第47話 キーマィリ
黒狼卿ヴィンセントが帝王軍の前に姿を現し、一騎討ちを申し込んでからかなりの時が経過していた。
黒狼卿は帝国騎士を一人も殺すことなく、次々と馬から叩き落していき、ついにその数は44人となっていた。
この状況をただ黙って見守る帝王グラム。
だが、その周囲に控える者たちは一様に戦々恐々といった面持ちを浮かべている。
皇国の英雄の活躍、なにより帝王兵たちの失態に、グラムの怒りが頂点へ達しようとしていたからだ。
傍に立つ帝国四軍師筆頭である閃光のアルタナもまた、殺気立った主の姿に思わず唾を飲み込むも、それまた良しと考えていた。
閣下が怒りを爆発させてくれれば、それもまた兵を動かすきっかけとなりえる。
そう考えているからだ。
それほどまでに黒狼卿は長い時間稼ぎに成功していたのだ。
帝王軍はレイべ山脈を見上げる平原に布陣してから、未だ一歩も軍を動かすことが出来ずにいる。
一刻を争う現状において、これは大きな痛手である。
同時に閃光の字名を持つ軍師アルタナにとっても、無駄な時間を浪費させられている状況は苛立ち以外のナニモノでもなかった。
とにかくきっかけが欲しい。それが帝王の怒りであっても構わない。
しかし流石は大陸の中原を支配する帝王グラム、殺気立ってはいるが威風堂々たる姿で黒狼卿の一騎討ちをただただ見守っている。
「これで45人目、次は誰ぞ!」
その視線の先で、黒狼卿が再び挑んできた帝国騎士を馬上から叩き落した。
これを受けて新たな帝国騎士が名乗りを上げて、黒狼卿の前に進み出る。
グラムは大分前から騎士たちに好きに名乗りを挙げさせ、黒狼卿に挑ませており、自ら指名することもなくなっている。
無言の帝王の怒りが積み上がっているのは確実であり、ただ黙ってその様子を見守るのも限界が近いのかもしれない。
そんな帝王の元に一人の長身の騎士が近づいてくる。
その騎士はひょろりと手足の長い男で、その顔には笑顔が張り付いている。
騎士は不機嫌な雰囲気を漂わせる帝王の前にやってくると、ゆっくりと膝を折る。
「閣下。そろそろこの余興も見飽きてまいりましたし、私が終わりにしてもよろしいでしょうか?」
飄々とした笑顔で恐れることなく帝王グラムに話かける。
愛嬌のある笑顔と言葉に、周囲にいた帝国兵たちも自然と口元を緩める。
その騎士の名はキーマィリ。
帝国中にその名を轟かす名将にして、帝国八騎と称される帝国最強の騎士の一人に数えられる男だ。
「ではキーマィリ、貴様ならあの黒狼卿を倒せるというのだな?」
眼光鋭く睨みつけるグラムの言葉に、キーマィリは肩を竦める。
「さあどうでしょう。それは戦ってみなければわかりませぬな」
キーマィリは笑顔でそう返しつつ、こうも続けた。
「ただ私が勝てば終わりますし。仮に私が殺されたのなら兵を動かすがよろしいかと存じます」
いつもと変わらぬ笑顔で命を賭けて黒狼卿と戦うと口にした帝国八騎の一人に、グラムの口元がニヤリと緩む。
「許す」
「御意」
キーマィリは帝王に一礼して立ち上がると、アルタナの方へとやってきて、ポンと笑顔でその肩を叩く。
「難しい表情をするな。美しい顔が台無しだぞ」
「戯言を」
「タイミングは任せる」
武勇だけでなく名将としても知られるキーマィリの言葉に、アルタナは思わず口にする。
「キーマィリ、我らが主の覇道に貴公は必要不可欠である。その覇道を紡ぐ我が策もまた、貴公なくして成立せぬ」
不機嫌そうに吐き捨てるアルタナの言葉を聞き、キーマィリはいつも笑顔で手を振る。
「お前らしい激励だ。ならばその言葉に応えなければならぬな」
***
「49人目」
再び向かってきた帝国騎士を馬の上から叩き落としたヴィンセントは大きく息を吐く。
流石の黒狼卿もこの状況に疲労の色が濃くなり始めている。それは黒馬ミストルティンも同じ。
そろそろ次の行動を考えなければならないかもしれない。
そんな中、帝王軍の兵士たちがざわめき始める。
やがてそれは歓声となる。
「キーマィリ、キーマィリ!!」
腕を掲げ、叫ぶ帝国兵の中を抜け、灰色の馬に跨った長身の騎士が姿を現す。
その手には普通の槍よりも長い長槍が握られている。
