021 夜中に自宅の洗面所の鏡から
この部屋に、椅子はひとつしかない。
もちろん、みどり子と二人で、再びそれに座るわけにもいかないだろう。
そこで僕は、隣の教室から椅子をひとつ借りてくる。そして彼女と、一台のノートパソコンの前で横並びになって座った。
緑髪の少女が、パソコンの操作をしながらこう言う。
「それでは、センパイ。まずは、『ボクが考えた本当にあった怖い話』を読んでいただきます」
「はい……」
「このブログは、本当にあった怖い話をボクが創作して、まとめたものです」
ものすごい
僕は心の中でつぶやく。
――創作なら、『本当にあった』って部分は、まるっきり嘘じゃねえか……。
それから、恐るおそるパソコンの画面に目を向けた。
≪ ≪ ≪
《恐怖! ボクが考えた本当にあった怖い話》
▼ 第一話
『夜中に自宅の洗面所の鏡から白い手が出てきた。それも二本も!』
これは、ボクの友人が話しているのをボクの友人が聞いた話です。
ある中学生が夜中、トイレに起きました。
≫ ≫ ≫
「……なあ、ちょっと待って」
ブログを読みはじめてすぐのことだった。
僕の
「んっ、センパイ? どうしたんですか、いきなり?」
「あのさあ……『ボクの友人が話しているのをボクの友人が聞いた話です』ってはじまり方……すごく気になるんだけど……」
「え? 何かいけませんか?」
緑髪の少女は、不思議そうに首をかしげた。そして、オレンジ色の両目は、まばたきを繰り返す。
彼女は、とにかく僕からの説明を待とう、といった態度だった。
僕は頭の中で考えをまとめながら、そんなみどり子と見つめ合う。
まばたき五、六回分の沈黙が訪れた――。
やがて僕は、「うほんっ」と一度だけ咳払いをしてから、自分の意見を口にする。
「これ、無理して怖い話っぽく文章をはじめているから、ややこしいことになっているんだよな。思うんだけど、ここはさらっと『これは友人から聞いた話です』だけでいいんじゃないか?」
「そうですか。センパイがそう言うのでしたら、きっとそうなんでしょうね」
みどり子は、僕の意見に素直にうなずく。
「あと、みどり子さあ……タイトルでほとんどネタバレしちゃってるけど、これはいいの?」
「へっ?」
「オチはきっと、洗面所の鏡から白い手が二本出てくるんだろ?」
「あっ…………。本当ですね。ボクもまだまだ詰めが甘いです」
ハニカミながら少女は、舌をペロッと出す。
「いやいや、みどり子。これ、詰めが甘いってレベルじゃないよ? それと、タイトルにある『ボクが考えた』ってコンセプトはどうなってるの?」
「んっ?」
「このはじまり方だと『ボク』が考えた話じゃなくて、友人が友人から聞いた話を、ブログの語り手である『ボク』が聞いた話になっちゃってて……うーん……」
胸の前で腕組みをしながら僕は唸った。
それから彼女に問う。
「これって要するに、
「又聞き……」
みどり子は、自身に言い聞かせるかのように、僕の言葉をそう繰り返した。
彼女のそんな反応を目にしながら、僕はひとりごとのように、こうつぶやく。
「んっ? いや、それとも又聞きした話を、ボクが考えたってこと……なのか?」
それから僕は、後頭部をポリポリ掻くと言った。
「おい、なんか『ボクが考えた』ってコンセプトと混ざり合って、スタートから本当に面倒臭いことになっているぞ!?」
頭の中が、なんだか微妙に混乱しはじめる。
そんな僕の肩を、みどり子は優しく叩いてこう言う。
「ふふっ。まあまあ、センパイ。落ち着いて続きを読んでみてくださいよ」
僕のことを混乱させている張本人からそう言われ、少しムッとするというか、納得のいかない気持ちになる。
それから僕は仕方なく、再びパソコンの画面に目を向けるのだった。
≪ ≪ ≪
その夜、彼がトイレに起きたのは、それで三度目のことです。
「おいおい、またトイレかよ! ……神様、なんだってオレはこんなに
彼は、頻尿な身体を自分に与えた神を
それからトイレを済ませると洗面所で手を洗い、正面の大きな鏡に目を向けます。
その時でした。
「あれ、あれれ? 鏡から『さっき見た白い手』とは別の『太い手』が出ているぞ?」
