四人目:魔法少女がスカウトされる

「痛いっ!」

 夕暮れの台所に、少女の可愛らしい悲鳴が走った。

 藤田真理乃は包丁で切ってしまった指先を口で吸う。血の味に涙がにじんだ。

《おいおいまたか? この調子じゃ絆創膏がなくなっちまうっての》

 胸元から軽薄な挑発を繰り返してきたマリードの声すらも、やや不安げになっている。

「だって……わたし……お料理なんてしたことないもん……」

 変身して身体や性格が変わっても、知識や経験に変化があるわけではない。何でもできると自負していた誠三郎だったが、料理など家事の経験はほとんどなかった(家庭科の実習は班単位で、同じ班の女子たちが積極的に手を貸してくれて何もする必要がなかったのである)。

 からかわれる屈辱。反論もできない自分の拙さ。

 積み重なったものに我慢できず、とうとう真理乃はすすり泣いてしまった。

 少女になったせいでこらえ性がなくなったのか。あるいはこれも、本来の自分である誠三郎の『理想の女性像』に影響を受けてのことなのか。

《あー……すまん。先代がタフでからかいがいのない女だったもんだから、お前さんに対してはしゃぎすぎちまった。やりすぎた。悪かった》

 マリードは、昨日出会って以来初めてと言っていい、優しい声を真理乃にかけてきた。

《……ま、無理はすんな。今夜もコンビニに行くとしようぜ》

「うん……」

 まるっきり小さい女の子みたいな扱いをされた自分の情けなさに、消え入りたい気分になりつつも、真理乃はマリードの提案に従って後片づけを始める。

 そして外出の支度をしようとエプロンを外した時、玄関の安っぽいチャイムが鳴った。


 昨日の夕方。

 恵まれた男子高校生から一転わけのわからない魔法少女にされてしまった藤田真理乃こと清水誠三郎は、変身完了したその足で学校近くのおんぼろアパートに行かされ、そこがこれから三年間の自分の住居となることを知らされた。

《歴代の魔法少女とその協力者の、由緒正しい活動拠点さ!》

 家具の少ない六畳一間に、三人が思い思いに腰を下ろす。全体に古ぼけた雰囲気はあるが、真理奈が一ヶ月も空けていたにしては荒れた雰囲気もなく整っていた。

「大家さんも昔アレだったとかで、家賃はただ同然。ちょっとやそっとの騒ぎなら見逃してくれる。学校は目と鼻の先だし、見かけの割にはいい環境だと思うよ。で、生活費は俺の時と同じように月に一度清水の家から振り込まれるんじゃないかな。家賃が安いから大した額でもないけど、ぜいたくしなければ余裕を持って暮らせるはずだよ」

 付き添いの先代魔法少女――孝二郎が、新しい生贄を得たためかテンションの高い魔神――マリードをフォローして、真理乃となった誠三郎にレクチャーしていく。

「で、でも……わたし、転校生ってことになっちゃうんでしょ? こんな時期に転校してくる一年生なんて変だし怪しまれるし……」

「何が言いたいのかしら? 真理乃ちゃん」

 孝二郎について来た冴子が、単刀直入に切り込んできた。

「だから、その……わたしのこと、元に、戻して……」

 流されるようにここまで連れて来られた真理乃は、どうにか反論して自分を運び去ろうとする流れに抗おうとしたが、それは虚しい試みだった。

《心配すんな。手続きはもう俺が済ませてるから。入学初日はなぜか欠席しちまった一年A組の藤田真理乃ってことでな》

「え?」

《学校関係者の記憶と書類をちょいといじれば一丁上がり。これくらい、朝飯前よ》

 そう言えばこの魔神には、人の記憶を操る力さえあるのだった。ここまで色々できれば何でもありだと、真理乃は魔神に逆らうのを内心あきらめてしまいそうになる。

《と言っても、こんなことまでできるのは契約を交わした相手に関する事柄くらいだけどな。だいたい、協力者になってもらった連中まではごまかせるもんでもないし》

「……『協力者』?」

「私みたいな、魔法少女のサポーター」

 真理乃の疑問に冴子が答えた。

「いくら力があっても大きい学園だから一人じゃ手が回らないこともあるし、この変態野郎にしてみれば真にご所望なのは『元男の子の、女の子としての日常生活』だもの。魔法少女が出張るまでもないトラブルの芽を摘んでおいたり、魔法少女の正体がばれないように工作活動や世論形成を図ったり、体のいい小間使いよ」

