卑屈少年と清廉少年、勝負もせず-5

 俺の思っていることは、宜野に伝わるかな。


「なぁ、宜野。桐花にお前はもったいないよ」

「え!? ぎ、逆ですよね?」


 この謙遜野郎め。

 まぁ、無理もないか。

 俺は確かに桐花に宜野はふさわしくないと言ったんだよ。


「あいつはずっとお前の真心に気付かなかったんだぞ? お前が真剣になってたのに、自分の思ってることはなんも話さずにぐっと口を閉ざしてたって、どんだけひねくれてんだって思わないか?」

「つっきー、女の子に対して随分な物言いですね」


 会長氏が怒りに満ちた表情を浮かべているが、知るか。


「俺は『女子』なんて単位で桐花を見てないですよ。『桐花』として見て言ってるんです」

「あらぁ、素敵な言葉で言い返されちゃいました。ちゃんと見てるんですねぇ桐花ちゃんのこと。歯が浮いちゃいますよね、実優斗」


 そんな素敵な言葉なんざ吐いちゃいねぇ。


「宜野、頼むよ。桐花にこれ以上囚われ続けないで、ちゃんと前向いて進めよ」

「……そ、そんな風に言わないでください。僕がフロンクロスさんと釣り合わないって、はっきりと」


 宜野の両眼が赤く腫れ上がっていた。

 涙をこらえる姿すら絵になるね。


「だから違うって言ってんだろ! あいつはお前が思ってるような奴じゃねぇんだよ! この際だし、全部教えてやるよ。例の削られた交流会予算を補填する裏金作ろうとしてた件覚えてるか? あれの主犯の一人は桐花なんだぞ」

「……え?」


 信じられないって顔をしやがって。

 でも、事実なんだよ。


「へぇー、そうだったんですかぁ! 主犯は他にもいるんですか? つっきーでしょう?」

「多江ですよ」

「え!? あんな可愛い子が怖いことしますねぇ! ギャップがたまらないわぁ!」

「そ、そんな……フロンクロスさんが?」


 勝手に桐花をどんな人間か決めつけないでくれ。

 あいつはお前が思うような純粋真っ直ぐな少女じゃねぇんだよ。


「なぁ、もっとあいつと話してみろよ。もう少しあいつを分かってやれよ」


 宜野は下を向いてしまった。

 その宜野に対して、俺の口が勝手に動き始めてしまった。


「あと、あと……お前はもうちょっと自分で調べろよ……『総受け』も『庶民サンプル』もググれよ! あ、あとな、さっき敷いてた赤いカーペットな、赤いカーペットはカソリックなんだよ。お前の学校はプロテスタントだからカーペットは白なんだよ! どうして模擬結婚式見て分からなかったんだよ!」

「……え? は、はい?」


 何を仕入れたばかりの知識をひけらかしているんだ、俺は。

 手足が冷えて動かしにくくなってきた。

 自分より優れていそうな人間に説教を垂れると体が震えてしまうのはどうしてだ。


「ふふ、だから実優斗はすっかりつっきーの毒に冒されてるって言ったじゃないですか。創意工夫がすべてって錯覚しちゃ駄目ですよ? 工夫というのは単純に物事を運ぶことができない時に初めて使う手段なんですから」


 会長氏とは考えが合うらしい。


「つっきーはね、物事をごく単純にしか考えていないの。実優斗はそれに早く気付いてもっと愚直に対応していれば良かったのにねぇ」

「愚直に……ですか? 愚直に安佐手君と勝負して、僕が万に一つでも勝てると思っているんですか?」


 さっきからなんだよ、勝負って。

 そもそもお前みたいな美少年とは既に勝負になってねぇよ。


 会長氏は頭痛を覚えているかのように、自分の額に手を当てていた。


「あなた、まるで金髪ちゃんを手に入れたいのではなくて、つっきーに勝ちたいと思っているように思えますよ?」

「そ、その通りですよ!」


 はぁ?

