068 レジェンド・モンスター《ドントウォーク》②
森の中で老人は、わたしの後ろを歩いた。
――いや、歩いたというよりは、わたしたちは小走りで森の中を移動した。
どうやら老人は、のろのろ歩くのが嫌いなようだった。
わたしは背後から聞こえてくる老人の指示に従って、広大な森の中を小走りで奥へ奥へと進んでいった。
やがて、一時間ほど移動し続けただろうか。
慣れない森の中を小走りで進んでいたため、靴ずれを起こしてしまい、わたしの移動速度は急激に低下していた。
足がとても痛かった。本当に、ものすごく痛かった。走れない。
もしこれが、学校のマラソン大会であったのなら、わたしはとっくに
それなのに背後にいた老人は、森に落ちていた
「ドントウォークっ! お前、歩くんじゃないっ! 走れ!」
わたしの移動速度が低下したことに、老人は終始イラダチを隠せない様子だった。
「ドントウォークっ! お前、走れ! ドントウォークっ! お前、ドントウォーーーークっ!」
背後から聞こえる、老人の怒鳴り声。
「ドントウォークっ!」
そして、小枝で
我慢しながら、森の中を必死に移動し続けた。
だが、やがて――。
背後から老人の指示が聞こえてこなくなったことに、わたしは気がついた。
足を止め、不思議に思って振り返る。
すると、なんと……。
老人がいなくなっていたのだ。
しばらく周囲を捜したのだが、老人はどこにも見当たらなかった。
結局、移動が遅いことにイラついた老人は、森の中にわたしを残し、集落へと帰っていったのだろう。
そんなわけでわたしは、異国の見知らぬ森の中で自分がどこにいるのかまったくわからなくなってしまった……。
≫ ≫ ≫
「みどり子よ……」
僕は先ほどのように再び小さく手を挙げる。
そして、作者である緑髪の少女に顔を向けて言った。
「まだブログの途中だが……どうしても、すまん」
「はい、センパイ。ご意見をどうぞ」
「うん。まず、『このあたりの森には、伝説のレジェンド・モンスターがいることが確認されとるんじゃが――』と、集落の長が口にしている件なんだけど……」
「ああ、そこですか」
みどり子は、うんうんとうなずきながら、ブログの
僕は話を続ける。
「なあ……そもそも、『未確認生物』が、確認されていちゃ駄目なんじゃないか?」
「……未確認生物が、確認されていちゃ駄目っ!?」
「ああ。『未確認』の生物なんだから」
「あっ……」
と、みどり子は小さく声を漏らすと、自身の硬い髪をボリボリ掻きながら言った。
「これは、作者であるボクの凡ミスですね」
僕は、「凡ミス……」とみどり子の言葉を繰り返す。
みどり子は、こくりとうなずいた。
「はい、凡ミスです。ですので、センパイ。とりあえず以後、脳内で『
聞き慣れない言葉に、僕は首をかしげた。
「半……未確認生物……?」
「はい。半未確認生物ってことで今回はそのまま、ブログの続きをお楽しみください」
緑髪の少女が、あまりにもあっけらかんとした調子でそう言うので、僕はそのことに関してそれ以上何も言えなくなってしまった。
「……ま、まあ。じゃあその件は、それでいいとして……」
「ええ」
「つ、次に、この物語の主人公だけどさ。老人に高い案内料を支払って、その老人からさらにカツアゲみたいなことをされて。それで、森の中を走らされて、足を痛めて、おまけに老人から尻を小枝で突かれて……そして最後には、森の奥に黙って置き去りにされているんだけど……」
「はい。そのとおりですが?」
それの何が問題なのか、とでも言わんばかりの表情でみどり子はこちらを見つめてくる。
僕は自分のアゴの下に手を当てて「うーん……」と声を漏らしてから、彼女に尋ねた。
「えっと……。なあ、こいつが主人公で、このシリーズ本当に大丈夫? 就職活動に失敗したからって、親の金で冒険家を目指すような人物だよ?」
「大丈夫ですよ、センパイ」
「どうして?」
「はい。駄目だと思ったら、スパッと主人公を変更しますからっ!」
みどり子は緑色の短い髪を揺らしながら微笑むと、続けて言った。
「さあ、センパイ。他に疑問がなければ、ブログの続きを読んでください!」
僕は「お、おう……」と声を漏らすと、みどり子の勢いに押されるかたちで、ブログの続きを読みはじめる。
