005 魔法の言葉と少女の涙

 銀髪おかっぱ頭の少女は、学校の正門を通り抜けた後、一人黙々と歩き続けた。

 やがて彼女は、高校近くにある小さな神社へと足を踏み入れる。

 僕は立ち止まり、首をかしげた。


「神社?」


 学校の近くに神社があることは知っていた。

 だが、これまで一度も来たことはない。


「とにかく、中に入るッスよ」


 立ち止まっていた僕の背中を、キーナはポンッと押した。


 銀髪の少女だが、境内けいだいを奥へ奥へとゆっくり進んでいた。

 やがて彼女は、大きな老木の前で、その歩みを止める。


御神木ゴシンボクダロウカ」と右足が言った。

「樹齢何十年。イヤ、何百年カ?」と左足が続ける。


 銀髪の少女は、手にしていた革のトランクを地面に置く。

 そして、指ぬきの革手袋をした左手をそっと老木に押し当てると、両目を閉じて動かなくなった。


 こういったおごそかな場所特有のひんやりとした風が流れてきて、彼女の銀髪とスカートを、そっと撫でていく。


 だが、銀髪の少女はピクリとも動かない。

 まるで、目の前の木と一体化でもしているかのようだった。


「……なあ、キーナ。あの子はいったい何をしているんだろう?」

「わからないッスね。でも、とにかく声をかけるのなら、今がチャンスな気がするッス」

「ええ!?」

「行くッスよ、冬市郎くん! 自分はどこかその辺の物陰に隠れて見守っているッス」


 なんとなく楽しげな様子でキーナは、ポニーテールをくねらせながら、建物の陰に身を隠した。

 それから、スパイごっこをしているその女子高生は、僕に向かって『行くッス! 行くッスよ!』と目の動きだけで命令を下す。


 僕は小さくため息をついた。

 ここまで来たら仕方ない。


 老木に手を当てたまま動かない銀髪の少女に、僕はゆっくりと近づく。

 彼女を脅かさないよう背後からではなく、横から静かに――。


 そして、声をかけた。


「あのぉ……」


 おかっぱ頭がかすかに震えた。

 神社という場所柄も影響しているのか、光沢のある美しい銀髪が、どこか神聖なものに思えてくる。


 目の前の少女が「神の使いだ」と言われたら、今であれば僕は、そのまま信じてしまう自信があった。

 そして、そんな神々しい彼女の横顔に、僕の視線はすぐに釘付けとなってしまう。


 一方で銀髪の少女は、神殿の扉でも開けるかのように、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「……何か?」


 大きくて真っ黒な瞳――。

 それが、世俗せぞくの人間を冷たくあしらうかのようににらみつけてきた。


 氷の刀で、目の下の頬の皮でも一枚斬りつけられたかのような気分になる。

 しかし足の裏たちは、そんな僕の気など知らずに、緊張感のない雰囲気で会話をしはじめた。


「オイオイ。ヤッパリ、スゴイ美少女ダナ」と右足が言った。

「アア。見目麗ミメウルワシイ、銀髪ノ乙女ダ」と左足が続ける。


 足の裏たちの言う通りだった。

 なんて神々しい美少女なのだろうか……。


 もし、先ほど高校の廊下で、彼女の顔をチラリと目にしておらず、これが初見しょけんだったとしたら……?

 今頃僕は、目の前の少女の顔に見とれ、初恋に戸惑う園児のように黙したまま顔を赤くしていたことだろう。


 いや……。

 これが初見でなく、二度目だというのに、僕は情けないことに口がきけなくなっていた。

 それで、『……何か?』という彼女の質問に、どうしても返事ができない。


『おいおい……こちらから声をかけておきながら、返事もせずに黙り込んでしまうのは失礼だろうよ』


 そんな言葉が脳内でクルクル回る。

 けれど、口どころか身体全部が動かない。

 だからもう、どうしようもない――。


 こんなゾクゾクするような美少女から冷たく睨まれて、それで平常心でいられるほど、僕は女性慣れはしていないし、心も強くないのだ。


 そんなわけで僕が、『失礼な男』というタイトルの石像になっていると、返事がないことに怒っただろう彼女が、銀髪を弾ませながら、少しの利いた声を出す。


「おい、おぬしっ!」


 軽蔑けいべつの込められた視線。それが、少女から向けられていることに気がつく。

 だがそれよりも……僕は彼女の言葉づかいに非常に戸惑った。


 ……おっ、おぬし?


