追っかけっ娘!!

@senorei

第1話

誰も、来ない。

 大志記念たいしきねん大学の入学式当日。新入生の坂下さかした乃梨子のりこは途方に暮れていた。

 入学式は午後二時から。なのに、誰も現れない。壁の時計も乃梨子の腕時計も、全て午後二時十五分をさしているのに。

 携帯電話のデジタル表示も14:15となっていることを確認して、乃梨子は電話をかけた。

「あ、あゆちゃん?」

 すぐに出たのは、乃梨子の高校の同級生で、親友の岡原おかはら亜弓あゆみだ。本来なら、一緒に入学式に来ていたはずの。

「ごめん。これから講義なんだ。じゃね」

 電話口の亜弓は早口で言うと、躊躇なく、切った。

「え、ちょっと、あゆちゃん!あゆちゃん!」

 プー、プーという電子音が届いたけれど、諦めきれない。乃梨子は何度もかけ直したが、亜弓は電源まで切ってしまったらしく、つながらない。

 こんな所、来るんじゃなかった。

 乃梨子はつくづく思った。心の中で言ってみたら、自分がとても不幸で、かわいそうな人間に思えた。涙が浮かんでくる。

 孤独。大海に投げ出された遭難者は、こんな気持ちかもしれない。

「ひどいよ、あゆちゃん……」

 その時。

 乃梨子のいる空間に光が射した。これは比喩ではない。実際に、ドアが開いて外の光が差し込んだのである。

 人が一人、入ってきた。声をかけようとして、乃梨子は息を吞んだ。

 うわぁ……。

 切れ長の目に、整った鼻筋。引き締まった口元。造形の全てが乃梨子の目には完璧に見えた。イケメンと呼ぶにはあまりに神々しい。美形の男子学生とでも呼ぶことにする。

 見とれている乃梨子の前を、美形の男子学生は通り過ぎようとした。

「あ、あの!」

 せっかくの、質問チャンスを逃す訳にはいかない。だが、思い切って出した声は裏返って、乃梨子は消えたくなった。

 美形の男子学生は立ち止まり、乃梨子を怪訝な顔で見た。

 うわわぁ………。

 怪訝な顔が、美しい。細めた目に長い睫毛が集中して、漆黒のアイラインを入れているようだ。ノーメイクでこの造形。女子なら垂涎ものである。

そんな美しい目で見つめられていることに緊張しつつ、乃梨子は必死で言葉をついだ。

「入学式ってここですよね?」

「入学式……?」

 首を傾け、斜め上の空を見つめる。彼が動くたび、いちいち絵になるのだ。乃梨子はうっとりと見とれていたが、ふと正気に返って「入学式案内」を彼に見せた。

 入学式の数週間前、大志記念大学に合格した乃梨子の元に送られてきたものだ。それを見て、乃梨子の両親はとても喜んでくれた。

「本当に乃梨子は大志記念大学に合格したんだな」

と言って。

 その歓喜の案内状を、美形の男子学生はじっと見つめた。それから腑に落ちたようで、

「ああ」

と低くため息をついた。

「『午後二時から。大志記念大学、大志記念会館にて』。今日ですよね、合ってますよね?」

 乃梨子は目を上げたその人に、尋ねた。すると、その人はつぶやくように、言った。

「大志堂」

「え?」

「ここは大志堂。入学式が行われる大志記念会館は、別の建物」

「え……」

 蒼ざめる乃梨子の前で、その人は壁に貼られた地図を示した。元々は、ある銀行が大学構内にあるATMを周知させるために作られた地図で、大学の全景が収まっている。

「今いるのは、ここ」

 その人が、骨ばった意外にも男らしい指を置いたのは、大学の敷地の北の端にある四角い建物の図である。それからその指は地図の南へとゆっくり下った。

「大志記念会館は、ここ」

 地図を端から端まで渡った所で、その指は止まった。

「入学式は、ここで行われている」

 乃梨子の血の気は一気に失せた。

 入学式を欠席するなんて、一大事だ。そのために、今着ているスーツまで買ってもらったのに。

「あ、ありがとうございました!」

 慌ててお礼を言うと、乃梨子は大志記念会館に向けて走り出したのだった。


 国内でも有数のキャンパス面積を誇る大学、大志記念大学。

 その歴史は古く、元々は政府のお雇い外国人が開いた、農業学校が始まりである。以降、理学部、工学部、医学部、獣医学部などの理学系の学部、法学部、経済学部などの文系の学部を併設し、総合大学となった。乃梨子達の住む街では入学に一番の偏差値を要する、いわば憧れの大学である。

