第9章 女子中学生ピエロ

095 第9章 女子中学生ピエロ

「ピエピエ。ジャリ研さん、ご無沙汰ぶさただピエ」


 セーラー服と黒いマントを身につけた『女子中学生ピエロ』は、部屋に入ってくるなり僕に向かってそう言った。


 白くられた顔に、コミカルな赤い鼻。

 両目の下には青色の涙が描かれている。

 頭の上にあるのは、毛糸製の赤いカツラとパーティーグッズの三角帽子だ。


「ピエピエ。んっ? 他の人たちはまだ来ていないピエか? 遅いピエね?」


 女子中学生ピエロは、部屋の中をキョロキョロと見渡した。

 背中のマントが、彼女の動きに合わせて小さく揺れる。


 その黒いマントだが、本当はマントではない。

 視聴覚室の黒いカーテンである。

 女子中学生ピエロは、『視聴覚室のカーテン』をマントにしているのだ。


「ピエピエ。まさか、ジャリ研さん一人しか来ていないピエ? カメラ担当の人は今日はいっしょに来ていないピエか?」


 ピエロが口にした『カメラ担当の人』とは、『愛名あいめい高校・ジャーナリズム研究会』に僕といっしょに所属している栄町樹衣菜さかえまち・きーなのことである。


 キーナは今回、この場にはいない。

 ジャリ研の部室でお留守番をしているのだ。


「今日は僕一人で来ていますね」


 僕はピエロと二人きりで、愛名女子中等部の進路指導室にいた。

 文化祭実行委員長をしている大曽根おおぞねみどり子に呼ばれて来ていたのである。


「そうピエか」


 ピエロは小さくうなずくと自身の首に手を伸ばし、首輪をいじりはじめた。

 女子中学生ピエロは『首輪』をしているのだ。

 父親の不用になった革のベルトをハサミで切って、彼女はその首輪を作製したらしい。


 しかし、以前ピエロと会ったときは、首輪は鎖でつながれていた。

『コロ』という名前の老衰ろうすいで亡くなった彼女の飼い犬の鎖でつながれていたわけだが、今日はその鎖が見当たらない。


「ところでピエロさん。その首輪、今日は鎖でつながれていないんですね?」

「ピエ。一人で行動するときは、鎖無しで行動するピエよ」

「ほう」

「ピエ。バンドメンバーがいっしょにいるときだったら、俺様は鎖でつながれているピエ。でも、一人で行動するときは鎖はしないピエよ。俺様の鎖を持って管理してくれる人がいないピエ」


 確かに一人で行動するとき、自身の首輪につながれている鎖を自分の手で持ち自己管理していたら、それはシュールな光景である。

 運命の赤い糸を自分の右の小指と左の小指で結び付け、おのれ一人のみで運命を自己完結してしまう光景よりかはいくらかマシではあるけれど、それでもやはり自身の鎖の先は誰かに握っていてもらいたいという気持ちは、なんとなく理解できた。

