第九話 スパーク
(1)
週末は、もうクリスマスイブだ。
コンビニバイトの忙しさに紛れて後回しにしていたら、僕のぐだぐだがどんどんひどくなる。園部さんも梅田さんも覚悟を決めたんなら、僕だってそうしないと何も変わらない。美容室で、三ツ矢さんが示した反応。それと大家さんが言い残して行った暗示。僕があの写真に興味を示したことを、三ツ矢さんはプラス評価したと考えよう。それで、もう一度あの写真の意味を聞いてみよう。
今度は突撃というわけには行かない。会う約束を取り付けないとならない。それが不調に終わったら、僕はこの写真を処分するしかない。自分にとって何も意味がなかったものとして。それは……仕方がない。でも、単に話を振って終わりっていうことにはしたくない。なぜ僕がその写真に興味を示したか。こだわるのか。僕自身のことも含めて、それをきちんと説明する。その上で、三ツ矢さんの回答を待つことにしたい。
大家さんに言われたこと。三ツ矢さんの生き方に関わる勇気。それがどんな形になるのか分からないけど、それは三ツ矢さんの答えが得られてからしか考えられないことだ。だから、まず。写真の鍵を開ける努力をしよう。それが僕のできる唯一のアプローチなのだから。
◇ ◇ ◇
クリスマス前、最後のオフの日。僕は、あの美容室に電話を入れた。
「はい、マリエ美容室です」
三ツ矢さんじゃないな。若い人の方だ。
「あの、先日そちらで働いてる三ツ矢さんをお訪ねした弓長と申します。今日は三ツ矢さんはおられますでしょうか?」
「たみちゃんに、なんか用?」
門前払いを食うわけにはいかない。
「はい。写真の件と伝えていただければ」
「写真? 壁のことじゃなくて?」
「はい」
しばらく無言で何か考えてる節があった。ここでブロックされたら万事窮すだ。祈るしかない。
「ちょっと待って」
ほっ。とりあえず、最初の関門をクリアした。
「なんか用?」
最初に会った時と同じような、投げやりな不機嫌そうな声。三ツ矢さんだ。
「先日はいろいろ教えて下さってありがとうございました。でも、三ツ矢さんは僕にウソをついてる」
単刀直入に切り込む。
「なんであたしがあんたにウソ付かないとならんの?」
「それは逆ですよ。三ツ矢さんは、自分自身にウソをついてる。違います?」
返事が返ってこない。会話にならない。つながらない。焦りを感じながらも、一気に畳み掛ける。
「あの写真は三ツ矢さんのもの。そして……写っているのも三ツ矢さんなんじゃないですか?」
「だからどうだっていうの? それがあんたになんか関係あるわけ?」
非難口調だけど、否定はしなかった。
「それを、話させてください。今日は遅くまでお勤めがありますか?」
しばらく間があった。突然切られるかと思って、ひやひやした。
「五時で上がるよ」
「じゃあ三ツ矢さんの方で、喫茶店かどこかを指定してもらえますか?」
また、しばらく間があって。
「美容室の並びにマーブルって喫茶店があんの。そこに五時半」
僕が聞き返す前に。電話は切れた。五時半にマーブル。慌ててメモを取った。
「ふう……」
約束は取り付けた。でも、大変なのはここからだ。
◇ ◇ ◇
五時過ぎは、もう真っ暗だ。底冷えする中を、薄手のジャケットのポケットに手を突っ込んで背を丸めて歩く。寒い。冗談抜きに寒い。あったかいコートかジャンパーが欲しい。気分が滅入ってくる。
前もってマーブルの場所を調べておいて正解だった。暗くなってから行き当たりばったりで探したら絶対に見つからない。そういう地味な店だった。普通の民家のドアみたいなのを開けて、店内に入る。そこも美容室と同じで、古ぼけて時代に取り残されたみたいな空気が漂っている。客は誰もいない。カウンターのところにいたおじいさんが、僕にゆったり声を掛けてきた。マスターかな?
「いらっしゃい。待ち合わせですか?」
「あ、はい」
「ごゆっくり。じゃあ、注文はその方が来られてから伺いますね」
そう言って。ゆっくり僕に背を向けた。
僕は三ツ矢さんが来るまで、あの写真をじっと見つめていた。この子は何を考えているんだろう? 本当は、僕が思ってたのとは全く違うのかもしれない。単なる撮影角度でそう見えるだけ。小野さんの飾ってるポートレートとは逆のパターンが、もしかしたらあるのかもしれない。僕は、単にこの子に自分の感情を投影してるだけなんじゃないだろうか、と。
でも小野さんの推測は僕とずれてなかったし、大家さんの示唆も決して明るいものではなかった。もし写っているのが三ツ矢さんで、それが今の彼女につながっているのなら。それは決してハッピーエンドに繋がっていない気がする。最初に僕が漠然と望んでいたこと。この子が写真のような絶望状態から浮上してるってこと。それを期待してはいけないのかもしれない。まず最初に僕がしなければならない覚悟。写真が僕にもたらすものを、きちんと受け止めること。幻想を持ち込まないこと。
僕は写真をテーブルの上に置いて。大きな溜息をついた。
◇ ◇ ◇
五時半の約束だったけど、六時を過ぎても三ツ矢さんは現れなかった。すっぽかされたのか、それとも逃げたのか。おじいさんが僕の方を向いて、何やら言いたそうにしている。閉店の時間なんだろう。
ふう……最初からやり直しか。そう思って腰を浮かせたところに、三ツ矢さんが飛び込んできた。
「ご、ごめん! ちょっと手のかかるお客さんがいて、遅れた!」
おじいさんが、三ツ矢さんの顔を見て笑った。
「なんだ。たみちゃんのカレシかい」
「ち、違うよっ!」
三ツ矢さんが、むきになって否定する。
僕は三ツ矢さんが来てくれたってことにほっとして、自然に笑顔になった。それを見て安心したんだろう。三ツ矢さんも照れくさそうに笑った。初めて見る三ツ矢さんの笑顔。それはあのチラシに写っていたぎごちないものじゃなくて。そのままの、ストレートな笑顔だった。僕はなぜか、それを見て深く安堵する。
「ああ、たみちゃん。せっかく来てくれて悪いけど、閉店時間なんだ」
「そうだよね。ごめんねマスター」
「いや、いいけどよ」
三ツ矢さんは、何も乗ってないテーブルを見て呆れる。
「あんたもなんか頼んどきなさいよ。マスターに迷惑じゃん」
ああ、そういやそうだった。
「いや、三ツ矢さんが来られたら一緒に注文しようと思ってたんで」
しゅんとする三ツ矢さん。おじいさんが気を利かせてくれた。
「わしは晩飯食うから、ゆっくり話してったらいいよ。おごりだ。コーヒーを入れてやっから待ってな」
おじいさんは戸口に営業終了の札を掛けて、入り口付近の灯りを消した。それから二人分のコーヒーを落として、僕らの前に置いた。
「ごゆっくり。飲み終わったのはそのままにしといてくれ。後で片付けっから」
「ありがと」
「ありがとうございます。ごちそうになります」
小さく流れるクラシック音楽を残して、おじいさんの姿がカウンターから消えた。
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