第二章 学校革命プロジェクト

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 ぎこちなく発動された『生徒会特別計画 学校革命プロジェクト』は日を追って具現化されつつあった。

『はぁと☆すいーつ天使☆めるるん』が豊田あしほである以上、強烈な影響が及ぼされた。生徒会の面子は各々その方針を了解し、文化方面を活発にさせるための議案と予算案の折衝に余念がない。教員も生徒らが持ち込む私物を没収することはないと朝礼や集会で宣言するようになった。そこまで言われて生徒らが及び腰になる理由はない。早速自分の好きなキャラクターのグッズを携えて登校する生徒や、漫画やライトノベルを机上で広げる生徒が増えた。

 当のあしほは乗り気ではない。実際的に独裁の実行だ。

 運動部の代表者や風紀委員は良く思ってはいまい。

 けれど反感の声があしほには届かない。豊田あしほの名がそこにあるからだ。

 文化方面の活動だけが活発化を促されることには、あしほ自身、抵抗がある。

 それだけではない。いっぱいいっぱいだったあのコスプレ朝会を、蘭は続けるというのだ。命令によりその忌まわしき儀式は定例化されつつあった。

 先週は魔法少女かと思えば今週はダークファンタジーの兵士。

 そして来週は特撮もののヒーローだという。拷問だ。

 妙な扮装で衆人環視の前に立たされる上に、本意ではない計画の具体案を定期的に発表する。これが例え学校のためになるのだとしても、少なくとも自分のためにはならない。また、この王国の制度が誰も彼女に突っ込みを入れることを許さないのだから始末に終えない。

 つくづくと吐息しながら、生徒会長は弁当の包みを開く。

 昼休みの生徒会室にあしほのほかに人はいない。

 入学当初は、あしほの威光に授かろうとするクラスメイトや生徒会のメンバーが押し寄せていた。だが、彼女らの間には時に応じて静かな軋轢が生じ、結果としてあしほは一人で取り残された。

 そうならずに済んだかもしれない仮定法の過去なんかあっただろうか? 

 そう思いを巡らせるのが、先日までの生徒会長のランチタイムだ。

 だが、近頃ではそうした感傷に浸る暇すらない。

 だっだっだっと遠方から上履きで走ってくる足音。勢い良く扉が開かれる。

「グッドイーブニング。か、い、ちょ、う!」

 授業はエスケイプするくせに、昼休みになると、蘭はきっちりかっきり生徒会室にあらわれる。一応仮にも生徒会長のクラスメイトでありながら、そのことを少しも悪びれない。

 今日も今日とてあしほの向かいの席につく。さまざまなアイディアを書き連ねたノートを広げる。

「今日はねえ、図書室の活用方法を考えてきたおっ」

 語り口は今日も切れがいい。

 蘭はよく笑う。友達も多い。

 自分なんぞと昼飯を共にするほどにこの計画は大切なものだろうか? 

 素直にその疑問をぶつけると、蘭は呆けた。

「え? だって、蘭は……」

 ノートから顔をあげる。視線がかちりと絡みあった。

 あしほは自らの胸に満ちる疑念を隠さず、目をそらさずに見つめた。

 劣等生はしばし小動物のように固まった。それから、ふるっと首を振った。

「ら、蘭はねえ。趣味を大事にする人が好き。応援するおっ」

 にひっと笑みを浮かべる。

 赤いウインナーを箸で摘んだまま、今度はあしほの動作が静止する。

「どうして学校全体で、そこまでする必要があるの?」

 話の途中だというのに、蘭はいきなりあしほの掌を握りしめた。

「な、何するの?」

「会長。まずはねえ、生徒と会長の距離を縮める。だから蘭が会長の最初の友達になるお」

「……必要ない…」

「命令。蘭と友達になる」

「命令って…その時点で友達じゃない気がする…」

 握られた掌を引こうとしたが、蘭の握力は強くて逃げられない。その眼差しはあまりに真摯でまっすぐだ。信用していいものだろうか。あしほがじっと蘭を見返すと、蘭は俯いた。それから鞄から何事かごそごそと取り出した。 

「その第一歩としてねえ、これを持ってきたお」

「うっ。そ、そ、それ…ふ、うう…そ、それ…『剣持あずま』さんの漫画? あっ、あ、あの、それ、ううっ…」

 突然に大好きな漫画を目前に出されて、あしほは喰らい付いた。

 その作品群はBL漫画界のヒットシリーズだ。挙動不審になる。

「これねえ、会長におすすめしたいと思って持ってきたんだけど…もしかして、その反応…」

「う、うう…」

 あしほは目をそらした。

「蘭ねえ、この主人公すごくいいと思うんだあ」

 そうだよね、いいよね。

 声にせずにいるのが精一杯だ。同じ感覚を共有できる喜びと、一抹の興奮。趣味を学内で共有するという淡い背徳感。BL趣味をわかちあえる同志を学内にもてないだけに、その共有が耐え難い感興をあしほにもたらす。

「会長も好きなの?」

「う…す、す、好きっていうか…んっ…ま、まあ…わ、悪くはない…わね…」

胡蝶こちょう刑事』シリーズとはまた違った意味であしほのお気に入りだ。絵柄もストーリーテリングも作風も好みだ。そうした希少性の高い作家にはまさに『神』のような品位と風格がある。

「そっかあ。蘭も好きだから嬉しい」

 あしほは、目を白黒させた。

「ほ、ほんと、なの?」

「だおっ」

 あしほの指が震えはじめ、握りしめていた箸が折れた。

 涎をたらさんばかりの勢いで会長は身を乗りあげる。

「わ、わわ私、ファンレターもアンケハガキも欠かさないし雑誌企画の抽選のサイン色紙はハガキ五十枚投入してゲットしたの。その方の描くモノローグとか気の強い女王様受けが好きすぎてつらいっていうか…!」

