第16話 魔物襲来
私の母である王妃ブロウは、私に食糧問題を解決できるという確信があったわけではないようだった。
ただ、生き残った人間たちのうちではもっとも知識を持ち、知恵があると考えられている若き軍師マルレイと一緒なら、解決の方法を見出せるかもしれないと思ったらしい。
私は風呂から上げられ、恥ずかしくも気持ちいい時間を終えた。
体を拭かれ、ベッドの上に寝かされ、私は読もうとして中断していた『源魔法』を読もうと這いずった。
母は髪を拭きながらお茶を淹れ、軍師マルレイはようやく風呂から上がったところだった。
「でも、マルレイが軍師を解雇されるって、本当なの? 王に言ってあげましょうか?」
「王陛下はそのおつもりのようです。私のように、戦わない方法ばかり考える軍師は必要ないとおっしゃいました。平時であれば、陛下のおっしゃりようは傲慢だと思えますが、今は強い王が必要な時です。私が不興を買うのは当然です。しかし、誰かが民のことを言わなければなりません。王妃様まで王陛下と敵対することになっては、王陛下の心がもたないでしょう」
「そう……マルレイ、誰かに似ているわ」
母は紅茶を傾けた。茶葉に砂糖を入れるかどうか、迷っているようだ。母は甘いものが好きだったが、砂糖は貴重だ。持ってきているようだが、使うべきかどうか迷っていた。
「そうですか。誰ですか? 大臣の中には、私のような考えをする者もいたでしょう。ただ、内政を専門とする大臣たちは全員魔物に殺されてしまいましたが」
「いいえ。割と近くにいるわ。話があうでしょうね」
母の目は私に向かっていた。私も同意見である。
「あぶぅ」
「ですって」
「はいっ?」
結局、マルレイは母が言わんとしていることを理解できなかった。
その時だ。王妃の部屋の前で、大声で呼ぶ兵士がいた。
『魔物の襲来です! 王妃殿下! 魔術師として戦闘に参加せよとの王命をお伝えにあがりました』
室内まで十分に響く大声だった。母はマルレイを見た。軍師は険しい顔をした。
「私も行きます。居場所があるかどうかはわかりませんが、放ってはいられません」
「ええ。頼むわ」
母は言い、私の留守番を許すつもりは無いらしかった。私の意見を問うこともなく、やっと捲りかけた『源魔法』の表紙が、私の手から離れていった。
『私の意思と言うのは、ないのですか?』
「どんな魔物がどれだけ来たのかわからないのよ。ママを見捨てるような子では、ないわよね」
母は私に笑いかけた。私が断ることは思っていない笑みだった。
もっとも、私が母を見捨てるはずがないことを、知り尽くしてからこその表情である。
マルレイが、着てきた軍服に改めて袖を通す間、母は杖を持ち、私は母がおやつ代わりに食べていたドングリを手に取った。
私が手にしたドングリに母は首を傾げたが、私は一度この木の実で魔物を退け、母に魔術を使う時間を作ったこともある。
母は何も言わずに、道中で拾ったドングリの木の実をいくつも私の服にしこんだ。
「必要なら、自分でとれるわね」
「だぶぅ」
「いい子ね」
簡単な会話であれば、魔法を使うまでもなく、意思の疎通は可能になっていた。
「軍師さん、いいわね」
「はい。お待たせしました」
軍師マルレイが、厳しい顔をして私を見た。
「キール殿下も?」
「ええ。この子を置いてはいけない。いずれ解るわ」
「わかりました。行きましょう」
母と議論するつもりは無いのだろう。
軍師マルレイが率先して部屋を出て、母が私を抱いたまま部屋を出た。
母は、自分の部屋だと決めた後は、部屋から一切出なかったのだ。
マルレイの方が城塞の中は熟知しているだろう。
伝令に来た兵士の姿はなかった。戦いに戻ったのだろう。
城塞内の細い通路を進み、兵士たちの控室を抜け、敵を討ちとるための広場に、その魔物はいた。
真っ暗では戦えないのが人間である。松明が地面に転がっていた。かがり火を用意する時間もなく、視界を確保するために火のついた松明を投げ込んだのだ。
