137 【第2部 最終話】 キーナと灰音

 姉が僕たちの前にやって来たのは、そんなときだ。

 いつも通り黒いゴスロリ風の衣装を身につけ、右目に白い眼帯をし、左腕を包帯でグルグル巻きにしていた。


「ふふっ、どうしたの灰音ちゃん。そんな顔して、何か良いことでもあった?」


 灰音の達成感に満ちた顔を目にして、姉はそう質問したのだろう。

 続いて姉は、灰音の返事も待たずにこう口にした。


「さあ、いよいよキーナちゃんのアルバイトデビューね。灰音ちゃん、としてのキーナちゃんをビシバシよろしく頼むわよ」


 姉のそんな発言によって、僕たち高校生三人の間に微妙な空気が流れはじめる。


 あのぉ……。

 今……『先輩・後輩みたいな上下関係を作りたくない』ってことで、話がまとまったばかりなんですけど……。


 これまでの話の流れなど、姉は知らないのだから仕方ない。


のキーナちゃんも、の灰音ちゃんを遠慮なくじゃんじゃん頼っちゃいなさいね!」


 周囲の空気などまったく気にせず、姉はニコニコと一人でしゃべり続ける。

 二人の少女は姉の言葉に、こくりこくりと首を縦に振り続けるだけだ。

 キーナも灰音も、ほとんど声を出さなくなってしまった。

 姉の前では、ポニーテールの少女も銀髪の少女も、どこか緊張してしまうみたいである。

 二人ともすっかり大人しくなった。


 それから姉は僕たち三人を相手に、開店時間までほぼ一人でしゃべり続けた。

 当然、キーナと僕は二人きりになることができず、時間がどんどんと経過していく。


 念のために首筋をキーナに舐めさせたかったのだけど、そのまま開店時間を迎えてしまうことになったのである。



   * * *



 結局――。

 昼休みにもチャンスがなく、僕たちが二人きりになれたのは、キーナの小休憩の順番がやってきたときだった。

 夕方になる1~2時間くらい前。

 店の奥にある従業員用の休憩室で、ようやく僕はキーナに首筋を舐めさせることができたのである。


「と、冬市郎くん。なんか……首筋の味が変わったッス」


 僕の首筋の唾液だえきをハンカチでき取りながら、メイド服姿のキーナがそう口にした。


 灰音の言う通りならば、キーナはもう元に戻っているはず。

 それでも念のためにと、僕は首筋を舐めさせていたわけだけど……。


「キーナ、やっぱり自分でも元に戻っている感じはあるのか?」

「そのぉ……自分、今日はいつもみたいなのどかわきをまったく感じないんスよね」

「そうなの?」

「うッス。それに今、冬市郎くんの首筋を舐めてみて確信したッスよ。自分にはもう、冬市郎くんの首筋は必要ないッスとっ!」


 勢いよくそう口にしたキーナ。

 しかし、彼女はすぐに「はっ……」と小さく声を漏らすと、僕に気をつかって言い直す。


「い、いや、今のは自分の言い方が悪かったッス。冬市郎くんの首筋は、相変わらず魅力的なんスよ。けれど……喉の渇きをうるおすために舐める必要はなくなった、と言った方が正確だったッスかね」


 僕は苦笑いを浮かべる。


「ああ、いいよ。僕に気を遣わなくても」

「う、うッス! とにかく、冬市郎くん。あの『呪いのようなもの』からは、瀬戸さんの言う通り本当に解放されたのかもしれないッスよ」


 どうやら灰音の言っていたことは、真実だったみたいだ。

 キーナは元に戻ったようだった。

 灰音の力によって、問題がこんなにもあっさり解決するなんて……。


 足の裏たちが話しはじめた。


「例ノ『呪イノヨウナモノ』ガ、消滅ショウメツシタノナラ――」と右足が言った。

「モウ、アノ『吸血鬼ノ幽霊』ニ、会ウ必要モナイナ」と左足が続ける。


 確かに、足たちの言う通りだった。

 吸血鬼の幽霊に会うために女子高等部へ行く理由が、ほとんどなくなってしまったのである。


 まあ、あの幽霊は僕以外に話し相手がいない。

 だから、また会いに行くつもりではあるんだけど……。


 首筋関連の話が一段落すると、僕たち二人は休憩の残り時間を、話題を変えて過ごした。

 今日のアルバイトの感想なんかを、僕はキーナに尋ねてみる。


 あれこれ色々と話をした。

 けれど、やはり一番気になるのは灰音との関係だ。

 姉の指示でキーナは、お昼休みをずっと灰音と二人きりで過ごしていたらしい。


「瀬戸さんが……お昼ごはんのときに、おいしいお饅頭まんじゅうをくれたんスよ」

「饅頭を?」

「はいッス。わざわざ今日のために用意してくれたみたいッスね……」


 そう言いながらキーナは眉尻まゆじりを下げ、やや困ったような表情を浮かべた。


 キーナのために饅頭まで用意して……。

 灰音は今日、キーナがアルバイトに来ることを、どれだけ楽しみにしていたんだよ……。


 ともあれ、そんなわけで――。

 中二病喫茶の初出勤の日を最後に、キーナはすっかり元に戻った。

 喉の渇きを訴えながら僕の首筋を舐めることもなくなったのだ。


『姉が描いた適当な魔法陣』を使って灰音が『漆黒龍皇』と対話しているなど、なかなか信じがたい出来事もあった。

 その件に関しては僕も、今のところはあまり深く考えないことに決めているのだけど……。

 とにかく『キーナの抱えていた問題』は、こうして解決したのである。


 しかし……。




『初出勤の日』から幾日いくにちか経過した頃――。

 キーナは、『吸血鬼の呪いのようなもの』に代わる『新たな問題』を抱えていた。

 それは、『灰音との人間関係』だ。


 キーナから聞いた話によると、学校でもバイト先でも、灰音は顔を合わせればとても親しげに接してくるようになったらしい。


 恩人である銀髪の少女のことを邪険じゃけんに扱うことも出来ない。

 そのためキーナは、灰音と今後どのように接していけばよいのか混乱している様子だった。

 相変わらずキーナは、僕以外の友人は一人も作りたくないからである。


 もしかすると……。

 親切でフレンドリーな灰音は、キーナにとって『吸血鬼の呪いのようなもの』と同じくらい――いや、ひょっとしたらそれ以上に厄介やっかいな存在なのかもしれない。


 僕の親友の黒髪ポニーテールの少女は、恩人である銀髪の少女を相手に日々困惑しながら、今後の高校生活を続けていくことになってしまったのである。


(第2部 おしまい)

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姉の中二病喫茶が潰れそう 岩沢まめのき @iwasawamamenoki

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