(2)

 間違いなく僕の外堀が埋まってきた。今までと同じようにバイトをつないでなんとなく生きていくってことが、自分でも息苦しくなってきた。

 店長に毎日のように言われていること。きちんとした職に就け。それは僕の生活を安定させるってことだけじゃない。もっと必死に生きろっていう叱咤だ。金銭的に楽に生活できてるならフリーターでもいいんだろう。でも、食うのもかつかつの状態でそれしか考えない生き方は、ドブネズミと同じじゃないか。横手さんが僕に投げ付けた言葉が痛い。


 だけど。必死に生きるには何かご褒美がいる。早くから目標を見失っちゃった僕は、そこの感覚が麻痺してる。達成感があって、それを足掛りにまた進むっていうプロセスがよく分からない。最初に就いた職をすぐ止めたわけ。その仕事をする意味が分からなかったからだ。

 それに引き換え、バイトの仕事は単なるノルマだ。箱から出して、並べる。お金を受け取って、精算する。決まった時間、店という容器の中に僕を入れて手足を動かす。それだけ。それは、体操するっていうのと何も変わらない。やりがいとか目標とか、なにも関係ない。その関係ないってことが、すごく気楽だった。でも、これからはそれじゃいけないっていうこと。


 じゃあ、これからどうするか。僕のパーツはまだまだ足らないんだろう。必死さっていうパーツだけじゃ、僕はうまく動かない。……きっとそうだ。


◇ ◇ ◇


 差し入れがあったことで、久しぶりにちょっと贅沢をしたくなった。洗って取ってあったカップラーメンの容れ物にインスタントみそ汁を作って、弁当と一緒に食べる。たったそれだけのことがすごく嬉しい。


「ふう」


 人心地ついたところで、ドアの向こうから小野さんの声がした。


「よう、弓長さん、一杯やらんかい?」


 いつもごちそうになってばかりじゃ心苦しい。でも三ツ矢さんのことでちょっとへこんでた僕は、誘いに乗ることにした。


「ありがとうございます!」

「ああ、手ぶらで来いよ。気遣い無用だからな」

「……はい」


 ううう。手ぶらでしか行けない自分が情けない。


 小野さんの部屋にお邪魔する。この前と同じように、焼酎のお湯割りを僕の前に置いた小野さんが、するめを噛みながらテレビのニュースを見てる。僕も、これと言って話せることがないから新聞をぼやっと見てた。


 突然、小野さんがテレビ画面から目を離さないで僕に聞いた。


「弓長さん。三ツ矢さんに会いに行ったんかい?」


 ああ、そういやこの前その話をしたんだっけ。


「はい。行ってきました」

「どうだった?」


 気にしてくれてたのかな。


「ええ。一応写真のことについてはいくつか教えてもらえました」

「は!?」


 小野さんがびっくり顔で振り返る。


「あいつが、か!?」

「ええ。ちょっと意地悪な手を使いましたけど」

「どういうことだ?」

「三ツ矢さんは、僕の部屋の壁にコルクボードを貼ってって、大家さんに元に戻すようにって叱られてるんですよ。僕は後に入った住人ですから、その文句を言いに来たと思ったんでしょう」

「ははあ。それをテコに写真のことを聞き出したってことか」

「はい」

「あの写真は、三ツ矢さんのだったかい?」

「いえ、違うそうです。三ツ矢さんがあの部屋に入った時に、押し入れに落ちてた写真だったとか」

「ふん?」


 小野さんが変な顔をした。


「あいつが持ってた写真でも、あいつの写真でもねえってことか?」

「そうですね」

「じゃあ、そんなのをなんでずっと貼ってたんだ?」

「子供のポートレートでかわいいから貼っといた。出る時捨てなかったのは、その写真が自分のじゃなかったから。そう言ってました」


 小野さんの手が止まった。


「僕は……三ツ矢さんの前の住人について聞こうと思ったんですけど、それは知らないと言われましたし、なんかそれ以上は辿るのが億劫で」


 小野さんが眉を寄せて、顔をしかめて何か考えてる。しばらくその姿勢をキープして、それからおもむろに言った。


「なあ、弓長さんよ。俺は三ツ矢さんの前にいたおばちゃんとは結構長い付き合いがあってな。お互い酒好きで、俺の誘いは断んねえ。お互いいいトシだから男女の関係とは無縁だったけど、ざっくばらんにいろんな話をする仲だった。まあ、今みたいな感じで毎日酒盛りしてたんだよ」


 えっ!? いきなり、三ツ矢さんの前につながった?


「そのおばちゃんは杉谷すぎやさんて言うんだが、ずっと独身だった。結婚したことも、もちろん子供産んだこともねえ。本人やその子供が、写真の人物だってことはありえねえな。一葉館のヌシみたいな人だったからな」

「そうだったんですか」

「ああ。それとな。俺はここの大家さんの性格をよーく知ってる。あの人は優しい人だけど、すっげえ細けえんだ。三ツ矢さんがやらかしたっていうヘマは、本来損害賠償もんだ。それだけ、大家さんがここをすごく大事にしてんだよ」


 うん。それはよーく分かる。古いけど、隅々まできちんと手入れされてるもの。


「だとすれば、おかしいと思わないか?」

「え? なにがですか?」

「三ツ矢さんのヘマをなぜ見逃したか。それと細かい大家さんがなぜ押し入れに落ちていた写真に気付かなかったか。もういっちょ言えば、三ツ矢さんが出る時に残していった写真をなぜ片付けなかったか」


 小野さんにそう言われて。僕は美容室のところで三ツ矢さんと話した時の違和感を思い出す。そう、妙に淀みがなかったんだ。まるで、準備していた原稿読むみたいに。


「うん。おかしいのは三ツ矢さんもそうですよね。あれだけ無愛想で投げやりな人が、あのつまらなそうな子供のポートレートを気に入るとはとても……」

「うん。それもそうだ」

「写真を残していったのも奇妙です。やっぱ、どう考えても普通は捨てるか、持っていく。この部屋のものだからっていう理屈は通らない」

「だな」



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