第29話 恋する密偵は偽りを語る

「密偵?」


 ラクシュミアがそう名乗ると、ミカサ皇女は驚いたような表情を浮かべる。


「はい。帝国軍に関する動向を黒狼卿にお伝えするのが私の役目でございます」

「あなたは……帝国の人間ではないのですか?」


 髪と瞳の色からそう尋ねるミカサに、ラクシュミアは頷く。


「いかにも私は帝国人です」

「それでも皇国の英雄たる黒狼卿に手を貸しているのですか?」

「はい」

「……」

「信じられませんか? ならば神に誓っても構いません」


 そうラクシュミアは嘘を吐く。

 言葉通りに神に誓ってもいい。なにせラクシュミアは神など信じてもいないのだから。神のご機嫌を取るなんて殊勝な心掛けなど初めから持ち合わせてなどいないのだ。

 ラクシュミアはこの状況に、色々とムカムカすることはある。どういうことかヴィンセントに対して言及したい気持ちはメチャクチャある。

 それでもヴィンセントを手助けしようと思ったのは、ヴィンセントの不慣れな嘘を見かねたからではないし、もう少し上手い誤魔化し方があるだろうと思ったからでもない。


 そこまでして、自分を守ろうとしてくれたことが嬉しかったからだ。


 ラクシュミアの言葉に、ミカサは驚きと戸惑いの表情を見せつつも、何か納得したように頷く。


「なるほど。黒狼卿が私の正体を教えるほど信頼を置いている方という訳ですか」

「どうやら皇女殿下は、些か思い違いをされていらっしゃるようですね」

「? 思い違いとは?」

「私はヴィン様からミカサ皇女殿下のことを一切聞いておりません」

「……ではどうして私が皇女であると思われたのですか?」


 不思議そうに尋ねるミカサに、ラクシュミアはニッコリと微笑む。


「お話ししてもよろしいでしょうか?」

「ぜひ」

「まずあなた様は、侍女を多く引き連れていらっしゃる。高貴な身分であることは間違いありません。その上で、皇国の英雄たる黒狼卿が敬い、逆にあなた様は黒狼卿を問い詰めていらっしゃいます。皇国の英雄が仕えるのは、神々の末裔たる皇王のみ。つまり英雄よりも身分の高い者は皇王の血縁者以外に考えられません」

「一理ありますね」

「もちろん他にも理由はございます。例えば皇女殿下のそのお姿」

「姿?」

「黒髪と黒い瞳は皇国では珍しくありません。しかし銀と白の三つ百合を模した装飾品を付けている方は限定されます」


 その指摘に、咄嗟に皇王の血筋である者が身に着けるブローチに隠すように手を伸ばすミカサは、驚きと共に楽しそうな笑みを浮かべる。


「帝国の方ですのに、とても博識でいらっしゃるのですね」

「ありがとうございます」


 ミカサの賛辞にラクシュミアは微笑む。


「騙されてはなりません、ミカサ様」


 そう進言したのはサーシャだった。


「どういうことでしょうか?」


 挑発的な笑みを浮かべるラクシュミアを、サーシャが睨みつける。


「女。お前は密偵にしては随分とヴィンセントと親しいようだったが? 本当に密偵なのか?」

「そう申しましたが?」


 サーシャに対しては、一切隠すことなく険ある表情を浮かべるラクシュミア。

 なぜなら、この女はヴィンセントと何かあると、ラクシュミアの女の勘が囁いているのだ。つまりラクシュミアのその表情は、猫で言えば「フシャ―」と声を上げる威嚇行為である。