≪ ≪ ≪
それからわたしは、見知らぬ森の中を一人で
正直、もう未確認生物を見つけるどころの話じゃない。
そして翌日、死ぬような思いをしながら、なんとか森から抜け出すことに成功したのだ。
これは本当に運が良かっただけのことだと思う。
きっと、就職活動中にその力を発揮しなかったわたしの『運』が、ここに来て全力疾走でわたしを救ってくれたのだ。
森から抜け出したわたしは、広くて長い道路にたどり着いた。
そこは見渡す限り道しかないような場所だった。
人どころか、周囲に建物ひとつ見つけられなかった。
その結果――。
わたしは、そんな何もない道路の端で、とうとう力尽き倒れたのだった。
果たして、どのくらい倒れていたのだろうか。
後から聞いた話によるとわたしは、たまたま通りがかったトレーラーの運転手に救われたらしい。
近隣の町にある病院へと運ばれると、そこでなんとか一命をとりとめたのだ。
あれから、三年後――。
わたしは日頃から暇を見つけては、森の中を小走りで移動する練習をしていた。
やがて、体力がついたと実感した頃。
わたしは靴ずれなど起こさぬよう、念入りに履きならした靴を用意した。
そして、親からお金を借り、再びあの森の集落へと向かったのだ。
しかし目的の森に着くと――。
驚くことに、あの集落はすっかり消えていた。
『わたしが三年前に訪れた集落。あの集落は一体どこに消えてしまったのだ?』
わたしは数日間、消えた集落を捜しまわった。
周辺の土地に住む様々な人たちを訪ね、森の集落のことを訊いてみたりもした。
しかし、誰もそんな集落など見たことも聞いたこともないと答えるのだった。
それで結局、わたしはこう結論を出した。
――もしかして、あんな集落など、はじめから存在していなかったのではないか……?
「ドントウォークっ! お前、歩くんじゃないっ!」
背後から聞こえた老人のあの大声。
それが、今でも耳から離れない。
わたしは確かにこの尻を、小枝で何度も何度も突かれたのだ。
そして今……。
このブログを書きながら、よくよく思い出してみると、あの老人の頭には
――おいおい、ツノが生えている人間だって?
あの老人は……。
いや、あの生き物は……いったいなんだったのだろうか?
謎の老人の正体に関しては、これまでも、そしてこの先も……きっと未確認のままであろう。
〈おしまい〉
≫ ≫ ≫
ブログの最後まで目を通した僕は、気を抜くといくらでもあふれ出してきそうなため息をグッと
「なあ、みどり子。未確認生物の話ってさあ、うまく説明できないけど、こういうのじゃない気がするんだ」
「……こういうのじゃ……ない?」
「ああ。やっぱり、ビックフットとかモスマンとか……まあ、モンスター的な生物が登場して、それらを探検家なんかが捜索しに行ったりしてな……」
みどり子はその小柄な体を揺らしながら、こくりこくりとうなずく。
「そうですか……。センパイの考える未確認生物の話ってそういうものなんですか……。実に勉強になります」
――うっ……なんだこの反応?
僕は心の中でそうつぶやきながら、顔を引きつらせ話を続ける。
「み、みどり子さあ。この話では結局、ツノが生えた老人が未確認生物だったってことなのか?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、タイトルにある『伝説のレジェンド・モンスター《ドントウォーク》』ってのは、小枝で尻を突っついてくる森の老人のこと?」
「そうですね。それがブログの最後で明かされる仕掛けとなっています」
「ああ、うん……。やっぱり、そうなんだ」
「ビックリしましたか?」
「ああ……。いろんな意味でビックリしたよ……」
僕のその言葉を聞くと、みどり子は嬉しそうに微笑んだ。
それから彼女は、ノートパソコンを操作しながらこう言った。
「では、センパイ。続けて二本目を読んでください」
「みどり子のブログは一本読めば、もう……お腹いっぱいになるんだけどなぁ……」
僕は小声でぶつぶつ言いながらも結局、緑髪の少女に
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