1-10 その女、悪人につき……

「ぬわッ!?」


 突然、リタの目の前が真っ白になった。

 眼前の少女が何やらマントをリタに投げたらしい。


「ちくしょう! んだこれ、前が見えねえ!」


 これはいたずらか、あるいは敵の刺客か。兎にも角にも銃は必要になる。前者ならしかりつける為、後者なら撃ち殺すため。

 そんなのろまな思考とは裏腹に、彼女の本能は身体を操り、既に右のホルスターから銃を抜き出させていた。

 思考と身体が切り離されている……とでもいおうか、こと命にかかわる事態において、彼女の身体は思考を切り離し直感的に最善かつ最適な行動を繰り出す。

 もっとも、そこに思考から生み出される慈悲や情けが介在できる余地はないため、非情に危険な状態でもあるのだが。

 マントの飛来した方向、その方向に向かって彼女の銃が火を吹いた。その行為に彼女は驚きはしない。当然の行動であると認識しているためだ。

 当然、狙いは先ほどの少女、鈍い金属音に彼女はやはりと舌を打ってマントを拭い、かなぐり捨てた。

 途端、まばゆい光が彼女の視界をぐらつかせる。

 眼前の少女は眩しく輝いていた。

 何なんだ、ありゃ。

 眩さに慣れてきたリタの視界に入って来た異常な光景。それを見たリタは僅かに当惑して眉をひそめる。

 マントに覆われていた少女は銀色の盾を構えていたのだ。

 それは朝陽に煌めいてリタの瞳を更に細めさせる。


「いきなり撃つとは……やはり悪人だな」

「そっちが先に仕掛けたんだろうが、正当防衛だボケナス!」


 強がってはみたものの、あの盾は厄介だとリタの本能が警告していた。

 僅かに弧を描いた三つの辺をもつ盾は、その淵を金色に彩り、エルフの文字をそこに刻み込んでいる。昔日の呪術師たちが施した呪いの類があの盾には宿っている……そんな気がしてならなかったのだ。

 それは、彼女の中に流れる──何重にも薄められていはいるが──エルフの血がそれを感じとっているのかもしれない。いずれにせよ、このご時世に銃も持たずに盾一枚で挑んでくるのだ。何か策を要していると見て間違いないだろう。

 リタはそう思い、隣にいたウィルを肘で小突いた。


「馬車取って来いよ。コイツはアタシのだ」


 ウィルは少女とリタを交互に見た後、頷いて静寂の中を駆けて行った。

 その背を視界の端に収めながら、リタは銃口を上げた。

 いつもならば即座に撃ち込んでるとこだが、様子見する必要がありそうだぜ。

 にへらと余裕そうに笑みを浮かべてみせた。


「良い盾じゃねーか。天気のいい日にゃ河原に並べて肉でも焼くってか?」


 調子の良い風に相手をおちょくりながらゆっくりと動き出す。少女を軸にして左側に円を描くように見せながらわずかに遠ざかって少女の領域から外れ出る。

 リタの動きに合わせて少女は盾を向けて構えている。予想通り、リタが離れて間合いから脱したことには気付けていない様子だ。

 ひとまず安心だ。適当に話を合わせてウィルが来るのを待つか。


「お前、なに者だよ。保安官って風には見えねえけどな」

「貴様こそ、善良なる旅人と言う風にはとても見えないがな。何者だ、名を名乗れ」

「大統領の娘だよ」


 少女の赤い瞳が鋭くリタを射抜いた。

 嫌な目だぜ。ジョークも分からねえのかよ。

 リタはその瞳とは目を合わせずに、少女の姿を観察した。

 白みがかった金髪は少しばかしウェブがかかっているらしく、毛先がくるんと内側にカールしている。その髪を一本に長く結わせ、それを後頭部にとぐろを巻かせるようにして結いつけている。

 面倒な髪形だな。

 リタは二本結んだだけの自分の髪を少し気にした。

 アタシのは少し楽過ぎるか? まあ、楽にこしたことはねえけど。

 そんな風に自分の方が優れていると思い込むが、内心では相手の複雑な髪形に少し憧れてもいるという事を認めたくないがための強がりである。もちろん、リタはそれを認めないだろうが。

