006 時雨風月と紅叢雲
やがて、銀髪の少女は泣きやんだ。
それから彼女は、僕の腰にまわしていた両腕を放す。そして、照れ臭そうに言った。
「ふふっ、すまぬな。あまりのことに、ずいぶんと泣いてしまった」
彼女は指で涙を拭き取り、ニコリと笑うと、こう言葉を続ける。
「しかし、再び会えてうれしいぞ、
彼女から向けられた笑顔と喜びの言葉――。
嘘つき人間としては後ろめたくて、そんなものを正面から受け取れない。だから僕は、それらを
「ああ、えっと。ごめんなさい」
僕がそう言うと、銀髪の少女は、両目をパチクリさせながら小首をかしげた。
「うん? どうした?」
「いや。実は、僕には前世の記憶が、まるでなくて……」
「なっ、なんと!?」
その場から、一歩二歩と後ずさりする彼女。
確実にショックを受けていることがわかる。
本当に申し訳なくて……そんな彼女を、まっすぐに見ることができなかった。
それで僕は、銀髪の少女から視線を外して話を続けた。
「そのぉ、なんとなく前世でいっしょに戦っていたような気がしたから、声をかけてみたってだけなんだよ」
言いながら、銀髪の少女を
胸がざわつき、心が
だが――。
今更、後には退けない。
中二病喫茶の未来、あるいは
「ふ、ふむ。そうなのか……。時雨風月よ……記憶がない……のか……」
銀髪少女の声のトーンが、明らかに二段階ほど下がっていた。
彼女は両目を細め、唇を噛み、拳をきゅっと握っている。
それから、一度だけ「コホンっ」と咳払いをすると、少女はすぐに元のような調子で話を続けた。
「ふ、ふむ。まあ、安心せい。わらわの方には、おぬしと共に戦っていた日々の記憶が、しっかりと残っておるからのぉ」
「えっ……しっかり?」
少女は小さくうなずく。
「ふむ、しっかり覚えとる。だから大丈夫だ、時雨風月よ。この出会いは、ちゃんと前世からの運命ぞ。おぬしの方は、まあなんだ……徐々にでも前世の記憶を思い出していけばよいからな。楽しい昔話はおぬしの記憶が戻るまで、しばしお預けなのかのぉ、ふふっ」
少女は銀髪をそっとかき上げると、横を向き、少し残念そうに微笑んだ。赤く泣き
どこか
そして、彼女のその仕草と表情が、僕の良心に仕事をさせる。
ああっ……駄目だ……。
これ以上、嘘が大きくなってしまう前に、本当のことを洗いざらい話してしまおうか……?
正直に話して、それで土下座して、許しを
そう思い僕は、物陰に潜んでいるキーナに、チラリと視線を向けた。
『ここらでもうギブアップだよ、キーナ。こんな任務、最初から僕には向いていなかったんだ……』
そんな想いを視線に込める。
自分では確認できないのだが、おそらく僕は、戦意を失った少年兵の
するとキーナは、何やら紙をチラつかせた。
『喫茶店潰れる!』
と、太い赤字でデカデカと書かれている。
僕が良心の
「
「コウナル事モ、
「くっ……エスパーかよ!」
思わず僕は、そう口に出してしまった。
当然、事情がわからない銀髪の少女は、不思議そうな顔で僕を見つめる。
「うん? どうした、時雨風月よ? 今、エスパーと言ったか? それともジャスパー?」
「ああ……いや、なんでもないです……」
僕は慌てて首を横に振った。
「ふむ、そうか。まあ、おぬしもこの突然の出会いに、どこか混乱しておるのだろうよ」
「ま、まあ……確かに僕は、混乱している……」
「ふふ。しかし、時雨風月よ。見たところ、その制服を身につけているということは、わらわとおぬしは同じ高校に通っておるようだな。洋装もなかなか似合っておるのぉ」
「えっ?」
彼女は顔をほころばせ、僕の全身を上から下へと何度も眺める。
「いや、なに……前世での和装の記憶しかないものだからな。ふふっ、おぬしのこの制服姿は、わらわにはなかなか新鮮ぞ。よく似合っておる」
言い終えると少女は、手袋をしていない右手で、僕の肩や胸の辺りを、それはそれは愛おしそうに
もちろん、そんなことをされたら、僕は緊張して動けなくなる。
おそらく、顔も耳も信じられないくらい
それからしばらくすると、少女は銀髪おかっぱ頭をゆらりゆらりとスイングさせはじめた。
なんだか急に、モジモジしだしたのである。
おしっこだろうか?
と僕は思った。
「時雨風月よ……とっ、ところで、どうだ?」
「んっ?」
「いや、だから、そのぉー……あいかわらず、おぬしは
「えっ?」
「いや……ほらっ!」
そう言いながら少女は両手をパッと広げた。それから、上目遣いで可愛らしく、僕の顔をのぞき込んでくる。
夕焼け空みたいに、彼女の耳や頬がずいぶんと赤く染まっていた。
僕を見つめる黒々とした瞳が、キョロキョロと落ち着かない。
なんだ、急に両手を広げてどうした? おしっこではないのか?