 ライオンがシマウマの尻に飛びつくときでも、もう少し冷静だろう。

「うん…そうじゃないかなーって、思った」 

 蘭が微笑する。あしほは正気を取り戻した。

 身を乗り出して乱れた制服を正す。

「ど、ど、どうして…どうしてわかるの?」

 また秘密を漏らしてしまった。

「私、その…今まで趣味を語ったことってなくて…けれどあなたに話をふられると興奮してしまって……でも、あなたに自発的に趣味を伝えたい気持ちはないとうか…で、でも、その…どうして、私が…好きそうって…わかったの?」

「んー? なんとなく…かにゃ?」

「な、なんとなくって…」

 あしほの眼差しがきつくなる。蘭は軽く笑った。

「『胡蝶刑事』シリーズのファンは結構この作家さん、好きな人が多いお?」

「そう…なの? あの…み、御剣さ…」

 同族の仲間がいないあしほには、そのあたりの事情まではわからない。

 もっと深くそのあたりの話をしたい、聞きたいと口を開きかけたとき。

 窓外から集団の騒ぐ声が聞こえてきた。

「や、やめて! 何するんですか!」

 ただごとではない悲鳴だ。

 あしほと蘭は窓辺に駆け寄り見下ろした。

 生徒会室は四階建ての建物の二階にある。

 そう離れていない真下、中庭の隅だ。

 不良少女の一団に取り囲まれている生徒の姿があった。

「あれは…また、あいつらかあ…」

 蘭は眉根を寄せた。学内で悪事を働く生徒らの一群だった。

「会長、ぱぱっとあいつら注意できない?」

「……」

 学内の問題を目の当たりにした生徒としては当然であろう指摘だった。

 けれど、あしほは首をふる。

「…彼女たちはね、奨学金の支援を受けているの」

「え?」

「手を出せないわ」

 そっけない態度で窓から離れようとするあしほの腕を、蘭が掴んだ。

 本能的に、咎めるようにして。

「命令。あの騒動を解決する」

 肩を震わせるあしほの前で、蘭はノートを取り出した。

 ぱらぱらと頁をめくり、大きな字でこう書き込んだ。


『不良更正計画』


「実行するお?」

 向日葵みたいに全開の笑顔だ。

 最悪の事態を回避するには、どうするべきかは知っている。

 あしほは、本日も逆らえない。

 けれど、この命令を蘭が放ったとき、あしほは羨望すら覚えた。

 同時に、初めて本心からの怒りを覚えた。

 なんて無邪気なんだろう。そう感じた。

 他人の財布を渉猟するような真似は許されない。わかっている。

 わかっていないと思うのか!

「御剣さん、あなたは…」

「会長が手出ししないなら…誰がするの?」

 まっすぐな眼差しに気圧される。

 命令に逆らうつもりはない。

 けれど、どうして、こう逆鱗に触れる命令しかしないのだろう。御剣蘭は!

 知っていながら堪えてきたことを、今更どうやって解決しろというのか。

 果たしてそれは常套と呼べる手段になりつつあるものが提案され、あしほはやはり吐息した。





「やっぱり違うな。優等生は」

 奪った鞄を漁りながら、一味のリーダー格が嘲笑う。

「や、やめて。あなたたち、そんなことして許されると思ってるの!」

「言えるもんなら言ってみな…」

「そんな…ひ、ひどい」

 恐らく訴えたところでどうにもならないだろう。少女にもわかっていた。

 奨学生の素行不良は、豊泉寺女子高等学院に根付く深い問題だ。

 学院には奨学金の制度がある。

 家庭の事情により進学が困難な生徒を特に奨励して学費を免除する制度だ。

 しかし、その生徒たちには、勉学に割く時間的猶予も経済的猶予もない。結果として学内で問題を引き起こす。問題はその悪事ではない。悪事の隠匿される仕組みにあった。奨学生が悪事を働こうとも、被害者の父兄の訴えを学校側は認め

ない。奨学金制度の審査は万全だった、その制度を疑われることになるためだ。

学校側は必死で隠す。従って、この学校の父兄は被害そのものを訴えたことがないのが実情だ。

 中庭でその集団に囲まれているのは一人で行動することの多い生徒だ。そうした者は狙われやすい。少女の鞄から貴重品が抜き取られようとしたときだ。

「ま、まっ…待ちなさ…待てえええええい!」

 今一つ定まらない掛け声と共に、正義のヒーローがあらわれた。

「しし疾風仮面、た、ただいま参上! あ、あああ、ああ、あ、あ、あ、あ、悪の手先よ立ち去れい!」

 全身を特殊なライダースーツに身を包み、フルヘッドの仮面を身につけたヒーローだ。疾風仮面とは、日曜朝から放映されている実写のヒーロー活劇の主人公だ。子供だけでなく主婦層にも支持の厚い人気の特撮番組。