 だって、自分の首輪の鎖を自分で握ってウロウロ歩いていたら、バカみたいじゃないか。


「そうですか。震えるピエロさんも、一人でいるときは鎖でつながれず、自由なんですね」

「『震えるピエロ』じゃなくて、『狂えるピエロ』だピエ!」

「あっ……。ごめんなさい、間違えました。狂えるピエロだったかぁ……」

「まあ、いいピエ。狂えるピエロだって震えるときがあるピエから、ものすごい間違えってわけでもないピエよ」


 本気で怒っている雰囲気もなく、やんわりと僕のミスをフォローしてくれる女子中学生ピエロ。

 彼女は両手で自身の両腕を抱きかかえると、コミカルな様子で震えるジェスチャーを披露ひろうした。

 の空気がなごむ。


 このやさしいピエロは、『スクールカーテン』という名前の女子中学生四人組ロックバンドに所属している。

 彼女はそのバンドのリーダーだ。

 バンドは『悪役ヒール』なイメージを売りにしているのだけれど、所属している子たちはこの『狂えるピエロ』をはじめ、たぶん良い子たちばかりである。


「ピエピエ。まあ、俺様たちは首輪仲間ピエ。些細ささいなことで怒らず、お互いを許し合う必要があるピエよ」

「首輪仲間……ですか?」


 僕が首をかしげると、ピエロは僕の首を指差しながら言った。


「ピエ。ジャリ研さんも首輪をしているピエ?」

「はい」

「だから首輪仲間だピエ」


 確かに僕は、首にチョーカーを巻いていた。

 銀髪おかっぱ頭の少女・瀬戸灰音せと・はいねからプレゼントされたものだ。

 同じく灰音からプレゼントされた右手のオープンフィンガーグローブと共に、普段から身につけている。

 これらのファッションアイテムも僕が身につけると、たちまち見た目がイタいアイテムへ変貌へんぼうしていた。


「なるほど。しかし、『首輪仲間』なんて言葉、はじめて聞きました」

「ピエ。首輪をしていれば、みんな首輪仲間だピエ」

「じゃあ、飼い犬や飼い猫なんかも、みんな僕たちの首輪仲間ってわけですね」

「ピエ」

「どこかの牢獄ろうごくで鉄の首輪を付けられた囚人しゅうじん捕虜ほりょなんかがいたら、その人たちも僕たちの首輪仲間かぁ」

「ピエピエ。まあ、そう考えると、なかなかロックな仲間たちピエね」


 それにしても、中身のない会話だった。

 けれど、互いに無言で時間を潰すよりは、いくらか楽しい時間を過ごせている気がした。


 白塗り顔の女子中学生と僕は、もう少しだけ二人きりで時間を潰さなくてはいけないのだ。

 僕たちをここに呼び出した大曽根みどり子が現れないし、もう一人呼び出されているはずの人物も現れないからである。


「ピエピエ。委員長も『クレイジーペットボトル』の人間も、なかなか来ないピエね? 遅いピエ」

「そうですね。ソファーに座って待ちましょうか」


 進路指導室には三人掛けのソファーが二脚、向かい合わせに設置されていた。

 その間には木製の茶色いローテーブルが置かれている。

 これらの家具が、インタビューをするときに応接セットとして役に立つ。

 僕と女子中学生ピエロは、そんなソファーに向かい合って座った。


「それにしてもピエロさん。今日はインタビューもないし、写真の撮影もないのに、ピエロのメイクをばっちりしてきたんですね?」


 自分の真正面に白塗り顔の女子中学生が座っているというのも、なかなか珍しい経験である。

 この際、僕も顔を真っ白に塗って、白塗り顔の二人が進路指導室のソファーで向き合って座っている姿を、僕たちとまったく関係のない第三者に見せたら、ちょっとは面白いだろうか。


「ピエピエ。ジャリ研さんが来ることは聞いていたピエ。だから、念のためにピエロになって来たピエよ。写真を撮られることもあるかもしれないと勝手に思い込んでいたんだピエ」


 今日はカメラ担当のキーナはお留守番だし、そもそもピエロの写真を撮る理由が特にないのだ。


「そうですか。今日は『文化祭のバンドフェスについての話し合いがある』としか聞いていませんでしたので……なんかすみません」

「ピエピエ。ジャリ研さんは、何も悪くないピエ」


 そう言ってピエロが微笑んだので、僕も微笑む。

 僕がこれまでに出会った女の子たちの中でも、ピエロはトップクラスにユニークな顔の持ち主なのだけれど、なかなかに話しやすい女の子だった。

 物腰や身にまとっている雰囲気がどことなくやわらかくて、彼女は生まれてからこれまで、心の底から本気で怒ったことなんて一度もないのではないだろうか、という印象である。


