あなたの定規で測らないで
山橋和弥
第1話
「ぼくたちの戦いはこれからも続くのだった」
「なに勝手に次回に続けようとしてんだ」
「ぼくたちの本当の戦いはまだ始まってすらいなかった」
「ふざけてんな」
山橋智樹は一ノ瀬佳代の頭を軽くはたいた。腰まで伸びる柔らかな黒髪が揺れる。一ノ瀬佳代は頭を両手でさすりながらむくれた。
「痛いよ」
「ちゃんと探せ」
「冒険に必要な武器を?」
「勉強に必要なテーブルをだ」
山橋智樹はまた散らかった部屋の中を探しはじめた。表紙の折れ曲がった雑誌をどかし、郵便ポストからそのまままとめて持ってきて、放り投げたようなチラシの束を隅にずらし、中身の入っていないブルーレイディスクのケースをテレビラックに置く。智樹は立ち上がり腰を伸ばしていっこうに片付かない部屋を見渡した。フローリングの地面より物で覆われている面積のほうが未だに広かった。
「よくこんな場所で生活できるな」
「あまいよ智樹」一ノ瀬はグレーのスウェットに左手を突っ込んで腹を掻きながら、右手の人差し指を左右に振った。「ゴミの上にも三年。わたしはもうあんましこの部屋が汚いと思わない」
誇らしげに一ノ瀬は智樹を見上げた。智樹は視線を巡らせる。そこにあるのはゴミの山。
「いや、どうみても汚いだろ。というか三年前からこんななのか?」
「参った?」なぜか得意げな一ノ瀬。
「いや、むしろ憐れむよ」
なぜ、と言いたげに一ノ瀬は首を傾げる。
智樹は腰に手をあてて溜息をついた。二十畳以上はある一ノ瀬の部屋は物で満たされている。ベッドの上も机の上も雑誌やら洋服やらに埋め尽くされていた。いま二人で探しているのは折りたたみ式のテーブル。そう本来なら見つけられないということが考えられないほど大きなものを智樹と一ノ瀬は探しているのだった。
「智樹、見て見て」
視線を送ると、一ノ瀬は頭の上に白い靴下を二枚のせて笑っていた。
「垂れ耳ウサギ」
あまりにくだらなくて、智樹は冷ややかに見たあと鼻で笑う。
「うわー感じわるーい」一ノ瀬は眉を寄せて不満そうな顔になる。
「はいはい。可愛い可愛い」投げやりに答える。「ほんと、少しは掃除ってもんをやろうとは思わないのかね」
智樹は脱ぎ散らかされた服をベッドの上に放り投げる。腰を屈めてテーブルを探す作業に戻った。
なぜ室内なのにゴミ捨て場をあさるような虚しい気持ちになるんだと呆れていたら、頭の上に何か柔らかい物がのせられた。手を伸ばして頭上にのっているものを取る。白い靴下だった。
「あははは。智樹もウサ耳だ」
一ノ瀬は腹を抱えてバカにするように笑っている。
智樹はその笑みで緩んでいる一ノ瀬の顔に、刺激臭のした靴下を投げつけた。
見事顔面で靴下を受け止めた一ノ瀬は顔を歪ませる。
「く、くさい」
頭にのっていたもう一枚の靴下も智樹は一ノ瀬に投げつけた。
それを一ノ瀬は上体を反らして躱す。
「あまいよ。そんなんじゃ甲子園どころか一回戦すら危ないね」
一ノ瀬は不敵に笑った。まだ鼻腔に臭気が残っているのか、手で鼻をおさえている。
「残念ながらおれは帰宅部だ」
「ほう、逃げるのがお得意か?」
「違う。学校から帰る部活だ」
「いまならこのギブスを三千円で売ってやるぞ?」
一ノ瀬は拾ったゴムチューブを左右に振った。
「そんなもんいらないから、さっさとテーブル探せ。じゃなきゃこのゴミの上でテストやらせるぞ」
「ゴミじゃないよ! これは宝の山だよ」
一ノ瀬は手を振りかざした。智樹は辺りを見回したあと訊いた。
「この何日も着続けたような服がか?」
「臭くないからまだ大丈夫だよ。だいたいそれは一種のダメージ加工というやつだよ。智樹は流行に乗り遅れてるね」
「この食べかけのカップラーメンもか?」
「あとで食べようと思ってた。今は発酵中。熟成中とも言うのかな? 知ってた? 時間を置くと味に深みが出るんだよ?」
「色が変色してるし、かなり臭いけど、それでも食べるんだな?」
「まあ、気が向いたらね」
「じゃあ、このティッシュにくるまったチュッパチャップスも?」
「あとで舐めようと思ってた」
「じゃあいま舐めろ」
智樹は飴玉にティッシュがこびりついたチュッパチャップスを渡した。一ノ瀬はそれをじっと見詰める。そして大袈裟に振りかぶってゴミ箱に放り投げた。
「おい、なにをして」
一ノ瀬はスウェットのズボンのポケットから新しいチュッパチャップスを取り出した。
「あの味は好きじゃなかった」
そう言って包み紙を外して口の中に飴玉を放り投げる。白い棒が口からはみ出て左右に動く。
「さっきのやつさ」
「うん?」
「それと同じ味だぞ?」
智樹の鋭い視線を一ノ瀬は顔を明後日の方向に向けて躱した。
「そう? 見間違いじゃない?」
智樹は一ノ瀬を見続ける。一ノ瀬は落ち着かないように視線を揺らした。そして急になにかを思い出したように手を叩いた。
「そうだ。テーブルを探しているのだった」妙に辿々しい日本語。「さて頑張って探すとするかね智樹くん」
一ノ瀬は笑った。智樹は溜息を漏らす。
一応は探す気になったようだがテーブルは見つかる気配がなかった。一つのゴミの山を崩せば別の場所に山ができる。その山を崩せば今度は別の場所に山ができる。その繰り返しだった。
一ノ瀬は四つん這いになって地面とにらめっこしながら言った。
「敵は完璧に変装してまぎれこんでる。見つけるのは至難の業だ」
「いつから机は敵になったんだ?」
「木を隠すなら森の中、テーブルを隠すなら家の中とはよく言ったものだね」
「後半は初耳だぞ」
「うう」一ノ瀬は小さな唸りをあげた。「もう疲れた」
「全然動いてないだろうが」
「わたしはこれでも限界なんだよ」
一ノ瀬はそう言って抗議の瞳で智樹を見た。智樹は深い溜息を吐く。
「しかし」部屋を見回す。「これだけ探してもないっていうのはちょっとおかしいな。ほんとうにこの部屋にあるのか?」
「だって捨ててないもん」
「そっちのクローゼットの中とかに入ってたりしないのか?」
「それは」一ノ瀬の口がそこでとまった。驚愕したように智樹を見る。
一ノ瀬は立ち上がってふらふらとクローゼットに寄った。途中ダンボールの山に足を引っ掛けて派手に転ぶ。両開きのクローゼットを開ける。中から白い折りたたみ式のテーブルが倒れこんできた。一ノ瀬は足元を見下ろす。
「誰が」声が震えている。「誰が隠したんだ」
智樹は駆け寄って一ノ瀬の頭の上に手を置いた。
「お前だろ」
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