2-6 彼女は話を聞かない

 リタが目を覚ました時、馬車は既に動きを止めていた。

 むくりと上体を起こし、腹のあたりの毛布を荷台の端に押しやると、半分開けた瞳であたりを見回す。

 地平に陽が沈みかけている。オレンジ色のまばゆい光が今日という日に別れを告げて帰っていく様にリタには見えた。

 あーアタシ今日はお陽さんとほとんど会ってねえな……。

 そこで、ふと思考が急速に加速する。

 馬車は交代で手綱を握るんじゃなかったか?

 はっとしたリタは荷台から腹筋の力を使って驚異的なスプリングで飛び降りると、ウィルの姿を探すが、探すまでもなく、降りたその先で岩の影から眼下に広がる町をイエローボーイに装着したスコープで覗くウィルの姿が合った。


「お……」


 リタはそこまでいって声が出なくなった。

 何て声をかければいいんだ。

 彼女にしては珍しい表情で視線を上下左右に世話しなく泳がせる。

 気まずい。

 先ほどのリタの声──あれをそう呼べたらの話だが──にウィルはゆっくりと振り向いてリタを確認する。


「やっと起きたか」

「……おう」


 視線は合わせずに、頬をさする。


「調子は?」


 少し機嫌の悪そうな声でそう尋ねてくるので、こりゃかなり怒ってると判断したリタはどうしたものかと考える。


「調子は良いのか?」

「……ま、まあまあだな」

「そうか。寝すぎるってのも少し悪いもんな」


 怒ってるぞ、これ。

 リタはいよいよ何か謝罪をしなければならないと考えるが、それは彼女のプライドが許さない。


『謝る? このリタ様が? 冗談だろ。寝言は寝て言えっての』


 などと彼女の心の中でふんぞり返っている。

 しかし一方で彼には悪い事をしたのだから謝って当然だという真っ当な心もいるわけで、リタの心中では今にも戦争が勃発しかねないありさまだ。


「どうしたんだ? 変な顔して」

「いや、その……なんだ」


 喉元まで謝罪の言葉が込み上げるが「なんでもない」と、やはり素直に言葉が出ない。


「変な奴だな……まあいい。見ろよ」


 そう言ってウィルはリタを手招いた。

 少し戸惑う仕草がそこはかとなく乙女らしさを醸し出すが、そんなものは夜の荒野の儚い幻でしかなく、それを証明するかのごとくがさつな大股でリタはウィルの隣に屈みこむと、イエローボーイを構えてスコープを覗いた。

 夜と言うのもあって一瞬何がうつっているのか分からず、眼を二度ほど瞬かせるが、町を照らす黄輝石の光で町の全容がリタの視界に飛び込んできた。

 分かってはいたが、町の至る所に南軍の軍旗が掲げられ、町角には灰色の軍服に身を包んだ兵隊がライフルを手に数十人と警備に当たっている。

 南北戦争中だってこんなに厳重な警備をしていた町は無いだろう。

 こりゃさながら要塞だぜ。

 リタはかつて要塞というものをメキシコで見たことがあったが、あれは背後に切り立った岸壁を持ち、その岩壁にめり込む様にして扇状の壁が築かれていた。

 この町は要塞ほどの防御力は無いだろうが、それでもそれと同等の威圧感は感じさせる。

 ふと、町を見渡していたリタの瞳にある人物が飛び込んだ。同時に、リタの感情の波が今まで表に現さなかった記憶を引出し、感情を滾らせる。

 ぎりっと怒りに噛みしめた歯が鳴り、その音にウィルは顔をしかめてリタの方に顔を向けた。


「どうした?」


 ウィルの問いにリタは応えず、ただスコープの内側に映る男を睨みつけていた。

 金色の短髪は両サイドは薄く刈られ、頂点の部分には両サイドに比べて僅かにその金髪が長く残され、つんつんと上に向けて威圧的に立っている。

 浅黒い肌に筋肉質な体。派手な桃色のシャツの前面は大きく開け広げられており、筋骨隆々と言った胸元が露出している。それはおそらくこの男の自信の表れなのだろう。

 彼こそ、リタからウルフパックを奪い取った男にして先代頭領ウルフの息子──ロナス・サンチョである。

 ロナスはニコニコと通りを歩き、道行く兵士となにやら談笑していた。

 その様が許せず、思わずリタはイエローボーイのレバーを降ろしてしまう。


「おい、馬鹿! 何やってる!」


 咄嗟にウィルがイエローボーイを取り上げてリタから引き離す。


「どうしたんだよ?」


 ウィルが心配そうな声で、険しい形相で座り込むリタに問いかけた。

 そんなウィルの表情を見て、ゆっくりと肩の力を抜いて冷静さを保つ。

 そうだ、こんなとこでキレても仕方ねえんだよな。

 深くため息をつき、立ち上がると、素直に「悪い」と謝った。

 そこではたと自分が何の抵抗もなく素直に謝れたことに驚くが、その驚きよりも今は怒りの感情が彼女の中で大多数を占めていたのでそれどころではなく、また、そんな余裕もない。


