037 お前が犯人なんだろ?

 その日、キーナが職員室に行くのは二度目のことだった。


 一度目は、盗難事件が騒がれはじめる前。

 体育の授業後すぐのことだ。

 キーナは、僕が学校を早退したことを担任教師に伝えるために、職員室を訪れていた。


 そして、二度目は――。

 放課後だ。彼女は盗難事件の容疑者として、呼び出しを受けたのである。


 職員室でキーナは、『自分が授業を抜けていた理由』と『僕が早退した理由』を、担任である中年の男性教師にもう一度詳しく説明したそうだ。

 体育の授業後に一度した説明を、改めて繰り返したのである。


 その間に彼女は、担任から色々と事件に関しての質問を受けた。

 だがその追求の手は、彼女が想像していたものよりもはるかに手緩てぬるいものであったらしい。


 実は、容疑者の一人であるキーナだが、彼女にとって有利に働いていた点がふたつあった。


 まずひとつは、一度抜け出した体育の授業に彼女がきちんと復帰していたこと――。

 早退した僕と違ってキーナは、頭痛がある程度治まった後、運動場にちゃんと戻っていた。

 そのため担任は、キーナに対してそれほど悪い印象は抱いていなかったようである。


 そしてもうひとつは――。

 最も疑わしいであろう容疑者が彼女の他に存在していること――つまり僕がいるからだ。

 誰もが犯人だと目星をつけている僕の存在が、キーナに対する疑惑の目をやわらげる働きをしていたのだった。


 そういったわけで、容疑者の一人となりながらも、いくらか救いのあったキーナ。

 聞いた話によると彼女は、念のためにと担任から手荷物検査を受けた後、すんなりと解放されたらしかった。


 それに対して、救いがなかったのは僕の方である。


 早退してしまった僕は、本当に運が悪かった。

『一番弁明する機会がある、事件があったそのとき、その場所にいることが出来なかった』のだから。

 当時、学校にいなかった僕には、その場で身の潔白を主張するチャンスがなかったのである。

 それどころか、そもそも盗難事件が発生したこと自体を、あの日の僕は知らなかったのだから対策のしようがない。


 重ねて、高校に入学したばかりの四月というタイミングも非常に運が悪かった。

 教室内の人間関係は、まだほとんど出来上がっておらず、僕と同じ中学の出身者なんかも一人としていない。

 入学して一ヵ月と経っていなかったし、僕はクラスメイトの誰とも信頼関係といえるほどのものを築けていなかったのだ。


 キーナを別にすれば、クラスの中で僕のことをかばってくれる生徒は一人もいなかった。

 そして当然、クラスメイトたちは皆、早退した僕のことを疑っていたのである。




 ――盗難事件があった日の翌朝。


 高校に着いた僕が教室に足を踏み入れると、周囲が徐々に静まり返った。


 それまで僕の耳に届いていたクラスメイトたちの話し声、笑い声、物音、制服の衣擦きぬずれなどが、次々と消失していく。そんな沈黙の連鎖が、まるで目に見えるようだった。


 映画や演劇などで開始を告げるブザーが鳴った直後――それに似た印象を僕は抱いた。

 自分が教室にやって来たことでブザーが鳴った。

 そして、クラスメイトたち全員の心の中で『何か』の幕が上がった。

 まあ、そんな感じだ。


 いったい何の幕が上がったのか? それは、当時の僕にはわからなかった。

 だが、異常事態が起きていることだけは、全身でひしひしと感じていた。


 そして渦中かちゅうの少年となった僕は、異様な雰囲気に包まれた室内を自分の席に向かってゆっくりと歩きはじめる。

 右足を捻挫していたため、その歩みは普段よりも遅い。

 おかげで、クラスメイトたちの視線がひとつ、またひとつと自分に集まってくるのを余計に強く感じた。


 やがて僕は自分の席にたどり着くと、腰を下ろすなり隣の席に座る女子に尋ねる。


「あのさぁ……僕、何かしたのかな?」


 問われた少女は、「えっ……」と一瞬小さく声を出す。耳を疑っているといった様子だった。

 それから戸惑いつつも、彼女は言い辛そうにこう答えてくれた。


「……昨日の体育の授業中、クラスの男の子たちの財布とかが盗まれたこと知らないの?」

「へえ、知らなかった――」


 そう言いながらも同時に、僕は悟った。


「あっ…………。もしかして……僕がみんなから疑われている?」

「うん……。多分ね……」

「授業を途中で抜け出したから?」


 少女は、「当たり前でしょ」とでも言いたげな表情でうなずくと話を続ける。


「うん。途中で抜け出して、そのまま家に帰っちゃったんでしょ? だから、相当疑われているみたいだけど……」


 それから彼女は、前日に起こった事件のことを簡単に説明しはじめた。


 そして、彼女の話を聞いている間に僕は、容易に想像することができた――。

 事件当日に学校からいなくなっていた時点で、自分がクラスメイトたちの誤解を解く最大の機会を失っていることを。


 おいおい……。

 僕は、ちゃんと身の潔白けっぱくを証明出来るのか?


 そう思った僕は、薄ら寒いものを全身に感じながら震えた。

 すると、ほどなくして中年の男性教師が教室に入ってくる。

 前日にキーナを職員室に呼び出した担任の教師だ。


 教室の異様な空気の中、担任は朝の連絡事項を淡々と生徒たちに伝える。

 盗難事件に関しては、前日にもう目一杯話していたらしく、教師はその朝の時間に改めて触れるつもりはない、といった雰囲気だった。


 だが――。

 連絡事項をすべて伝え終えた直後。

 担任は教室を出て行く去り際に僕の方を向いて、ひと言こう口にした。


「あと、印場。お前は昼休みに職員室に来るように」


 担任のその言葉を合図に、クラスメイトたちの視線が一斉に僕の元へと集まった。

 自分の置かれている立場を、すでにぼんやりと理解していた僕は、両膝をカタカタと震わせながら思う。


 おいおい、先生……何も考えていないのか?

 いくらなんでもこのタイミングで、クラスメイト全員の前で職員室に来るよう伝える必要はないだろ? それじゃまるで、僕が犯人みたいじゃないか……。

 せめてこっそりと呼び出してくれたらいいのに……。


 クラスメイトたちの冷ややかな視線を感じながら、僕は担任の配慮の無さを恨んだ。


 その一方で、僕のことをシロクロ決めかねていたクラスメイトたちは……。

 担任に名指しで声をかけられた僕を見て、一斉にクロい方へと動いたようだった。

 担任の無配慮なひと言で、


『あれ? こいつやっぱり犯人なのか?』


 と思い込みやすい空気が、教室全体にすっかり出来上がってしまったのだろう。



 クロ。クロ。クロ――。



 カジノのルーレットでチップを賭けるかの如く、クラスメイトたちが僕に向かって黒い石を一斉に投げて寄越す。

 イメージとしてはそんな状況だった。


『どうせ、お前が犯人なんだろ?』


 口々にそう言われ続けているかのような雰囲気の教室で、僕はその日最初の授業を受ける。

 きっと、真っ青な顔をしていたことだろう。

 僕は奥歯を、原始的な打楽器のようにカチカチと鳴らし続けた。

 のどはカラカラに上がり、背中には冷たい汗をかき、もちろん授業の内容など少しも頭に入ってきやしない。


 やがてチャイムが鳴ると、僕にとって生涯でもっとも長い一限目の授業が終わる。

 するとその直後――。

 キーナが、僕のもとへ駆けつけたのだった。

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