045 二人の理想郷

 それから僕は、「ゴホン」と一度咳払いをする。

 そして、『子分っぽい友達になる』と主張するキーナに向かって、こう提案した。


「ああ、いや。でも、栄町さ――じゃなくて、キーナ。別に、子分っぽく振る舞わなくてもいいんじゃないかなあ? 普通に上下関係のない友人同士の方が、僕も接しやすいし……」


 キーナはすぐに首を横に振る。


「駄目ッスよ」

「えっ?」

「それでは冬市郎くんに対する償いにならないスから。自分はあくまでも冬市郎くんより下の存在ッス」


 そう言われて僕は、「ふう」と一度息を吐いてから言う。


「い、いや……下の存在とか償いとか、そんなのは本当に気にしなくていいからさ。あと正直、以前のキーナの方が、話しやすかったかな……」

「へっ?」

「そのぉ……実はまだ、そのしゃべり方になったキーナと少し話が噛み合わない気がするんだよ」


 キーナは、ぺこりと頭を下げる。


「それはすみませんッス。でも、冬市郎くんには申し訳ないスけど、それだけは従えないッス!」

「えっ……」

「自分、冬市郎くんの高校生活を駄目にしてしまったあの頃の自分が、本当に憎くて嫌いッス。だから、以前の『栄町樹衣菜』に今すぐ戻るなんて、自分はきっと耐えられないッスよっ!」


 嫌悪感混じりに吐き捨てられた少女の言葉。

 それを耳にして僕は戸惑う。

 けれどなんとか、もう少しだけキーナの説得を試みる。


「うっ……。お互い心が、どこかおかしくなっているんだよ……。キーナさあ、ちょっと冷静に考えてみて。そんなしゃべり方をしていたら、この高校生活でさらに人が遠ざかっていかないか?」