《魔法なんてのは、かける相手に術者の素性だの何だのを知られれば知られるほど効果が薄れていくものだしな。下手打って千人全員にばれるくらいなら、信頼できる十人に手伝わせて、魔法をかけるかもしれない九百九十人には絶対ばれないようにした方がいい》

 そんな魔法の特性は初めて聞いたが、思えば昔話には、魔術師が自分の真の名前を敵に知られないようにする話などもあったような気がする。他に魔神の知り合いもいないことだし、真理乃はマリードの言葉を受け入れることにした。

「協力者に選ばれるいきさつは、成り行きだったりスカウトされたり。生徒とか教職員とかのキヨミズ関係者には、常時二十人ほどいるみたいね。私にしても他に誰がこんな変態魔神のボランティアやらされてるのかは、ほとんど知らないんだけど」

 冴子はとことんマリードを罵倒するが、協力者なんてものを務めてきた間柄によるものか、妙に息の合った補足を入れていった。

 そして一段落すると立ち上がり、孝二郎の手を引く。

「そろそろ帰るわよ、孝二郎。真理乃ちゃんとマリードの初夜を邪魔しちゃ悪いしね」

「ちょ、ちょっと待って! 『初夜』って何ですか?!」

 そそくさと冴子と孝二郎がアパートから立ち去った直後。真理乃はその意味を知った。

《ほれ、いいかげん着替えな。制服以外の服も見てみたくなってきた》

 マリードの妙に鼻息荒い声。しかし逆らえる性格でもない今の真理乃にとって、その声は絶対だった。

《当面の生活に必要なものは俺からのプレゼントだ。この部屋に全部揃えてあるぜ》

 見れば、壁には可愛らしい私服がかかっていた。洋服ダンスを開ければ、別の私服や学校指定のジャージ。もちろん下着類もふんだんにしまわれている。鏡台には化粧品なども一式準備されていた。なぜか、すべて新品。

「これも、全部魔法で?」

《ああ。服のサイズもぴったりだぜ。だからさっさと着替えなっての》

 自分の身をもって体験しているのだから今さらマリードの魔力を疑ったりはしないが、アラビアの魔神とやらが日本の女の子向けの各種商品を魔法で生成する図がなかなか思い浮かばず、真理乃は異界に足を踏み入れた気持ちを一層強くした。

 それでもファッションショーをどうにかやり遂げると、今度は女子として初めてのお風呂体験。それら一つ一つの行動に数時間前まで男子だった真理乃は無論戸惑うわけだが、さらにマリードがそんな様子を胸の谷間のペンダントから観察しては《ほれ、せっかくスカート穿いてんだ。くるっと一回転して裾を翻らせるくらいやってみせな。ズボンと違って脚を包み込まない分、頼りなさと開放感とが味わえるだろ?》だの《おうおう、身体の予想外の柔らかさにびっくりしてやがるな? ついさっきまで引き締まった男っぽい身体してたお前さんにはさぞかしショックだよな? けれど心のどこかですべすべした肌や華奢な体格を可愛らしくて心地いいとも感じ出しているだろ?》だのと大喜びするのだから始末に負えない。ペンダントを外そうにも、契約を結ばされた関係なのか、どうしても手を伸ばすことができなかった。

 寝る直前にはトイレまで経験させられて泣きそうな気分で床に就き、一夜明けた今日は女子生徒として初の学校生活。今後三年間は間違いなく元に戻してもらえないわけだからいっそ開き直ればよいのだが、現在の性格ではそれもままならず、真理乃はとても内気な少女として新しいクラスの一員になった。それでも近くの席の女子数人には声をかけてもらい、悪印象は与えずに済んだようである。言葉遣いはまるっきり女の子らしくなっているし、控え目でおとなしい性格。敵を作る方が難しいくらいではあるが。

 ちなみに本来の自分たる清水誠三郎の存在は、記憶や痕跡が消え去っていたわけではなく、突然留学したことになっている。《そういう操作には、お前さんが本気で男に戻るのをやめた時に取り掛かるんだよ》とマリードがこっそり囁きかけてきた。

