華麗なる筋肉
「やだもうって正気かお前、おい」
驚きを超えたのだろうか、アリスは素で俺に問うてくる。
「いや、それは……あ、あの……だな」
俺はというと正直に答えられるわけがなく、ただただ言葉は詰まり、思考の歯車はその動きを鈍らせていた……。
「え……と、その……だな……なんと言えばいいか……」
何と言えばいい?
なんと言えば回避できる?
何と言えば何と言えば何と言えばっ―――ナンと言えばっ……。
ナンっ……!? ナン、と、言えばっ……!?
「カレーだよ……アリス」
最早、駄目だった……。くだらなく、そして傍から見れば何の脈絡もない為、意味のわからない言葉を呟いただけだけになってしまった俺は……もう負け。……負け犬だ。
「カレーだと? 急にナンだ? ナンだからかナンなのか?」
アリスも事実を受け止めれていない為なのか、若干混乱気味で俺の肩を揺さぶってくるが、俺は肩を落とし、ただ下を向くことしか出来ずにいた。
すると……。
「鬼白先輩。貴女は気も腕っ節も強く、本当に全てにおいて、強い人だ」
また、刑事さん化した恋ちゃんが俺とアリスの周りをゆっくりと歩いて回りながら、語りだす。
「凜としていてかっこよく、知れば知るほど姐さんや姉者、姉貴等と慕いしたくなります」
「お前……」
その、どれでもない、”アロマ姉さん”と呼んでるじゃないか……。
まあ、指摘した所でどうにかなるわけでもないので、黙って恋ちゃんを目で追う。
「ただ、貴女はちょっと褒められるとすぐデレっとしてしまい、疑うことを一切せず、すぐ信じてしまうとこが、可愛くもあり、弱点でもある」
「なんだと。そんなことは―――」
否定しようとするアリスへ恋ちゃんは右手の人差し指を立て制止する。
「それが悪いと言っているわけではありません。むしろそれは貴女の萌えポイントであり、そこが好きな男性も沢山居ます。そう……」
「学園中にね」と付け加え、恋ちゃんは立ち止まり、俺とアリスに向かい合うように身体の向きを変えた。
「ただ、残念なことに、それを知った上で言葉巧みに貴女を騙している人物も居る」
誠に残念そうに頭を振るところが、なんとも、うそ臭く腹が立つ……。だが……。
「…………」
三人の間に沈黙が流れた。ただ、流れるといっても、当然、川のように音があるわけではない。物音がなく静まり返ることをいうのだから。時に答えたくないことを問われたときの人の行動として、時に誰かの言葉により訪れる事として起こりうる現象だ。そして、今はどちらに当てはまるかと言えば、後者になるのではないかと思う。といっても、前者後者と分けたところで沈黙とは人に関すること、即ち人的な事柄に使われる言葉、表現と考えればどちらも同じ。もっと大きく考えてみれば、私達三人が沈黙に支配されていようと世界は回っている。宇宙から見れば鼻くそにも満たない小さき、か弱き人間が黙り込んだところでなんということはない。地球規模で考えてみても同じだ。地球を生物と考えた場合「なんか痒っ」とも感じさせることなど出来ないのだ。蚊やダニなど外的要因によりもたらされる痒みでなく「なんか痒い」「なんもないのに痒い」くらいの不思議でありどうでもいい現象ほどですら感じさせることはできない。もっといえば、何も考えずポリポリ掻いてしまうくらいの、ほぼなんともない現象にすら感じさせることはできないのだ。なんだか沢山語ってしまい、逆にわかり難くなったかもしれない。だから、ここで要約しよう。私は今、すっごく遠くてすっごく高い位置からこの状態を見ている。そう、現実逃避をしているのだ。肉体はここにあれど、魂は大気圏など、とうに越え無限に広がる宇宙空間を漂っているのだ。なんや、やばい状況やけど、もうええんや。ええんやで。ほんま。そんな状態なのである。
「それが……隣のコイツ……だというのか……」
嘘だ……。やっぱり駄目。どんだけ逃避行しようと怒りに震えるアリスの声が耳に届く。凄く……怖い。
「ええ……。残念ながら隣の”ソイツ”です。傘を「んっ」としか言わずに貸してくれそうな頭の……」
