122 ガソリンをコップ一杯ください
狂科学者は立ち上がったまま、僕をビシっと指差して言う。
「クククッ……この通りわたしの弟は、ときどき意味のわからないことを口走るのだよ」
僕は椅子に座ったまま、もう一度口を開く。
「ガガガッ――。マングース」
狂科学者は不敵に笑った。
「クククッ……おそらく、弟のこれは
僕が受信している謎の電波は、『闇の組織の暗号』という設定だったのか……。
事前の打ち合わせではまったく決められていなかった新事実――。それがたった今、大森さんのアドリブによって発表された。
僕は顔には出さないが、心の中で『ガガガッ――』と機械音を立てながら驚く。
狂科学者は不敵に笑いながら話の先を続ける。
「クククッ……まあ、弟に
足の裏たちが、ざわつく。
「対処法ガ、アルノカ」と右足が言った。
「暗号ヲ受信シナクナル薬ガ、アルンダナ」と左足が続ける。
そこで僕は、大森さんにお願いした。
「ガガガッ――。姉さん、さっそく薬の量を増やしてくれ。ガガガッ――」
「クククッ……だが、弟よ。薬を増やすと強い副作用があるぞ?」
「ガガガッ……?」
「クククッ……強い副作用によって、よだれをダラダラ垂らしながら二時間ほど白目を
お芝居でも、僕はさすがに二時間も白目を剥きたくはなかった。
「ガガガッ――。姉さん、やっぱり薬を増やすのはやめておくよ。ガガガッ――」
僕がそう答えると、狂科学者は小さくうなずく。
大森さんはそれから、キーナの方を向いてこう言う。
「クククッ……ブラックポニーテールよ。とにかくわたしの弟は、たまに闇の組織の暗号らしきものを受信するが、まあ気にしないでくれたまえ」
「スススッ……かしこまりましたッス」
スパッツメイドはそう言うと、両目をそっと閉じて口元だけで微笑む。
目の前の僕と大森さんのやり取りには、まったく動揺していない様子だ。
狂科学者が、さらに話を続ける。
「――それと、弟に関してもうひとつ追加情報があるのだが。聞いてくれるかな、ブラックポニーテールよ」
「スススッ……ええ、もちろんですともッス」
「クククッ……この弟はな、『
とうとう大森さんは『弟ロボット』の設定を、すべて口に出して説明したのだった。
スパッツメイドは、再び両目を閉じると、
「……頻尿。覚えておきますッスよ……スススッ」
と、不敵な様子で言った。
キーナは、まだまだ余裕のある態度で応対できているようだ。
続いて狂科学者は、僕の頻尿の心配をしてくれた。
「それで、弟よ。トイレには行かなくていいのか?」
「ガガガッ――。まだ行かなくていい」
足の裏たちが声を出す。
「シカシ、ロボットノ頻尿ッテ、ドウイウコトダ……?」と右足が言った。
「オイルガ、ヨク漏レルンダロ」と左足が続ける。
いやいや……『ロボットじゃなくて、ロボットだと思い込んでいる人間』なんだよ――と僕は心の中でつぶやく。
それにしても心配なのは、キーナがそろそろ僕の首筋を求めはじめないだろうか、ということだ。
今のところは、まだ大丈夫そうだけど……。
「クククッ……それで弟よ、何か飲むか?」
狂科学者はそう口にしながら、ようやく椅子に腰を下ろした。
本当にどうして一度立ち上がる必要があったのだろうか?
とりあえず僕は、大森さんの言葉に小さくうなずくと、キーナの方を向いてこんな注文を口にする。
「ガガガッ――。店員さん、ガソリンをコップ一杯ください。ガガガッ――。そして、姉さんにも僕と同じものをお願いします」
続いて僕は、キーナから視線を外すとうつむいて小声で言った。
「ガガガッ――。それと僕は、ここらで一度トイレに……。い、いや……やっぱり、なんでもないです……ガガガッ――」
そう言い終わると僕は、首を横に振った。
さて――。
『トイレに行きたいとはっきり言い出せない引っ込み思案な性格の演技』は、表現できているだろうか?