 宜野がいよいよ何を言っているのか分からなくなってきた。


「みんなに求められて、会長にも求められて……そんな人、尊敬してライバル視してしまうに決まってるじゃないですか! フロンクロスさんにもあんなに信頼されて……どうして、どうしてそんな風になれるんですか!?」


 俺を尊敬するってどんな勘違いだ。

 混乱して言葉が出てこない。


「もう。こんな人を目指したら人生闇の中ですよ?」

「こ、こんな何もできない僕のままなら、それでも構いませんよ!」


 あらやだ、この子すげー腹立つ。

 俺も身長と顔面偏差値はお前くらいになりたいのに。


 会長氏の手が、俺の背中を優しくさすっていた。

 俺、そんなに宜野が羨ましくてたまらないって顔をしたんだろうか。


「駄目よ」


 会長氏の顔から表情が失われた。


「他の誰に憧れてもいいけど、つっきーだけは駄目。私がつっきーを欲しいと思ったのは、つっきーの賢さだけではないの。私と同じ『空っぽ』なのが大事なの。よたろー君とつぐちゃんだけで自分の中を満たしていた空っぽな人間。他人のことばかり考えて、自分なんて二の次のすっからかん」


 他人から言われると、結構きついな。

 そうだよ。

 これからの俺は何をどうすれば良いかなんて分からないよ。


「私もね、空っぽな人間だから分かるんです」


 会長がヘラヘラした笑顔を取り戻した。


「ちょっと私の昔話を聞いてくださいな」


 なんだ急に。

 会長氏にしては話の展開のさせ方が雑だ。


「小さい頃の私はですね、笹井本の筆頭分家、要するに父の屋敷に住んでいたんですよ。今はちょっと遠くのマンションにママと住んでいますが」


 理由は依子先生が話してくれた通り、無理やり婚姻を迫る手合から逃れるためだろう。


「私、年の離れた姉がいたんです。母親は違いますが、本当に大好きでした。その姉と同じくらい好きだった親戚のお兄ちゃんが、姉と結婚するって両親から聞いて、すごく嬉しかったんですよ。でも、その数日後、そのお兄ちゃんは姉の部屋で遊んでいた私をつまみ出して、姉を大声で罵って」


 この人は急に関係無い話をする人間ではないのは分かっているが、唐突な身の上話はちょっと面を喰らってしまう。


「か、会長……記憶が……?」


 察しが悪いな、宜野も。

 もう記憶喪失ごっこは終わりなんだよ。


「今も忘れられません。ドンっという音が、本当に嫌な音が何度も響いて、慌てて姉の部屋のふすまを開けたら、服が破れてほぼ裸の姉が、バットを持っていて。親戚のお兄ちゃんは倒れて、震えていて」


 なんだ、それは。

 依子先生はどんな危機を乗り越えてきたんだ。


「親も親戚も、お姉ちゃんは素敵な結婚相手がいて幸せだって言っていたのに。姉もそれを特に否定しなかったのに。全部、嘘だったんです。それから姉はどこかへ消えて、何年も姉に会うことはできませんでした」


 語る会長の表情は明るかった。

 闇を一切感じさせない、きれいな顔だった。


「親の言うことを聞く良い子の私はその時、空っぽになってしまったんですよ。誰の言葉を信じて良いか、分からなくなってしまったんですよ」


 どうしてそんなことを嬉しそうに語ってるんだ、この人は。


「姉を失った私は一人になってしまいました。誰も私の空っぽな容器を満たしてくれないから、姉を奪った笹井本を潰して、姉を取り戻そうと思ったんですよ」

「か、会長……?」


 千人中九百九十九人が惚れてしまいそうな笑顔で、なんてことを言っているんだ。


「つっきー、私はね、あなたを救い出したいんですよ。私と同じように空っぽになってしまいそうなあなたを。あなたも陽太郎君もつーちゃんも、お互いがお互いを満たしていたんでしょう? ですから、私でその空白を満たして下さい。そして、私も孤独から救い出して欲しいんです」


 どうしてそんなことを言うんだ。

 どうして、俺の覚悟が中途半端だってことを思い知らせるようなことを言うんだ。

 何の覚悟もないのに一人で生きていこうと決めて、結局陽太郎と嗣乃に依存しているままの俺に。


 本音を言えば、嗣乃が陽太郎を優先するのは気に食わない。

 それと同じくらい、陽太郎が嗣乃を優先するのも気に食わない。

 そんなどうしようもない気持ちを引きずりながら生きるしかないと思っていた俺に。


「つっきー、あなたが自分自身をどう思っているかは分かりませんが、あなたの優しさ、大事な人を必死に守る姿はとっても魅力的です。だから、今のあなたを助けてあげたい。ちょっと年上で宜しければ……ですけどね」