 そんな温和おんわなピエロと僕は、しばらく二人きりで談笑を続けた。

 ジャリ研として写真撮影はないが、僕が個人的にピエロの写真を撮って『自家製トランプ』のジョーカーに採用しようかな、などと冗談を口にしたら思いのほかピエロが本気で話に乗っかってきたので、慌てて話題を変えたりもした。

 自分で言い出しておいて悪いけど、自家製トランプなんて作る趣味はないのだ。


 しかし、落ち着いて考えてみれば、『女子中学生の写真を個人的に撮って自家製トランプにする』なんて、とても気持ちの悪い冗談だ。

 あまり深く考えていなかったとはいえ、自分でもよく口にしたものである。


 やがて、部屋の扉が開く。


「遅刻しました。お二人とも、お待たせしてすみません。先生方と文化祭についての会議をしていたのですが、それが長引いてしまいまして――」


 ぺこりと頭を下げてから部屋に入って来たのは、大曽根みどり子だった。

 セーラー服に身を包んだ小柄な少女は、緑色の髪を揺らしながら僕とピエロのそばにやってくる。


 ひたいには薄っすらと汗がにじんでおり、小さな両肩で息をしていた。

 片手だけで持ち上げられそうな、森にひっそりと住むせた小動物みたいな印象の女の子だ。

 おそらく、この部屋まで走ってきたのだろう。

 もし僕が木の実なんかを持っていたら、ご褒美ほうびにふたつかみっつ手渡していたかもしれない。


「気にするなピエ。遅刻してくれたおかげで、ジャリ研さんと楽しくおしゃべりする時間が出来たピエよ」


 ピエロがそう口にしたので、続いて僕も「気にしないでいいよ」と、みどり子に伝えた。

 それにしても、ピエロは本当に良い子だ。

 こんなに良い子なのに『悪役ヒール』なイメージで活動するために、仲間内では『狂えるピエロ』として鎖につながれ管理されているのだ。


微笑ほほえみのピエロ』とでも改名し、カラフルな色紙いろがみで作られたパーティー用の紙の鎖で楽しくいろどられている方が、彼女の性格には合っている気がする。


 それから再び部屋の扉が開いた。

 次に現れたのは、女子中学生四人組ロックバンド『クレイジーペットボトル』のボーカルだった。

 シュークリームをもぐもぐと頬張ほおばりながら彼女は、サラサラの黒髪ロングストレートを揺らしている。

 なかなかの美少女っぷりで、僕もシュークリームに生まれていたら、あんなふうにもぐもぐと気持ちよく食べられたかったことだろう。

 ピエロが彼女に尋ねた。


「ピエピエ。ずいぶんと遅かったピエね」

「悪いな。いちごシュークリームが急に食いたくなってよぉ。それで、隣町のコンビニまで探しに行っていたんだ」

「そうピエか」

「ああ。だからまあ、悪いのは品ぞろえが最悪な近所のコンビニだぜ。おかげで隣町のコンビニまで行くハメになったんだからな。コンビニを七軒も探したんだぜ?」


 なんという言い訳だろうか……。

 そして、人を待たせておいて、品ぞろいの悪いコンビニにすべての責任を押し付けるとは……。

 しかし、ピエロは怒らない。


「ピエピエ。人を待たせておいて、隣町のコンビニまでシュークリームを買いに行くとは、あいかわらずクレイジーな奴だピエ。まあ、それでこそ『スクールカーテン』のライバルバンド『クレイジーペットボトル』のボーカルだピエ」


 本当にこのピエロは『悪役ヒール』なイメージで、この先も活動を続けるつもりなのだろうか?

 誰に対しても温厚な人物なんじゃないのか?


 とにかく、ピエロが怒らなかったので、僕も怒るタイミングを完全に逃したのである。

 それからみどり子が、その場の全員に向かって言った。


「それでは、開始がすっかり遅くなってしまい申し訳ありませんが、バンドフェスについての会議をはじめましょう」


 僕たち四人はソファーに座って、話し合いをはじめたのだった。

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