 蘭があしほに着せた衣装はそのヒーローを模していた。

「……」

「……」

 沈黙する一同。

「誰だ? おまえ」

 敢えて静寂を破ったのは少女らのリーダー格だ。赤い髪の派手ないでたちだ。

「参上って…恥ずかしくねえのか…」

「惨状じゃねえの…すげえ安定のどもりだったし」

 不良たちはひそひそと当人の前で話し合う。

「う、う、ううう…!」

 あしほの足が早くも笑いはじめる。

 怖い。

 それなりに武道の心得はあるあしほだ。だが、数で攻められたらかなわないかもしれないし、喧嘩の作法などは知らないのだ。

「あんた…その…言いにくいけどよ…その声よ…朝礼で見るからわかるけど…あ

とこないだもコスプレしてたしさ…なんつうかつまり会長だろ?」

 赤髪の少女が重ねて問う。

「ぎくっ…」

「ぎくって口で言うなよ」

「ち、ちち違う! せ、正義の味方疾風仮面だ!」

 腕を振りまわしたのち、ヒーローは持参のテープレコーダーを足元に置いた。

 スイッチを入れる。敵と対峙したときのエキサイティングなバックグラウンドミュージックが流れ出した。バトルシーンに突入したいという意思表示だ。

「正気かよ、会長…今時テレコって」

「か、かか会長と呼ぶな! 備品が余ってるのがこれしかなかったんだから仕方ないでしょ! ち、ちがっ…え、ええと、とにかく、わ、悪いことはやめろ!」

 ちょいちょい素の表情の覗かれるヒーローだ。

「で、でないと、悪の正義っ…いや…月の味方…ええっと…つ、つきの、えと、あ、う…」

「ぶれぶれな上に噛んでんじゃねえか…」

「お、おい、まずいよ、サキぃ…」

 呆れ顔の赤い髪の少女の名を、不良の一人が呼んだ。

 袖を引っ張って振り向かせる。

 ひそひそひそひそ。不良らは堂々たる態度で正義の味方を差し置いて話し合いをはじめた。

「どうする? 会長が相手じゃ厄介じゃね? とりあえず引きあげるか?」

 サキと呼ばれたリーダーが冷め切った気分を早々と露呈する。すると、何故か仲間の一人がこれだけは許せないと言うように混ぜ返した。

「引きあげるって、この空気どうすんだよ…会長が寒いだろ」

「まあ真冬だけどよ。いや、空気とかはどうでも…」

 どうでもいいだろ、とリーダーが言おうとする。

 あからさまな陰口が耳に届いて、正義の味方は誰にも正体のばれないはずの鉄壁の仮面の裏で涙目だ。

 別の一人がつぶやいた。

「どっちにしろ会長がしゃしゃり出てきたってことはさぁ…学内の方針が変わったんじゃね?」

 一同は束の間互いの顔を見交わした。

「じゃ、どうすんだ?」 

「ほら、会長がやってるのってあれだろ? 日曜の朝のヒーロー番組じゃん」

 弟妹の多い不良の一人がそう言った。

「わかるなら、おまえ、やってみろよ。あたしらそれにあわせるから」

「よ、よし」

 アウトサイダーたちに馬鹿はいない。

 あしほの言動が学校の運営側の意思を反映していることを承知していた。

 あしほが黙っているからこそ公認とばかりにふるまってきた。しかし、どうも風向きが変わったらしいということは薄々悟っていたのだ。わからないのは何故あしほが正体を隠そうとしているか、だ。

 そして、どうやら会長のノリに合わせておけばお咎めなしになるはずだ…というのが彼女らの共通の見解だった。

 一人が居ずまいを正したのはそのためだ。

 正義の味方に対峙する。大仰に声を張りあげた。

「出たな、月の守護者、正義の味方、疾風仮面!」

 狼狽する演技は意外にもさまになっている。

「……! ……!」

 仮面の裏で会長…疾風仮面の顔が喜色に溢れる。 

「そ、そうだ! 私が疾風仮面だ! 月は東に日は西に! 北は寒冷南に巡礼!

 ……! ……!」

 決め台詞を続けざまに詠唱したところで、疾風仮面の声が途切れた。

 不良たちは待った。

 続く言葉を。

 しかし、一向に疾風仮面からは続く言葉が出てこない。

 リーダーが尋ねた。

「おい、まさか…忘れたのか? 台詞」

「ちょちょちょ、サキ! 素で突っ込むなって!」

 眉間に険しい皺を寄せるリーダーを背後から仲間たちが引っ張って宥める。

「もうめんどくせえ! 殴っちまえばいいだろうが!」

「すぐ暴力で解決すんなって!」

 いよいよ雰囲気が妙な具合になっていく。疾風仮面の立場もなくなっていく。

 場の気温がこれ以上ないほどに下がっていったときだ。

 疾風仮面の背後で庇われていた少女がこう叫んだ。

「き、来てくれたのね! 疾風仮面!」

 疾風仮面の背筋が伸びたのは言うまでもない。

「そ、そ、そう! 華麗に参上・疾風仮面!」

 ついに疾風仮面は台詞を思い出した。

 被害者の少女は笑顔であしほに抱きついた。純粋な被害者にとっては、それが生徒会長の奇行であれ正義の味方であれ同じことだったのだ。

 この場の空気に呑まれて逃れたいのは誰より彼女であることには相違ない。

 勢いづいた疾風仮面は全身に力を漲らせた。

「わ、私が来たからにはもう安心だ! く、くらえ! 疾風キーック!」

 疾風仮面はよせばいいのに猛然と突っ込んでいく。

 リーダーの脇腹にへろへろと持ちあげた足で蹴りを加えた。

「くっ…地味に痛えだけで全然きかねえ…!」

 屈辱にリーダーは最早涙を滲ませている。

「どうしたらいいんだ、畜生…何だこの微妙にリアクションに困る感じ!」

「ばか、倒れたふりすりゃあいいんだよ!」

 少しの密談ののち、間が生じたがリーダーは地に崩れ落ちた。

「きょ、今日のところは…ここまでにしておいてやる…」

 ようやく捨て台詞らしきものを吐くと鞄を少女に放って返した。

「よ、よし、見たか、仮面の力! 立ち去りたまえ!」

 この場で誰よりも心から安堵したのは誰あろうヒーローの側である。

 一同は引き上げていく。

 その背を見送り、あしほはがくりと膝をついた。

 しかし赤い髪の少女だけが一人、こちらを見ているのに気づいた。

 慌てて立ち上がって構える。

 サキという少女は何も言わず、ただ唇の端を歪めた。

「あんた、面白いことしてんなぁ…会長」

 それが、賛同なのか反感なのか。

 あしほにははかりようがない。

 面白いこと、と言われてしまえばそれまでだがこちらは必死だ。何と返していいかわからない。これまでずっと見過ごしてきた、見て見ぬふりをしてきた相手にそんなことを言われて。

