少年、結局一人立ちできず-6

 グラウンドを染めた昨夜の雪が、あっという間に踏み荒らされて濁っていく。

 朝礼台の横に並ぶ自治会メンバーの表情は浮かなかった。

 俺以外。


「すっきりした顔」

「そう?」


 恨めしそうに言うなよ。

 桐花はこちらを見ていないが、眉間に皺を寄せていそうだ。


「何か思いついてる」

「別に」


 鋭いな。


「教えてくれてない」

「すぐ分かるからいいだろ」

「教えて」


 そう言われてもな。


「なら、嗣乃としてる秘密の話を教えろよ」

「な、なんでそういう……むぅ」


 俺の言いたいことを察してくれて助かる。

 本当は全員と相談したいよ。

 一つの企みを思いついた達成感で眠れはしたけれど、今は孤独感に押し潰されそうだ。


「原稿は承認されたぞ」


 依子先生からA3サイズの紙束を受け取った。

 でかくて取り回しが悪いが、仕方ない。


「うおい!」


 あぶねぇ。桐花に奪われるところだった。


「何してんだ金髪。承認印ならここにあるだろうが」

「嘘!」

「嘘じゃねぇよ。しつけぇ女は嫌われるぞ?」


 桐花がぐっと奥歯をかみしめた。

 今は我慢してくれ。

 その怒りは俺に全部ぶつけてくれていいから。


「緊張してんのか? もっとするから楽しみにしとけよ? 朝礼台上がれ」


 このサディスト教師が。

 だけど、その通りだった。

 緊張感が俺の意識を一気に乗っ取ってしまった。


 考える時間は短かった。

 できるかぎりの考えは尽くして、できる限りの協力も取り付けた。


 あとは俺がこの原稿を全生徒に伝わるよう読み上げることで、俺の奸計は完成するのに。

 ただ三分ほどで終わる内容を読むだけ。

 それだけなのに。


『うわんうわん。ふわんふわん』


 教頭先生がマイクスタンドの前で何かを話していたが、まるで聞き取れなかった。


 作った原稿は綿密だ。

 A3サイズに文字はかなり大きく印刷し、演劇部部長氏が息が呼吸のタイミングまで書き込んでくれた。

 大丈夫だ。

 練習したことを思い出せなくても。

 アドバイスもすべて原稿の端の全ページに書き込んだ。

 朝礼台に近い生徒に読まれてしまいそうだが、どもって何も話せなくなるよりはマシだ。


『……安佐手一年委員長……』


 びくりと体が跳ねた。

 自分の名前だけは聞こえた。


 何をすればいいんだ。

 そうだ、まずはマイクの前に立たないと。

 目の前に並ぶ人は見るなという教えをかたくなに守りながらマイクスタンドの前に立つ。

 たくさんの生徒たちが吐く息が、まるで朝もやのように見えた。


 俺は何をするんだっけ。

 二度目の疑問が頭の中を巡った。

 マイクが自分の口の高さまで降りてきた。

 俺が動けないのを察してか、教頭先生が耳元でささやいてくれた。


「月人君、初めてくれ」

『いちねん、』


 いきなり間違えた。

 でも、大切なのは続けることだ。


『生徒自治委員会、一年、委員長、安佐手です』


 マイク越しの声が全盛とに聞こえているかは分からない。

 とにかく、列の一番前にいる生徒に届く声が出せていれば大丈夫なはずだ。


『生徒会長選挙について、説明いたします』


 ここでひと一呼吸。


「選挙についてぇっ!」


 誰だよ合いの手入れてきたヤツは。


「「選挙についてぇーー!」」


 呼応しないでくれ。

 こんな歓声は想定外だ。


『静かに!』


 教頭先生が割って入ってくれた。


『選挙について、説明いたします』


 頭が働くなってきた。

 俺の言葉は通じているんだろうか。


『今回の選挙は、』


「今回の選挙はァーー!」

「「今回の選挙はァーー!」」


 伝わっている。

 自分の言葉が伝わっていることが分かると、少し冷静になれた。

 コールアンドレスポンスも悪くないな。


 でも、ここからが本番だ。

 次の一言は、盛り上がっている生徒達にどう受け止められるんだろう?