恋ちゃんの申し訳なさそうな声も普通に耳に届く……。もう、こうなりゃあれしかない。
「っ……」
そうと決まればというやつで、俺はすぐさま行動に出た。
「んっ!」
もう、単に目を思いっきり閉じているだけのレベルかもしれないぐらいの満面の笑みで、アリスへと両親指を立てて見せた。
「っふんぐぅっ……!!?」
なんだ……これ……。急に……視界が急速にブレて……高所から落下しているように地面が迫ってくる。
「ぐ……がっ……」
視界が真っ暗になったと思ったら、すぐさま身体のあちこちに痛みが……。
「ぐっ……ぅ……」
中でも腹の痛みは強烈っ……。だが……声を出そうにも出せず……手をあてがおうにも動かせず、なすすべなく痛みに耐えることしかできないっ……。
「っ……くっ……」
でもこれだけは……はっきりわかる……。アリスの……本気の一撃を貰った……んだ……と……。
「百太郎君っ! ちょっと大丈夫っ!? ボディーブロウで人がくの字に浮くとこなんて生で初めて見たよっ!?」
決して……これをっ……これをいいことに……見てやろうと……思ったわけではない……。
が……痛みに耐えながら顔だけを……先生の方へ向けると……。
「ちょっと、百太郎君っ!! しっかりしてっ!!」
先生は……麗奈先生はっ……屈んで心配そうに背中に手を……置いてくれてるというのにっ……。
俺は……俺はっ……。
「だい……じょうぶ……です……」
目に飛び込んできた、先生のパンツに……強がりを言っていた……。
「全っ然、大丈夫そうじゃないってぇ! 鬼白さん! 貴女、少しは加減というものを学習するべく木登り学科を専攻すべきだわ!」
「き、木登り学科!? ちょっとまってくれ先生! 木登りと私の力加減になんの関係があるというのですか!」
麗奈先生とアリスによる……木登りは関係ある……ないの……論争が上で繰り広げ始められたようだ……。
「ぁ……ぅ……」
だが……その声はどんどんと遠のいていき……。
代わりに……いつの日か爺から言われた言葉が……頭の中に響いていた……。
“お前は先祖代々、病気や怪我に非常に強いとされている一族の一員であり、言い伝えどおり本当にタフだ”
確か……ガキの頃、走ってずっこけて……家の石垣に頭を強打して血だらけになった時に……言われた言葉……。
“病気で伏したり怪我をしないわけではないが、しても治癒するのが早く、病気が長引いたり後遺症なんかも恐らくない”
爺の言うとおり……怪我はすぐに治り傷跡なんかも……残っていない……。
「ははっ……すげえやっ……ももたろう……一族っ……」
あの時は……感動したもんだった……。
“ま、けど、死ぬときは死ぬからな。所詮、人間は人間なわけだし”
と……茶の間で……茶を啜りながらあっさりと、言われるまでは……。
“痛みにも強いってだけで、痛いもんはいてぇ。極限きた時なんか、逆に身体の強さを怨んだもんだぜ”
ガキにも容赦ねえな……。
今ならそう、思うし……ガキながらにも……夢とかファンタジーねえのか……と思ったもんだった……。
“切断とか内臓えぐられる系、あと、”アリス”って名前には気をつけろ。今はわからんかもしれないが、必ずお前にも縁がやってくる”
完全に……爺の予言どおりだったんだな……。
今まで忘れていたが……この……ベストテン上位に入るくらいの痛みで……記憶が蘇ったのかも……しれない……。
“なんの因果か、な……”
「なんの因果か……な……」
記憶の爺と、苦痛に耐える今の俺……とが、ハモった……瞬間だった。
そして……。
「ふむ、そうか……。先生が言いたいことは、よくわかった」
「今、先生と呼ぶのはやめて欲しいとこだけど……わかってくれたらなら嬉しいよぉ」
よくは、聞こえていなかったが、麗奈先生とアリスの論争も……終焉を迎えたようだった……。
「思春期というのは、兎に角やらしいということなんだな」
「学園には女の子も多いしねぇ。仕方がないことなんだよぉ」
な、なんだ……。変なとこに、落ち着いてる……?