騎士は悠々と馬を進め、ヴィンセントの前まで馬を進めると、にこやかな笑顔で話しかけてくる。
「次は私が相手になろう。我が名はキーマィリ。どこにでもいるただ一介の騎士だ」
「ご冗談を。帝国八騎と名高いキーマィリ・エル・バルトライン殿」
皇国の英雄であるヴィンセントはもちろん名将キーマィリの名前を知っている。
なんでもその長槍の間合いは常人よりも遥かに広く、近づく前に命を奪われるという。
キーマィリはヴィンセントから十分に間合いを取るように馬を動かし、ヴィンセントもまた前傾姿勢に槍を構える。
「では参ろうか」
キーマィリの言葉と同時に、両者は馬の腹を蹴る。
「!」
しかし真正面から突進するヴィンセントとは違い、キーマィリは馬の頭を巡らせ、ヴィンセントの左に回り込むように馬を走らせる。
必然的にヴィンセントもミストルティンの手綱を動かし、進路を変える。
これまでの一騎討ちでは両者が真正面から一直線にぶつかり合っていた展開から一転、両騎士を乗せた馬たちは、大きな円を描くように走り始める。
グルグルと同じ場所を周回するように走り出し、徐々にその円の大きさは狭まっていく。
その最中、不意にキーマィリの長槍が放たれる。
これにヴィンセントは驚愕する。
なぜならキーマィリの長い手から繰り出される長槍の間合いが、自分の想像以上に広かったからだ。
しかも狙いは的確であり重たい。
なんとかその一撃を弾いたものの、ヴィンセントはそこから反撃することができなかった。
なぜならキーマィリとの間合いが離れすぎていたからだ。
円の対岸を同じ速度で走るキーマィリに向かって槍を伸ばしたところで、ヴィンセントの一撃は決して届きはしないだろう。
だがその間合いであってもキーマィリの長い手から放たれる長槍の一撃は次々とヴィンセントに襲い掛かってくる。
それらをしっかりといなしながらも、ヴィンセントは防戦一方となり手が出せない。
かといって間合いを詰めようにも、両者の馬は円を描くように走っているため、その間合いを一気に詰めることは出来ない。
ゆえにその間合いを詰めるべく、ヴィンセントは円の内側に入り込もうと手綱を操ろうとする。しかし、すでに間合いに入っているキーマィリの槍の一撃が、それを悉く阻み、これ以上近づくことができない。
やられた。
ここに至り、ヴィンセントは初手から失態を犯したことに気が付いた。
これまで通り真正面からのぶつかり合いならば、強引にでも相手との間合いを詰めることも可能だったが、この馬の並びではそれも難しい。
自らの間合いを上手く生かしたキーマィリの馬上での巧手。
これには手が出ないと思い、ヴィンセントは一旦間合いを取るべく、手綱を握り、ミストルティンの首を円の外側に向けて動かそうとした。
しかしその手は、ギリギリで止まる。
この動きを見て、キーマィリが長槍を引いたからだ。
見ればキーマィリもまた馬を手綱を動かそうとしている。
ここでヴィンセントは先の動きを予測する。
今、自分が円の外側に向けて馬を動かしたら相手はどう動くかを考え、その意図を理解する。
ヴィンセントが馬を円の外側に動かした場合、おそらくキーマィリは逆に馬を内側に寄せて、一気にヴィンセントの背後に回り込むつもりだろう。
そうなれば、間合いの長いキーマィリに背を取られることになる。
もしそうなれば、どうなるかなど考えるまでもない。
その考えに至り、ヴィンセントは背筋が冷たくなる。
現状、自分の槍が届くことはなく、相手に一方的に打ち込まれている。
さりとて間合いを詰めようにも阻まれ、逆に間合いを取ろうとすれば、途端に背後を取られる。
完全に詰んでいる。
「なんだ、逃げてはくれないのか」
どこか残念そうに呟くキーマィリは、再び長槍を構え、間合いの長い連撃を放ってくる。
それを防ぎながら、ヴィンセントは素直に驚嘆する。
馬の並び一つで一方的な状況を作り上げたキーマィリの馬上戦術に。
「随分と一騎討ちになれていられるようですね」
長槍を防ぎながら思わず口を開くヴィンセントにキーマィリは変わらぬ笑顔を浮かべる。
「まあそれなりに修羅場はくぐってきたからね。若い君よりかは幾分か物事を知っているだけの話だよ」
