第42話 帝王軍 現る

 早朝。

 地平線より出る太陽と共に、帝国平原を埋め尽くすほどの大軍勢が地響きと共に姿を現した。

 その数、5万。

 中核を担うのは、金獅子の旗と共に進む3万からなる帝王軍。ローベルト帝国において最強と謳われる帝王直属の軍である。


 その中に在って、圧倒的な存在感を放つ男がいる。

 帝王グラム・ベルン・ローベルト。

 一国の王でありながら自ら戦場に立ち、これまで数々の国々を攻め落としてきた歴戦の強者である。

 金色の鎧を纏う筋骨隆々の肉体は齢50を超えているとは到底思えない。

 自らが操る巨馬に跨り、威風堂々たる姿で、計5万からなる大軍勢を引き連れている。


「見えてきたな」


 地響きと共に進む大軍勢は、遥かに聳えるレイべ山脈に向かって進み、そしてようやく山道を防ぐマルデュルクス砦と、その前に立ち並ぶ三つの拠点を視界に捉えた。


「閣下」


 そんなグラムに声を掛ける者がいる。

 馬を走らせる皇帝の周りを囲む、甲冑を纏う騎士たちの中にいる、見目麗しい美女である。

 だがその人物はそもそも男であり、何よりその見た目に騙されていはいけない。

 閃光のアルタナ。

 帝国軍を統べる帝国四軍師の筆頭を務める人物だ。


「分かっておる。……全軍停止!」


 帝王の下知に、周囲に銅鑼の音が鳴り響き、五万からなる大軍勢は、その足を止め、広がり出す。


 馬を降り、すぐさま用意された天幕へと入るグラムとアルタナ。


「閃光よ、状況は?」


 字名を口にするグラムの言葉に、アルタナが手を挙げる。

 すると控えていたアルタナの弟子たちが、皇帝の前にテーブルを運び、そこに周辺の地図を広げ、駒を並べる。


「天眼のフォウ率いる我が帝国軍は先日、皇国のマルデュルクス砦を陥落しましたが、逆に背後を取られ、こちら側の三つの拠点は黒狼卿率いる皇国軍に占拠されております。さらにはマルデュルクス山道より赤竜卿の猛攻を受け、窮地に陥っている様子」


 地図の上で、三つの拠点に置かれた赤い駒が山道の隙間を塞ぐマルデュルクス砦に移動。代わりに青い駒が三つの拠点に置かれ、さらに複数の青い駒がマルデュルクス砦から伸びるマルデュルクス山道から押し寄せる。


「ほう、天眼が裏を掻かれるとは、これは愉快だ」


 青い駒に前後を挟まれた赤い駒を見ながら、帝王グラムが軽快な笑みを浮かべる。


「ですが、我々がここに布陣したことにより、戦況は一変しました」


 地図の上で、三つの拠点に置かれた青い駒の正面に、皇帝軍を示す王冠を模した駒を始めとした複数の駒がずらりと並ぶ。

 これにより地図の上では帝国側から見て、見事に『赤、青、赤、青』となる。


 それぞれが、帝王グラム率いる5万の帝王軍、三つの拠点を占拠する黒狼卿率いる皇国軍、マルデュルクス砦を陥落させた天眼のフォウ率いる皇国軍、そしてマルデュルクス山道より押し寄せる赤竜卿率いる皇国軍。


「なるほど、これ全てが天眼の思い描いた筋書き通りという訳か」


 これまで天眼のフォウの前後を押さえていた皇国軍だが、帝王軍の出現によって、前にいる黒狼卿たちもまた前後を抑えられたという図式になっている。


「閣下にはわざわざご足労いただき感謝いたします」

「構わぬ。教会の聖地へと向かう行きがけの駄賃だ」


   ***


「「「うおおおぉぉぉぉ!!!」」」


 地平線を埋め尽くす大軍勢の出現に大いなる歓声を上げるのは、マルデュルクス砦に籠城する天眼のフォウ率いる帝国軍である。

 水も食料もなく、夜通し行われた赤竜卿ブラームスからの激しい猛攻で身も心もボロボロになっていた帝国兵たちだったが、平原の向こうに並ぶ大軍勢、なにより中央に掲げられた帝王グラムの存在を示す金獅子の大旗に、心の底から歓喜する。