 そんなこんなで真理乃としての一日目を終えて新たな家に帰還。昨夜や朝昼はコンビニの弁当やパンで済ませていた食事を、今回はマリードの命令で自炊することになった結果あえなく挫折したところへ、誰かの来訪を告げるチャイムが鳴ったのである。


 恐る恐るドアを開けると、キヨミズのブレザーを着た長身の女子学生が立っていた。眼鏡に三つ編みの野暮ったい雰囲気だが、その奥の眼光はかなり鋭く、真理乃をなで斬りにするように一瞥した。

「あの……どちら様でしょう」

 おずおずとした真理乃の態度に対し、相手はなぜかにやりと笑った。

「なるほど。本当に、兄弟でも女性観てのはずいぶん違うもんなんだね、マリード」

《千差万別よ。だから俺はいつまで経ってもやめられねえのさ》

「え? あの、もしかして……」

「あたしは村上美紀。見ての通りキヨミズの学生で、二年生。マリードの協力者よ。これからよろしく」

 村上美紀と名乗った少女は、すたすたと部屋に上がり込んだ。

「は、はあ……」

 よろしくと言われても、何をどうしたものかさっぱりわからない。昨日の冴子の話ではこちらの負担軽減とかいざという時の援助とかが協力者の仕事であって、しかも冴子の態度から察するに、あまり向こうにメリットのある仕事でもなさそうで、つまり、マリードおよび真理乃に彼らから接触してくるとは考えていなかったのだが。

《冴子に聞いたか? にしてもお前さんがわざわざ来るたあどういう風の吹き回しだい》

 彼女の来訪はマリードにとっても珍しいことだったようだ。

「今度女子野球部を立ち上げることにしたんでね。お嬢さんをスカウトしに来た」

「え、ええっ!?」

 驚く真理乃を無視して、マリードは座布団に腰を下ろした美紀に話しかけた。

《ふむ。野球部は候補の一つではあったな。ただし希望順位としてはかなり低いが》

「またどうして?」

《そりゃこっちの台詞だ。女子に人気がないから女子部員が入らない。妙な選民意識に憑かれる。ますます女子に人気がなくなる。ますます女子部員が入らなくなる。以下繰り返しの悪循環がいったい何年続いてるよ。廃部寸前の部を立て直すって楽しみは十年ほど前の相撲部マネージャーで満喫したしな》

「こっちは立て直すどころか、まだチームすら作れる段階じゃないよ。創部に立ち会った経験はないんじゃないか?」

《余計悪いっての。俺が今年部活で見てみたいのは、少女同士の清潔な友情とか、他校の美しい強敵との激突とかなんだよ。脈のありそうなクラスメートと交渉したり、退部しそうな上級生に泣きついたりする面倒ごとはしばらく勘弁だ》

「あ、あの……わたし、野球ってやったことが……」

 恐る恐る声をかける真理乃を無視し、美紀は小首を傾げる。

「ちょいと切り出し方間違えたかな? なら否応なしに関わらせてあげるよ」

《今度は何だよ》

「男子野球部に、邪霊が憑いた気配がある」

《何だと?》

 からかい調子だったマリードの声が、一気に引き締まった。

「もちろんあたしは本職じゃないから細かいことまではわからない。あんたがまだ気づいてないということは、小物も小物なんだろうね。でも、あのグラウンドには不審な気配が確かにあった。そうでもなくちゃ、あんなでたらめなゲームがまかり通ったわけがないだろうしね」

 そう言って、美紀は放課後の出来事を細かく説明した。

《なるほど、そいつは邪霊だろうな。野球部関係者の誰かに巣食い、そいつの負の感情を喰らう代わりに願いを叶えてやってるんだろうよ》

「そろそろ周囲の連中にもちょっかい出してるのかもね、たらふく食べて肥え太っていく真っ最中ってところなんじゃないの?」

《たぶんな》

「あの……すみません、マリードさん……邪霊って昨日みたいなのですか?」

 思いきって声を上げると、ようやく二人の反応が得られた。

《ん? 心配すんな。あれほどの大物じゃないさ》

「そりゃ三十年がとこ、東日本一帯を荒らしていたような奴と比べるのはね」

《昨日のあれが成虫とすれば、幼虫程度の存在だな。自然発生的に湧いたっぽいし、怖がるほどでもない。それでも何の手も打たなければいずれ厄介なことになるから、その前にきっちり祓っておかねえとな》