飄々と応えながら放たれる長槍の一撃はどれも厳しいものばかり。
この状況にヴィンセントは思考を巡らせる。この一方的な状況を覆すための打開策を考える。
そしてヴィンセントは相棒である黒馬の首を軽く叩く。
「少し無理をするぞ、ミストルティン」
主の言葉に応えるように、黒き名馬は短く嘶く。
「はっ」
そしてヴィンセントはこの状況で手綱を手に取り、ミストルティンの走る速度を上げる。
これを受け、キーマィリは今の状況を維持すべく、同じく馬の速度を上げながら長槍を放ち続ける。
「!」
だがここでキーマィリは驚くことになる。
徐々にだが円の対角を走っていた両馬の位置がズレ始めたのだ。
自らが跨る灰色の馬よりも黒狼卿が跨る黒馬の速度が勝り始めたのである。
これによりキーマィリの視界から徐々にヴィンセントの姿が消え始め、ついにはほとんど見えなくなる。
対しヴィンセントたちは確実にキーマィリたちの背を捉えつつある。
このままでは背後を取られると見たキーマィリは、ここで手綱を握り、自らの馬の首を円の外側に向ける。
そしてそのまま逆の円を描くように馬を走らせる。
もちろんそれを見たヴィンセントの行動は一つ。
ミストルティンの首を軽く円の外側に向け、周り込むようにして真正面から向かってくるキーマィリを迎え撃つこと。
強引にキーマィリを真正面へと動かしたヴィンセントは、相手を一撃で仕留めるべく、槍を構える。
間合いの長い相手の長槍を掻い潜り、その内側から必殺の一撃を放つ腹積もりである。
これまでの他の一騎討ちのように真正面から近づく両者の間合いはあっという間に縮まっていく。
そして予想通り、まずはキーマィリが長槍を引く。
「なっ」
しかしキーマィリのその一撃は、あまりにもヴィンセントにとって予想外だった。
キーマィリは槍を引き構えを取るも、明らかに遠すぎる間合いで長槍をヴィンセントに向かって繰り出したのだ。
そして放たれた長槍はキーマィリの手を離れ、真っ直ぐにヴィンセントに向かって飛んでくきた。
投擲。
虚を突かれながらも、ヴィンセントは持ち前の身体能力で身体を逸らすようにして、この一撃を掻い潜る。
だがそれで終わりではなかった。
体を起こした瞬間、すでにキーマィリは目の前におり、腰に下げていた刀剣を引き抜き、上段に振り上げていたのだ。
振り下ろされた剣の一撃を、ヴィンセントは両手で構えた槍で防ごうとするも、防ぎきれず、キーマィリの剣はそのまま振り抜かれた。
すれ違い、間合いが放たれた馬の上で、キーマィリは楽しそうに笑う。
「よく避けたね」
そう声を掛けられ、体を捻ることでなんとかその一撃をしのいだヴィンセントが、黒馬の上で体を起こし切り裂かれた頬の血を拭う。
そしてただただ驚愕する。
馬上での位置取りで優位に立つ知略、手に持った武器が不利だと思えばあっさりと投げ捨て、すぐに武器を持ち返る機転と度胸。
まさに名将にして武勇の誉れ高き騎士。
「強いな」
黒馬ミストルティンの背に跨り黒槍を構えるヴィンセントは頬に刻まれた傷に触れながら思わず呟く。
この二人の戦いを、5万からなる帝国兵たちは食い入るように見入っていた。誰もが声を潜め、息をするのも忘れたかのようにその勝敗に注目していたのだ。
その最中だった。
ターン
遠くから何やら聞きなれる音が聞こえてきた。
それは一度ではない。続けざまに何度も響いてくる。
遠くから木霊するその音に、5万の帝国兵だけでなく、キーマィリとヴィンセントもまた振り返る。
それは眼前に広がるレイべ山脈の隙間を塞ぐマルデュルクス砦の方角からだった。
山間から反響するように響いてくる、何かの音。
それがいったいなんであるか、誰もが聞き耳を立てようとした。
ドーン、ドーン、ドーン
しかしそれは近くから鳴り響く、銅鑼の音によって搔き消される。
誰もが驚き振り返る帝王軍の中央で銅鑼は鳴り響き、直後、透き通るような声が響き渡る。
「火急の知らせである! あれなるはマルデュルクス砦を奪いし友軍からの救援の要請である! 全軍急ぎ進軍を開始する! 繰り返す、全軍は即座に進軍を開始する!」
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