 先ほどまで死人のような表情を浮かべていた部下たちの様子を見て、天眼のフォウは、仮面の下から『ふぉごふぉご』とくぐもった笑い声を漏らす。

 現在、マルデュルクス砦に立て籠もる帝国軍の兵数はおよそ4000。


『これなら援軍が来るまで持ちこたえられるな』


 地平線に現れた、その時こそ


  ***


 一方で、マルデュルクス山道内を防ぐ第一の関に陣を敷く赤竜卿ブラームスは、この報告に愕然とした。


「あり得ん。教会の聖地近くであるこの戦場にこれだけの大軍を引き連れてくるなど。教会に対する威嚇行為以外の何物でもない」


 イキシアノ大陸においてほとんどの人間が祈りをささげる教会を敵に回すということがどういうことなのか。それを帝国側が分かっていないはずがない。

 これは明らかな失策だ。

 なぜ帝王グラムがこのような暴挙に及んだのか?

 皇国の英雄でありながら、政治の一旦を担うブラームスの頭に様々な考えが駆け巡る。

 しかし赤竜卿は、戦場に立つ英雄として、それら一切を頭から押し出した。


 今考えるべきは、ただ一つ。

 現れた帝王軍に対してどう動くか。


 皇国最強と謳われる英雄の決断は迷いがなかった。


「急ぎマルデュルクス砦を奪還する! 全軍に準備を急がせろ!」


 1万からなる皇国軍の兵士たちに命令を下す。


 巨大なレイべ山脈と教会の聖地を挟んで対立する二つの大国の戦争において最前線となっている北の大平原、南の大海道。

 その戦況に楔を打ち込むのが、現在ブラームスたちが戦っているマルデュルクス山道である。


 今、このルートは皇国が手中に収めている。

 この時、マルデュルクス砦は天眼の軍師に抑えられ、皇国の防衛ラインはブラームスのいる第一の関まで後退しているが、それも後にマルデュルクス砦を奪還できることを計算にいれてのこと。

 本来であれば、マルデュルクス砦を明け渡すなど絶対にありえないことだ。


 それほどまでに帝国側の山道口であるマルデュルクス砦は重要な拠点なのだ。


 ブラームスは、天眼の軍師を袋の鼠とし捕らえる為の罠として、この要所を使った。それは上手く機能していた。

 つい先ほど5万からなる皇帝軍が出現するまでは。


 こうなると話はまったく違ってくる。罠も策も関係なく、すぐにでもマルデュルクス砦を奪還しなければならない。

 マルデュルクス砦を帝国に渡すわけには絶対にいかない。


 いくら皇国軍こちらが山道内を押さえていたとしても、帝国軍あいてに山道口押さえられては、その成果は半減する。


「急げ! 時間がないぞ!」


 帝王軍がこのままマルデュルクス砦に到達すれば、それで決着がついてしまう。


 この局面は、


   ***


――5万の帝王軍の出現は、この戦況を変えた。


 マルデュルクス砦を抑えた天眼のフォウ率いる帝国軍だったが、後方の三つの拠点を黒狼卿に制圧され、前方のマルデュルクス山道より赤竜卿からの猛攻を受けていた。

 黒狼卿と赤竜卿は、マルデュルクス砦を取った天眼のフォウを完全に挟んでいた。


 しかし帝王軍の登場により、三つの拠点を占拠したおよそ2000からなる黒狼卿率いる皇国軍もまた、前後を挟まれる形となった。


 皇国の二人の英雄に挟まれ、耐え忍んだ天眼の軍師に代わり、今最も苦しい立場にあるのは、黒狼卿率いる皇国軍。


 突如として目の前に出現した5万もの大軍勢を前にどう動くか? どう切り抜けるのか?