「ええと、でも……さっき、負の感情を食べる代わりに願いを叶えるって言っていませんでしたか? 別に悪いことをしているようには……」

《ああ、知らない奴には誤解を招く言い方だな。正確に言えばこうだ。連中は、人間の負の感情を喰らって、もっと悪質な負の感情を排出する。有害なウランからさらに毒性の強いプルトニウムが作られるようなもんだ》

「だから少しばかり願いが叶ってもその人間はちっとも幸せにならないし、万が一にも負の感情が消えないように、その人間の一番の望みは絶対に叶わないようにする……という話だったね、マリード」

《その通り。願いを叶えるってのは、最初の頃、人間の身体に潜り込んでも拒絶されないための、ちょっとした手土産みたいなもんだからな。そのうちそんな気遣いも失せる》

 そこまで言うと、マリードは考え込むような声音になった。

《だがそうなると……女子野球部に入る方がまだマシかね。男子野球部にマネージャーとして入部しても、近づきすぎて突き止める前に逃げられちまう可能性が高い。二ヶ月泳がせてる間に宿主を特定して、試合の最中に一息に仕留める……これだな》

「あたしには願ったりだけど、試合に出ない存在だったらどうする? 野球部に属してるのはたまたまで、宿主の願いが別の方面に向かっている場合は」

《野球絡みでそれだけ強い影響力が発揮されてるんだから、宿主の願望もそっち向きだろうさ。二ヶ月も経てば最低レギュラーくらいにはなってるはずだ》

「じゃ、決まりだね」

 ほんのわずか安堵によるらしい吐息をつくと、美紀は威勢よく立ち上がった。

「これでやっと四人目だ。あんたも心当たりがあったら誘っといておくれ」

《このご時世で野球に興味がある若い女なんて、そんな物好きは知らねえよ》

 口調は終始乱暴ながらなごやかに談笑する美紀とマリードに、真理乃は口を挟んだ。

「あの……わたしの気持ちは、どうでもいいんですか……?」

 末っ子の優等生として育ち、家でも学校でも自分の意見が尊重されなかったことのない元誠三郎な真理乃には、自分を無視して頭越しになされた一連の会話はかなり不快なものだった。今の性格ゆえに、感情を表に出すには至らなかったけれど。

《無意味だろ。お前が俺様に逆らえるわけねえんだから》

「無駄だね。今のあんたがマリードに逆らえるわけないんだし」

 だが二人の回答は、真理乃の中の自尊心を派手に打ち砕いた。

《何せ今のお前は、おとなしくて従順で都合のいいお人形さんみたいな女だからな。そんな女の意向なんざ、聞いてどうするんだ?》

「言葉は悪いがマリードの言う通り。『あんたの中の男の子』が女の子に対する好みを変えない限り、逆らえずに周囲に流される状況は変わらないね。あんたにとっちゃ悲しいことかもしれないけれど」

 二人に言われ、昨日の言葉を改めて思い出す。今の自分――真理乃の性格は、本来の自分である誠三郎の好きな女性像に基づくものであることを。

「でも、でも、わたし、野球なんてルールも知らないし……」

「すぐ覚えられるよ」

《野球漫画でもテキストにすれば三日くらいでマスターできるさ》

「漫画なら貸すよ。うちに『ドカ弁』全四十九巻があるから明日持って来る」

「け、けど……」

 二人に即答されても、真理乃は弱々しい口調ながらさらに反論した。口答えなどできないと言われた内心の反発があまりに激しかったせいかもしれない。

「こんなちっちゃな身体じゃ、全国大会行くような男子のチームと対戦なんて……」

 その反論の内容は、あまりと言えばあまりに気弱なものだったが。

「あ、それは心配無用。魔法少女の身体は特殊な造りになってるから」

《いかさまってほどでもねえけどな。日本人の女子高校生が発揮して不自然でない範囲で、最高レベルの身体能力を持ち合わせてるって寸法だ》

 真理乃の懸命な反駁は、これにて打ち止めとなった。

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