098 レジェンド・モンスター《新幹線で隣に座った男》②
≪ ≪ ≪
新幹線の窓側の席で軽く目を閉じながら、愛する妻のことを考えていると声をかけられた。
「はぁはぁ。すみません。ここ空いていますか?」
声をかけてきたのは、わたしと同じ歳くらいの中年の男だった。
太っていて、
スーツ姿だがジャケットは手に持っており、サイズの小さなワイシャツを無理やり着ている様子だった。
そのため、ボタン部分はもれなくすべて、今にもはち切れそうである。
そんな男が、『三人席の通路側の席は空いているか?』と、わたしに確認してきたのだ。
「空いていますよ。どうぞ」
わたしがそう答えると、男は手にしていたジャケットと旅行カバンを、座席の上にある荷物棚に乱暴に投げ込むように置いた。
ガサツな男だ。
それから彼は、三人席の通路側の席にドスンと腰を下ろす。
続いて、いつの間にか手に持っていた雑誌とお茶のペットボトルを、真ん中の席に投げ置いた。
先に座っていたわたしでさえ手を付けていなかった、三人席の真ん中の席にである。
おっと……。
この人、なんの断りもなく真ん中の席を自分の領土にしたぞ?
自分としては、『三人席の通路側の席は空いている』と答えたつもりだった。
まさか真ん中の席まで、この男に占領されるとは考えていなかったのである。
真ん中の席は不可侵の中立地帯として、お互い手をつけずに空けておくものだと思っていたのだが――もちろん、座りたい乗客がやって来たら座ってもらうつもりだった――どうやら彼にその気はないらしい。
仕方ない……。
ケンカになったら勝てそうにないし、面倒事はゴメンだ。
わたしはすぐに諦めた。
それから通路側の席のガサツな男は、靴を脱いだ。
革靴に包み隠されていた男の足の臭い――それが一斉に解放されて、わたしに襲いかかってくる。
臭い……。
妻の焼きゴテのおかげで、今ではわたしは鼻があまり利かないのだが、それでも充分に臭かった。
≫ ≫ ≫
「あのぉ……みどり子さん……」
と、僕は手を上げる。
「なんでしょうか?」
「この足の臭いガサツな男が、今回の伝説のレジェンド・モンスターなんですか? サブタイトルが『新幹線で隣に座った男』でしたよね?」
そう質問しながら僕は、みどり子に視線を送った。
「センパイ……ネタバレになりますから、その質問には答えられませんね」
「そうですか……」
「適当ニ、読ミ飛バセヨナ、冬市郎」と右足が言った。
「ソウダゼ。イチイチ考エルナ」と左足が続ける。
まあ、足の裏たちの言う通りだった。
これはクソブログなのだから。
僕は苦笑いを浮かべながら、再びブログを読みはじめる。
≪ ≪ ≪
やがて、新幹線が走りだしてから三十分ほど経っただろうか。
わたしは強烈な足の臭いと戦いながら過ごしていたわけだが、通路側の男が突然こちらに話しかけてきた。
「かっかっかっ! ようやく見つけたぞ。四十年も探したんだ。お前こそがこの世界で本来、俺様の肉体になるはずだった人間なのだな!」
突然何を言っているのかよくわからない。
だがどうやら通路側に座った男は、普通の人間ではないようだ。
これまで数々の未確認生物たちと出会ってきた経験が、わたしにそう告げたのである。
「かっかっかっ! この三十分ほど、お前の肉体の波長を読み取っていたが、俺様の
本当にこの男は何を言っているのか?
危険だ。
逃げたい!
しかし、わたしは窓側の席に座っていたので、逃げ出すことができなかった。
逃げ場のないわたしは、この男と少しでも距離をとろうと座席の背もたれを思いっきり深く倒す。
が――。
「ゴホン!」
と、後ろの席の人が、わざとらしく
ガサツな男との距離が再び縮まる。
逃げられそうにない。
≫ ≫ ≫
「主人公、万事休すってほど
パソコンの画面を見つめながら僕はそう声を出した。
けれど、みどり子からは何も反応がない。
彼女はこちらに視線を送りもしなかった。
みどり子は、聞こえなかったフリをしているのだと思う。
仕方なく僕は「はあ……」と、ため息をついてから、ブログの続きを読んだ。
≪ ≪ ≪
「かっかっかっ! 逃がさないぞ。お前の身体こそが、俺様の本来の身体なのだ」
「わたしの身体が!?」
「ああ。これからお前の身体に乗り移ってやるからな」
「身体に乗り移るだと!?」
「覚悟しろ! かっかっかっ!」
男がそう笑い声を上げた瞬間――。
無理やり着ていたワイシャツの第三ボタンが、とうとう耐え切れずにバチンと弾け飛んだ。
「んっ? なんじゃ?」
と、わたしの前の席に座っていた男が声を出し、頭を触りだす。
老人のようで、頭の毛は生えていなかった。
もしかすると飛んだボタンが、この人のハゲ頭に当たったのかもしれない。
その通りだったようで、前の席に座っていた老人は、床に落ちていたボタンを拾い上げると立ち上がった。
彼は振り返ってまず、わたしの方を向く。
わたしは、すかさず老人に言った。
「あっ……そのボタンでしたら、この通路側の席に座っている人のシャツのボタンですよ」
チクってやった。
老人は静かにうなずくと、ガサツな男に向かって言う。
「ういぃ~、おぬしのシャツのボタンが飛んできて、ワシの頭を強打したんじゃが? どうしてくれるんじゃ?」