 しかし、サキは会長とそれ以上言葉をかわすつもりはないと言いたそうに背を向けた。

「会長! ありがとうございました!」

 背後の生徒を振り向くと、深々とお辞儀している。

 あしほは小さな声でこう返した。

「わ、私は…か、会長ではないよ…し、疾風仮面だ…」

「で、でも…」

 生徒は戸惑っている。それはそうだろうと思う。

 私は会長ではない、疾風仮面です…などと同い年くらいの少女に言われて戸惑わないはずがない。

 それでも、あしほは否定した。

「君たちの学校の生徒会会長はね…こんなこと、しない…できないんだよ」

 そう言い捨てると、正義の味方はよろけるように校内へと戻っていった。

「……」 

 遠巻きに壁の陰から見ていた蘭は、それを追わない。

 スマートフォンのカメラアプリを終了させた。

 もちろん、この顛末も録画していたのだ。

 けれども、その横顔には陰りがさしていた。



 ☆


「しのぶ様…これはクライシスですよ」

 有子は断じた。

「そうか? カタルシスだと思うね、私は」

 しのぶが返す。

 その草庵は学内にある。

 茶道部や華道部のための建物で、時には来賓のもてなしにも用いられる。本格的な庵だ。ご丁寧に日本式の庭園が付随している。

 その池を巡りながら二人の女が語り合う。

 しのぶは現在学内の宿泊施設や自らの教える美術の準備室に起居している。

 近所のマンションに住居はあるが、殆どそちらには戻らない。

 教職は副業のようなもので、平生は会社を経営している。実際的な業務は殆ど有子に任せているが。そのため、その居所を有子は常に把握していた。

 しかし学内に積極的に有子が足を踏み入れて話をすることは稀だ。

「あの金髪の生徒な…御剣蘭という生徒、おまえはあれをどう思う?」

「しのぶ様。カタルシスとはどういう意味です」

「私が先に聞いているんだよ」

 以前よりも学内の風紀が乱れつつある。

 生徒らはそれに比例して活気付いている。

 有子がそれをよしとしないのは承知だ。

「この学校の信任による生徒会の制度は悪しき習慣だ。血縁を尊重される理由は察して余りあるさ。けれど、何代続いていようと、いつまでも頑なに血族だけを真ん中に据えたがる小さな王国ってのは良くないだろう。この学園で理想とされるのは争いのない平和、平穏…そして平均化。そういうことだろう? 競争のない代わりに民意もない箱庭だ」

「しのぶ様」

 思想を語り変化を肯定しようとする。

 その口調に呑み込まれるのを防ぐかのように、侍女は声を発した。

「あしほ様が初めて同級生に興味を示したとき、私も確かに妙に感じました。では、その生徒があしほ様を唆したというのですね…そのことを私にお話になることに後悔はないので?」

 暗に有子が示した確認に、しのぶは不愉快をあらわした。

「豊田の家に従順なおまえにお話になることに後悔がないかとお尋ねになるわけだな。情報は共有しあおうじゃないか。おまえは家には知らせないだろう?」

 有子の間近にその顔を近寄せて、笑う。

「あなたの不利益になることは致しませんが、ですが…あなたは…」

 有子が手を伸ばす。しのぶへと。

 素早く彼女はそれから逃れた。

「触るんじゃない」

 しかし、有子は無理にその掌を取った。

「あなたは私を信頼するべきではありません」

 しのぶは即座に手を払う。

「自惚れるな。信頼して話すわけじゃない。いずれ…」

 しのぶは軽く唇を噛みしめる。

「私の手に負えない予感がするからだ」

 しのぶの表情は芭蕉の葉の暗がりのうちにあって、侍女からは見えない。

「あの御剣蘭について、おまえは何か知っているか?」

「ただの小娘が何だと仰るのです」

「あしほから目を離すな。あの生徒、記録にはあるが…」

 言うべきか。

 いや。言わずに済ますわけにはいかない。

 しのぶは豊田の駒である有子を信じてはいない。

 しかし、この存在は必然だ。規範の体現。

 それがこの侍女だ。

 実際、自分には有子だけが豊田との唯一の連絡手段だ。

 明かしておくべきだろう。

「私の記憶にない」

「……」

 その意味を吟味し、有子はゆっくりと面をあげた。

「記憶にない? あなた様の…記憶にない…ですって?」

 それでは。

 それでは、まるで、化け物ではないか。




 翌日、学校は殊更にあしほの噂でもちきりだった。

「ねえ知ってる? 会長が奨学生を注意したんだって?」

「でも、なんていうの…会長…」

「うん…ちょっと変…だよね…」

「でもちょっとかっこいい…よね?」

 今日も今日とて昼休みの生徒会室で、あしほと蘭は対座している。

 生徒会の面々が密かにリサーチした生徒らの噂の報告を受けての会議だ。

 蘭が重苦しいつぶやきを発する。

「うーん…会長の奇行が知れ渡るばかりで肝心の垣根がなくならないにゃあ…」

 あしほは、顔面に青筋を立てる。そして、頭を抱えて机に伏す。

「奇行って言わないで、あなたがあああ!」

「まあ、会長の人気は出てきたけど…」

 思惑とは外れる反応だった。

 奮闘する姿に心打たれたのか、あしほに声をかける生徒が増えてきた。

 といっても、友情ではないようだ。

 女子高に特有の同性間の憧れをあらわしたものだ。朝礼の前後や放課後、手紙や贈り物を押し付けてきたり、サインを求めてきたりというファンまがいの行動だ。蘭にとっても、あしほにとっても、意外な反応だった。

