110 最初の記憶がある日

「と……とりあえず『仮の名前』を決めるのは、後回しにしておきましょうか……」


 僕がそう提案すると、金髪の幽霊は「ウィウィ」と小さくうなずいた。

『仮の名前』なんて、本当にどうでもいいみたいだ。


「あのぉ、幽霊さん。話を戻しますけど、一番最初の記憶がある日から今日まで、どうやって過ごしていたんですか?」

「ンー。ワガ輩様は今日までずっと、ヴァンピール団長の周囲をただよっていたのデスわネ」

「ずっと団長さんの周囲で、過ごしていたってことですか?」


 金色のロングヘアーを揺らしながら吸血鬼の幽霊は、こくりとうなずく。


「ウィ。そうデスます。どうやらワガ輩様は、団長の周囲からあまり遠くまで離れることができナイようなのかしらネ」

「団長さんから、あまり離れられない?」

「ウィウィ。まあ、進路指導室から今いるこの場所ほどの距離なら、離れてイてもなんとか大丈夫みたいデスます」

「進路指導室は校舎の三階ですけど。団長さんからけっこう離れていても大丈夫なんですね」


 金髪の幽霊は、首を小さく横に振る。


「ノン。いやいや、トウイチロウ。貴様は軽く考えていルようデスますが、ワガ輩様が団長からこんナにーも離れたのは、本当に久しぶりのことなのデスますポス」

「そうなんですか?」

「ウィ。ワガ輩様は団長から離れれば離れるほど、不安で胸がいっぱいになルかしらネ」


 金髪の幽霊はそう言うと、自身の控え目なサイズの左胸を、両手でそっと押さえた。

 緊張している人が心臓のある左胸に手を当てるが、あんな感じである。


 んっ?

 吸血鬼に心臓はあるんだっけ?


 と、僕は一瞬戸惑とまどった。

 だが、吸血鬼の心臓にくいを打ち込む退治方法があった気がする。

 だからまあ、きっと人間と同じように不安や緊張でドキドキする心臓が、彼女にもあるのだろう。


 こういったオカルト系の話なら、大曽根みどり子がおそらく詳しい。

 次に会ったとき、「吸血鬼の幽霊について教えてほしい」と彼女にお願いしてみようか――。

 いや……なんとなく面倒臭いことになりそうだから、やっぱりやめておこう……。


 僕がそんなことを考えていると、金髪の幽霊は自身の左胸を押さえたまま話の先を続けた。


「ンー。そういうワケで、ワガ輩様は不安で胸がいっぱいデスます……。それでも貴様に声をかけルために、こうして団長から離れ、無理をして尾行してきたのデスますポス」


 不安そうな様子でそう告げる幽霊。

 そこで僕は、こんな提案をした。


「幽霊さん、どうします? 今、もし我慢がまんできないくらい不安なのでしたら、団長さんのいる進路指導室の近くまで、僕といっしょに移動しますか?」

「オー。貴様、お気遣いどうもありがとうデスわヨ。トウイチロウは優しいのかしらネ。本当にありがとうゴザイマス、貴様」


 そう言いながら金髪の幽霊は、僕に向かって何度も頭を下げる。

 それから彼女は、


「でも、まだ大丈夫なのデスますポス」


 と言って、自身の両手を前に突き出し、手のひらを僕に見せてきた。


「んっ? 幽霊さん、手がどうかしましたか?」

「ウー。トウイチロウ、本当に危ないときは、この身体に異変が起きるのデスます」

「異変?」

「ウィウィ。そうデスわヨ。まだ、異変は起きていないのデスます」


 そう言われても、どんな異変が起きるのか僕にはわからない。


「そのぉ……幽霊さん。異変って、身体がどうなっちゃうんです?」

「ンー。ワガ輩様の身体が、きりのようになって消えるのデスわネ」

「えっ……。霧? 消える?」

「ウィウィ。あれは、この世界での生活がはじまった最初の日のことデスます――」


 金髪の幽霊は、両目を細めて語りはじめる。


「ワガ輩様の記憶は、団長が暮らしている自宅からはじまるのデスわヨ」

「団長さんの家からですか」

「ウィ。そうデスます。朝、団長が自室でパジャマからセーラー服に着替えている姿を、ワガ輩様は彼女の背後からじっと眺めていたのデスわネ。それが最初の記憶なのデスます」