「う、うわぁ!」


 思わずのけぞってしまった。

 今、確かに笹井本かとりの言葉を発している唇が、唇の下の傷に当たった。


「んもう。そんなに嫌がることですか? 私の欲望を満たすことくらいさせてくださいよ」

「だ、だから、お断りしますって言ったでしょ!」


 危なかった。

 心に響く言葉をたくさん並べられて、情にほだされるところだった。

 俺の中にほんのわずかに残っていた一寸の冷静さが、この人物の闇を感じ取ってくれた。


「ぎ、宜野で満足してくださいよ!」

「もう。つれない男ですねぇ」


 この人は肉体的接触など意に介していないんだ。

 メリットがあれば簡単に自分の体を差し出すような人だ。

 それほど、貪欲に自分を満たす相手を探しているんだ。


 笹井本かとりの感じている孤独に胸が締め付けられてしまうが、俺はこの人の助けにはなれない。

 いや、なってはいけない。


「はーあ。そんなに金髪ちゃんが好きなんだぁ」

「なんでそこで桐花が出てくるんですか」

「か、会長! 安佐手君はちゃんと節度を持ってフロンクロスさんと接しているんですから……でも、興味はあります。どうなんですか?」

「は、はい!?」


 嘘だろ。

 俺を擁護してくれると思ったのに。


「安佐手君は、フロンクロス……向井桐花さんをどう思っているんですか? すごく大事にされているのは分かりますけど」

「ど、どうだっていいだろ!」

「良くないですよ。向井桐花さんの幸せを願う者として、聞いてます」


 面倒な所をつつきやがって。


 でも、いいや。

 どうせ本人が聞いてる訳でもなし、宜野にこれ以上桐花に粉をかけられても困る。


 好きだなんだというのは憚られるが、教えてやらねぇが桐花に手出しすんなとでも言ってやれば満足するかな。

 その場しのぎの言葉を吐くのは得意なんだよ。


「……大事でたまんねぇよ」


 あれ。

 我がお口さん、台詞が違うよ。


「あいつに、どれくらい助けられたか分かんねえよ」


 そうじゃない。

 適当に平易な言葉を吐いておけよ。


「助けられた……向井さんに?」

「そうだよ……あいつがいなかったら」


 桐花がいなかったら、どうだったんだろう。

 分からない。

 でも分かることは、桐花と気軽に接していられない日々なんて最悪だってことだ。


 陽太郎と嗣乃が俺の元から去ってしまうより、桐花が近くにいてくれない方がずっと想像したくない。

 なんで今更そんなことに気づいちまうんだ。


「すごく、好きなんですね、向井桐花さんが……きっと、僕よりもずっと」

「す、好きってなんだよ!? そ、その程度の言葉で語るなよ! 桐花は……」


 なんだ、何にいきり立っているんだ俺の神経は。


「ふふ、もういじめるのは止めましょう。愛情深いんですねぇつっきー。ますますあなたが好きになりました。だから、私で妥協しません?」


 まだ俺をいじめるか、この人は。


「ぎ、宜野! 頼むからこの人の側にいてくれ! お、お前ならこの人のイビりに耐えられるだろ!」

「まぁ、人聞きの悪い」


 今の宜野に、この人の孤独を満たす力なんてないのは分かっている。

 でも、笹井本会長氏はなんだかんだで宜野をいつも気にかけて行動を共にしているんだ。


 今はまだできない奴だが、宜野は俺よりずっと優れた成長株だろう。


「そ、それはもちろん。男女関係は……ちょっと難しいですが」

「はぁぁ!? こっちからお断りしますぅ! 金髪好きのロリコン野郎が! つっきーも含めてぇ!」


 ぐぬぬ。

 桐花は背こそ低いがそこまでロリ顔じゃねえぞと反論したいが、冷静に考えると否定しきれない。

 すまん、桐花。


「仕方ないですね。では当初のお約束どおり、また十年後に声をかけさせていただきます」


 覚えてはいるけれど、約束を交わした覚えはないよ。


「さぁ、帰りましょう」

「ちょっと! 痛いですって!」


 宜野のサラサラヘアを引っ掴み、笹井本かとりはおぼつかない足取りで非常階段の扉を開けて去ってしまった。


 俺は少しの間、その場を動けずにいた。

 会長氏と宜野のことよりも、さっきの俺自身が吐いた『大事』という言葉はどういう意味なんだ。


 自分で吐いた言葉の意味が、まるで理解できなかった。

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