一枚目の城壁の内側と二枚目の城壁の間に作られた広い空間に、複数の魔物がいた。
見た目は岩石である。
ただ、動いている。
岩石でできた体を持った、巨大な人といえばいいだろう。身長は人間の倍もあり、特に皮膚が硬そうだ。
武装した兵士が取り囲むが、剣でも槍でも岩石を貫けず、巨大な腕から繰り出されるこぶしに兵士たちが吹き飛ばされている。
「ブロウ、来たか。待っていた」
母の姿を見つけ、父王が駆け寄ってきた。腕に抱いた私と軍師マルレイを見つけ、やや苦い顔をした。
父は私とマルレイは見えないことにしたらしい。母に続けて言った。
「見ての通りだ。通常の武器では傷もつかない。岩石の体だ。魔術で弱らせてくれ」
「でも……あんな魔物は見たことがないわ」
「ああ。このあたりに住み着いている魔物だろう。人間が列をなしているのを見つけて、群れを作ったんだ。ある程度の知恵があるし、人間を食うと思っていい。頼むぞ」
母は困っていた。岩石で体を覆う魔物の体を破壊するのは難しそうだと思ったのだろう。
『母上、やりましょう。母が何もしなくても、魔物は帰っていくと思いますが』
「……どうして?」
『父王が言ったように、魔物は人間を食料とするためにこの城塞に来たようです。人間を食べて満足すれば帰るでしょうが、ここに居るだけで全部とは限りません。それに、帰せば明日また来るでしょう。倒すしかありません』
私は、生物の命を奪うことに精神的な禁忌を感じていた。城塞までの道中でも同じだったし、相手が魔物だからといってそれは変わらない。
だが、殺さなければ明らかに人間が犠牲になる状況で、ためらうべきだとまでは思わない。
「わかった。やるわ」
「ああ。頼む」
母は間違いなく私に言ったが、父王は自分に言われたものと勘違いし、安心して母に対してうなずいた。
王は背を向けた。兵士たちに向かったのだ。
「魔術師殿が味方だ。不用意に踏み込むな。時間をかけるんだ」
兵士たちが力強く答える。母の存在は、兵士たちにとっても心強いようだ。
「本当に大丈夫かしら」
「王妃様、魔物がどこから来たのかをはっきりさせる必要があります。まず、明りをお願いします」
背後から、王に無視された軍師マルレイが母に言った。職を解かれようと、報われなかろうと、マルレイは兵士たちを見捨てなかったのだ。
母は言われるまま、火に働きかけた。母の力強い呼びかけにもかかわらず、生成された火は頼りなかった。この地では、火の力が弱いのだ。
火を当たりに放つ。
広場を炎が踊り、全体を照らした。
一枚目の巨大な城壁を、越えようとして顔を出した魔物が見えた。
魔物がどこから城塞に入ったのかといえば、壁をよじ登ったらしい。
少なくとも、城塞に穴が空いているわけではないことは確認できた。
魔物は7体に増えていた。さらに城壁を越え、一体が転がり落ちてきた。
ただ落ちた。受け身さえ取ってはいない。それなのに、何事もなかったかのように起き上り、咆哮した。
丈夫なのだ。ただ頑丈なのだ。
ある意味では、もっとも戦いにくい相手といえるだろう。
「風よ!」
母が風を呼び出す。母の前に空気の塊が渦巻いた。風の力が強いこの地で、何よりも強い破壊力を持つ魔術だ。
「我を脅かす汚らわしき魔のものどもを討つ槌となり、我が身に迫る危機を薙ぎ払うために、我が導きに従え」
暴風がさらに強まる。
炎が消え、視界が闇に染まる。
「王妃様、視界が」
マルレイが叫ぶが、母にもどうにもできない。
『基礎魔法―光』
私が世界の理に働きかけて魔法を発動させると、母の周囲の空気が輝き、強い光が広場を満たした。
母が魔法を放つ。
風の塊が魔物に飛び、魔物の体が空気の刃にさらされる。
だが、岩石で守られた魔物は、傷一つなくその場で吠えた。
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