五人目:小学生男子は、青い目の少女の身体で参加する

 女子野球部の面々と別れた新聞部部長の永井聡美がやって来たのは永井家――自分の家であった。

「まあ難しいとは思いますけどー、まずは私がアタックするのが筋ですもんねー」

 のんびりした口調で独り言を呟きつつ、聡美は玄関のドアを開けた。

「いっそのこと昨日のままの方がまだ楽だったかもー……」

 呟き続けながら靴を脱いだ時、奥の居間から顔が覗く。

 去年の秋から永井家に滞在中の留学生、シャーロット・L・ミラーの顔だ。ぱっちりした目鼻立ちが相変わらず可愛らしい。

 だがシャーロットは普段のように陽気に声をかけてくるわけでなく、不安そうな顔をして聡美のもとに駆け寄って来ると聡美に抱きついてきた。日本人高三女子として平均的身長を有する聡美の顔は、長身なシャーロットの豊満な胸に埋まりそうになる。

 何もかも、まるで昨日と同じだった。

「もしかして、悟ちゃんですかー?」

「う、うん……」

「一晩で元に戻ったと思ったら、懲りもせずまた入れ替わりですかー。シャルの身体が病みつきにでもなりましたかー?」

「違うよ!! 僕もシャルもなんにもしてないのに、また入れ替わっちゃったんだよ!」

 シャーロットの身体である悟の後ろから、これまた昨日と同じように、悟の身体であるシャーロットが不安げな表情で現れると聡美の顔を見上げてきた。


 昨日。帰宅部のシャーロットよりだいぶ遅れて帰った聡美は、流暢な日本語をしゃべる留学生と語尾の怪しい日本語をしゃべる弟に出迎えられた。悪ふざけと判断した聡美は二人の頭をぶっ叩いた上で自室へ行こうとしたが、痛む頭を押さえながらもやけに真剣にすがる二人の姿を見て、どうやら本当に何事かが起こったらしいと遅ればせながら理解した。

 入れ替わりの原因が二人の手首にはめられた時計っぽい腕輪にあるであろうことはほぼ確実で、聡美は眠りこけていた父親を叩き起こすと事態の打開を命じた。しかし翻訳家を気取る父親は説明書らしき紙に書かれたラテン語を読む能力を持たず、聡美は父親を気が済むまで罵倒すると早急の対策を申しつけ、自分はとりあえず入れ替わった二人が現在の身体で生活するために不可欠な各種情報の収集にかかった。夜遅くにテレビ局から帰宅した母親もその判断には同意見で、聡美に全面的に協力してくれた。

 しかるに今朝。目を覚ました悟とシャーロットはすっかり元に戻っていて、身体にも何ら異常がないことから、そのまま登校していったのである。唯一、手首のアイテムだけはいかなる理屈によるものか、どうしても外すことができなかったが。


「今度の入れ替わりは、何時ごろに起きましたかー?」

「えっと……三時半ごろかな、シャル」

 金髪碧眼長身の美少女が、発育途上の少年を見下ろしながら訊ねた。

「そうデスネ。シャルが学校の門を出て、すぐデシタ」

「気がついたら知らない場所にいて、またシャルの身体になってて……学校の中を探せばお姉ちゃんに会えたかもしれないけど、シャルを知ってる人に会ったらごまかすのが難しいと思って、急いで家に帰って来ちゃった」

 そう説明する悟は、まだブレザーのまま。昨夜はしばらく元に戻れないかもと覚悟を決めて風呂や着替えも経験したはずだし、悟を弟のように思っているシャーロットが着替えをされて嫌がるとも思えないが、エロ方面に目覚めていない小学六年の悟にとっては恥ずかしさが先に立ってしまうのだろう。今度も元に戻れるなら、着替えをせずに済ませたいというところか。

 まあ、男の子の微妙な心理はとりあえずどうでもいい。

「ふむふむ。昨日の最初の入れ替わりとほぼ同時刻みたいですねー」

 聡美が思いつきを口にすると、当事者の二人は驚いたようだった。

「そうか……そうだよね、昨日とおんなじ時間だ。でも、どうして?」

 ショートカットの金髪をかきながら、悟が呟く。

「いったい、どういうことデショウ?」

 悟と聡美を見上げながら、シャーロットも不思議そうな声を上げる。

「二人とも本気で言っているんですかー? 法則性は簡単に思いつくじゃないですかー」

 呆れながらも聡美は二人の腕にはまった物品を指差す。

「昨日の二人の入れ替わりを引き起こしたのはその腕輪でー、なら今日の入れ替わりも、それを身につけていたから起きたと考えるべきじゃないですかー」

「それぐらいは僕だってわかるよ」

「入れ替わりが起きてー、元に戻ってー、また起きてー。腕輪の機構から考えて、これは入れ替わって元に戻るというワンセットがもう一度繰り返されていると思うんですー」

「その根拠は何デスカ?」

「腕輪についてるコントロール機構は十二目盛り刻みの盤を一周する針一本しかないですよねー。これって、一目盛りごとに何か別の機能が働くというよりは、単純に入れ替わり現象に関する一つの単位を調節する装置と考えていいんじゃないでしょうかー」