「あ、あんなの、からかってるだけよ」

 あしほは顔を赤くする。

「そもそも教室にいる私を直接訪れるってことは…正体がばればれってことじゃない…」

 会長の声は段々小さくなっていく。情けなさと恥ずかしさに消え入りそうだ。

「ふむう」

 蘭は思案顔だ。珍しく考え込んでいる。

「なんか、こういう人気は違う…」

「え?」

 あしほが顔をあげると、蘭はぷっと頬を膨らませている。

「蘭はあ、趣味を通じて垣根を取り払うとは言ったけどお…会長のことを特別に見る子が蘭以外に増えるのは困るお…」

「……え…」

 蘭の瞳は真摯だ。

 あしほは首を傾げてしまう。

「ど、して…」

 疑問を口にしてから、顔が赤くなってくるのを覚えた。

 胸のうちが火照ってくる。

 どうしてかは、わからない。

 蘭の眼差しがあまりに眩しい。心臓を射られるように感じる。

「わ、私と友達になっても何の楽しみもないのに? も、も、ものを奢ってあげたり、いろんなものを貸してあげたり、そういうこと、できないのに?」

 金髪の少女はそれを聞いて顔を歪めた。

「何言ってるの?」

「だ、だって…みんな、そうで…それを求めて…それが期待できないと気付いた人から順番に離れてくから…小等部でも、中等部でも…」

 早口で喋り、せわしなく口に弁当の中身を詰め込んでいく。

 吐露しながらもその事実から免れるような性急な仕草だ。

 シュウマイを口に放り込もうとしていたあしほの手を、蘭は押さえつけるようにした。

「あーん」

「え?」

「蘭も! あーん」

 幼子のように口を開く。

 あしほは眩暈を覚えた。

「な、何なの? いきなりっ! はしたないっ!」

「敢えて言うなら、蘭は会長とはしたないことがしてみたいっ!」

「何言ってるの!」

「そういうのを友達っていうお。知らないの?」

 知らない。

 知っているはずがない。

 言おうとして、言えなかった。

 恥ずかしくて。

 蘭が何を知っているのか、自分が何を知らないのか。

 知らないことを知られるのが、急に、この強い少女の前で恥ずかしくなった。

 趣味を暴かれたときよりも。

 だから従った。あしほは恐る恐るその口にシュウマイをそっと押し込んだ。

 たちまち食べ切る蘭である。破顔する。

「会長、夜は暇?」

 学校の課題くらいだ。

 そう告げると、彼女はこう命じた。

「命令。今日は蘭と一緒に帰る」

「かまわない、けど…」

 最初から選択肢は用意されていない。

 否応もなく、あしほは頷いた。

 けれど、命令のせいだけではないような気が、した。



 それでも、まさか放課後の行き先が喫茶店だとは思っていなかった。

 喫茶エターナル。

 その店内に入ると、好きな席につくよう言われた。

 それから蘭は店の奥に引っ込んでしまった。

 おろおろしているうちに再び蘭が戻ってきたのだが、あしほは仰天した。

 ウエイトレスの制服に身を包んでいる。くるんと巻いた髪を結いあげている。そのままあしほの前にずらずらと料理の皿を並べると、向かいに着席した。

「御剣さん…バイトしてるの?」

「バイトじゃなくて家業」

「そうそう。お姉ちゃんは無料奉仕です」

 短いスカートから眩しい足を覗かせる少女が、あしほの前に特別サービスのパフェを置いてにっこり笑った。その笑顔たるや天使のような可憐さだ。

「初めまして、あしほさん。私、御剣蘭の妹のなこと云います。どうぞよろしくお願いします」

「いもうと、さん? じゃあ、ここって…」

「私たち御剣の家の住居兼店舗です。どうぞ、ようこそ」

 奥からあらわれた上品な少女が恭しく一礼する。

「私はみか。姉がいつもお世話になっています」

「豊田あしほです。こちらこそ、いつもお世話になっております」

 あしほは立ちあがり、深くお辞儀した。

 有子の言葉が思い出された。


『家の経済状況は厳しく確か妹たちと家計を支えているとか』


 まさか飲食店を経営しているとは思わずにいた。

 なこもみかも制服姿が堂に入っている。

「そ、そう、だったの…ここが御剣さんの御自宅だったのね…」

 にっと蘭は笑う。

「喫茶エターナルへようこそ」

 三姉妹は揃ってお辞儀する。あしほは見蕩れた。

「素敵な制服ね…三人とも違うの?」

「体形や雰囲気に合わせてみかが縫製してくれたんだ。みかは料理裁縫家事全般万能だからね。会長のコスプレ衣装もみか特製だお」

「そう、だったの? そう言われてみれば着心地はどれも良かった…」

「本当ですか? 蘭お姉様ったら急に言いつけるものだから時間がなくて、どれも急ごしらえで心配だったんです」

「い、いえ、その…」

 安心した顔で言われてしまっては、あしほも抵抗しようがない。

「わ、私のために、ありがとうございました。で、でも、あの、もう、彼女が頼んでも、その…」

 これを機会に、コスプレ衣装の受注生産の中止を求めようとした。

 だが、にこやかに近づいてくるみかの視線は陶酔をあらわにしていた。

「ああ、本当にスタイルがいいんですね…」

「え? え?」

 あしほの手を握りしめると、潤んだ瞳で少女を見つめた。

「今はウエイトレスをしていますが、日々を頑張る女性用の服を作ったり着せ替えたりアクセを拵えてさしあげるのが私の生業なんです」

「そ、そうなんですか…あの、でも別に、私…」

「これからもよろしくお付き合いくださいませ。あしほさん」

 ぎゅうっと両手を握られて、あしほはどぎまぎする。そうまで言われてしまって断るのは難しい。

「あーっ。ずるい、みか姉ちゃん! なこも、あしほさんにくっつく!」

 ぎゅっぎゅと脇から割り込み、なこが、あしほに抱きついてきた。

 自然と二人を隔てるサイズの胸が押し付けられてくる。

「あしほ会長、この度はお近づきになれて光栄の三回転ジャンプです!」

「え? えーっと…」

 会長と自分を呼ぶということは同じ学校の生徒だろうか? あしほが蘭を見やる。蘭が応じた。

「なこは、うちらと同じ学校の後輩」

「そ、そうなの? えーっと…なこ、さん?」

「どうぞ、なこって呼んでください、会長! なこは会長のこと昔からリスペクトしてたんですよ。蘭お姉ちゃんと仲良くしてくださるなんて、もう光栄の北極星です~! 会長、近くに寄るといい匂いがするっていうか美しすぎて息ができないっていうかお近づきになれて光栄のビッグバンが今はじまる…ですううう!」

