

「何かこう、いらいらする」

「それ、……家のアレと、同じ部類?」

「はぁ? そういうんじゃない」


 家に帰ると、お愛想だろうが犬がしっぽを振ってじゃれついてきた。足下に絡まる犬の、ふかふかしたしっぽが気持ちいい。しかし渋面の梓によって犬はすぐに追い払われた。梓の「鍋にするぞ」という脅し文句に対して、明らかにバカにしきった顔の犬が、舌を出して走り回っている。

「仲良くすればいいのに」

 ぼそりと呟くと、濡れ縁から「由良様」と声がかかった。

「おかえりなさいませ」

「あ、ただいま戻りました」

「今日は心配いたしましたよ、お友達とご一緒だったそうですね」

 ぎくりとした由良とは対照的に、家人らは男女とも、楽しそうに微笑んだ。

「お帰りが遅い上、犬もなかなか追いつかなかったようで……万が一のことがあれば、由良様のお母様にも申し訳が立ちませんし」

 この場合の犬は、梓のことだ。犬呼ばわりされた梓が、明るさを装った剣呑さを感知したのか、由良の近くへ戻ってくる。

「お友達のところへ行かれるときは、あらかじめ教えていただけたら助かります」

「はい……急だったので。誘われたのが。でも、連絡してなくて、すみませんでした」

 母のことを言われたためか、小さなとげが、由良の胸に突き刺さる。別に、寄り道を、したっていいのに。どうせ、どこにいたって、出るときは出るのに。そういえば高校受験のとき、塾に行くことだって、危ないからと反対された。送り迎えをつけても、長期間は望まないと言われたし、家で一人で勉強したものだ。この家人も、紙切れなのだろうか。作って、動かしているのは叔父? それにしてはすることが細かい。

(分かんないことが、多すぎるのかな)

 翌朝も、登校前にアレが出た。

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