 服装は上半身は薄い金属の胸当てをしており、胸のふくらみは無く、ほぼ平坦である。

 これに関して言えば、リタの圧勝であり、哀れみすら覚えてやれるほどの余裕をリタは有してほくそ笑んでいた。

 下半身はロングスカートでよく見えないが、全体的にほっそりとしている様子であるからして、さして面白味も無いだろう。

 よって圧勝だね。

 と、リタはさらに微笑んだ。


「何を笑っている」


 キッと少女がさらに睨みを強めた。


「いいや、なんでもないぜ、坊や~」


 調子に乗ってリタがそう言った途端、盾が線になって飛来した。

 寸でのところで、体を転がしそれを逃れるリタ。

 大きく弧を描くようにして大きく飛んだ盾は不思議な軌道で再び少女の手中に舞い戻った。

 その様と、少女の憤怒の表情とでリタは驚き、目をぱちくりとさせる。


「だれが男みたいな胸だ!」


 少女が頬を赤らめ叫んだ。先程までの威勢の良い声とは違い、ずいぶんと汐らしい声で、だ。


「んなことまでは言ってねえ!」

「私を坊やと呼んだ時点で同義だ!」


 一理ある。

 リタは内心で頷いた──が、それどころではない。少女は再び盾を投擲する構えに入っている。

 こうなりゃ一か八かだ、やんぬるかな。

 即座に銃口を少女に向けて、引き金を引き絞った。

 晴天に雷鳴のごとき轟が鳴った。

 弾丸は、盾を振りかぶっているため、がら空きになった少女の腹部めがけて飛ぶ。

 少しの引け目は感じるが、これで終いだ。

 リタは引き金を引いた時点でそう思っていた──少女がその直後に体をありえない速度でぐるんと翻して盾の面で弾丸を受け止めるまでは。

 再び目を見開くリタ。

 何だ、今の動き!?

 少女の体の背後にあった盾を矢表に向けるために、少女は体を一瞬宙で翻し、対空状態で弾丸を盾に受けたのだ。つまり、弾丸が発射されてから体を翻して、それを防いだのだから、おおよそ人間業ではない。