 想像もしていなかった意外な言葉づかい――。

 それが、ものすごく気になってしまったのである。


 彼女の言葉づかいに意識が集中し、そして気がつけば僕は、我に返っていた。

 人間、妙なものがきっかけとなって身体の緊張が解けることもあるようだ。

 

 それから銀髪の少女は再び、どすの利いた声を浴びせてきた。


「おぬし、わらわに何か用なのか?」


 僕は、「んっ!?」と小さく首をかしげる。


 また『おぬし』と言った! 確かに言った!

 そして『わらわ』とも言ったぞ!


 だが、今はそれを問題にしている場合ではない。

 僕は、この出会いの場面で、キーナから教わったセリフ――――を、口にしなければならないのだ。


 気を取り直して、「コホン」と小さく咳払いすると、『今から本物の中二病を釣り上げてやるぜ!』と、僕は心の中で気合を入れる。


 一方で銀髪の少女は、「ふんす!」と鼻で息をした。


「ふむ。要件があるのなら、早くせんか!」


 僕はそんな少女の瞳を、正面からまっすぐのぞき込むと真顔で言う。


「あのぉー、つかぬことをお聞きしますが……」

「ふむ、なんだ?」

「キミは前世で僕といっしょに戦っていませんでしたか?」


 その言葉を耳にした刹那――。

 少女の右眉が、網に掛かった小魚のごとく、ピクピクと動作した。


 キーナが教えてくれた魔法の言葉。

 中二病のハートをくすぐる、


『前世でいっしょに戦っていた』


 に彼女が、見事反応しているのだろう。

 僕はもう一度、ダメ押しとばかりに魔法の言葉を強調して口にする。


「僕……実は今、を探しているところなんです」


 銀髪おかっぱ頭が左右に踊る。

 少女の頬に赤みが増し、口元はクククっと小さく笑っているようだ。


 そして彼女は、その大きな胸の下で、自分で自分を抱きしめるかのような勢いで両腕を組む。

 小刻みに震える両肩。揺らめく銀髪。

 心の底から湧き上がる感情を、もう抑えきれないといった様子だ。


 こりゃあ、完全に反応してますぜ……と、僕は心の中でガッツポーズを決めた。


 やがて、薄桃色の可愛らしい唇が小さく動く。

 先ほど発せられた、どすの利いた声とはまったく印象の異なる、しおらしい声がそこから漏れはじめる。


「わっ……わらわは、ずっと……」

「んっ?」

「わらわはずっと……ずっと待っておったんだぞ……」

「待っていた?」

「ああ……迎えに来るのが遅いんだ、このバカ者がっ!」


 口ではそう罵倒ばとうしてきたのだが、彼女はニッコリと微笑んでいる。

 神々しい美少女の、破壊力抜群の笑顔がそこに咲いていた。


 僕の心臓が早鐘はやがねを打つ。


 間違いない。

 目の前にいるのは、潰れかけた中二病喫茶の救世主と成り得る少女だ!


 こんな逸材を、なんとか店に連れていくことが出来たら――。

 そんなことを考えていると突然、銀髪少女の両目からポロポロと大粒の涙がこぼれはじめた。

 そして彼女の涙声が続く。


「ずっと……ずっと一人で……。わらわはずっと一人で待っておったんだぞ。時雨風月しぐれふうげつよ、本当に会いたかった……」


 僕は大いに戸惑った。


 しぐれ……ふうげつ……? って……誰デスカ?


 頭の中で僕が、そうつぶやいた瞬間。

 少女はその両腕で僕の身体を、きゅっと抱きしめてくる。


「頼むから、もう……わらわを一人ぼっちにしないでくれ……」


 吐息と共に届く、腰回りにすがりついてくるかのような弱々しいその声。

 そして、僕の身体に押し付けられる少女の大きな胸――。女の子の温かく柔らかな感触。

 銀髪からは、柑橘かんきつ系の甘い香りが漂ってくる。


「時雨風月よ……この世界で一人ぼっちは、この紅叢雲べにむらくもといえどもさすがに耐えられん……」


 少女は、僕の胸板に噛みつくかの如く顔をうずめると、身体をぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめてくる。


 べに……むらくも……?

 んん?

 ……何が起こっているデスカ?


 なんとか頭を働かそうとするも、美少女が僕の身体を、強く強く抱きしめてくる。

 おまけに「ひっく、ひっく」と泣き続けるため、僕の頭は少しも考えをまとめられない。


 僕の脳みそが組み立てはじめた思考のパズル――。

 それを、制服越しに伝わり続けるこの柔らかい胸の感触や、甘い香りのする銀髪が、何度も何度も台無しにしていく。


 僕にはすべがなかった。


 そして小さな神社には、銀髪美少女の嗚咽おえつが響き続ける。

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