073 みどり子の願い

「それで冬市郎よ、話を戻すがのぉ」

「ああ、うん」

「十二個の小箱をすべて見つけ終えたわらわは、今年の三月に、ようやくあの男に会ったのだ。そして、みどり子の願いをひとつ叶わないようにしてきた」

「今年の三月って……ついこの間のことなんだな」

「うむ」


 うなずく銀髪の少女を眺めながら僕は、後頭部をポリポリ掻くと言う。


「まあそれで、灰音のこの話が作り話ではなく本当の話だったとしてさあ。みどり子のどんな願いを叶わなくしたの?」

「なっ……!? 冬市郎よ、信じておらんのか!?」


 灰音はテーブルに手をつき、椅子から少し腰を浮かす。けれどすぐに椅子の背もたれに身体を預け直すと鼻で笑った。


「ふん! まあよい。みどり子はのぉ、イジメを受け、孤独な学校生活に絶望しておった。しかし、ブログを読んでおる限り、さすがにあの子は本当に自殺する覚悟は持てなかったようでな」

「まあ、みどり子のブログはたまに、物語の中に作者である彼女自身の声がそのまま書かれてあったりするみたいだからな……」

「ふむ。わらわがそんなブログからみどり子の考えを読み取った限りでは、彼女はこう願っておった――。『消えたい』とな」

「消えたい?」


 銀髪を静かに揺らしながら、灰音が小さくうなずく。


「ふむ。死ぬのではなく、自分の存在そのものを最初から『無かったこと』にしたい――ということかのぉ」

「自分の存在を無かったことに……」

「自殺すれば家族は悲しむし、周囲のたくさんの人に迷惑をかける。それがわかっているから死ねない。死ぬ勇気もない」

「ああ……うん……」


 灰音は眉間に小さなシワを寄せ、話の先を続ける。


「だから彼女は、死にたいではなく、『消えたい』と願ったのだろうよ」

「消えたい――」


 と僕は、灰音の言葉をもう一度繰り返す。


「ふむ、そうだ。死体すらも存在しない消滅を――これまで自分が生きてきた痕跡こんせきがすべて消えることを。ブログを読む限り、そんなことをあの子は心の底から望んでおったのぉ」


 僕は、大きなため息をついた。

 そして、首に巻かれたチョーカーをなんとなく指でいじりながら言う。


「それがみどり子の、『消えたい』って意味なのかぁ……」

「ふむ。肉体だけでなく、知り合ったすべての人間から自分の記憶が消える。世界から自分の痕跡をすべて消す。みどり子が本気で願っておったことは、そんな『この世からひっそりと消えてしまいたい』ということだのぉ。まあ、そういう後ろ向きなことを、あの子は本気で願っておった」


 僕はもう一度、ため息をつく。


「……そんなことを願うなんて、みどり子らしい気もするが……」

「ふむ。だからわらわは、その願いが叶うことのないよう、あの男に頼んだのだ」

「えっ?」


 僕が小さく首をかしげると、灰音の口元がニヤリと動く。


「つまりわらわは、みどり子の『ひっそりと消えてしまいたい』という願いが叶わなくなるよう、女子校に封印されし男に頼んだのだ」


 銀髪の少女はそう言うと、「ふふ」と小さな声を出して笑った。

 僕はさらに首をかしげる。


「んっ……。でもさあ、みどり子の『ひっそりと消えてしまいたい』っていう願いだけど、そんなの放っておいたって、絶対に叶うわけないんじゃないか?」

「ふむ」

「自分の痕跡をいっさい残さずに、この世から消えるなんて、どんなに願っていたって不可能だろ? じゃあ、その男の力を借りるまでもない。何もしなくたって、みどり子の願いは叶わないよね?」


 僕がそう言うと灰音は、両目を閉じて苦笑いを浮かべた。


「ふふっ……。今、冬市郎が言ったこととまるで同じことを、あの男も口にしてな」

「やっぱり」

「そんな、『ひっそりと消えたい』なんて願い事は、放っておいても絶対に叶うはずがない。そんなことのために、一年かけて箱を集めていたなんて――と言われてしまってのぉ」

「まあ……ね」


 と口にして僕も苦笑いを浮かべる。

 すると灰音は、少し恥ずかしそうに頬を赤らめて話の先を続けた。


「それからのぉ……実は、わらわはその男と、ケンカをしてしまってな」

「えっ、ケンカ? 女子校に封印されし男とケンカ?」


 銀髪の少女は、僕と目を合わせずに小さくうなずく。


「……ふむ、そうだ。わらわだって、箱探しで色々とストレスがたまっておった。それなのに、やっと集め終えたと思ったら、あの男からこれまでの努力が無駄なものだと、冷たく言われた気がしてしまってのぉ……」

「お、おう……」

「つい、イラっとしてしまってな。それで、お互いチクリチクリと言い合うような静かな口論が、延々続いてのぉ」

「うっ……」


 と僕は小さく声を漏らすと、首に巻かれたチョーカーを指でいじる。

 灰音は自分の過去の失敗を、少し照れ臭そうに笑った。


「ふふっ。それでな、冬市郎よ。わらわはあの男から、最後に言われたのだ――」

「なんて?」


 銀髪の少女は、「こほん」と一度咳払いをしてから、男に言われた言葉を口にする。


「まあ、趣旨しゅしはだいたい理解したから、こちらの方で適当にやっておく。『ひっそりと消えたい』という願いの、『消えたい』という部分は、とりあえず放っておいても大丈夫そうだから、『ひっそり』という部分は叶わなくしてやろう――とな」

「はい? どういうこと?」


 そう言った僕は、おそらく目を丸くしていたのだろう。

 灰音が笑いながら言った。


「ふふっ。まあ、わらわもおぬしのように目を丸くしたわ。男の言っていることの意味が、まったくわからなくてのぉ」

「ですよね」


 それから銀髪の少女は、大きな胸の下で両腕を組んだ。


「ふむ。『ひっそり』という部分を叶わなくするとは、具体的にはどういうことになるのか? もしかして、みどり子が『ひっそり』消えるのではなく『派手』に消えるのだろうか? ――そんな不安もあったがのぉ……。まあ、四月になって、その答えがわかった」

「答え?」


 灰音はこくりとうなずく。


「ふむ。あのみどり子が、『文化祭実行委員長』に就任したのだ。それで、ああ……そういうことか、と少しだけ納得できてのぉ」

「はあ? 『ひっそり』って部分を叶わなくするのって、文化祭の中心人物にされるってことになるのか? どうしてそうなるんだよ」


 灰音が苦笑いを浮かべる。


「ふふっ。だから先ほど、あの男はけっこういい加減なところがあると言ったのだ。なんだか、わらわが頼んだことと、着地点がズレているような気がするであろう?」

「ああ……。確かにズレている」


 と言って僕は、うんうんとうなずく。


「ふむ。わらわも正直、文化祭の委員長にするという解決方法は、少し違うのではないかとも思ったのだが――」

「まあね」

「しかしな、『ひっそりと消えてしまいたい――というみどり子の願いを、叶えさせないでくれ』というのも、そもそも変な頼みだったわけで」

「ああ、うん……」

「だからあの男も、さぞかし困ったのではなかろうか」


 そう言うと灰音は、当時のことでも思い出しているのか、少しの間だけ両目を閉じたのだった。

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