 考えられるとすれば…………あの、盾だけだ。

 リタは立ち込める煙のにおいを鼻腔で感じながら、勝つための手段を思考し始めた。

 相手も無言でなにやら思案している様子。ここからは探りあいってとこだな。

 残弾は三発、出来ることは限られている──。

 そんな風に考えていた横から盾を構えた少女の左腕が弾丸よろしく空を凪ぐ。

 ありえない速度の前進。ぎりぎりでかわしたが、当たっていれば今頃路上に内臓をぶちまけていたと、寒気が全身を襲う。

 リタは冷や汗を背に浮かせ、生唾で喉を鳴らした。

 あの距離をなんて速さで詰めやがるんだ、こいつは……。

 驚愕するよりも先に、リタは距離を開けるためにけん制の弾丸を一発少女めがけて撃ち込む。

 至近距離から繰り出される二度目のジャブを避ける自信が無かったのだ。

 弾は、当たれば御の字であったが先程と同じく、見事盾に防がれて弾け跳び、地面をえぐって土煙を撒いた。

 考えてる傍から残弾二発だぜ。リタ様大ピンチってか……笑えねえな。

 リタの顔から余裕が消えかけたとき、はたとあることに気付く。

 残弾二発だ? 冗談じゃねえ。

 そんなを事を思い立つや、突然人混みの中にリタは飛び込んだ。


「逃げるか、卑怯者!」


 少女は叫ぶが、人混みを走るリタに盾を投擲することは出来ないようで、少女もまたリタを追って人混みに分け入った。

 野次馬を押しのけながら、リタはやっとこさ人混みの外に飛び出ると、近くに並ぶ家と家の間の路地に飛び込んで全力で駆ける。

 ふと、後ろを振り返って見れば、入り口で既に盾を投擲すべく構えている少女。

 そいつを待ってたぜ。

 にやりと笑うと、リタは少女めがけ……いや、少女の傍の壁めがけて弾丸を放った。

 少女の方もまたその刹那、リタと同様に余裕な笑みを浮かべていた。さながら、何度撃とうと当たるわけが無いとでも言いたげな笑みだ。

 しかし、少女の笑みは、稲妻のとどろきと同時に光を失う電光よろしく消えることとなる。

 少女の傍の家の壁である木板が弾丸にはじかれ木片をばら撒いたのだ。

 その木片が少女の横顔を襲った。木片は少女の顔を軽く傷つけただけだが、突然の痛手に顔を覆ってその場に跪いて動きが止まる。

 その光景を見て、いい気味だぜ。とリタはウインクしてみせると駆けて路地を抜けて出ていった。

 抜け出た先で、目的の煙が視界に入る。

 青空に黒煙が昇る家など、鍛冶屋くらいしかない。

 よく見れば入り口に佇んでいる人影、あのドワーフだ。

 相手方もリタに気づいたらしく、大きく手を振ってみせる。

 のんきな面してやがるぜ、こっちはそれどころじゃねえんだよ。

 リタは内心でそう毒づきながら息を切らせていた。


「弾! 弾込めろ!」


 リタは心のそこから搾り出すように叫びをあげる。

 ドワーフはきょとんとして、気付いていない様子だ。


「貴様!」


 背後は背後で怒号を背中に投げつけてきた。

 もう立ち直りやがったか。

 リタは動きを止めずに振り向いてあの少女の様子を確認した。

 左の頬から血を滴らせ、少女は怒り眉間に谷を造っている。


「よくも私の顔に! 私の!」


 先程とは比べ物にならない速さで追ってきた。

 なんだありゃ、化け物かよ。

 少女の俊足に嫌な汗を額ににじませながら、なんとかドワーフの傍までたどり着いたリタ。


「じゅ、銃……アタシの銃!」


 かすれた声で漏らすと、老ドワーフは「これじゃろ」と布をリタに手渡した。


「試射させようと弾を込めてあったんじゃが、裏の射撃場は使わんでもよさそうだのう」


 そう言って「へっへっへ」と歯のない笑いを向けてくる。

 リタは左手で布の端を掴み、勢いよくひっぱって布を翻すと、朝陽に銀色の銃身が照りかえり、稲光を魅せる。

 口角を吊り上げ、歯を見せて笑うと、くるりと回転しながら宙を落ちる銃握を掴んだ。

 赤いマフラーが虚空に軌跡を描き、迫り来る敵に二挺の銃口が向けられた。


「そういや、アタシの名前を聞きたがってたな──」


 左手の銃が弾丸を放つ。それはまっすぐに少女の盾に弾かれて彼方に消える。

 そうなるよな。けど──。

 リタは鍛冶屋の表に積んであった薪を足で機用に蹴り上げると、丁度少女と薪が並ぶ瞬間を見計らって、薪を左手の銃で撃ち抜いてみせた。


「同じ手は食わん!」


 薪の木片を難なくなぎ払い、勇ましく突進をする少女。


「そう来てくれなきゃなあ!」


 左手の銃が続けざまに火を噴出す。それは秋の初めの大嵐の黒雲から、続けざまに地を焦がす稲妻の如き連射である。

 その弾丸は少女の頭、左手、右足、左足を狙っていた。盾は、見事その全てを防いだ。しかし、突進にあわせての急激な左手の移動に、少女の体はバランスを失い、糸の切れたマリオネットよろしくその場で無様に転んでしまった。