狂科学者が、自身の顔を片手で覆い隠しながら僕に言う。
「クククッ……弟よ。説明しておくが、お前はガソリンを燃料にして動いているわけではないぞ?」
「ガガガッ――。そうでしたか、姉さん」
「ああ。そしてわたしもガソリンは飲めない。同じものを勝手に注文しないでくれ……クククッ」
ならば、ガソリンをキャンセルしなければいけないだろう。
まあ、そもそもこの店のメニューには、ガソリンなんてものはないのだけれど……。
僕はキーナに向かって言った。
「ガガガッ――。店員さん、先ほどのガソリンは、やはりキャンセルでお願いします。ガガガッ――」
ああ……。
僕、なんだかすげえ面倒臭い客になっているなあ……。
「スススッ……お客様、かしこまりましたッス。ガソリンはキャンセルさせていただくッスね……スススッ」
引き続きキーナは、余裕のある態度で接客を続けている。
これならばきっと、大森さんの中でキーナの評価も上がっていることだろう。
ガソリンをキャンセルした僕に、狂科学者が言った。
「クククッ……弟よ。お前は人間と同じものを、食べたり飲んだりできるんだぞ?」
「ガガガッ――。わかりました、姉さん。僕は、人間の食べ物を燃料にします。ガガガッ――」
それから大森さんは、キーナの方を向く。
「ブラックポニーテールよ、とりあえずこの店の『メニュー表』をいただけないだろうか?」
「スススッ……かしこまりましたッス」
キーナは、僕と大森さんにメニュー表を差し出した。
「クククッ……ブラックポニーテールよ。この店のメニューは、ずいぶんと
狂科学者は差し出されたメニュー表を眺めながらそう言った。
メニュー表は、コーヒーとソフトドリンクが少し記載されているだけである。余白の目立つスカスカな印象なのだ。
「スススッ……お客様。こちらのメニュー表、おっしゃる通りこのままでは品数の少ない寂しいものとなっているッス。ですが――」
そう言ってキーナは、僕と大森さんに『特別なメガネ』を差し出した。
中二病喫茶『ブラックエリクサー』の特別なメガネ。
それは、近未来的な印象の『バイザー型サングラス』だった。
メガネフレームはサイバーな印象のデザインだ。
レンズは一本の細長い板状のもので、左右ふたつに独立しているものではない。
僕はこれを見るたびにいつも、ニュース番組などで犯人の顔に入る『黒い目隠し線』を連想した。
形状はそんな一本の板状のレンズなのだ。
そして、メタリックなミラーレンズ仕様であるため、メガネの表面は鏡のように周囲の景色を反射させている。
「スススッ……お手数をおかけいたしますッスが、そのメガネをかけた状態で、もう一度メニュー表を眺めていただければと思うッスよ……スススッ」
メイドは不敵に微笑みながら、メガネをかけるよう僕と狂科学者にうながす。
狂科学者と僕はメイドの指示通り『特別なメガネ』をかけてから、もう一度メニュー表を眺めた。
すると――。
メニュー表の余白部分に『隠し文字』が浮かび上がったではないかっ!
こんな『メニュー表のサプライズ演出』をするためだけに店長である僕の姉・
悲しい話である。
タイムマシンがあれば、僕はそれを全力で止めに行きたい。
バイザー型サングラスをかけた狂科学者が、メニュー表を眺めながら驚く。
「おおっ……これは……!? 余白部分に隠されていた文字たちが……クククッ」
「ガガガッ――。姉さん、隠されていたメニューが見えるようになりました。ガガガッ――」
タイミングを
「スススッ……。お客様、当店の『シークレットメニュー』でございますッス」
と、不敵な微笑みを浮かべながら口にする。
もちろん、僕も大森さんも、このメニュー表の仕組みは知っていた。
当然、驚いている芝居をしているのだ。
採用試験中のキーナは、僕や大森さんが『はじめてこの店に来たお客さん』という設定で接客をしている。
そのためこちらも、はじめて店に来た客を演じなくてはいけないのだった。
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