『……立候補者は、受け付けません』


 立候補は受け付けない。

 その意味が理解しかねるのか、全校生徒がすっと静まりかえった。


『立候補者は、受付ません。選挙活動も、行いません!』


 う……全校生徒がざわつき始めた。

 続けて良いのか、分からなくなってきた。


「安佐手君、続けなさい」


 教頭先生のささやき声が聞こえた。


『この後のホームルームで、生徒会長に相応しいと思う人を、クラスごとに話し合って、決め……決めていただき、報告してください!』


 ざわつきが大きくなっていく。


「あと一息だ」


 教頭先生の小声の励ましが、なんとか自分を支える。


『指名条件は、来年の五月まで、在学している生徒です』


 一呼吸。

 いや、口が動くまで二呼吸。


『生徒会長に指名された生徒は、生徒自治委員でない場合、生徒自治会へ移籍、完全移籍していただき、山丹委員長の指導のもと、仕事を、覚えていただきます。以上です』


 えと、それから……あれ、終わった?

 明らかに原稿の行数が減っていた。


『はーい、聞いたかお前ら』


 スタンドのマイクは依子先生にもぎ取られていた。


『生徒会長になったアカツキだかカガリだかにはぁ~、ビッグなことするぜぇみたいな口約束はいらねぇ。今までの実績一つだ! これはれっきとした選挙だからな。すぐに話し合いを始めろ。決めたら学級委員がその名前を手近な生徒自治委員に報告! 以上! 三年から退場!』


 足下がふらつく。


「……うわ」


 自分がどれ程の人数に向かって話していたか、今更気づかされた。


 教頭先生が俺の体を支えながら、朝礼台から下ろしてくれる。


 馬鹿な真似をしたとは思う。

 俺が禁止されたのは立候補だけだ。

 そんな屁理屈のような手段が、全校生徒に受けいられるとは思えなかった。


 これから選ばれようと画策する奴らが動き出すだろう。

 それにどう打ち勝てば良いかは、今から考えなくちゃならないことだ。


『三年生ェェェェェイ!』


 なんだ?

 演劇部部長氏が朝礼台に立ってる?

 俺が根回しをしたのはダンス部の笹井本部長だけだったのに。


『この一年……誰に世話になったかァ! 分かるなァ!?』


 全校生徒が、当惑気味に朝礼台へと視線を注いでいた。


『誰がふわさしいかはァ、分かるなァァ!? 立つ鳥はァァ! 跡を濁すなァァ!!』


 演劇部部長氏の大声がグラウンドに響き渡った。

 一世一代の保険の利かない賭けをしたつもりだったのに、勝算が一気に高まってしまった。


 俺はこの無茶苦茶な計画に負けたら、生徒自治委員会はクビになると思っていた。

 桐花や皆を巻き込まないために、一人で立ち回ろうとしたのに。


 ダンス部の笹井本部長氏も、朝礼台にひらりと飛び乗っていた。


『二年生! 俺からも頼む! 誰がふさわしいかなんて、考える必要はない!』


「おい安佐手」

「は、はい? のわぁっ!」


 演劇部の皆様!?

 何で持ち上げられてるの!?


『はい皆様ぁ! コイツが安佐手だ! この地味クッセェのが教師共を恐怖のどん底に陥れた世にも恐ろしい一年生だぞォ!』


 仰向け状態で持ち上げられるの怖い!

 なんだよこれ!?


「つっき、楽しそうだね」

「よ、よー! 仕込んだな!?」

「仕込むとしたら俺を推してもらうけど」

「嘘つけ! うわっ! ちょっと!」


 運ばれてる!?


「こ、怖い! 怖いです! 降ろして!」

「あーよく聞こえないなぁ」


 本当に怖い!

 落ちる!


「このまま昇降口まで運ばれちゃいそうだね」


 洋太郎さん冷静過ぎません!?

 落ちるって!

 本当に死ぬって!

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