 再び立ち上がろうとする少女の持つ盾の端をリタのブーツが踏みつける。


「アタシはリタ……ウルフの娘のマルゲリタだ」


 絶望を色濃く表情に表し、リタを見上げる少女。


「ウルフの娘、薄赤の髪に、リタ……」


 少女はぼそりと呟いた。


雷撃のリタリタ・ザ・ライトニング!?」

「ご名答」


 右手の銃の引き金を引き絞る。

 少女の瞳が大きく見開かれ、僅かに涙が浮かぶ。

 カチン──。

 短い金属音が虚しく響いた。

 先の連射の折、左手だけで撃つつもりが、体に染み付いている射撃の癖で右手の銃の引き金も引いてしまっていたらしい。

 リタはそれに気付くと、「へへ」っと自嘲気味に笑った。


「ま、そんな事もあるさ」


 そう言って、左手の銃口を向けた瞬間である。「動かないでください」直ぐ後ろで声が聞こえた。低い女の声だ。

 そして、同時にリタの背中にちくりと何か鋭利なものが突きつけられているのを感じる。ナイフかあるいは鉈か、いずれにせよ刃物類だろう。

 それにしても、コイツに仲間が居たとは……不覚だ。


「銃を下ろして」


 リタは渋々といった表情で、その場に銃を落とすと両手を上げた。


「妙な事を考えないでくださいね」

「わーってるってんだよ」


 リタは「うへえ」と吐き出すとゆっくりと盾を踏んでいた足をどかす。

 少女はその場でむくりと起き上がり、体についた砂埃を払いのけている。


「少し、へまをした」

「絶体絶命の様子でしたが?」

「うるさい」

「はい。して、お嬢さま、お怪我は?」

「無い。心配するな」

「血が出ていますが? 大丈夫ですか? 痛くありませんか? お医者様の所へ行きますか? それとももうお屋敷の方に帰られませんか?」

「うるさい!」

「いえ、頭を強く打たれ、自身が怪我を負っている事すら認識でき無いほど意識が朦朧としているのかと思いまして……」


 何なんだよ、こいつら。

 リタはゆっくりと背後を振り向いた。

 背の高いエルフの女がそこには佇んでいた。背の高いウィルよりも頭二つ分は背が高い。

 長い黒髪を後ろで一つにまとめ、前髪は顔の左側をほとんど隠してしまっている。

 表情の無い顔に、じとっとした黄色い瞳は何を見ているのか分からないが、どこか不機嫌に見えてしまう。

 リタはごくりと喉を鳴らした。リタがこれまでの人生で出会ってきた女で、もっとも背が高かったのは、シルヴェリィだが、コイツは、それ以上だ。

 おまけに手に持っているのは鍔付きの小振りなナイフ。順手に持っていておまけに刃の背に親指を乗っけているからして、取り回しは素早いだろう。

 コイツがドレスみてぇな服を着てるって所を差し引いても余裕で不利だ。

 体術じゃ勝ち目ねえな。

 そんな事を思って女の全身を見回す。

 歳の位は二十中ごろかそこらといったところで、精悍な顔立ちにきりっと横一文字に結ばれた薄い唇がこの女のかたっ苦しさを感じさせる。

 この女は、少女とは違い、鎧の類は付けておらず、ドレスというか、屋敷の使用人のような出で立ちだ。


「ローエン、こいつはリタだ。あのリタ」

「雷撃の?」

「そう、そのリタだ」

「だが彼女は捕まったと聞きます……さては、お嬢様の勘違いでは?」

「違う」

「ですが以前にも勘違いで一人殺しかけましたよね?」

「こいつは間違いなく、本物だ! 戦って分ったのだ。最初は弱かったが、銃を二挺持った途端目が変わった。あの目に、あの動き。聞き及ぶ雷撃のリタの噂どおり……いや、噂以上のものを持っている」


 ローエンは「ふむ」と腕を組んで頷く。


「お嬢様がそう言うならば……しかし、お手柄ですね」


 容姿から想像される通りの繊細でいて、堅苦しい言葉使いでローエンがそう言うと、お嬢様と呼ばれた少女は短く年相応の笑みを浮かべた。

 こいつもこんな顔するんだな。

 リタはそう思ったが、いや、自分はそれどころじゃねえんだよな。と、げんなりと肩を落とす。

 その時、一陣の風と銃声がローエンのナイフを弾き飛ばした。

 刹那に、ローエンはお嬢様とやらを脇に抱えると、道の端につまれていた木樽の後ろに飛び込んだ。

 道の真ん中で残されたリタは、状況が良く分からず、ぽかんとアホのような表情で両手を挙げていた。その姿は間抜けそのものだ。


「何者だ!」


 ローエンが叫んだ。

 リタも狙撃手が、何処にいるのかわからなかったが、すぐさま気づく。

 その影は通りの向こう側、朝陽を背に小さな影として佇んでいたのだ。

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