 広いキャンパスの南北を走るメインストリートは端から端で一キロ強。学生が利用する地下鉄の駅も、三つに分かれている。

 というかれこれを、乃梨子は親友の亜弓から教わった。

「私ね、子どもの頃から大志記念大学に入るのが夢なんだ」

 高校一年の春、同じクラスになってすぐに仲良くなった岡原亜弓は、進路希望を提出する際に乃梨子に教えてくれた。

「子どもの頃に読んで好きだった本が、大志記念大学の先生が子ども向けに書いた本で、どうしてもその先生の所で研究したいって思ってるんだよね」

 理学部で、地震を研究している教授だという。その教授が講演する市民公開講座に応募しては、何度も聴講しているのだそうだ。

「すごいね」

「今度、乃梨子も一緒に見に行かない?大学のキャンパスって市民に公開されてて、誰でも入れるんだよ。中には博物館もあるの」

 誘われて、翌週の週末、乃梨子は亜弓と共に大志記念大学に行った。

自然が多く、広々としていて、学校と言うより公園のようだった。

 が、何度も来ていると言ったくせに、亜弓の方は感慨しきりだった。

「はあ。ここで勉強出来たらなぁ」

 どこでしようが勉強なんか苦痛でしかない乃梨子は、亜弓の発言に目を丸くした。

 と、同時に尊敬した。

 あゆちゃんみたいになりたい。 

その日から乃梨子は亜弓に憧れ、亜弓のようになりたい、と願うようになった。

 乃梨子が自分も志望校を大志記念大学にする、と言うと亜弓も喜んでくれた。

「一緒に通えるといいね」

「うん。でも私にはちょっと難しいと思うけど」

「そんなのわかんないよ。まだ私たち、一年だもん」

 亜弓は励ましてくれたけれど、数字は厳しく現実を突きつけた。高校に入って最初に受けた実力テストで、乃梨子は志望校の合格可能性がE判定、つまり20%未満だとされたのである。

 一方、亜弓はB判定だった。60%の可能性で合格、という意味である。

「すごーい、あゆちゃん!」

 突き合わせた判定結果を見ながら、乃梨子はため息をついた。

「志望校変えたらって親に言われたよ」

「まだ時間はあるよ。受験の時にA判定貰えばいいんだって」

 けれど、高校三年間、結局乃梨子は、一度も大志記念大学の合格判定でAを貰うことはなかった。それでも、最後まで勝負はわからないと、塾の講師や両親、亜弓にも言われて、乃梨子は必死で勉強した。

 だから、合格発表を見た時は、気を失いそうになるほど驚いた。

 大志記念大学の入試結果はインターネットで発表される。受験番号を打ち込んで、クリックすれば、合否がその場でわかるのだ。

「合格」

 と、家のパソコンの画面上に浮かび上がった時には、にわかに信じられなかった。

「やった!合格だって!乃梨子!」

 傍らにいたのは、母の美登里みどりだ。

「本当に……?」

「本当!だって乃梨子、今、自分の受験番号入れたでしょ。パスワードも。これは乃梨子の合格発表なの。乃梨子。大志記念大学に合格したんだよ!」

 美登里に力強く言われ、乃梨子にも実感がわいてきた。

 本当に合格したのだ。あの、大志記念大学に。

「あゆちゃん!」

 乃梨子は亜弓に電話をした。合格発表は朝の九時から。おそらく、亜弓もとっくに家のパソコンで合格発表を見ていることだろう。

 ところが、亜弓は電話に出なかった。

「どうだって?亜弓ちゃん」

 当然亜弓も合格したものと思って、美登里が笑顔で聞く。乃梨子が

「出ない」

と状況を説明すると、一瞬、変な顔をした。

 それから慌てて、

「きっと亜弓ちゃんのお家でも、お祝いで大騒ぎなんじゃない?」

と言った。

「お祝い」

「そう、お祝い。亜弓ちゃんは子どもの頃から大志記念大学に入るのが夢だったんでしょ」

 美登里の言う通りだ。

「それに、亜弓ちゃんは乃梨子よりずっと成績も上だったんだし」

 それも、美登里の言葉通りだ。

「だから亜弓ちゃんが落ちるなんて……」

「そんなこと、あるはずないよ」

 乃梨子は笑い飛ばした。乃梨子が合格したのに、亜弓がしないなんて、ありえなかった。

 その夜はお祭り騒ぎだった。父の武史たけしも早く帰ってきて、一人で日本酒の瓶を何本も空にした。いつもなら怒り出す母の美登里も、上機嫌だった。

 なかなか寝させてくれない両親を振り切って、乃梨子が自分の部屋でベッドに入ろうとした頃、携帯電話に亜弓からの着信があった。

「もしもし」

「もしもし。どうだった?乃梨子」

 亜弓の声はいつもと同じで、落ち着いていた。

「受かってた。信じられないけど」

 電話は通じなかったのだが、乃梨子はメールで一報を入れていた。

「うん、見た。おめでとう。良かったね」

 何だか変な会話だな、と乃梨子は思った。どうだった、と聞きながら、メールは見た、なんて。それでも、亜弓の声が優しい、普段通りのものなので何も心配していなかった。

「あゆちゃんは?」

 もちろん、受かってるよね。

 と続けようとした乃梨子に、亜弓は言った。

「落ちた」

 声を震わせることも、湿らせることもなく、亜弓はそう言ったのだった。

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