「う、うん」

「重さや長さが入れ替わりに関係しているとも思えませんし、それは時間でしょうねー。針で指定した時間、二人が入れ替わっていられるという感じではないでしょうかー」

 聡美の言葉に二人が腕輪を改めて見る。針は昨日と同様十二の位置で止まっていた。

「じゃあ……えーと……今夜の三時半まで、僕らは入れ替わったままってこと?」

「一時間の刻みが私たちの一時間と同じかどうかは定かでないですけどねー。昨日も深夜零時から朝七時までの間に元に戻っていたわけですから、十数時間も見ておけば大丈夫ってことでしょうねー」

「でも……元に戻っても、この腕輪を外せないとまた明日入れ替わるんデスネ」

「たぶんそうでしょうねー。仮に入れ替わりが十二時間続くとしたら、そこから十二時間経つとエネルギーが充電されたとか、二人の魂が次の入れ替わりに耐えられるくらい回復したとかの条件が整ってー、また装置が作動するんじゃないかとー。もっともそれは今後もこの法則性が成り立ち続ける場合の話ですけどねー」

 途方に暮れたような顔をする弟と友人に、聡美は笑いかけた。

「まあ、腕輪の外し方はあの翻訳家もどきに説明書を解読させますからー、そのうち外せるんじゃないでしょうかー。夕方から夜中までの入れ替わりなら基本的に私たち家族の内側で納まる話ですしー、せいぜいめったにない経験を楽しむということでー」

 そこまで言って、聡美は別口の用件を思い出す。

「あー……悟ちゃん、せっかくシャルの身体になってることですし、入れ替わってる時間を利用して高校野球を経験してみるつもりはありませんかー?」

「いきなり何わけわかんないこと言い出すのさ?!」

 聡美に聞かされた推論を整理するのに手一杯という感じの悟が、急に明後日の方向に飛んだ聡美の話について行けずに叫ぶ。

「実はですねー、うちの高校の野球部がどういうわけか聞き分けのないアホの子の集団になってしまいましてー……」


 姉の説明を聞き終え、悟はシャルと顔を見合わせた。本来の自分のものである男の子の顔が戸惑っている。たぶん自分もシャルの顔で同じ表情をしているのだろうなと思った。

「悟ちゃんは野球が大好きですしー、シャルの身体はスポーツにとても適した身体ですからー、もし引き受けてくれたなら、かなりの活躍が期待できると思うんですけどー」

「そんなこと言われても……」

 悟としては、安易に肯けるわけもない。自分は確かに野球好きだけど、観るのが主で、実際にプレーするのは逆に苦手なくらいである。そんな自分が、まして他人の身体と立場で活躍なんてできるわけがない。しかも相手は高校生なのだ。

「だいたい、そんなの僕じゃなくて――」

 シャル本人がやれば、と言いかけようとして、口を噤んだ。シャルは身体に似合わずスポーツの類が大嫌いな、典型的な文化系オタクなのである。スポーツ漫画やスポーツ観戦まで嫌いなわけではないので悟と衝突したことなどはないが、自分でプレーするのがとにかく嫌いだと明言してはばからない。

 そう考えると、姉の期待している通り、悟の心とシャルの身体の組み合わせが最も今回のシチュエーションにはふさわしいような気も、しないでもない。

 それにまた、姉の話す男子野球部のひどさも、悟の気持ちを煽っていた。男だ女だなんてつまらないことにこだわる子供っぽい連中を、シャルの身体を借りてとは言え、子供の自分が叩きのめすことができたら、それは痛快なことだろうと思えてきた。

 心が少し昂ぶってきて、でもこれは自分一人で決めていいことなどではないことを思い出す。

「シャル……どうしよう?」

「悟は、どうしたいデスカ?」

 悩んだ末に問いかけると逆に問い返された。

「…………」

「……シャルは人と競うことが嫌いで……そのせいもあってアメリカの家を出て来たようなものデスケレド……」

 悟には初耳の話。ぼやかした物言い。だがそれを質す前に、シャルは言い切った。

「……悟が戦いたいのなら、シャルの身体で戦ってもいいデスヨ」

「シャル……」

 見上げる少年の複雑な笑顔に、悟はどんな言葉や表情を返せばいいかわからず、でも、自分の意思を固めつつ、姉に向き直った。

「僕でいいのなら……やってみたいな。どれほどのことができるかは、わからないけど」

「自発的に引き受けてくれて助かりますー」

 聡美はにこやかに微笑んだ。

「私が説得失敗したら、明日からは美紀ちゃんが色々仕掛けてきたはずですからねー。ほんと、一番穏当な展開だと思いますよー」

「……ミキって、もしかして、村上美紀のことデスカ?」

「そうですよー」

 聡美は悟に説明した。

「女子野球部を作るって言い出した張本人でー、私のお友達でもあるんですー。シャルも二年連続おんなじクラスなんですよねー」

 姉が答えると、悟の身体のアメリカ人留学生は、大仰なまでに安堵の吐息をこぼした。

「あの、シャル、どうしたの?」

「……悟。美紀さんの意向に反しなくて幸いデシタ。あの人はとても頭が切れる人で……味方としては頼れマスガ、万一敵に回すとかなり怖い人デス……」

「悟ちゃん? 今さらやめましたなんてなしですからねー?」

 妙におどろおどろしいシャルの言葉と言質を取ったかのごとき聡美の台詞を聞くと、悟の胸中には早くも不安が満ち始めてきた。

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