 言い募られて、あしほは苦笑いする。

「会長、頭をなでなでしてくださいですぅ~!」 

「え。え。あの…」

 人懐こく抱きついてくる。あまりの愛らしさに硬直すると、蘭があしほの前に立ちはだかった。振り向いて弁解する。

「ご、ごめんお。なこはちょっとスキンシップ過剰っていうか…」

「何するの、お姉ちゃん! なこはかわいがられるのが生き甲斐なのに!」

「そんな生き甲斐あるのね…?」

 さすがにあしほは目をまわした。

「あ、あははは! ごめんごめん。なこ、あっち行くおっ。会長、女子の定番パンケーキでも食べる?」

 蘭はごまかすようにあしほの前にパンケーキ十段重ねを置いた。

「あ、ありがとう…」

 ゴージャスな食卓とウエイトレスに囲まれて、あしほは苦笑いする。

「い、いただくけれど…それで、御剣さんは、何の御用事で私と帰宅したの?」

「何って?」

 蘭が目を丸くする。

「え、えっと…だから…」

 確認されている自分の感覚がおかしいのか。

 あしほは口をつぐむ。

「だ、だって…こんな…わ、私…用もないのに、同級生の家に招かれたことって…」

「んー…」

 蘭は腕を組んだ。そして、こう言い切った。

「命令。一緒においしいごはんを食べる!」

「ご、はん…?」

 あしほは首を傾げる。

「そ」

「そ、それだけ…? どうして?」

「もー。また会長の悪い癖。『どうして』はなし」

 ぶにゅっとその頬を両方の掌で挟むと、蘭は命令した。

「命令。理由を考えないこと」

 しかしこの生真面目な優等生は視線をそらさずこう尋ねた。

「でも……」

 真摯な眼差しで射抜くようにして、問いを発する。

 蘭は見返した。

「会長が、会長だから」

「え?」

「用件なんかいらない。会長が会長だから…それじゃ理由にならない?」

「わ、私が私…だから? 存在意義の話? も、もう少し詳しく…あの…意味がわからないわ。どうして…」

 確かめようとして蘭の顔を覗き込んだとき、あしほは瞠目した。蘭の頬がかすかに明るく熱って、その瞳が潤みを増したので。悲しみともいらだちともつかない情動的なものを感じさせる。あしほは、しばし思考を失った。

「会長…」

 蘭が何か言いかけたとき。

「いいえ、エターナルバージョンのときのリボンは平生の魔法少女姿のときよりもスリムなラインであるべきね。劇場資料集よりも出版社の公式『はぁと☆すいーつ天使☆めるるん 漫画版設定資料集』を参考にすべきだわ」

「くっ…なこは漫画よりアニメ派だもん! 後藤田監督の作画を愚弄するのなら許さないんだからああ…!」

 黙って見つめあいかけていた二人の背後からオタク全開トークが聞こえてきた。ちっ、と舌打ちせんばかりに蘭が振り向いた。

「今真剣な話をしていたのにっ」 

「こっちも次のあしほさんの衣装の打ち合わせしてるんだからっ」

「そうそう。心外ですわ」

 妹二人が膨れる。

 あしほは自然と口を開いていた。

 それは、今まで自分から他人に発したことのない問いかけだった。

 恥ずかしくて、怖くて、聞けずにいたこと。けれど、今なら。

 この人たちなら…

「ふ、ふたりも、漫画やアニメが、す、すきなの?」

 あしほの声の震えに気付いたろうか。

 少女たちは、もちろんと言いたげに笑みを返した。

「なこは妹系恋愛ものが好きですっ」

 なこが返事する。

「私は乙女ゲームを好みますの」

 みかが返す。

 あしほは、そうなんだ、と小さくつぶやいた。

 二人は笑顔でこちらを見ている。

 こんな問いかけをすること自体にどれだけの勇気がいるか。

 そうして、その回答がどれほどにありがたいものか。

 あしほはしばし黙っていたが、嬉しい、よろしくね、とつぶやいた。

 その横顔を見つめる蘭の瞳は穏やかな光に満たされた。






「会長だろ? あれ」

「え、まじ?」

「気付けよ、おまえ」

「何してんだあの人…」

 ぼそぼそぼそぼそ。

 三姉妹と生徒会長の光景を窓外から眺めている者たちがいた。肩を寄せ合って語り合うのは、先だって疾風仮面に退治された奨学生たちの一団だ。喫茶店に憩いの場を求めようとしたところ、生徒会長の姿を見つけたのだった。