「授業中に下着の色とかも聞いたりするものなんですの?」
中島まで混じり始めた……? つうか……何故そういう方向の話にっ……?
「そういうこと、しちゃう時もあるんじゃないかなぁ。『そこにパンツがあるから』みたいなねぇ」
俺は……山と同じように、パンツを見てるやつになってしまってる……のか……?
「さ、先ほども痛がりながら先生のを見ていただろっ。へ、変態なんだな」
おにぎりの人みたいに……へ、変態呼ばわりされてるんだなっ……?
「ちょっ……ちょっとまってくれっ……さっきのは……違うっ……」
こりゃいかん……と、まだ痛む腹を押さえながら、なんとか上体を起こし絞り出すように否定の声を上げると……。
「不可抗力だよねぇ。わかってる。大丈夫」
と、麗奈先生に抱きしめられ、俺は優しさに始めて触れたような気分になり、泣きそうになった。
「先生は……わかって……くれるんで―――い゛っ」
し、締め付けが、強いっ……?
「わかってるよぉ、百太郎君。本当にっ、ねぇ~」
う、嘘だっ……。先生がそんなことするはずない。気のせい―――。
「先生っ……締め付けがっ……。腹への締め付けがっ……ちょいとっ……きついっ……!」
気のせいじゃ……ねえっ! 普通に締め付けられてるわっ!
しかも、先生と俺の腹の間には押さえる為に添えた俺自身の右手があるわけで……。
腰をそんなに締め付けられるとっ……。
「いだだだだだっ! ちょっ先生い゛だい゛! い゛だい゛がらっ!!」
右手もろとも粉砕されるっ……!!
「ちょっ、ギブっ……ギブぅっ……!!」
以前、サダシが言っていたように、先生の身体はマジで鍛え上げられてるようで、右手はコンクリートの壁に思いっきり押し付けられてるのとなんら変わらない程の硬さと痛さだ……。
「痛い? もう、酷いなぁ。そんなに力入れてないのにぃ」
と、更に先生の腕が硬く、盛り上がるのが横目に移る。
“これは、危険だっ……”
そう思った時、既に遅し……。
「ふぐぅっ……ぁぁっ……」
激痛で息ができず、視界もぼんやりし始めた。
「さてっ、では麗奈乃助もそれくらいにして。本題に入りましょう」
もう……2、3秒……。
恋ちゃんがそう言って、先生の肩に手を置かなければ……俺は確実に気を失っていたんだと……思う。
「それくらいって、王子もいやだなぁ。なにもしてないよぉ」
先生が抱きしめを解き立ち上がったので、左手を地に着き、感覚が薄れてはいるが右手は依然腹を押さえ……。
「ぐっ……はぁっ……はぁはぁ……」
傍から見ればボロ雑巾のようだろうが、息を整えようとすることができ意識を保つことができた。
だが……当たり前だが……感謝はしない……。全ては……。
「先生のお茶目さぁ~ん。筋肉きれすぎぃ~」
こいつのせいなのだから……怨むことはあれど、感謝なんかするはずも無い……。
「はぁ……はぁ……」
でも、いいだろう……。
二人が当初予定していたことなのかは知らないが……ここまで耐えてやったんだ……。
聞いてやろうじゃないか……本題ってやつを……。
「やっぱり、タフですねぇ。辛そうにしときながらもまだそんな顔できるんですか?」
恋ちゃんにそう問われるまで自分では気づかなかったが、どうやら俺は満面とは当然いかないものの、笑みを浮かべているらしい。
「不思議な……もんでさ……。危機的状況に……なればなるほど……生き生きし始めるんだ……」
イニシャルがMだからのかはわからないが、爺さんも言っていた。
“普段は死んだ魚のような目だが、困難や危険が訪れると急に目に色が宿るのも、やっぱ、血なのかもな”
と……。どういう状況で言われたのかは覚えてないが、爺さんも同じだということ、そして代々そうだったのかも知れないということも聞かされた気がする。
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