「……ロナスか?」


 ウィルの方は察していたようだ。リタは頷きその場で大きく背伸びをしてみせた。


「んーーーっと、さて、殺しに行こうぜ?」


 けろっと平静を装ってリタはウィルに言った。

 いつも通り陽気に行けばいいだろう。それがアタシのスタイルだし。

 そんな事を思いながらリタはウインクをしてみせる。

 それを受けたウィルの表情は先ほどのリタと同じように険しかった。


「いや、お前はここにいろ」


 リタの表情からも笑みが消える。

 それはリタが危機を察したときに機械的に銃を抜くときと同じような感覚で怒りが彼女の表に抜き出されたのだ。


「──どういうこった?」

「ここにいろと言ったんだよ」


 隠せない怒りがリタを無理やりに動かす。

 ウィルの胸ぐらを掴み上げ、大きく押し倒すと、馬乗りになってウィルの上に跨った。


「もう一度聞くぜ? どういう事だよ?」


 リタの声は震えて平常時よりも少し低かった。

 一方のウィルの表情はかつてないほど険しく、深く刻まれた眉間のしわがその怒りの強さを物語っている。


「お前は行くべきじゃない」

「クソったれが!」


 振りかぶったリタの拳がウィルの頬を殴りぬけ、地面を擦って血を流す。


「じゃあアタシは何のために来たか分かんねえだろうが! こんなとこで待たされるくらいならいっそ首を吊られて死んだ方がマシっだってんだよ!」


 さらに拳がウィルの頬を殴る。今度は地面すれすれを通ったリタの拳は、傷付かずに済んだ。


「お前、このまま突っ込んだら死ぬんだぞ!」


 口の端から赤い線を一筋漏らしながら、ウィルも叫んだ。


「んなこたぁ分かってんだよ!」


 更にリタの拳がウィルの顔に落ちる。それはウィル鼻めがけて落されたが、とっさの所で左に顔を反らしたウィルの頬骨にぶつかり、両方に加減の違う痛みが襲う。


「それでも行くのか?」

「死んでも殺さなきゃならねえんだよ! それくらいぷっつん来てんだよ! 分かるか!」

「分からねーよ」


 ウィルは次第に冷静に言葉を返し、翻ってリタの方は逆にヒートアップして行き、支離滅裂なことを喚き出していた。

 ああ、もう! 言葉が出ねえ!

 クソ! クソ! クソったれ!

 そんな事を心の中でも喚き散らし、感情が抑えられない。


「お前には死んでほしくないんだよ」


 リタは反射的にウィルの頬を殴る。強烈な一撃ではあるが、先ほどまでの拳に比べれば多少ではあるが威力は抑えられていた。


「関係ねえだろうが!」

「関係大有りだ馬鹿!」

「るせえ!」


 今度は殴らずに右ひざをウィルのわき腹に強く押し付けた。


「痛ぇ……」

「ふざけた事抜かすからだ。いいか、アタシは行くぜ」

「駄目だって──」


 さらに拳が振り上げられる。

 ウィルはその拳が下りるよりも早く言葉を繋いだ。


「聞けよ!」


 ウィルの鼻先で血まみれのリタの拳が止まる。


「何も終始お前を置いておくなんて一言も言ってないだろうが」

「へ……」

「お前は顔が知られてるんだろ? で、オレは知られてない。だったらまずオレが町に出向いて情報を集めるのが先だろうが」

「……そう、だな」

「ったく……ぼこすか殴りやがって。お前、この分はちゃんと働いてもらうからな」


 リタは目の前で起こっていることがいまいちの見込めないままゆっくりと立ち上がった。

 ウィルもまたリタの束縛から解放され、ゆっくりと上体を起こす。

 働くって何だ?

 リタは不意に考えた。

 それまで思考機能が停止していた状態から突如投げかけられた指令にリタは反射的に考えてしまったのだ。

 結果、彼女が導き出した答えは──。

 リタはウィルの前に臀部を突き出すと、ぴらっと腰布を指先で摘まんで巻き上げたのだ。


「働くって、こういう事で良いんだよな? ほら、好きにしていいぞ」


 ウィルは無言で剥き出しにされたリタの臀部を勢いよく叩いた。

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