「会長と…御剣蘭?」

「変な取り合わせだな」

「や、ていうかよ。最近会長のそばに必ずあいつがいるらしいぜ」

「は? 会長は御剣と…どういう関係だ?」

 リーダーのサキが顔を歪める。

「いやあ。なんか噂では一方的に御剣が会長をふりまわしているとか…」

「御剣が会長にオタク文化を推奨させてたってことか?」

「それって…どんな関係だ?」

「大丈夫なのか? ほら、変な奴らが黙ってねえんじゃねえの?」

 少女たちは顔を見合わせた。

 ある一定数の者たちを思い浮かべる。

 決して、会長自身は知りようのない者たちの存在を…

「ま、そりゃそうかもしんないけどよお、気になるの? サキ」

 問われたリーダーは顔を背ける。

「別に」

 そう言い捨てた。


 ☆


「ふはあああ。ごっくらくうう」

 銭湯・兎の湯。

 喫茶エターナルの近くにある銭湯だ。

 その女湯の大風呂に深く身を沈めて、蘭は息を吐きだす。

 脇には恥ずかしげに湯殿に漬かっているあしほの姿があった。

「私、銭湯って初めて…」

「え? 一度も来たことないの?」

「え、ええ…修学旅行でクラスメイトと大きなお風呂で入浴したことはあるけど…」

 あしほはあたりをきょろきょろしながら、顔を真っ赤にして頷いた。

「ほ、本当に知らない人たち同士で裸でお風呂に入るのね…」

 ほう、と感心しきってあたりを眺める。

「御剣さん。どうして鶴の絵が描いてあるのかしら?」

 あちこちに疑問を覚えるあしほに、蘭は苦笑いする。

「鶴は千年亀は万年。おめでたいからでそ」

「え…私の知る限り野生のタンチョウでも二十年程度が平均で…」

「今額面通りに受け取ったでそ? そおじゃなくってえ…鶴は千年亀は万年生きるっていう言い伝えが昔はあって、縁起がいいとされていたからっ」

「どうしてかしら…」

「んー…」

 会長の『どうして』を封じたにも関わらず蘭は怒らない。腕組みして考えた。

「長く愛されるためでそ。この場所が」

「この銭湯が、ってこと?」

「っそ! ながーくいろんな人に利用してほしいから寿ぐんでそ。どんなものでも、長生きするのはいいこと。ものが長く生きるためには人に愛されないとならない」

 その言葉を聞いて、あしほはくすっと笑う。

「ものが長生き…?」

「あっ。何が可笑しいの。笑うところじゃない。蘭は真剣!」

「からかったわけじゃないの。でも…ものなら可能よね。万人にまんべんなくながーく愛されるなんてことも…あるのかもしれない」

 その言葉が自嘲に近い響きを帯びた。

 蘭は何か言おうとした。

 笑顔で口を開いて、しかし、あしほと目線があうと沈黙した。

 あしほが人のいい笑みを浮かべたので。

 実に大人びた完全な笑みを。

「…会長は…会長でいるの、楽しい?」

 蘭の問いかけにあしほから笑顔が失われた。

「どうして、そんなこと…」

「蘭はね、会長が楽しそうなところって、見たことないから…」

「……」

 まるでずっと昔から自分のことを知っているような口ぶりに、あしほは瞬きする。

「あのね、ものはもので大変。でも、人は人でもっと大変…会長見てると、そう思う」

 俯くとそうぼやいた。

「え?」

 あまりに小さな声だったが、あしほには奇妙に聞こえた。

「何だか、それって変」

 ぷっと思わず吹き出してしまう。

「な、何が変だおっ」

「だって、御剣さんだって…偉いのに。妹さんが二人もいて、お店で働いて…それに私たちは違わないんでしょう?」

「へっ…」

 蘭が目を丸くする。

「あなたのことは少し派手な生徒っていう風にしか思ってなかったから…おうちでちゃんと真面目にしているなんて、知らなかったから…大変なのに楽しそうにしているあなたのこと、ちょっと見直した…その…私たちは同じなんでしょう? 少し意味がわかった」

 まっすぐに言われて蘭は赤面する。

「そ、そそそうだおっ。会長と蘭はおんなじっ」

「少し尊敬しちゃう」

「少しー?」

「ふふっ」

 あしほは声をあげて笑った。

 楽しそうにしているところを見たことがない、と蘭は言う。

 けれども今は楽しい気持ちだとはっきり伝えたい気分だった。



「うーん…それにしてもいいスタイル…」

「みかお姉ちゃん、じろじろ見るの良くないよ」

 洗い場でもしゃもしゃと体を洗いながら、浴槽のあしほをガン見するみかを、なこが咎めた。しかし、そのなこもまた目線の方向は同じだ。

「もちろん蘭お姉ちゃんの大きな胸も魅力的だけれど、あしほさんの丁度いいサイズの胸の形の良さは神がかっているよね。だからってじっと見るのは失礼だと思う」

「あなたのが見てる上に涎まで垂らしてるじゃないの。私はただ素敵な服を纏うモデルとして見ていたんだから」

 妹の頭を軽く叩いて、みかは吐息する。

「ねえ…蘭お姉様、おかしなこと考えたりしてないわよね?」

「何が?」

 至って無邪気ななこはやはり気付いていないようだ。

 みかは声のトーンを落として、そっと囁くように告げる。

「まさか彼女と縁を結ぶつもりでは、と心配しているの」

 それを聞いたなこは狼狽した。

「! だだだめだよ、そんなの! 全力で止めるよ!」

 真っ青だ。

「もう…変なこと言わないでよ、みかお姉ちゃん…」

「あなたを泣かせるつもりはなかったの。必然はないはず…」

「そ、そうだよ…」

「でも…何か厭な予感がするの」

 涙目の妹を宥めるように言いながらも、みかは付け足した。

「私たちは、気まぐれな存在だから…」

 そう言って睦まじげな二人に視線を向けた。

 恥ずかしそうだったあしほは、今ではリラックスして蘭と語り合っている。

 二人は充分親しげな仲として目に映る。

 けして、悪いことではないはずだ。

 けれども彼女たちの顔つきには複雑なものが浮かんでいた。


 ☆


 銭湯を出てあしほと別れ、三姉妹は店に戻ってきた。

 しかし、扉の前で足を止める。

 店を出るときには消灯していたはずなのに窓から明かりが漏れていた。

 三人は顔を見合わせた。

 照明だけではない。

 感じられる人の気配。そして、妙に怪しい雰囲気。

 蘭は顔を険しくした。

「二人とも、下がってて」

「蘭お姉ちゃん…」

「蘭お姉様…」

 なこは不安そうに、みかは店内への不信感をあらわにしながらも視線を交わして頷きあう。蘭が扉の前に立つ。

 すると、実に睦まじく囁きあう声が聞こえてきた。

「ふふっ。くすぐったいったらたらあ☆ 鷹取たかとりい」

「ははは。いいじゃないか、月夜つきよ。誰も見ていないんだからな」

 蘭は勢いよく扉を開く。

「ひとんちで何をしているんだお、このゲイップル」

 そこには、背後には花が飛び散らんばかりのまさにボーイズラブな光景が顕在していた。

 鷹取と呼ばれたのは黒髪黒目の精悍な青年だ。

 一方で月夜と呼ばれたのは金髪碧眼の紅顔の美少年。

 二人は閉店後の喫茶店内のシートを占領していた。

 青年の膝上に美少年は横座りになり、誰がどう見ても近すぎる位置に身を寄せ合い頬を寄せ合い、今まさに唇をも寄せ合わんとしているところだった。

 BLを愛好してやまないはずの蘭から発されたのはただひたすら平坦な叱責だ。普通、営業終了後の店に勝手にあがりこんでいちゃついているカップルがいようものなら追い出される。不法侵入で通報されても反論できない行為だ。