どちらの白い手も女性のもののようでした。
≫ ≫ ≫
「みどり子よ……ここでもう一度ストップだ……」
僕は、思わず手を挙げながら、そう言った。
それから、このブログに対する不満を心の中に隠していないで、思い切って表に出そうと考え、口をとがらせる。
「んっ? どうしました、センパイ?」
「まず……『さっき見た白い手』とは別の『太い手』って、なんだ?」
「えっ?」
口をとがらせたまま僕は話を続ける。
「これって、『はじめて白い手が登場するくだり』を、完全にカットしちゃってるわけ? 一本目の手は、まるで描写されてないよね? どうしてなのかなぁ?」
「んんんっ? ど、ど、どういうことですか、センパイ? 何か問題でも?」
少女はその緑色の頭を、くりんくりんと左右に振りながら、本当にわかりませんっといった表情を浮かべた。
僕は両目を細め、天を
「このブログ…………怪談で一番盛り上がりそうなところを、平気でスルーしちゃってるんだ……」
みどり子は僕のその発言に、心底驚いたという様子だった。
彼女は両手を、自身の口に当てる。
「……そ、そうなんですかっ!?」
「いや、だってみどり子さあ……鏡から白い手が出てくるのを、はじめて目にするときが、普通なら一番驚くところでしょ? このブログの中学生は、白い手を目にするのが二度目みたいだから、ちょっと冷静な反応になっちゃっているし……」
緑髪の少女は、こくりとうなずく。
「あ…………。ああ、なるほど……」
彼女はそう口にするのだが、最後に首をほんの少しだけかしげる。
「い、いや……本当にわかってる?」
ちょっとだけ不安になりながらそう言うと、僕は再びパソコンの画面に視線を戻した。
≪ ≪ ≪
彼は『最初に見た白い手』と『二度目に見た白い手』の太さが違うことが、少しだけ気になりました。
けれど眠たかったので、あくびをしながら洗面所を後にします。
もしこれが、手ではなく、足だったら……。
彼はきっと、もう少し長い時間をかけて観察したことでしょう。
なぜなら彼は、自他ともに認める無類の足フェチだったからです。
そうです。幽霊のミスは鏡から手を出したことでした。
ここは、足を出すべきだったのです。
そして、彼が部屋に戻ってから一時間後に四度目のトイレに起きたときも、その三十分後に五度目のトイレに起きたときも……………………白い手はもう、そこにはなかったそうです。
〈おしまい〉
≫ ≫ ≫
「ねえ、みどり子……。このブログを書いてる人とキミって、やっぱり別人だよね?」
「いえ。正真正銘、このボクです」
「嘘だよ」
「本当ですって……。ところで、どうですかセンパイ? このブログ、怖い?」
そう言うとみどり子は、僕の顔をまっすぐにのぞき込んできた。
僕は可能な限り真剣な表情を浮かべると、ゆっくりとうなずきながら感想を口にする。
「とにかく……頻尿過ぎるよね……」
「頻尿――」
と少女は繰り返す。
「――ああ、そうだ。頻尿だ。夜中に五回もトイレに起きていると、まあ、正直幽霊どころじゃない……。だから、怖いっていうよりも、この中学生が
「可哀相? 怖い話じゃなくて、可哀相な話? 怖い話……じゃない?」
真顔で僕に詰め寄ってくるみどり子。
少女のその表情は、自分のブログを少しでも良くしようと、読者に意見を求めるひたむきな姿勢の表れなのだろう。
だが――。
それが僕にとっては、なんだか怖い。
彼女が書いた怖いブログよりも、目と鼻の先に迫った彼女の真顔の方が、よっぽど怖いのだ。
「み、みどり子よ……とにかく感想は以上だ。僕はこのブログに関しては、『もうこれ以上、何も聞かないでほしい』と思っている」
「そ、そうですか……」
緑髪の少女は、少しがっかりした様子で、大人しく引き下がる。
それから彼女は、再びパソコンを操作すると、
「――では、センパイ。続きましてこんなブログもあります。こちらはどうでしょうか?」
と言って、別のブログを画面に表示させたのだ。
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