「自分はどこもおかしくなんかなってないッスよ! それに、冬市郎くんの他に友達なんていらないッス」

「えっ……」

「だから、自分は人が遠ざかっても大丈夫ッス!」

「い、いや……やっぱりお互いどこかおかしくなっているって。だって僕なんて、自分の足の裏と――」


 そう言いかけて、僕は言葉を飲み込んだ。


「んっ? 冬市郎くん、足の裏がどうかしたんスか?」

「えっ……いや、なんでもない……」


 自身の言葉を耳にして――そうか、本当におかしくなっているのは僕も同じなのか、と我に返って黙り込む。

 そして、足の裏たちの話を彼女に打ち明けるのは、さすがにやめておこうと踏みとどまった。


 一方でポニーテールの少女は、ニコニコしながら話を続ける。


「いいスか、冬市郎くん。こうなった以上、お互い唯一無二の友人として、高校三年間でとにかく自分たちの友情を徹底的てっていてきに深めていくッスよ」

「徹底的に?」

「そうッス。お互い、自分たちの他に友達が出来るなんてことはないんスからね」

「そ、そうかもな……。わかったよ、キーナ。僕たち、徹底的に仲良くなろう」


 そう言って僕がうなずくと、キーナは嬉しそうに微笑む。


「冬市郎くん、たとえばさっきのクイズなんかも友情を深めていくキッカケとしては、なかなか良かったスよね」

「えっ? そう?」

「はいッス。ああいう、なんてことのないやりとりの繰り返しが、この先きっと友情を深めていったりするんスよ」

「うーん……。まあ、そうかもね」

「では冬市郎くん。目的地に着くまで先ほどのように、答えに『ス』が付くクイズを適当に出すッスよ」

「ああ、うん。じゃあ問題」

「よし、来いッス!」


 栗色の両目を大きく見開くキーナ。

 そんな楽しそうに目を輝かせる少女に向かって、僕は微笑みながら問題を出す。


「野球で、右でも左でも打つ打者を何というでしょう」

「や、野球の問題スか……?」

「うん」

「す、す、す……『ス』が付くんスよね?」

「うん」


 キーナはアゴの下に手を当てて考え込む。


「うーん……冬市郎くん、ここに来て、クイズの難易度を少し上げたッスか?」

「どうだろう……? じゃあ、ヒント。『ス』は頭に付きます」

「す、す、す……スナイパー?」

「それは狙撃手だねぇ。野球には、投手や捕手や野手はいるけど、狙撃手は存在しないんじゃないかな?」

「す、す、す……すごく器用なバッター……」

「違います」

「すごい両打ち……スか?」

「ハズレ」

「すごい真ん中打ち」

「真ん中打ちって何? バッターがホームベースをまたぐの? ハズレだよ、キーナ。なあ、とりあえず『すごい』って言葉から離れてみて」


 友達になった僕とキーナは、そんな言葉のキャッチボールをしながら廊下を歩き続けた。


「うーん……スクリュー打ち」

「どうして回転するの? ハズレだよ、キーナ。とにかく『ナントカ打ち』って言葉からも離れてみて。あと、答えは全部カタカナです」

「スカイステップ・バッター」

「なんだそれ? 急にどうした? バッターが空に踏み出すのか? 考えすぎだよ、キーナ」


 ポニーテールを震わせて、「うう……もう、わかんないッスよ」と、悔しそうな表情を浮かべるキーナ。


「あの、冬市郎くん。どうか、次のヒントをくださいッス」

「いいでしょう。じゃあ、第二ヒント。二文字目は『イ』です」

「『イ』っすか。ス・イ……ス・イ……。うーん…………ス・イ……」


 いくつかそんなクイズを続けながら、やがて僕とキーナは旧校舎の三階の端へとたどり着くのだった。




『ジャーナリズム研究会』


 そんなプレートが掲げられた教室の前に立つと、キーナはカバンの中から鍵を取りだした。


「ふふーん。冬市郎くん、準備はバッチリっすよ。この通り、部室の鍵はここに。自分、根回しは色々としておいたッス」

「すごいな」

「ふふっ。それで冬市郎くん、このジャーナリズム研究会なんスけどね、この通りちゃんと部室は残っているのに、今はどうやら休部状態らしいんスよね」

「ほぉ……」


 人気ひとけのない旧校舎。その中でもさらに人のいない最上階の廊下の端。

 ジャーナリズム研究会の鍵のかかった扉の前で、僕たち二人は会話を続ける。


「長年休部状態で、この部室もほとんど忘れ去られているような状態だったそうッス」

「そうなんだ」

「はいッス。そこで冬市郎くん、提案ッス」

「んっ?」

「学校に居場所がない者同士、この部室を二人の理想郷にしちゃうってのは、どうスか?」

「り、理想郷に?」

「はいッス。この部室を、自分たちの最高に居心地の良い場所へと作り替えちゃうんスよ!」


 目の前のポニーテールの少女が、ごくりとツバを飲み込むのが僕にはわかった。

 元気に笑顔を浮かべてはいるが、キーナはとても緊張している。

 僕をジャーナリズム研究会に引き入れるために、彼女はこれから勝負に出ようとしているのだ。

 そんな緊張は、こちらにも充分に伝わってきていた。


「冬市郎くん。居心地の良い居場所なんか、誰かが都合良く与えてくれるもんじゃないッスよ。ましてや、今のこの高校生活でそんな場所が簡単に見つかるとは思えないッス」

「確かに……」

「もしかすると自分たちのこの高校生活は、この先もうどうにもならないかもしれないッス! ……でも、高校三年間、教室の隅っこが自分たちの居場所なんて嫌ッスよね?」


 僕は静かに「うん……」とうなずく。

 キーナはまた、ごくりとツバを飲み込むと言った。


「だから、冬市郎くん。こうなったら二人だけで最高に居心地の良い場所を作ってやるんスよ! この部室を拠点にして、この高校生活を最後まで二人で生き抜いてやるんス!」


 そしてキーナは扉に鍵を差し込んだ。

 ゆっくりと部室の扉が開かれる。


 やがて、僕の目の前に広がったその部屋は、長い間休部状態であったとは思えないほど、キレイに掃除が行き届いていた。

 床も机も本棚も、すべてが美しく輝いており、僕の予想を良い意味で裏切る。


「こ、これは……!?」

「ふふーん。冬市郎くん、びっくりしたッスか? 自分、もう何日も前からこつこつと掃除をしておいたんスよ」

「えっ……キーナ、一人で掃除したの?」


 少女はこくりとうなずく。


「もちろんッスよ。ついさっきまで、友達は一人もいなかったスからね。だから、全部一人でやるしかなかったッス」

「そ、そうか……」

「はいッス。それでようやく準備も整ったので、今日、こうして満を持して冬市郎くんを迎えにいったってわけッスよ」

「こ……この高校に、僕の居場所を作るためにそこまで……」


 僕がそう言うとキーナは、人差し指を立てて左右に揺らしながら「ちっちっち」と舌を鳴らす。


「……違うッスよ、冬市郎くん。『僕』じゃなくて『僕たち』の居場所ッス」

「そ、そうか」

「はいッス。きっと自分たちはこの部室で三年間、お互い助け合って生きていかなくちゃいけないッスよ」


 そう言いながらキーナは、部室の中に足を踏み入れる。

 そして、黒髪のポニーテールを軽やかにスイングさせながらその場で一八〇度、くるっとターンを決めると、廊下にいる僕に向かって真っ直ぐに手を差し伸べながらこう言う。


「では、改めてお尋ねするッス……。自分といっしょに、『ジャーナリズム研究会』に入るというこの提案――冬市郎くんはどう思うッスか?」


 僕は目の前に立つ少女を見つめ、心も身体も震わせた。


 こんな健気けなげな少女が、人知れずここまで準備をしてくれていたのに、断る馬鹿が一体どこにいるのだろうか――。


 僕はゆっくりうなずくと、差し伸べられたキーナの手を握る。

 そして、少女に向かって満面の笑みを浮かべながらこう言った。


「最高の提案だよ、キーナ」

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