『強打』とはさすがに言い過ぎだ。
どうやらこの老人も、
ガサツな男はすぐに言い返した。
「じじい、黙ってろ!」
「ああ?」
「邪魔なんだよ、じじい! 静かな旅がしたいんだったら、次からは『クリーン車』の切符でも買うんだな!」
「んっ? クリーン車?」
「ああ、そうだよ。別料金がかかる特別車両だ!」
老人が小首をかしげながら男の言葉を訂正する。
「お前……あれは『クリーン車』じゃないぞ。『グリーン車』だ。『ク』じゃなくて『グ』だ、
そう言われたガサツな男は、自身の間違いにショックを受けた様子だった。
男はたちまち青い顔になり、両手で頭を抱える。
「な、なんてこった……。子供のころからずっと、『クリーン車』だと思っていた……」
その瞬間――。
ガサツな男のワイシャツの第二ボタンがバチンと弾け飛び、老人の額に当たった。
「あ、痛いっ!」
老人が今度は額を押さえる。
≫ ≫ ≫
「ねえ……この話なんなの? 『グリーン車』を『クリーン車』だと思っていたエピソード必要?」
僕は眉間にシワを大集合させた。
しかしみどり子からは、先ほどと同じように何も反応が返ってこない。
彼女はやはり、こちらに視線を送りもしなかった。
今度も聞こえなかったフリをしているのだと思う。
この子は最近、
『自分に都合の悪い意見はスルーする』
という技術を身につけたようだ。
仕方なく僕は、モヤモヤした気分のままブログの続きを読んだ。
≪ ≪ ≪
ガサツな男は声を荒げた。
「とにかく黙ってろ、じじい!」
「ああ? お前、そんな好き放題言っていいのか?」
「なんだと?」
「確かにワシ自身はとても弱い。じゃが、ワシの隣に座っておる男はな、『伝説のレジェンド・モンスター』なんじゃぞ?」
老人の言葉に、わたしは思わず立ち上がる。
「えっ! 隣に座っている男が、伝説のレジェンド・モンスターっ!?」
≫ ≫ ≫
もう、なんだかブログを読んでいられず、僕は両手で自分の顔を覆った。
「おっ、おうぅ……。伝説のレジェンド・モンスターは、『主人公の隣に座っていた男』じゃなくて、『突然現れた老人の隣に座っていた男』だったのかあ……」
「ふふっ……サブタイトルをきちんと回収しましたよ、センパイ」
みどり子は、今度は僕の言葉に反応した。
正直、あきれるストーリー展開だ。
けれどみどり子は、なにやら誇らしげだった。
しめしめといった雰囲気の微笑みを浮かべている。
「無茶苦茶ダナ……」と右足が言った。
「アア……『クソブログ』ダカラナ」と左足が続ける。
足の裏たちの声に小さくうなずくと、僕は顔をひきつらせながらクソブログの続きを読んだ。
≪ ≪ ≪
老人は自分の隣に座っている男に言った。
「伝説のレジェンド・モンスターさん、お願いしますじゃ。生意気なこの太っちょ野郎をやっつけちゃってください」
老人の隣に座っていた男は、「うむ」と声を出すと、むくっと立ち上がる――。
って……あれ?
この後ろ姿は……!?
見覚えのある後ろ姿に、わたしがまばたきを繰り返していると、立ち上がった男は振り返ってこう言った。
「どうも。伝説のレジェンド・モンスター『サンシャイン・ユー・シャイン』です! よろしくシャイニー!」
この姿っ!
そして、この
間違いない!
わたしの知り合いである伝説のレジェンド・モンスター『サンシャイン・ユー・シャイン』だった。
わたしは彼に話しかける。
「あれ? 『サンシャイン・ユー・シャイン』さんじゃないですか?」
「んっ? どちら様シャイニー?」
「わたしですよ。覚えていませんか?」
「あれ? あなたは……未確認生物を探して世界中を飛び回っていた……」
「いやー、びっくりしたなあ。最近は、お年玉くじが付いていない年賀状をやりとりするくらいで、実際にはお会いしていませんでしたもんね」
「おお! びっくりシャイニー!」
懐かしい再会と同時に、わたしは強力な援軍を手に入れたのだった。
これでガサツな男は、『わたし』と『老人』と『サンシャイン・ユー・シャイン』を相手に戦わなくてはならない。
ガサツな男も、その場の空気が『三対一』になったことをすぐに悟ったようだ。
彼はあっさりと負けを認め、大人しくなった。
その後、『サンシャイン・ユー・シャイン』と老人が、二人がかりでガサツな男を説教しはじめた。
説教は新幹線が終点に着くまで、ぐだぐだと一時間以上は続いただろうか。
この日、伝説のレジェンド・モンスター『サンシャイン・ユー・シャイン』は、新幹線でガサツな男をやっつけたというさらなる伝説を、歴史に刻んだのである。
結局、ガサツな男に身体を乗っ取られることもなく、わたしは家に帰った。
そしてベッドで寝静まった後――。
いつも通りわたしは、妻に鼻の穴を焼きゴテで焼かれたのだ。
さて――。
もしも、あのガサツな男が身体を乗っ取り、わたしに成りすまして妻との生活をはじめていたとしたら?
夜中に鼻の穴を突然焼かれたら、あの男はいったいどんな顔をしただろうか……?
焼かれた鼻を押さえながらわたしはそんなことを考えていたのだが、そのうち再び眠りについたのだった。
〈おしまい〉
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