「信じられん」

「信じないのはあなたの勝手ですが、事実です」


(本当は嘘だけどね)とラクシュミアは心の中でチロリと舌を出す。


「だが……」

「ですが、他の方たちからそう見えるのも仕方ないことかもしれませんね」

「? どういう意味だ」

「なにせ私はヴィン様の事を心よりお慕い申しておりますから」


 堂々と胸を張るラクシュミアの言葉に、サーシャは目を見開き、ミカサは「まあ」と口に手を当てる。


「私はヴィン様に金で雇われているのでも、見返りがあるから協力している訳でもありません。ヴィン様を心より愛しているが故にお力をお貸しさせていただいているのです」

「帝国の人間である貴様がなぜ……」

「数か月前のことです。私はこのマルタで皇国人の暴漢に襲われました」


 その言葉に、同じ皇国の人間であるサーシャが押し黙り、ミカサが暗い表情を浮かべる。


「ですが、その時、私を助けてくださった方がいました。それがヴィン様です」


 ニッコリと笑うラクシュミアの笑顔に、二人の視線は自然と黒狼卿に向けられる。


「そんな殿方に身も心も捧げたいと思うのは、女としておかしなことでしょうか?」


 真っすぐなラクシュミアの態度に、二人は何も言えなくなっていた。


「黒狼卿、なぜ正直にそれをおっしゃって下さらなかったのですか?」

「ヴィン様には私からお願いしていたのです。私の素性は皇国の方々には口外しないことを」


 ヴィンセントの代わりにそう答えたラクシュミアの嘘にミカサは「なるほど」と頷く。


「たとえ自分が疑われるようなことになったとしてもですか?」

「ヴィン様は、自ら口にした約束は守るお方です。それ故にあのような不出来な嘘まで口にして、私との約束を守ってくださったのです。それこそがヴィン様が信頼に足る騎士である証明であると私は考えます」


 スラスラと言葉を並べるラクシュミアに、ミカサはただただ納得した面持ちで頷く。


「ミアさんのおっしゃる通り、どうやら私は愚かな思い違いをしていたようです。黒狼卿、やはりあなたは信頼に足る立派な騎士であるようですね」


 ミカサの賛辞にヴィンセントは首を垂れる。


「ふざけるな」


 そう言葉を漏らしたのはサーシャだった。

 サーシャはきっとヴィンセントを睨みつける。


「ふざけるな! そんな言葉を信じられるか! 帝国人が味方だと! 帝国人を助けただと! ヴィンセント、お前はなにを考えている! 殺すべき帝国の女にたぶらかされて貴様はいったい何をしている! そいつは兄様を殺した帝国の人間なのだぞ! なぜそのような者たちを助ける!」

「サーシャ」

「その女を助けたなら……なぜ兄様も助けてくれなかった!」


「サーシャ、いい加減にしなさい!」


 ミカサの怒鳴り声に、はっとなる。


「も、申し訳ございません、ミカサ様。取り乱しました」


 青い表情を浮かべるサーシャが首を垂れる。


「サーシャ、少しの間、席を外してちょうだい」

「しかし帝国の人間がいる場所にミカサ様を残しては……」

「もし万が一の時には黒狼卿が私を守ってくださいます。そうですよね、黒狼卿」

「この身に変えましても」

「で、ですが……」

「これは命令です」


 それ以上何も言わせないミカサの言葉に、サーシャは「かしこまりました」と踵を返し、部屋を後にする。


「私の侍女が失礼いたしました。ミアさんには深くお詫び申し上げます」


 皇国の皇女に頭を下げられ、ここまで強気な態度を見せていたラクシュミアも「お気になさらないでください。私も言葉が過ぎたかもしれません」と頭を下げる。


「サーシャは黒狼卿ととても深い縁がある娘なのです。突然の事に色々と戸惑ってしまったのだと思います」


 そんなミカサのフォローに、ラクシュミアは如実にピクリと反応した。


「さて、皇女殿下のヴィン様の疑いが晴れた所で、私からもヴィン様に尋ねたいことがございます」


 突然話を振られ、ラクシュミアの方を見たヴィンセントはギョッとする。


「? ミア?」

「ヴィン様とあの女性とは、いったいどんな関係なのでしょうか?」


 ラクシュミアはニッコリと笑ってはいるが、その頬は強張り、不思議とその周囲にはドス黒いオーラが立ち込めているように見えたからだ。


「では私はお話ししましょう」

「ミカサ様!」


 慌てるヴィンセントを他所に、ミカサは何の躊躇もなくそれを告げる。


「サーシャは、黒狼卿の元婚約者なのです」

「「こ、婚約者!!」」


 叫んだのは、ラクシュミアだけではなかった。

 今まで気配を消して、ことの成り行きを見守っていたルゥまでもが、驚きのあまり声を発してしまった。


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