 しかし、蘭の平然たる声音には常識を超えた揺るがない厳しさがある。

「何しにきたんだお」

 この光景に相対したのは初めてではない。

 最初は彼らの痴態に動揺した。

 しかし、そのとき蘭が彼らに対して覚えた感情は愛しさや慈しみといった感情ではなかった。共感でも『萌え』でもなかった。

 狼狽し落胆し激昂した。

 今でもその怒りが根ざしている。

 厳しい目で少女が二人を睨む。

 月夜が小さく悲鳴をあげて鷹取の背後に隠れた。

 庇うように青年は立ちあがった。

 闖入者は彼らの側だが、邪魔が入ったかのような冷たい眼差しだった。

「結縁はしたのか?」

 開口一番青年は蘭に問いかけた。

「何の話だおっ」

 蘭はいらだちを隠さない。

 青年は目ざとく蘭の手元を注視した。

 つかつかと歩み寄ると、その掌を無理に握り指先を見つめる。

「ふーん…面白そうな指輪してるじゃないか。紙でできているな?」

 軽蔑の眼差しで見下ろされ、蘭は突然の不躾に対応しきれない。

 そんな姉の前になこが進み出た。

 両手を広げて通せんぼするようにして、青年をきっと睨んだ。

「お、お姉ちゃんに触らないで!」

「ふん」

 男は嘲笑する。

「さすが妹役。健気なことだが…君はどうかな?」

 最初からなこは眼中に入らない様子で、青年はみかの前に歩み出た。

 みかはにべもない。

「ごめんなさい。私、確かにストレートですけれどもその分男の容姿年齢肩書きと財力の格付けは厳しい社会派ですの」

「おや、それなら揃って…」

「ゲイは眼中に入りません」

「くっ…」

 青年は初めて悔しそうな顔をした。

 蘭は彼の言動を信じられないという面持ちで見据える。

「まだ蘭から何か奪おうというなら承知しない!」

 激しいいらだちが可視化されたかのように、大気が震えた。

 電光が弾け、ある種の磁場が蘭の足元から生じる。

「お姉様。こんなことに力をお使いにならないで」

 みかが慌てて蘭の両脇を掬いあげて後退させる。

「そうだよっ。せっかく貯めてきたのに、もったいないよおっ」

 みかも蘭の正面から抱きついて押さえ込む。

「ううううっ」

 蘭は悔しげに固く瞼を閉ざす。

「蘭お姉様っ」

「蘭お姉ちゃんっ」

 みかは焦り、なこは泣きそうだ。

 二人の様子に、蘭から剣呑な空気が失せる。

 四辺の物理法則を変容させるほどの力がおさまった。

 二人の妹がほっと脱力する。

「鷹取、大丈夫?」

「ああ、気にするなスイートハート…」

 いじらしく駆け寄った月夜の髪を安心させるように撫でて、青年は微笑する。

「ふん…そんなに後生大事に持っているなら、さっさとその女と縁を結べばいいじゃないか」

 青年が皮肉を言うと、蘭は初めて優越の表情を見せる。

「何もかも征服することでしか確かめられないおまえと一緒にするんじゃないおっ」

「言うじゃないか。だが、いいのか? そいつは…」

 その女は、と、彼はわざわざ言い換えた。

「俺たちの力の源だ」

「関係ないっ」

 何を今更、というように蘭は相手を睨む。

「わかっていて選んだのか? 愚かな…」

「おまえらは自分が守護する存在の価値をわかってない」

 不敵に少女は言い切る。

「あの子は…蘭にとって特別」

 蘭の言い切りは効を奏さない。

 青年は嘲笑する。

 己よりもその存在について熟知する者などいない。しかし、真理を思い知らされたかのように彼は閉口した。蘭の真意を見抜いたからだ。

「なるほど…自分が裏切られたように俺たちから力の源を奪おうと、そういうわけか」

「関係ないって言ってるお! 蘭は…蘭はおまえとは違う!」

 青年を、そして少年を蘭は睨み据える。

 青年は彼女を睨み返す。

 少年は目をそらしてしまった。愛しい男の背後に身を隠してしまう。

 そうして蘭は失望する。

 ああ。わかっていた。

 今ではもう失ったものが取り戻せないこと。

「痴れ者め。弱みを握っているなら支配すればいい…ああ、そうか…あの子に秘密を知られたら困るのはおまえの方かな」

 青年が更に蘭を翻弄する言葉を発したときだ。

「ねえ」

 小さな、ほんの小さな声が彼の背後から発された。

 青年は驚いた。蘭もまた目を見開く。

 なこもみかも、固唾を飲んだ。

 懐かしいその声に蘭は呼吸を失いかける。

「あ…」

 場違いを自覚してか、注目されたのを恥じ入ったのか。

 目線から逃れるように少年は鷹取の背に隠れてしまい、それでもおずおずと顔を覗かせる。

「ただ一瞬会っただけの奴に…命を賭けるの?」

 青年と対照的に、その声はどこか蘭を気遣うような声だった。

 なあんだ、と蘭は思った。

 笑いたくなる。

 泣きたくなる。

 そんなことか、と。

 そんなことを心配しているのか、と。

 そんな程度のことが気になってわざわざ問いかけてくれたのか、と…

 生じてしまった一抹の寂しさを断ち切るように、蘭は胸を反らした。

「そうだおっ」

 彼女は笑ってみせた。

 誰よりも強気に。








本当は心ではわかっているの。

その人に近づいちゃいけない。

けれども近づいていみると案外素直で、いい子だった…ってことがあるじゃない?

あたしも、それ。

そういうシンパシー、感じてた。

けれど王子様の魅力がわかるのは、あたしだけじゃないみたい。

それってジェラシーだよね。

女の子はいつだって特別になりたいのに。

やがて心には暗雲がたちこめるの。

警告なんていらないのに、余計なことを誰かが言うの。






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