もしかして、抱きつけとでもいうのだろうか?
この両手を広げているポーズは、「カモン!」ってことなのか?
まあ、彼女の話によると久しぶりの再会らしいし……たぶん、そういうことだろう。
そう結論を出すと、僕は照れながら微笑んだ。
「ああ、うん……わかったよ」
僕は思い切って、両腕でキュッと少女を抱きしめる。
そして、そのままググッと腰を引き寄せた。
その
「なっ、ななっ!? 何をしておるか、このバカ者がぁあっ!」
少女のどすの利いた声が、
おかっぱ頭がぞわりっと逆立つ。頬をぷっくり膨らませて赤面したその顔は、まるで銀髪を被せたトマトのようだ。
「手を放さんか、こらぁっ!」
「ふ……ふぇぇっ!」
と情けない声を上げながら、僕は慌てて手を放した。
「このバカ者っ! 時雨風月よ、誰が抱きしめろと言った!? わらわは、わらわはのぉ……この高校の制服が、現世のわらわに似合っておるか尋ねようとしただけぞっ? 勘違いしおって、このスケベ風月がっ!」
「え、ええっ!?」
「まったく……まあ、確かに前世で、わらわとおぬしは、死ぬ前に夫婦の
「はっ?」
「しかしだからといって、そんなにホイホイと簡単に、現世のわらわを抱けると思っておるのなら、それは大間違いぞ?」
僕は、腹話術人形のように両目を大きく
ふ、夫婦の契りだって!?
さらりと衝撃的な要素をぶっ込んできましたが、僕とあなたはそんな設定なんですか!?
僕は大いに戸惑いながら尋ねる。
「あのぉ、僕たちって、前世で夫婦だったの?」
「そ、そうだぞ……。まっ、まあ結局、
「それは……悲しい話ですね……」
「他人事ではなく、わらわとおぬしの話ぞ?」
「そうでした」
「……で、どうだ?」
「はい?」
僕が首をかしげると、少女の黒目が大きく見開く。
「だ~か~らっ! この制服が、わらわに似合っておるかと尋ねておるのだ、このバカ者が!」
バンバンと
銀髪と巨乳が荒ぶり踊った。
恥ずかしさとイライラの同居で、彼女は暴走しかけているように見える。
だが、僕の次のひと言で、彼女はピタリと動きを止めた。
「うん。もちろん、よく似合ってるよ」
その言葉を耳にすると、少女の足が固まった。
同時に、銀髪と巨乳も落ち着きを取り戻す。
神社に静けさが帰ってくる。
「……そっ、そうか。それはまあ、よかったぞ、時雨風月よ」
少女の口元が「ふふっ」と小さく笑う。
異彩を放ち続ける左手の『指ぬき革手袋』
そこに
僕はお世辞抜きに本気でそう思っている。
しかし、なんなのだろうか、あの手袋は?
きっと、その答えを知るためには、彼女のことをもっと知らなければ――。
そう考えた末、僕はこう口にした。
「そうだ、自己紹介をしようよ」
「ん? 何を言っておるのだ、時雨風月よ。この
「へっ? いや……えっと……」
僕が戸惑う姿を見せると、少女はパンっと両手を打つ。
「おおっ、そうであったな。おぬし、前世の記憶がないと――。すまぬすまぬ。それならば、自己紹介が必要ではあるな」
「ああ、うん……。まあ、だから、とりあえず前世の話はひとまず置いておいてですねぇー、現世の話をしましょうか?」
「ふむ。そうするかのぉ」
納得してうなずく少女を眺めながら、僕は話を続ける。
「じゃあ、僕から――。僕は印場冬市郎」
「ふむ。時雨風月は、現世では印場冬市郎という名なのか? 何年生ぞ?」
「二年生。二年二組だよ」
「ふむ、そうか。わらわと同じ二年生であったか。それは嬉しいのぉ」
その表情から、少女が本当に喜んでいることが、よく伝わってくる。
「んっ。では、次はわらわだな。ふむ……わらわの現世での名は、
「へえ。瀬戸さんっていうのかあ……」
「ふむ。わらわとおぬしの仲ぞ? 現世では瀬戸さんではなく、灰音と呼び捨てにするがよい」
瀬戸灰音は微笑みながら、僕の肩を親しげにポンッと叩く。
「いやー、いきなり呼び捨てはなあ……」
「よいよい。わらわもおぬしのことを、冬市郎と呼び捨てにするからのぉ。どうか、灰音と呼んでくれ」
僕は、「コホン」と軽く咳払いをする。
それから、なんだか少し気恥ずかしかったが、遠慮なく彼女の下の名前を口にした。
「じゃあ……灰音……」
「ふむ、冬市郎。それでよいぞ、ふふっ」
銀髪の少女は、満足気に目を細めた。
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