 しかしそんな些事など帝王グラムはまったく関心はない。

 教会の聖地へと向かうべく、自軍を進軍させる。

 今目の前にあるのは、その途中における小競り合いでしかないのだから。


 グラムからすれば、天眼のフォウの働きかけを受けた閃光のアルタナからの進言により、その進路を多少変更しただけのこと。


 そこに然したる関心があるはずもなく。

 故に帝王グラムは閃光のアルタナに対してただ一言、命令を下した。


「さっさと終わらせよ」

「御意」


 帝王の命令に、アルタナは、サッと手を挙げる。

 それだけで、到着したばかりの全軍に合図が行き渡り、その中にある2万の大軍が動き出す。


 帝国四軍師筆頭であるアルタナの字名は閃光。

 天眼のフォウが戦場において部隊を手足のように動かすようのに対し、アルタナは

 敵の動向を見るまでもなく、すでに部隊を動かしているのだ。

 その聡明なる頭脳は、敵軍の動きの二手も三手も先を読む。

 故にアルタナが動かす軍と対峙した時、敵の誰しもが感じる。

 尋常ならざる速さで攻めてくると錯覚する。

 そしてその圧倒的な速さに驚愕した時にはすでに負けているのだ。


 まるで光の如き速さで軍を動かし、勝利を手中に収める。

 故にその名は閃光のアルタナ。


 アルタナは黒狼卿の噂も知っている。黒狼軍の脅威も聞いている。その戦い方も理解している。

 しかしそもそもこの状況においてはまったく意味をなさず、なんの問題にはならないことを熟知している。


 それほどまでに圧倒的なのだ。

 万を超える大軍勢というモノは。


 アルタナは頭の中で、この後の状況を予測する。

 アルタナの指示を受けて動き出した2万の軍勢は、皇国軍に占拠された三つの拠点を無視し、マルデュルクス砦の周囲に広がる入り組んだ地形へと雪崩れ込む。

 そのままただ真っすぐに天眼のフォウが抑えているマルデュルクス砦へと到達する。

 そうすれば、どれだけ皇国軍の兵士が山道内に居ようとも関係ない。

 2万の軍勢が、皇国軍が溢れかえる山道に完全に蓋をする。


 これで半年以上、こちら煩わせてきた、このマルデュルクス砦攻防戦に一旦の終局を迎えることあできる。


 その際、帝国領内へと取り残される黒狼卿をどうするかに関しては、


 思考を巡らせたアルタナは空を見上げ、太陽の位置を確認する。

 今、天を登り始めている太陽が頂点へと達し、その頂から下り始める頃には、2万の軍勢は間違いなくマルデュルクス砦に到達する。


 そしてその進軍を阻めるモノは何一つない。


 故に閃光のアルタナは断定する。

 と。


「閣下、アルタナ様、あれを」


 そんな中、帝王グラムの傍に控える一人の騎士が遥か前方を指差す。


 布陣した5万からなる帝王軍の前に、一頭の黒馬が姿を現したからだ。


 漆黒のような黒馬に跨った黒髪黒目の男もまた、黒き甲冑を纏い、その片手には黒い槍を持ち、さらに逆の手には長い棒のようなモノを持っている。


 一目見ただけで、その場にいた誰もが理解する。


 あれこそが噂に聞く、皇国の英雄にして黒き死神と謳われる、黒狼卿ヴィンセントであると。


 黒き騎士の登場により不思議と静まり返った5万の帝王軍。


 その目の前で、黒狼卿は手に持っていた棒を勢いよく大地に突き刺す。すると棒の先に結び付けられていた黒い布が風にはためく。

 旗のようにはためくのはただの黒い布だったが、それは間違いなく皇帝軍の中央にたなびく金獅子の大旗を意識したものであることは誰の目にも明らかだった。


 そしてたった一騎で黒い旗を掲げた黒狼卿は大きく息を吸い込むと、眼前に広がる5万の帝国軍全体に響き渡るような大声で叫ぶ。


「我は皇国が英雄の一人、黒狼卿ヴィンセントなり! 先方はローベルト帝国を治めし皇帝グラム閣下とお見受けする! 願わくば、我と一対一の勝負をされたし!」


 黒狼卿のまさかの申し出に、誰しもが目を見張る。


「ほう」


 その中でただ一人、この戦に退屈そうにしていた帝王グラムだけが楽しそうな笑みを浮かべた。


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