「幽霊さんのこの世界での記憶は、『団長さんの部屋の朝』からはじまっているんですね?」


 幽霊は、こくりとうなずく。


「ウィウィ。あの日の朝、団長の部屋には、太陽の光が差し込んでいたのデスます。ワガ輩様は吸血鬼デスますので、すぐに灰になると覚悟したのデスますヨ」

「ああ。吸血鬼って太陽の光を浴びると、灰になるんでしたよね」

「ウィ。けれど、幽霊だからか、ワガ輩様は太陽の光を浴びても平気なようかしらネ。自分が灰にならなくて驚いたものデスます」

「えっ……太陽の光を浴びても平気なんて、『無敵の吸血鬼』じゃないですか! しかし、幽霊だって太陽の光は苦手そうなんだけどなぁ……」


 僕の言葉に幽霊は、二本の牙を見せながら軽く微笑んだ。


「ふふっ。まあ、とにかく大丈夫みたいデスわヨ」

「どうしてなんですかね?」

「ンー。もしかするとワガ輩様は、もう純粋な意味では吸血鬼ではないのかもしれないのかしらデス。食事をしたいとも思わないぐらいかしらネ」


 それを聞いて僕は、アゴの下に手を当てながらつぶやくようにこう言う。


「吸血鬼の食事っていいますと……」

「ウィ。人の血を吸うことデスます」

「やっぱり……」


 と、僕は顔をひきつらせる。


「オー。しかしワガ輩様は、そもそも人に触れることができない状態かしらデス。それに幽霊なのでお腹が減らず、のども乾かず、食事の必要がないのデスますヨ」

「おお。そりゃあ、便利だ」


 あまり深く考えず、思ったままの感想をそう口にすると、僕は質問を続けた。


「それで幽霊さんは最初の日の朝からずっと、食事もとらずに今日まで団長さんの周囲で過ごしてきたわけですね?」

「ウィ。そうデスます。記憶もなかったのにワガ輩様は、『自分に似たこの女から、あまり離れてはイケない』と、直感で最初からナンとなく理解していたのかしらデス」

「直感で最初から?」


 と、僕は眉間みけんに軽くシワを寄せる。


「ウィウィ。だからワガ輩様は、団長から離れず過ごしたデスわヨ。いつもだいたい、朝と夜は団長の家で過ごしテ、昼間はこの女子校で過ごすのデスます」

「幽霊さんは、団長さんの生活に合わせて行動しているわけですね?」


 金髪の幽霊は「ウィ」とうなずき、話の先を続ける。


「この世界での生活ガはじまった最初の日も、ワガ輩様は団長の家からこの学校にやって来たのデスます」

「団長さんといっしょに登校したんですか?」

「ウィ。そうデスます。まあ、いっしょに登校したと言ってモ、団長はワガ輩様の姿を見ることガできず、こちらの存在にもまったく気がついていないようデスますから、学校まで勝手についていっただけデスますが……」


 僕は「んっ?」と首をかしげる。


「団長さんは、幽霊さんの存在に気がついていないんですか?」

「ウィ。おそらく――。ワガ輩様は団長とは、いまだに一言ひとことも会話したことがないデスます」

「そうなんだ……」


 金髪の幽霊は、胸の前で腕組みをして、こくりこくりとうなずく。


「ウィウィ。それで、最初の記憶がある日、とりあえず団長の後ろをずっと歩いて、学校まで来たわけデスますヨ。やがて授業がはじまっテ、ワガ輩様は団長の背後に立っテ、しばらく授業を眺めていたのデスます……」

「もしかして、この学校の授業をそのまま受けたとか?」


 金髪の幽霊は「ノン」と答えると、こう続けた。


「それが、授業はさすがに退屈だったかしらデス。ワガ輩様はそのうちに団長から離れテ、つい一人でふらふらと教室の外に出てしまったのデスわヨ」


 苦笑いを浮かべて僕は尋ねた。


「やっぱり、授業は退屈でしたか?」

「ウィ。今なら、『国語』や『歴史』の授業なんかは、好きなんデスますがネ。当時はやっぱり退屈だったデスます」

「あはは、そうなんですか」


 そう言って僕が微笑むと、金髪の幽霊は「ウィウィ」と首を縦に振った。

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